ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

Monk

2007年02月27日 | 巡礼者の記帳
定休日に車が停まっている。
おひさしぶりです、と海の方からお見えになった元船長さん。
「昭和の始めの頃、カラスが干し魚を奪って飛び去ったので追いかけると、海岸までたどり着いた。砂に足を取られてばったり転ぶと、眼の前にたくさんのホヤが打ち上げられていた。拾って料亭に持っていくと小銭に替えてくれた。家に戻って父親に渡すと神棚に供え、息子がはじめて稼いだお金です、と喜んだ。父親があんなに喜ぶならと、子供心に、それからお金もうけに関心を持つようになりました」
「すると、これまでそうとうな金額になりましたね」ついお聞きしたくなる。
遠洋漁業から戻られたとき、陸では大変なことが待っていた。
その先は一緒にコーヒーでも、と勧められたとき携帯が鳴って、待ち合わせ場所の確認をしている。
取り出した手帳にびっしり書込みがある。
携帯は受話の専用で、相手にかける操作はむずかしくて、できないそうだが。
こちらの質問に、ときどきその手帳がぱらぱらと捲られて活躍する。
AK氏の手帳といい、リンホフ氏の手帳といい、すばらしい。
タンノイで、セロニアス・モンクがSTRAIGHT NO CHASER の演奏をはじめた。

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吉祥寺の客

2007年02月25日 | 巡礼者の記帳
早春というにはまだ残雪のあるROYCEの前の十二神公園に、ぞろぞろと女性たちが居て、皆ニコニコ建物を眺めている。
まだらに散見する男性のなかに、どこかで見た人、と認めてハッとした。
そこにおられたのは吉祥寺のジャズ導師、寺島さんであった。
二年前に道場破りでお見えになったときは、初対面のせいか、凄みのようなものを身体中から発したので、当方は入り口で迎えるとき、あやうく一歩飛びのいた。
このたび突然、総勢十人の陣立てで、三台のタクシーをつらねて登場された寺島さんは「いや、どうも」
ゾロゾロと喫茶室内にはいると、サクスをトロンボーンに持ち替えたようなバリエーションを見せ「前回より大分音が変わったようですが」などと、要所でやわらかいフレーズを発しては、ジャズフアン集団のなかでエリントンのようにコンダクトしながら、遺憾なく居心地を楽しんでおられる。
どうです、ジャズ喫茶のもっとも流体化した発展型がこれでしょう、と川向うの『B』に挨拶のため、織田信長の京の大宮通りで『御馬揃え』を見せた歴史の語り草のように、吉祥寺から攻め登ってこられたのか。
駿馬の行列上に、名だたる勇将、熟女が騎乗しているのは申すまでもない。
オリンピックの入場行進、浅草のパレード、博多どんたく、みなかたちをかえた馬揃えだから、人は御馬揃えが好きなのである。
当方はそれを迎えた『B』のマスターの顔を想像する。
いったいJBLで鳴った曲は、どのようなものだろう。その晩餐の「お品書き」を見てみたい。
メグの「アバンギャルド」というスピーカーの名声はきこえている。
対するROYCEのジョンブル『タンノイ』について、これをよい機会とクラシックも鳴らした。
「ここにある本はご主人の蔵書ですか。かりに古書店でこの背表紙を見るなら、思わず襟を正したくなるような内容のセレクトですね」
ジャズ文豪の寺島先生が申された本は、昨年杉並のKG氏からダンボール70箱届いた書籍のことである。
御見送りのあと思ったが、近場にある高い山だけでもたくさんに、吉祥寺の山までわざわざ見せていただいて、当方はおかげですこし熱が出た。
そのため著作にサインをいただくのを忘れてしまったが、この写真の単行本が、数ある寺島本の記念すべき第一作で、特異な感性を遺憾なく発揮されたジャズ世界が、精緻に組み上げられたゴシック聖堂のようにジャズの平原にそびえ立っている。
この読後感に、思わず手を伸ばした珈琲が何倍も美味しく感じられる。

☆いまから10年ほどまえ、R・鎌田氏の刊行された『こだわりの名盤』(講談社文庫)を紐解いて見ると、そこに『B』のフェイバリット10枚のアルバムが載っている。
1.『ベイシー・イン・ロンドン』
2.『コルトレーン・アット・ビレッジバンガード』
3.エリントン『グレイト・パリ・コンサート』
4.『サッチモ・アット・シンフォニー・ホール』
5.ビリーホリディ『ラバー・マン』
6.モンク『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』
7.クリフォードブラウン『マックス・ローチ・イン・コンサート』
8.クリフォードブラウン『イン・コンサート』
9.デクスターゴードン『ゴー』
10.『スタンダード・コルトレーン』
このアルバムの順に、頭の中でブンブンとジャズを攫ってみる。靴の裏から低音が聴こえ、高音で顔面がぴりぴりするような『B』の音も重ねて、感服。
ここにエルビンやロリンズがないのは存命の人を除外したのか。
ジャズに縁のない人には以下の品書きによって。
1.スモークサーモンサラダと霜降りビーフステーキ特大ミディアムレアに
  ブルゴーニュワイン
2.エビのチリソースと豚の角煮と小籠飽に老酒
3.満漢全席の第3日目
4.サラダ、ローストビーフとオニオングラタンに紅茶とアイリッシュウィスキー
5.三条辻留の懐石に菊正宗
6.ビーフスープ、ボルシチとキャビアにウオッカ
7.ホタテにアワビにウニの海鮮料理と貝味噌汁にマインブロイ
8.江戸前寿司にお新香と宇治茶。20年泡盛
9.帝国ホテルのカレーライスにドライマテニー
10.トゥール・ダルジャンの秋フルコースにペトリュース
二品だけ体験済み。次の幸運を。

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東風吹かば

2007年02月23日 | 徒然の記
夜、リンホフ氏が立ち寄られた。
ご活躍の官庁も、異動の嵐の真っ最中だが、なんと、九州は太宰府ならぬ福岡にご栄転とのこと。
あの群雄割拠、文明の花開く福岡に。
「栄転だなんて、「東風吹かば」です...北海道かと思っていたのですが」
お預かりしたLPをお返ししながら、御別れにビリー・ホリディのモンタレー1958を聴いた。
「エーッ、ちょっとジャケットを見せてください」
タンノイでなければ、この音は出ないでしょうかと申されながら手帳にメモされたが、その手帳なるものの書込みが尋常ではない。
写真もジャズも、プロ顔負けの根性をみせた方である。
かの地でもさぞ発展されることであろう。



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The Great Wide World Of Quincy Jones

2007年02月19日 | レコードのお話
「盛岡から来たのですが、30年前に住んでいた下宿がこの辺でした」と申されて、ふらりとやってきた客は「音楽が聴けるので?珈琲はこっち?」とドアを自分で指し喫茶のほうに向かっていった。
オーバーコートを椅子に置くと「レコードはやっぱり良いですね。これはアニタ・オディですか?」
その下宿からそう遠くない恩師の家を、クラシック音楽を聴きに何度も訪ねたそうだが
「ご健勝ならいま70歳でしょう」
エボナイトの形状に針を接着剤で附け、スピーカーはタンノイを使っていましたねと、当時を懐かしそうに回想されている。
すると、ロイスの地層のその下を掘ると、オーディオのカンブリア期の地層から、またタンノイが現れるのか...。
その客は、言葉を継ぐ。
「自宅では三菱のスピーカーとマランツ・アンプです。もっぱらCDと、ミュージック・バードを流し聴きすると、つい動き回ってしまいますが、レコードは針を下ろしたらあとは最後までじっと聴く心構えになって良いです」
紳士はアンプや本の山を楽しそうに眺め珈琲カップに指を伸ばした。
タンノイでオリジナル・テープからリカッティングしたビック・バンドを鳴らしてみた。
1955年のマーキュリー録音は、26才のクインシー・ジョーンズが集めたメンバーで、赤穂浪士の半分の22人の顔ぶれを想像し、じっくり味わって...と思うまもなくステレオ初期のストレートなサウンドがステージいっぱいに拡がり、845管4本と前段KT88を4本のパワーは、おなかにバフッと風圧が来た。
(tp)A・ファーマー、L・モーガン、A・ロイヤル、J・マクスウェル、N・トラヴィス、L・ジョンソン
(tb)J・クリーヴランド、F・レハク、Y・グリーン、B・バイヤーズ
(frh)ジュリアス・ワトキンス
(as)フィル・ウッズ、ポーター・キルバート
(fl, ts)ジェローム・リチャードソン
(ts)バッド・ジョンソン
(bs)サヒブ・シハブ
(p)パッティ・ボウン
(g, fl)レス・スパン
(b)バディ・ジョーンズ
(ds)ドン・ラモンド
(arr)アル・コーン、アーニー・ウイルキンス、ラルフ・バーンズ、ビル・ポッツ
クインシー・ジョーンズサウンドは、その後、ジャズから飛び出して広い分野で開花したが、むかし、深夜のラジオ番組のテーマ音楽で知ったころが一番印象深い。

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伝説のタンノイ

2007年02月14日 | タンノイのお話
「タンノイ・ウエストミンスター」を導入しようか迷い、付添人は良いも悪いもかたくなに申さず、詳しい背景はわからない。
ある晴れた日、我々はそのようにタンノイを選んだ日が有った。
だが、
タンノイを聴こうとしても、そこにタンノイは無い。
あるのはタンノイという名前の造形であり、聴いたというのは音源ソースだ。
「タンノイが鳴ったのを、聴きました」
写真にも撮り、音は録音機に収めました。
おいしい料理や会いたい人があるように、あれは良かったね。と思い出して足が向く。
そのような人騒がせなスピーカーを考えた人は誰なのか。
期待は拡散から収縮に、隠れて伝説になるといわれる。
お客は、2枚のレコードを控え、二人で運べる重量か相談をされて、持つべきものは友である。





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ロマネ・サン・ヴィヴァン

2007年02月10日 | 徒然の記
1966年のロマネ・サン・ヴィヴァンが手に入る、と知って興奮した。
グラスの赤い液体は、舌の上を染み渡って、
数十種の複雑な原音のハーモナイズを舌の上に、ラターシュ、エシェゾーとならぶボーヌ・ロマネ村のロマネ・サン・ヴィヴァンが66年もので到来するとはめでたい。
品質はともかく運を天に、いちどは聴きたい舌の上の音楽である。
その話を聞いたコレクターは「ぜひ、取り寄せて」と言っている。
いよいよ宅急便が届いて、その包みの様子にギョッとした。濡れている。
開けてみると何本かのうち、肝心のロマネ・サン・ヴィヴァンはコルクが中に落ちて、ドクドクと流れ、半分は減っている。
つまりこのとき、40年分の酸化がいっきに瓶の中で済んでしまった。
若い配達人は「ボクの責任です」と様子がおかしいが、二人の責任者が駆けつけて写真を撮ったり、スローモーションのように思い出す。
仕事を抜け出し、いそいそ取りに来たお客は様子を知って「ウーッ、」としゃがみこむなり頭を抱えて、そうとうの努力で心を鎮めようとしているようだが...こちらは、自分のショックも吹っ飛んで、その様子にたじろいだ。
そういう人が、ワインの趣味のベースを支えている。
またあるとき、
「すると彼女の生まれた1981年のワインも、あるのですか?」
入ってきた眉の太い客は興味深そうに聞いていたが、抽斗の中のラベルを眼で探している。
79年、82年....ビンテージ・チャートをめくると、81年は難年度で有難みがないと、見つからないはずである。
「よかった」
客は、あぶなく大枚が消えかかったサイフに、安堵を洩らして、かわりのワインを選んだ。
ところで、「趣味がサーフィンとスキー」と言いながら、かみさんが里帰りしているから、と隣室のオーディオのことをあした来てもよいかときく。
その客に、サーフ・ボードのいろはを説明してもらった。
「まず、自分の身体に合った浮力の板を選ぶわけです」
まず自分の耳に合ったスピーカーを求めて、いつか地球のはてまで旅をしていくのか。
超小型のスピーカーで鳴るジャズをおもしろそうに余裕の表情で聴いておられたが、いよいよ大型タンノイがグワーンと鳴り響くと「久しぶりに、本格的な音を聴きましたね」と、盛岡にいるというクラシックの好きな恩師の、学生の頃の思い出を話題にしていた。






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海の茶室

2007年02月06日 | 歴史の革袋
雛がいよいよ巣立ちをするときになって、列車にゆられて漁村の要塞まで行ったことがある。
はじめて会う当主は、書道の筆を休め、麦わら帽を掴むと縁側から庭に降りた。
瓶の底のようなレンズのメガネが陽にギラと反射した。
しばらくあとを歩いて、峠のけもの道のような笹藪をかきわけたところは、眼下に海の広がる崖の上。
蔦を掴んで足場を探しながら当主は降りていく。
崖の岩場をやっとのことで後を追うと、垂直のように降りる背後に、ドーンと打ち寄せる音が聞こえる。
当主は、紺碧の波のうねりが、すぐ足元に見える岩場に立って海を見ていた。
わずか3畳ほどの岩のくぼみに溜まった絶海の砂場である。
青い波が、眼の前を傍までうねって怖いようだが、崖を背にぐーっとせりあがってくるリアス海岸の大洋を見た気分は、今も言葉がつかない。
「ここは、誰も降りたことがないよ」
独特の濁声で水筒の御茶を注いでくれたから「野点て」だったのか。

四半世紀も過ぎた或る日、要塞の土蔵に秘蔵されている骨董の写真を、遊びに来た叔母が見せてくださったことがある。
そこに写っていた『泪雫』と竹筒に書かれた1本の茶杓だけしばらく憶えていたが、JBL4350を三重のアルミサッシ防音室で鳴らしているというお客の、同伴のご婦人が骨董店に遊んで、遅れてROYCEに入ってこられた。
「それは『なみだ』といって、利休が切腹の時、弟子に与えたもので徳川美術館にあるそうですよ」
怪訝な顔をすると「茶道の弟子たちに残した五本のうちの1本かもしれませんね」
そのとき、タンノイのジャズのかなたにドーンという波の音が、鮮やかに浮かんだ。

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岩魚、山女

2007年02月05日 | 旅の話
平泉の奥に、おそろしい魚の棲む沼があるときいて、ある天気のよい日に出発した。
地図にもないような道を分け入って、車は野を越え山を越え、「意外に遠いね」などと道に迷って、畑仕事をしている人に尋ねながらついにたどり着いたそこは古い分校の跡で、敷地の奥まったところがキャンプの人のための釣堀兼養魚場となっていた。
誰も釣っていないのは、穴場なのか?
棚田のように3段に分かれた沼は、魚の成長に合わせて住み分けられているらしい。
我々は魚釣りは趣味ではない。
ただの風光明媚をめでる野次馬であるが、恐ろしい魚という風聞に惹かれ、昔B氏にいただいた職人造りの釣竿というものを、やっと使うチャンスがきたと弁当を持ってこうしてやってきたのだ。
管理事務所らしいところに挨拶に行くと、釣竿と餌を貸してくださった。
ところが、沼の縁にいよいよ立ってみたが、これはなんだ?
魚がザワザワと寄ってくる。
餌をつけた糸を垂らすとパシャパシャッとすぐ魚がかかった。
釣り上げたその魚といったら、黒にシロのブチの獰猛な顔でこちらを睨んでいる。
だれもが、ギャッといって、その魚を掴もうとしない。皆で譲り合って、しかたなく大きな木の葉で顔が見えないようにやっとのことで針をはずした。これほどの怖い魚があろうとは。
なさけないことに、もう、だれも針に餌をつけようとしなかった。
いちおう糸を垂らしかっこうをつけると、魚が争って金属の針に食いついてくる。
どうなっているのだ。
もう誰も糸さえ垂らさず、じっと沼の深みをなすすべなく眺めているだけであった。
はやり釣りというのは、鯛や、フナが、20分に1匹くらいかかってくるのが良いのではなかろうか。
ほうほうの体で、事務所にもどり釣った1匹の料金を置いて帰ろうとすると、「ちょっと、お待ちください」若い衆が魚をビニールにくるんでドライアイスまで入れて持たせてくださった。
家に戻って焼き魚にしてみると、これは、かってないほどおいしい。もっと釣ってくればと、口々に反省した。
魚は怖いけれど「ぜひ、また行こう」と。
帰りの道で、白い髪を靡かせた人と、車ですれ違ったような気がする。

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モナリザ

2007年02月02日 | 旅の話
絵はモナリザ、スピーカーは『タンノイ』がよい。
音楽は、タンノイの音にこだわる。
リズムとメロディとハーモニーを楽しむのに、ラジオがⅠ台あればよいが、『モナリザ』は至宝と子供の頃からきかされて、パリに行けば一目見よう。
その美を誤解して、写真に眉まで描いてみたモナリザは、ルーブル美術館で、厳かなガラスのケースに収まって以前より遠くなっていた。
モナリザの前に立ち、謎といわれる微笑をしばらく見て、そこで思ったひとつは、自分がいつのまにかモナリザより年上になっていたことで、これには意外に驚いた。待ってみるものである。
謎の微笑を隠したモナリザに、タンノイのサランネットとチークのフレームがかさなり、タンノイの、はまってしまう魅力が人騒がせで。
アンプを替え、電源を吟味し、巷間に唱えられる薬石をならべて試す。
遠路をいとわず他人を訪ねては聴き耳をたて、アトリエまで建ててみる。
すべて心の『モナリザ』のためなのか。
わずか5ミリの厚さのレオナルドのモナリザに、人は長蛇の列をつくったが、笑えまい。こちらのモナリザの厚みは50センチ。
レオナルドが生涯アトリエの奥に隠して一人で眺めていたモナリザとの対面は、できればクルー館で、レオナルドに案内されて実現したかった。

☆ このモナリザに、べつのバージョンがスイスにあるとテレビで放映されて、新しいタンノイが登場したときのように心騒いだものである。
☆ 水戸のタンノイ氏は大型タンノイの所有者だ。先日、函館に3軒のジャズ喫茶をはしごされたそうで、それぞれの装置の音色を伺い印象をきかせていただいた。
かって、山形に行かれたときも、腰を上げるだんになって「LPも、かけることがありますか?」と未練が残ってたずねたそうだが、「はやく言ってくだされば...」と。音と店の様子と一つのフレームに収めて、黙って、あるがままを聴くのは楽しい。

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