ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

『明るい表道りで』

2011年09月25日 | 巡礼者の記帳
ピアノの2つの白鍵に挟まれた1本の黒鍵のことであるが、本当はここに音程の違う2本が並んで在るはずのものを平均律の手法は、まとめてしまったらしい。
あるとき音楽の先生が試験のあとで、もう一人と教室の前に出て歌うように言い、デュオで自慢のノドを披瀝することになった。
だがどうしたことか歌ってみると、楽譜では同じ音符を歌っているのに、全然ハモらないことに驚いた。
其奴も、さぞかし驚いたはずであるが、聞いていた者もぼうぜんとし、ピアノ伴奏した先生も予想外の結果にあきれて下を向いていた。
オクターブもちがえばまあ護摩かせるが、ほんとうの「不協和音」はまさに在る。
マイルスとコルトレーンは、彼らに同じ黒鍵のキーがロリンズは違うと言っているような気がしてならない。
『明るい表道りで』を、ロリンズとステットとガレスピーが同じ音符を同時に吹くというので注目していた前半は、きわどく非常に興味深くノリもすばらしい。
この3人は、なぜならパワーがどうしてもソリストである。
バスを3台、並べて3人4脚に結わえつけていっせいに走らせるようなダイナミズムを思いついたのは、ヴァーヴレコード社長のノーマングランツであった。
このレコード会社は、そういう意味でも興味深い豪華をやってのけるが、手ごろな装置で深く堪能するには、普通に3人のうちの1人が吹いてくれるのが良い。
サイドをRブライアントとTブライアントとCバーシップが堅める『エターナル・トライアングル』は、ちょっと前にテレビで見た百メートル世界陸上で一斉にブンブン快速に蹴走るありさまに、途中からガレスピーも走りながら吹いて割り込んでくるのがジャズである。
その日、ROYCEの客がサウンドの結果に満足されたのか、
「自分も板を組んでウエストミンスターを造ってみたい」
と申されている。
さりげなく言っているが、満足を言うあたらしい表現に、おや、と思った。
その人物を良く見ると、NHKの名物プロデューサーそっくりの御仁であるが、当方にロイヤルとヨークの音の違いを説明させて、面接の試験官のように
「それではどうも言っている意味がわかりませんぞ」
などと、くいさがってくるではないか。
おそらく妥協なく本気で造るつもりなのかもしれない。
もう一人の客人も
「あのナカミチ700デッキの音を聴いてみたいものです」
などと経験の深いところを申されて、
考えよ旅人
汝もまた岩間からしみ出た
みずたまにすぎない
と西脇順三郎氏の言うように、お二人の最終的音響装置の部屋の情景が、しばらく思い描けなかった秋である。




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今泉街道の大原

2011年09月24日 | 歴史の革袋
先日、再び一路三陸の海に向かって走ると、やはり『大原』の宿のはずれに直角に道は曲がっているが、戦国の世の城下に敵の進撃を妨害する設計なのか。
直進するとどこにつながっていくのか行ってみたい。
環七や表参道ばかり走っていた者に、国道343号線の今泉街道とわだちを並べる景色が豪華である。
駕籠や徒歩で内陸と海を往来したいにしえの旅人は、大原で休憩し、食事をし、あるいは宿をとった。
350年続いているという旧正月の『大原水かけ祭り』のほかに、ちょっと車を降りてまちの空気のなかにはいれば、人は歴史のある風格の気分をただよわせる。
街道の砂鉄川と平行する山並みに整った丘があって、古い城郭の跡である。
地名のゆかりに、この地を治めていた大原氏の『山吹城』を見るには、旧城の縄張り、虎口、二の郭跡までふもとから歩道を進み観察することができる。
城郭の谷の傾斜には『日本の千枚田百選』に岩手からえらばれた、段丘耕田が秋空の青さを反射している。
さっそくノリ巻きや寿司でもつまみながら、眼下に広がる城下町と悠久の砂鉄川を眺め、義経の遠乗りに思いを馳せるのも気分である。
そのとき、カーオーディオのスイッチを入れると、流れるのはエリントンかシルヴァーか。
ところで今泉街道を走っていると、路端に一瞬、菅江真澄の歴史記念標識が眼の端をかすめ、ふと、関が丘の哲人が「暖簾をくぐったら、カウンターに並んだ人がこんなものを」と、一枚の名刺を見せてくださったことを思い出した。
江刺の國に二年間逗留して岩手を観察した三十代の菅江真澄が、この名刺の人の家にも一週間逗留したことが記されてあり、もし色紙や書き付けが残されてあれば貴重である。
菅江真澄は前沢に泊まったとき大原に足をのばし、蝦夷地松前藩に密入国して戻った大原生まれの勉学青年のことを調べたことが記録に残されている。
そのときRoyceに、おとなしめに神妙な客が入ってきた。
ソフアに座るとしばらくして、
「あれと同じスピーカーを持っています」と言っている。
小さく並んでいるダイナコ-25のことで、このスピーカーを名指しできる人は趣味人である。当時片側4万はビクターSX-3と同価格でフラゴンは5万、日立のHS-500は8万5千であった。このころスペンドールBCⅡは12万5千でAR-3aは13万5千であるが、秋の夜長に数字は哲学的でさえある。
旅の宿に持参はできないが、それぞれ良い音を出すことがあるので、まだ研究中である。
この客は、しばらく音楽に耳を傾けてさらにぽろっと、スチューダーの730も使ったことが有ると言う。
そのような百万もするCDプレーヤーで、ダイナコを鳴らしてなんとする?と思ったが、ご自宅の、すごい装置の写真をいつか見せてくれるのか。




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サラ・ボーンを聴きに

2011年09月07日 | 訪問記
ダブルの背広の似合いそうなシャコンヌの御仁は、久しぶりにRoyceに現れると、タンノイを鳴らすアンプの不調のことを申されている。
ふと、最近のタンノイが今もあの、音像の凝縮した『ⅢLZ』のサウンドを、新製品でも鳴らしているのか、急に聴いてみたくなったのは、9月の朝の気分である。
「現在の我が家の音も十分ですが、こちらのような音も良いですね」
と、申してくださっている希求を、幾つかのアンプで鳴らしてみると結果は鮮明になるのである。
御仁は、少々散らかっていますがどうぞ、と申されて、そのまま車が先頭を走り出した。
早い速度に追いつくとき、地殻の変動で段差の残っている国道四号線は、外気のうららかさに午前の太陽の輝きがまぶしい。
県境を越えて紆余曲折するころ、瀟洒な建物群の並ぶ一角に車は入っていった。
庭の緑まで真新しい、中央二軒目に車は入ると、そこも新築のもはや御殿である。
窓の大きい、明るい部屋の中央に、ガラスの庭を背景にタンノイはあった。
さっそく管弦楽の大きい編成をしばらく聴いて、次にサラ・ボーンを聴かせていただいた。
マイファニーバレンタインは、すこしくぐもった眠そうな唄い出しから油断させておいて、次第に1954年のサラは、本題に入っていく。10本の指のどれかを折ることに躊躇は無い。
テンダリーは、単刀直入に1955年のモノラル音源でありながらスピーカー面積を超えて上層から下方まで太く輝いて唄う。
ニューヨークの秋、サマータイムと、滑らかな虹色の高音が静かに伸びていくのを、黙って聴いた。
スターダスト、煙が眼に染みる、と聴いて、このあたりは1958年の録音でステレオサウンドになっているが、ビロードの光沢がいぶし銀のうえにピカッと鳴り、ベースのようなブルブルと揺れるノドを披露して、やはり10本の指のどれかにしたい。
ユービーソーに入る前に、集中して聴けるように周囲をはらっておきながら、58年の録音がはたして一番佳いのか、先人諸兄の意見を聞いてみたくなるほど、独特の仕上がりである。
デイバイディ、ミスティ、と聴いていくと、A列車で行こう、のまえに指が足りなくなりそう。
新しいタンノイは、トランジスタのデバイスによって、艶やかな低音部から高音部まで申し分のないサラ・ボーンが唄っている。
記憶にある、まぎれもないサラボーンである。
許可を得て、スピーカーの背後に回り、スピーカーコードを単独の位置に切り替え鳴らしてみると、また違ったバランスに変身したタンノイが、「どちらがお好み?」とたずねている。
現代のタンノイは、ニーズに柔軟に対応しているジョンブルの余裕に、ちょっと笑った。
シャコンヌの御仁は、両者の音の意味する違いを的確に言い当てながら、仕事では前者であるが、くつろいで長時間聴ける新しいフェーズに興味を示されて、どちらにするかアンプの修理を依頼している技術者と、アンプが戻ったら相談したいと申された。
当方が、かってに触ったことは、決して口外してはなりません、と念を押して、再び午後の用事のために、もときた道をとってかえすのであるが、ふと窓の外を見ると、なにやらダブルの背広の似合いそうな様子でシャコンヌの御仁は、生茶のボトルなどを差し入れてくださるところであった。











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大宮の客

2011年09月01日 | 巡礼者の記帳
夜長月の闇をついて音もなく黒塗りのバンがROYCEに入ってきた。
窓の半分をフイルムで目隠しされている、シカゴ・Jazzのお歴々が好む車である。
静かに姿を現した温泉とジャズの好きな大宮の御仁は、
「30年ぶりに、漱石の『草枕』を読んでみました」
と申されて、エバンス・トリオを楽しんだ。
スコット・ラファロの妹嬢が最近、追憶の書籍を記して、それによると、衝突した木はその後も現地に成長していること。ラファロの運転に乗った記憶に、ちょっと速すぎ、ではないかと描いてあるとも。
クラシックの世界で最速の男は、hifiカラヤンで、自家用ジェット機を運転しヨーロッパを移動していたが、当方も人並みに、周囲に誰も居ないのをさいわいまとまったスピードを東北高速道で実験してみたことが無いわけではない。
自分の車の意外な性能に陶酔しかけたとき、隣りの車線を音もなく白いロールス・ロイスがスーッと走り抜けて去ったので、気が済んでいまは普通の速度である。
温泉の御仁は、どうやらご婦人のために薬効をもとめて各地を散策しているうち、ご自身も温泉長者になったらしい。
いまでは当方も、温泉と聞くと憧れを抱く気分であるが、子供のころは親が造った銭湯に毎日真昼から入浴を迫られて、本当に往生した。
こちらが遊びたい盛りに立ちふさがったのは『いさみ湯』といって、一番風呂に行かされるとよく見かける人物に、若い森繁久弥に似た人がいた。
和服にカンカン帽にステッキのいでたちで現れる無言の人であったが、当方をみると、なぜか、湯気で曇ったメガネの奥からにこにこ笑った。
あのように天真爛漫に笑いかける御仁には、どうもその後の人生でほかに会うことはなかったし、自分も、他人にあのように笑いかけた記憶がほとんど無いのが、思えば不思議である。
ズートのサクスが鳴り止んだとき、大宮の御仁は、マクリーンがレネと日本公演にやってきたライブに駆けつけての記憶を、
「そこでレフト・アローンを奏ったこともアアアと思いますが、拍手がどっと沸くのも、一考です」
せっかくトーレンスに針を載せたというのに、「それだけはご勘弁を」と走ってきた、人のよさそうな御仁を思いだしたが、あれは絶対、コルトレーンが始まったら阻止する、と決めてあるのだと思う方が自然である。
ジャズが風に乗っている一団というものをみて、ビールを振る舞うのを忘れてしまったことを、思いだした。









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