四年前の秋に、赤いリュックを背負った人が、青葉町の事務所に入ってこられて「ハハーッ、よろしく御批評をたまわりたい」と言われ、冠っていた帽子をとられた。それが初対面のKS氏であったが、いったい何ごとか?
KS氏は、リュックを開くと四ッ切りサイズに拡大した山岳写真を何枚もテーブルに陳べたが、その軽快な物腰は、これから米寿を迎えるという人にはとてもみえなかった。
写真から放たれる透明な叙情に、しばらく魅入ったが、その写真を見て、すぐ思い浮かんだ事があった。
駅前から上ノ橋通りをのんびり行くと、坂の上に、白い雪を少し残した須川岳があらわれる。その山に初めて登山したときのこと、やっとたどりついた温泉の売店には、山菜、キノコ、栗羊羹、マムシの干物、山女の塩焼き、缶ビール、地酒などを目当てに、どこからこれほどの人がと思うほど集まった老若男女で賑わって、皆、のどを潤したり腹ごしらえしていた。
隣のレストランに入ったとき、大きなパネルに伸ばされた山岳写真が20枚ほど壁に飾られてあったのを見たが、あれはテーブル上に今ある写真と同じ、KS氏の作風だ。
新作を見ていると、昭和のはじめに、須川岳に登る交通の便のなかった祖父が、地下足袋に麦わら帽のいでたちで二日がかりで登山した話が思い出される。
「天気のよい日には山頂から秋田の鳥海山が見えてナ、その向こうは日本海だ」と昔話にきかされていたが、言葉どおりの風景が画面に写されてあった。須川岳山頂から望む遙か彼方、佐竹藩の方角に、勇壮な山容をなだらかに伸ばす高い山が、画面いっぱいに赤富士のように染まっている写真もある。颱風一過の空気の澄んだ時、初めて撮ることのできるという遠い山、鳥海山であった。
KS氏は、鳥海山の霊峰にひときわ眼を細めて、撮影にまつわるさまざまの経験を楽しそうに話されると「プロというのはなんでも大変な仕事です」と結んだ。おいしそうに一服の茶を喫されたが、その茶碗を握る手は、節くれだってグローブのように大きかった。
一人暮らしのKS氏だが、堤防の道を通ったとき屋敷は灯が消えていたので、まだ温泉旅行の最中らしい。
KS氏は、リュックを開くと四ッ切りサイズに拡大した山岳写真を何枚もテーブルに陳べたが、その軽快な物腰は、これから米寿を迎えるという人にはとてもみえなかった。
写真から放たれる透明な叙情に、しばらく魅入ったが、その写真を見て、すぐ思い浮かんだ事があった。
駅前から上ノ橋通りをのんびり行くと、坂の上に、白い雪を少し残した須川岳があらわれる。その山に初めて登山したときのこと、やっとたどりついた温泉の売店には、山菜、キノコ、栗羊羹、マムシの干物、山女の塩焼き、缶ビール、地酒などを目当てに、どこからこれほどの人がと思うほど集まった老若男女で賑わって、皆、のどを潤したり腹ごしらえしていた。
隣のレストランに入ったとき、大きなパネルに伸ばされた山岳写真が20枚ほど壁に飾られてあったのを見たが、あれはテーブル上に今ある写真と同じ、KS氏の作風だ。
新作を見ていると、昭和のはじめに、須川岳に登る交通の便のなかった祖父が、地下足袋に麦わら帽のいでたちで二日がかりで登山した話が思い出される。
「天気のよい日には山頂から秋田の鳥海山が見えてナ、その向こうは日本海だ」と昔話にきかされていたが、言葉どおりの風景が画面に写されてあった。須川岳山頂から望む遙か彼方、佐竹藩の方角に、勇壮な山容をなだらかに伸ばす高い山が、画面いっぱいに赤富士のように染まっている写真もある。颱風一過の空気の澄んだ時、初めて撮ることのできるという遠い山、鳥海山であった。
KS氏は、鳥海山の霊峰にひときわ眼を細めて、撮影にまつわるさまざまの経験を楽しそうに話されると「プロというのはなんでも大変な仕事です」と結んだ。おいしそうに一服の茶を喫されたが、その茶碗を握る手は、節くれだってグローブのように大きかった。
一人暮らしのKS氏だが、堤防の道を通ったとき屋敷は灯が消えていたので、まだ温泉旅行の最中らしい。