ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

続、車シリーズ3

2006年05月31日 | レコードのお話
LPジャケット・カタログをながめて飽きないのは、すでにこの世にいないジャズメンでも、音楽がそこにあるからか。
カタログに音を聴くといっても、まだ聴いていないレコードにどうなるものでもない。それで手に入らないLPのジャケットに印をつけては演奏を想像してみる。まだ、聴いていないレコードがあるのは幸せというものだ。
昔、この車の主と『クール・ストラッテン』を聴いて、チェンバースのベースのソロパートの背後で、ソニー・クラークが指一本でポチン、ポチンとキーを何回叩くか?数えていると、秋田からきた初めての客が、眼を丸くして驚いていた。ジャズなので、たまには多く叩くときもあるだろう。
ジャズに親しんだ人はブルー・ノートを繰り返し聴いているので、いまさらそのカタログなど必要としない。ジャケットを見ただけですでに曲は頭の中でメモリーがフラッシュしてしまうので、マニアにとって演奏は終わっている。それでレコードが鳴る前にジャケットを見るのはまずい。自宅でB面を聴かないというお客もけっこうおられるが、一枚通して聴いていたのでは人生が終わってしまうからか。
たぶん皆、旅を急いでいるのだ。Royceで妙な曲に出くわしてアレッと思う。タンノイロイヤルの音である。はてな?と思う。が、だいたいそれは聴かない方の片面の曲である。ジャズは意外にB面に味のある曲が入っているというのは本当だ。B面専用で世を渡るジャズ喫茶というわけでもないが「へー、こんな曲が入っていましたか」などといわれても、返事に困る。
ジャズは1940年代の作品で間に合うと言う人も、スピーカーは1個で良い、というひともいるが、新しいジャズの境地をもとめて、けっきょくまた4、50年代に戻ってくると皆言う、意味深い話。

☆オリジナルLPを返送したところ、礼状が届いた。切手が石原裕次郎の横顔だった。
☆クマさんがきて小瓶の日本酒がほしいというので、何に使うのか聞いたところ「お料理、そして余ったら呑む」といった。
☆このあいだ関東の知人に電話したら「おーぅ、1ケ月ぶりで人と話した」だと。
☆G君がやってきたが、「最近ダーツやってないんですよ」と元気がなかったね。
☆秘書が「小判草」という初めて見る妙な草を持ってきたが、ブルド-ザーで整地されるところにまだ残っているそうだ。それを見た人が、園芸店で600円といっていたが、野生にわんさかまだあります。



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続 コーヒー

2006年05月29日 | 徒然の記
カリブ海に浮かんだジャマイカ島は、秋田県ほどの面積の島だった。海抜2千メートルのブルーマウンテン山はこの島にあって、世界最高級と言われる珈琲豆はそこから採られている。熱帯性気候の山麓に27度の貿易風に揺られて成長した紅い実がそれだ。
だが、世界中に行き渡るにはあまりに産量が足りない。そこで、苗をこっそり他の土地に移しては、増産した豆も現れるが、味が違うといわれ、業界では純正豆と区別されている。
高価なブルーマウンテン・ビーンズの純正品はその八割が、なんと日本向けであるそうで、特別の木の樽に詰められて届く。有名珈琲店はその樽を店頭に飾って真贋をアピールすることは知られた話である。
写真のとうり、手に入れた中ローストの3種の豆をたとえ顕微鏡で見ても、どうも品種の手がかりは解らない。やはり決め手は味だろうか。だれでも解る味なのか?ウルサ方にお尋ねしている。
虫メガネで、珈琲豆の縦に割れたミゾの中を見ると、そこに白っぽい皮のかけらが入っている。これがチャフとよばれる若干のエグ味の元であり、ツウは豆を曳くとき特別の仕掛けのミルでこれを風で飛ばして除くという。
コーヒーを淹れる水はpH7.8程度のやや軟水が良いそうだが、コーヒーを淹れる湯加減は、熱湯では間違いだとこれまでもウルサ方は申される。お湯の立ちのぼる湯気に手をかざして我慢できる温度なら60度以下で、それではぬるい。83度が申し分ないと、種々調べた結果を言う人がいる。
ネルドリップか、紙フィルターか、カリタかメリタか、またサイフォンか。こうして確かめたブルーマウンテンの味は、さてどのような味か。3種の味を呻吟賞味しつつ、タンノイとアルテックとJBLの音の差を思う。コーヒー好きの人それぞれがいつの日かたどり着かれる幸運に余慶を祈りつつ、ジャズを聴く。
むかし『蕃のブラジル』ばかり好んでいたことがあったが、ここ東北でもテレビのニュースでその『蕃』が映り、健在を知る。同じブラジル豆とは思えないパワフルで優美な良い味だ。


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M-4シャーマン

2006年05月28日 | 徒然の記
プラモデルの趣味がこうじて資料を集めたなかに、戦場写真で一番に挙げるとすれば、それはロバート・キャパの撮ったものではなく、煙を噴いているM-4シャーマンタンクの北アフリカ戦線の写真である。敵の砲撃で被弾し、キャタピラーは吹き飛んでエンジンから火を吹いているが、幸い乗組員はハッチを開けて皆逃げ出した。恐ろしいことである。
M-4は、乗員5名30トン時速30キロで約3万両製造された。さまざまなバリエーションがあるが、中にラジオを積んでいて、ボイス・オブ・アメリカのジャズを聞くことが出来た。
一番気にいっているのがM-4A1型。アメリカに住んでいれば、廃車になったものを5万円で購入できるチャンスがあったが、日本ではかなわなかった。
日本の国道に架かる橋の耐荷重量は一説によれば50トンと聞いたことが有るが、それは有事のさいの国産戦車の通行を計算しているらしい。昔、北海道にミグ戦闘機が亡命したとき、ソ連が奪還しに来ると噂が立ったが、戦車を1台も動かさなかったのは賢明であったと、あとで言われた。そのミグを分解して調べたら、大量に真空管が使われていて皆笑ったが、ところが万一原爆が使用されて中性子が放射されたとき、ICは一瞬にして破壊され、機能するのは真空管であるとわかってゾーツとした。真空管は、平和にタンノイを鳴らすためだけに。

☆盛岡の写真家Y氏が立ち寄られてカウント・ベイシーの日本公演のLPを聴かせてくださった。そこで当方も「MILT JACKSON+COUNT BASIE」のLIL'DARLIN'をかけ、奇妙な緊張の持続するゆっくりしたテンポが、ブンブンはじけるベースとブラスの咆哮でついに大団円をむかえるおなじみの心地よさ。Y氏は、ルクラからエベレストに向かってレンズをかまえた猛者だが、きょうも撮影済みのブロニーフィルムをどっさり袋に入れていた。


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ギタリストの登場

2006年05月26日 | 巡礼者の記帳
「じつはわたしもかく言うJBLですが、マーラーを聴いてスピーカーを2回潰しました」その客が申されるには、マーラーが鳴り出すと家族は一斉に避難を始めるそうである。
「スピーカーは音量が大きくても小さくても、微妙な細部がしっかり聴き取れてほしいのですが、ここのタンノイは流石ですね。実物等倍の音像を体験しました」ブルーノ・ワルターで、「マーラー交響曲1番」を鳴らしてみたが本日のロイヤル様はご機嫌が良い。
盛岡で録画撮りがあったその帰り、一関に立ち寄ってくださったT氏はプロのギタリストで、おわりにウエス・モンゴメリーとビル・エバンスをご所望になった。
T氏は当方の選曲したエバンス『1973Live in Tokyo』についてジャケットも見ずに「トリオ演奏では、この盤が一番録音が良いのではないでしょうか」云々と、解説のフレーズがそうとう聴きこんでおられると窺える。
「高一の時、ジミー・スミスに出会ってジャズのトリコになったのです」
それから立ち上がると「ちょっと僭越ですが、わたしの演奏を1曲きいてもらってよいでしょうか」入り口にギターが置かれていたのは承知していたが、タンノイがプロの演奏を聴く番になって当方も生演奏にかしこまった。『星に願いを』という曲であったが、しみじみと拝聴した。最高だった。
「ところでワインはそこにあるソーテルヌの若いものを叔母のみやげで飲みました」とワインの修行も、好きなモノには次々名前が挙がる舌の上のハーモニーであるが、東京駅に車を置いて有るのでと残念そうに、川向うに進路をとられたのであった。

☆某所のオーナーがひさしぶりに登場されたが、やはり、オルトフォンの針交換はあと一週間でべらぼうに値上がりすると教えてくださった。一関の某合奏団に越境参加されると申されて、腕をさする楽器の腕前。
☆ふと気が付いたがワールド・サッカーメンバーにFW鈴木が挙がらないのは時代か。彼の笑った顔を見たことがない。棒を呑んだようなコメントが良かった。
☆先日のことだが、なんと着払いの伝票が送られてきて、JAZZオリジナルLPはお帰りになった。いずれ全部手に入れたいものだ。有難うございました。



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ダビンチ・コード

2006年05月23日 | 徒然の記
「ダビンチ・コード」を観た。
思わず居眠りしたら秘書に注意された。
アトラ○ティコ手稿に、なぜ『オルトフォンSPU』の原図が!
これが、映画館で一瞬夢見た、ROYCEのダビンチ・レコードであった。
フォト・ショップの合成なので、原画を冒涜したものではない。
現所有者のビル・ゲイツ?氏が、金庫から出して確かめないように、色も変えておいた。
当方に言わせれば、「最後の晩餐」の隠し文字『V』はレコードの溝の形だと思う。オルトフォンSPUは良い音色だが、針の製造中止との噂は本当だろうか。

☆テレビで水沢のジャズ喫茶ハーフノートのパラゴンの音を聴いた。LP2万枚とは恐るべし水沢。
☆江戸時代の両替商風の人が偵察に現れ、ラジオ深夜便に「コンコルドの佐久間さんが連日ゲスト出演している」と、教えてくださった。
☆仙台のA氏が佐沼の某有名ジャズ喫茶に「これからちょっと挨拶してきます」とお電話があった。4時間ご機嫌なジャズを聴いて「あの音は、わたしの好みです」と申されたが、途中でデンキ店のご主人が現れたということまで、書いていいのだろうか。


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続、車シリーズ

2006年05月21日 | 巡礼者の記帳
一輪車でも、クルマは車である。さすがに見かけなくなった3輪車だが、ROYCEに登場した二輪車でめだったのは秋田のさる人物が乗ってきたBMWのオートバイ。
ベー・エム・ヴェーは、バイエリッシェ・モートレン・ヴェルケ・アーゲーといってバイエルン州にある。
昔、ワーグナーの本拠ノイシュバンシュタイン城に遠征したとき本社のそばを通った。ガイドが円筒形の建物を指して、あれはシリンダーのフォルムをモチーフデザインしたのもので、設計したのは日本人だ、と教えてくれた。独逸は工業製品が良いね、このカメラもドイツ製だよと『コンタックス』を見せると、ガイドは「押せば写真が出てくるのか?」と顔が本気なので、その話は終わりにした。
仙台からお見えになるジャズ好きのお客が友人とめずらしい2台で登場したとき、すかさずパチリとやりました。

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メンフェイス・ベル

2006年05月20日 | 徒然の記
お客から、さきほど拝領した本で、あの時を思い出した。
『WWⅡヨーロッパ戦線』のコレクターのさががなせたのか、あるとき街角のポスターが眼に飛び込んできて『ボーイングB-17』がのべつ登場する話題の映画が当地でも上映されると知って驚いた。さっそく電話を入れた。
「もしもし、『メンフエイス・ベル』という映画の開演時間をおしえてください」
「それは来週からだね。まだです」
上映当日の朝、市営駐車場に車をとめて、目的の映画館に駆けつけた。
「あんただね、このあいだの電話は。映写技師さんが病院に寄ってくるから、ちょっと遅れるけど、中で待ってていいよ」
天気は上々だが、客は自分一人しかいないのが解せない。それは凄い映画だというのに。
缶コーヒーを自販機から取り出すと、背後に立っていたそのおばさんに言われた。
「クルマで来たのかね、駐車場は料金がかかるから、そこに持ってきて停めていいよ。宣伝カーを停める場所だから」
堂々と店の前の白線枠に停めさせてもらって、待つことしばし、ついに映画は始まった。
連合軍がベルリンまで編隊飛行して工場を空襲する作戦が、事はそう簡単ではなく、どんどん高射砲で撃墜されて、見るも無残な映画であった。
当方が見るべきはストーリーではなく、爆撃機のあらゆる状態、離陸着陸、旋回、乗り心地、装備、彩色、などであるが、生存率の少ないパイロットがかろうじて生還して帰国する痛ましいストーリーに気分がふさぐ。メンフェイス・ベルという愛称の爆撃機のクルーが、政治的に戦意高揚のために利用されるというお話。たった3人の客のために映画を見せてくれたありがたい映画館もまもなく栄光の歴史を閉じて、いまマンションに変身している。






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TOKYO TUKとS氏

2006年05月18日 | 巡礼者の記帳
「いま、一関ダイエー前のおいしい料亭で昼食を済ませたところです」
突然の電話は、忙しい診療の間を割いてジャズとオーディオの森羅万象を速射砲のように話してこられるS先生の声であった。車で迎えに行くと、大通りの賑やかな昼下がりの石畳に、きゅっとポニーテールのように束ねた紳士と二人、大きな荷物を提げている人が見えた。
その紳士は『TOKYO TUK』という秋葉原にほど近いジャズクラブの経営者でTUKはダウンビート誌「世界のジャズクラブ100店」に選ばれている名門である。
テナーサクス奏者としても数々のステージを踏まれたプロフェッサーの風格があたりをはらっていた。ジャズ人生のエピソードがソフトな語り口で、S氏とのかけあいが後部座席からこぼれ、ホーキンスの「ジェリコの戦い」でも聞くようで、オット、ハンドルを握り直す。
S氏は診療所のある町田から「銘菓蛸八」を携えてみえたが、もうひとつの包みに大変気合いの入った垂涎LPセレクションをお持ちくださっていた。
ところがこの大事なときに、マランツ#7はなぜか沈黙をきめこんで音が出なかったのが不届き至極。せっかくS氏が持参された貴重なLPであったのに、再び袋に仕舞われたご様子が記憶から消えない。
S氏が地下にオーディオ専用の30畳を設計されて、そこに据えてある装置のことはこれまでもステレオサウンド誌などに紹介されていたので承知していたが、何度かお話を伺ってはじめてあらわれたのはウエストレークとボンジョルノアンプで表現する音楽世界であった。奥入瀬渓流釣りのどしゃ降りの話しをしながら、S氏のいつも心にあるのは余人の及ばぬアトモスフィアだ。当方のタンノイ好きに唖然とされて、「私だって、じつはタンノイを持っているんですよ」と笑みをうかべて申されたが、それはタンノイ社オリジナルのチーク材デスクのことで、どうやら新しい展開の余地がまだありそうである。

☆裏玄関に盛岡から学習塾のセールス嬢が登場、お役に立てず申し訳ない。
☆「これでよろしいでしょうか」と現れたのは住宅地図の調査員殿
☆某酒造メーカーの社長は、創業時の通い徳利を探して、ついでに古伊万里のカタログも。
☆そういえば鉢に植えた150円のスミレの花に水を遣るように、秘書から命令されたっけ。

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コレクション

2006年05月17日 | レコードのお話
上野の森に、松方さんという財閥の彫刻絵画の収集品を展示している博物館がある。初月給で買ったカメラを三脚にのせて「カレーの市民」という彫刻に向けてピントを合わせていると警備員が飛んできた。三脚を使った本格撮影はダメだった。
レコードの世界でも、コレクションの収蔵用にアパートの一室を借りている人さえいるが、めでたく博物館となったものに岩手紫波『あらえびす記念館』がある。ここのあらえびすホールに「タンノイ・ロイヤル」が備えつけられてレコードコンサートがおこなわれるのは有名だ。
コレクションは、放っておくとただ増えて沈殿していくばかりだが、すこしまえの話、「こんなの、どう」と、若いころから蒐めたコレクションから間引きされたレコードがダンボールに一箱届けられた。
ジャズ好きには、どのジャケットを見ても思い出につながる趣味の良い名盤ばかりだ。
ジャケット写真というのは、眺めているだけで中身の音が脳裏にフラッシュするところが良いのか悪いのか、湯気の立ち昇るコーヒーカップに指をかけて、オーディオ道楽も最後はレコードとの巡り合いなのか、と思う。
中にエバンスの数枚があったが、それが捜していた最後の欠盤であったことが、今もって不思議だ。
当人のまえで、ジャケットを眺めて手放しで喜ぶのは得策ではない。というのは「どれどれ」と音を聴いたばっかりに処分を考え直されて何枚か古巣に戻っていったレコードに、釣り逃した魚は大きい。
プライスの付け方と、あまたあるなかからセレクトされたレベルに関心した。


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[THAT’S THE WAY IT IS] Milt Jackson Quintet

2006年05月16日 | レコードのお話
【MKコレクション】ミルト・ジャクソン五重奏団の『ザッツ・ザ・ウェイ・イット・イズ』3500円
タンノイで聴くデイックのドラムスやレイのベースがシェリーズ・マン・ホールにオリジナル盤特有の立体感のある音像を結ぶ。
モンテイのピアノが拍手の闇にポッと浮かんだときにはおっ!と眼を凝らした。
1969年の録音だが、このライブネスなクラブの雰囲気の音は聴いたことがない。

☆裏庭に、ことしもクマガイ草が二つ成長したが、花をつけたのは一つ。
☆ところできょう、ROYCEを「月額3千円で警備させてください」と、某警備保障会社の2級国家免許を持つ某氏がにこやかにおみえになった。テレビを見ていると前後をガードして移動するVIPを見かけるが、100円ではね。
☆○濃という強力なプライスの運輸会社に続いて、とうとうヤ○ト便のS氏が登場し、「関西翌日届けます」と申された。これでペリ社と〒社と合わせ、発送体制だけは万全になったのか。かりに旗竿を4本、店の前に並べたら何事が起こったのかと、世間を騒がすにちがいない。
☆ヨシ○という食事のオカズ宅配会社が登場されて、1週間半額サービスという。


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弁論大会優勝者

2006年05月13日 | レコードのお話

「無口だが、弁論大会優勝者」
このような川柳を読むと、人間の奥深さがあなどれない。
無口であるが雄弁なもの...を自然界に探すと平泉の枝垂れ桜や、夏の夜の流れ星。そして、電源が入って待ちかまえている「沈黙のタンノイ」などが浮かぶ。
MS氏が特注のフィールドスピーカーの写真をくださった。だんだんユニットの数が増えて、ついに片チャンネル4個となったところに拍手をおくる。すさまじい情熱だ。なぜなら、このユニットは旧東ドイツの時代のものを探し出して8個も特性を揃えてあつらえているからで、そこまでさせる音の秘密を聴きたい。
ところでタンノイもそうだが、個室で一人で聴くのに、どうして「ウエストミンスターロイヤル」のようなおおげさなスピーカーがいるのだろうか。受け止める人間の耳の穴は1センチもないのに、である。いったいそこまでして、何を聴こうとするのか。
ちょうどそのとき登場された2万枚長者殿が、前回のことを、家に帰ってラス・フリー・マンの『YOU NAME IT』をきいて「ロイヤルとくらべて自宅のJBLの音がブリキの音に聞こえてガックリきました」とか、まさかのジョークを申されて、再び満を持して、川向うの某喫茶と当方に遠征された。ここに1センチの耳の穴についてのカギがあるのか。
「ほほ、おまえ、英語が読めるのか」少年の頃、晩飯を食べながらもジャズの英文カタログから眼を離さないこのお客に、その父親がかけた言葉だそうである。「英語を勉強せずともジャズのカタログはなぜか読めたんですヨ」と申されるが、父親はクラシックのコンサートに連れていく愛好者ながら、たまたまカウントベイシー・ライブを息子と一緒に聴いてからは、よく息子の部屋にジャズを聴きにきて気持ちよさそうに眠っておられたそうであった。
MS氏の写真の右下についに写ったのはまぼろしの是枝プリアンプ2ユニットで1台。
外にはめずらしくルノー・アルピーヌとロメオが並んだ。

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THE THINGS WE DID LAST SUMMER

2006年05月10日 | レコードのお話
「もしもし、いま『レクサス』に来ているんですが、出てますね!れいのジャケット」
それは「謎のA氏」の声であった。当方の誰も知らない?ブログを、宮城の著名な某所でたったいま発見されたらしい。A氏は、同時に3つくらいのことを申されるので、こちらが答えるときには、話は他に移っている。肝心なことだけ確かめた。その記事、削除しますか?「いや、けっこうです。良いですよ」
この謎のA氏が申されるには、ヴィーナスレコードの[THE THINGS WE DID LAST SUMMER]というCDについて「寺島さんの解説が非常に良い」と、解説の解説をしてくれたものだが、どうやらA氏の隠された才能が現れたのか。

☆写真の大御所から御茶に呼ばれたが、92歳と申されるのは本当であろうか。玉露がおいしかった。

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シャンゼリゼ

2006年05月09日 | 旅の話
シャンゼリゼ通りに、観光客のために公衆トイレがあったので入ってみると、近所のおばあちゃんが編み物をしながらお掃除とチップを乗せる皿の管理をしていたが、いまでもそうしているのだろうか。
チップの皿に色々な国のコインが乗っていたところが観光都市だが、今はみなユーロになったのかもしれない。
シャンゼリゼとはシャンプス・エーリッセオンというラテン語で、日本でいうところの高天原、神々の集まる場所であると教わった。
昨日寄ったお店のご主人に呼び止められて後を付いて行くと、そこにあったのは完成したばかりの、まだ誰も使用していない花の生けられた御トイレで、和装の迎賓館にあるような備えつけの什器や出来栄えがよかった。
これまでの印象の一番はシャンゼリゼのものだが、新品のこれにはかなわない、神々の賢所である。
午後になってお伺いしたさる先生のお屋敷で、百年以上前の貫禄のある執筆デスクに「座ってみなさい」と申されてその気になったのは、いぜん「あなたの文は、キーボートをポチポチされた様子が見てとれますから、やはり文章は、万年筆が宜しいでしょう」と、もったいないお言葉をいただいていたので、気分だけでも勉強になればと深く思ったのである。
広い卓上に、太いモンブランの万年筆とインク壺があった。
キャップのてっぺんに金平糖を上から見たような白いマークが付いて、いうまでもなくモンブラン山の頂上を空から見下ろした冠雪の模様であることを、映画で「ボガード」は傍の女に説明していると、グッとのぞきこまれてその後ありがちなシーンになったことを思い出したのは、当方のいたらないところだ。




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プリンシパル

2006年05月08日 | レコードのお話
「うーん、よいですね、これは」と申されたのは奥州市から来られたジャズに御堪能なプリンシパル。
「わたしですか?おもにピアノトリオを聴きますが...そのジャケット拝見」と『LIVE AT STORYVILLE』のJUNKO MINEは、アトキンスンのベースにのって緩急自在な初海外ライブの熱唱に引き込まれる。といっても1977年のことであるけれど。
「ところでスリーブラインドマイス・レーベルは一旦解散とのことですが」とおしえてくださった。これまでのレーベルは廃盤になるのだが、顧客データによると平均購買年齢は47才とか。廃盤ということは、安くなるのか高くなるのか?


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田尻のテナーマン

2006年05月07日 | 巡礼者の記帳
その松島T氏が、「娘です」と申されて、妙齢の美人をROYCEに立て続けに2人も連れてきたとき、話を聞いた『田尻のタンノイ氏』は、しきりに首をひねった。
「彼とは長いつきあいですが、一度も見たことがない」そうである。だが、その謎の話はすぐに忘れて、愛用のテナー・サクスの話になった。
「いっちょう、やってみて」とお願いすると、車からズルズルとケースを引いてきてブロローッとはじまったサウンドはART PEPPERかロリンズか、ライブをこなす人だけあって達者なものであった。ジャズメンの普段愛用のスピーカーが『タンノイ・ヨーク』というところに、このうえない見識を感じる。
あるとき「トーレンスの回転ベルト、余っているのありませんか?」と電話があったので、わけをたずねると、音が揺れてそろそろ限界だと申されたから「綿棒5本と、近所の整備工場でバルボルをサカズキ一杯分、手に入れるように」言った。
ジュースのストローでバルボルをターンテーブルを抜いた穴に数滴たらす。次に綿棒でお掃除。滓が残らないように繰り返して、仕上げは、スピンドルを戻したとき、ぎりぎりあふれるくらい、たっぷりのバルボルを垂らしておく。
理想は、粘性の違うバルボルを調合するのだが、とりあえず説明して電話を切ると、まもなく反応があった。
「すばらしい音です!」やっぱり、ベルトのせいではなかった。
タンノイ氏のお話によると「ここは都会じゃないからね、そのボーボーいう音、近所にさわりがあってはね」と、先年なくされた御母堂のお言葉であった由、楽器もオーディオも、弁慶の泣き所は大音量なのか。



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