ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

写真家KS氏

2006年02月28日 | 徒然の記
四年前の秋に、赤いリュックを背負った人が、青葉町の事務所に入ってこられて「ハハーッ、よろしく御批評をたまわりたい」と言われ、冠っていた帽子をとられた。それが初対面のKS氏であったが、いったい何ごとか?
KS氏は、リュックを開くと四ッ切りサイズに拡大した山岳写真を何枚もテーブルに陳べたが、その軽快な物腰は、これから米寿を迎えるという人にはとてもみえなかった。
写真から放たれる透明な叙情に、しばらく魅入ったが、その写真を見て、すぐ思い浮かんだ事があった。
駅前から上ノ橋通りをのんびり行くと、坂の上に、白い雪を少し残した須川岳があらわれる。その山に初めて登山したときのこと、やっとたどりついた温泉の売店には、山菜、キノコ、栗羊羹、マムシの干物、山女の塩焼き、缶ビール、地酒などを目当てに、どこからこれほどの人がと思うほど集まった老若男女で賑わって、皆、のどを潤したり腹ごしらえしていた。
隣のレストランに入ったとき、大きなパネルに伸ばされた山岳写真が20枚ほど壁に飾られてあったのを見たが、あれはテーブル上に今ある写真と同じ、KS氏の作風だ。
新作を見ていると、昭和のはじめに、須川岳に登る交通の便のなかった祖父が、地下足袋に麦わら帽のいでたちで二日がかりで登山した話が思い出される。
「天気のよい日には山頂から秋田の鳥海山が見えてナ、その向こうは日本海だ」と昔話にきかされていたが、言葉どおりの風景が画面に写されてあった。須川岳山頂から望む遙か彼方、佐竹藩の方角に、勇壮な山容をなだらかに伸ばす高い山が、画面いっぱいに赤富士のように染まっている写真もある。颱風一過の空気の澄んだ時、初めて撮ることのできるという遠い山、鳥海山であった。
KS氏は、鳥海山の霊峰にひときわ眼を細めて、撮影にまつわるさまざまの経験を楽しそうに話されると「プロというのはなんでも大変な仕事です」と結んだ。おいしそうに一服の茶を喫されたが、その茶碗を握る手は、節くれだってグローブのように大きかった。
一人暮らしのKS氏だが、堤防の道を通ったとき屋敷は灯が消えていたので、まだ温泉旅行の最中らしい。


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ブラウン・ローチ

2006年02月26日 | レコードのお話
昨日はG君が登場した。
月旅行に持っていくCD5枚を尋ねると「グレンミラー、カウントベイシー、デュークエリントン、それと、いま鳴っているそのCDいいですね、何ですか?」
ALONE TOGETHER 。クリフォード・ブラウン=マックスローチ。
解説によれば「マックスは変拍子でドラムソロを取っただけでなく、ベースの伴奏付きでドラムソロを取るという新機軸をうちだした。たぶん彼はオレがソロを取るときはこんどは皆が休まず伴奏にまわってくれ。と思っていた」と解説にあるのが良い。
G君はカバンからシガレットケースのようなものを取り出して見せてくれた。
彼の凝っているダーツに使う矢羽の先端部のスペアプラスチック針であったが、サクスのリードのように先端は消耗品なのだろうか。レコードに針を載せるとき、人は一瞬、息を止めるが、ダーツのリリースも同じである。
そういえばROYCEにあるダーツはスポルディング金属針で、重量が違っても命中率は変わらないとG君は言った。
鼻血が出るといけないので、温泉の話はしなかった。


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是枝アンプ

2006年02月25日 | 訪問記
以前、メーカーオーバーホールから戻った『オースチンTVA-1』を聴いて、あのときは淋しく変貌した音に泪した。それゆえ、修理で戻ってきた『WE300BPPアンプ』を当のSA氏の前で鳴らし、万一、泪など出てはと鳴らさなかった。
SA氏は非常に良い人で、磐乃井の生酒に舌鼓をうってご友人と3人で四方山話のあと「まあ、あとで音を聴かれた結果をメールででも教えてください、もうしばらく迫市におります」と帰られた。
昨日、メインの『845アンプ』から『WE300BPP』にいよいよ繋ぎ替えて音出ししてみたところ心配はまったく杞憂におわり、新しい発見のある良い音に仕上がっていた。SA氏はやっぱりすばらしい技術者だった。
アンプの出会いは数々あるが、是枝アンプのことを思い出す。
気仙沼市に、めずらしい是枝アンプを使っている人が居ると、静かなウワサがRoyceに聞こえていたが、或る日前触れ無く登場されたMS氏がその人であったので大変驚いた。
さてその『是枝アンプ』とはいかなる物か、岡山県の『オーディオマエストロ』という工房の制作で、個性的な一徹の製品が耳目を集め全国に静かにフアンを広げている。
◎かつての究極のテストレコードCBS-STR120が製造中止になっては、何十万円もする価格のカートリッジは一体どうやってその性能を確認しているのでしょうか
◎何のためにプレーヤを作るのと問われれば管球フォノイコライザを作るためと答えます
◎創作意欲を掻き立てる真空管がないことには良いアンプは生まれません
◎最近は管球フォノイコライザの開発に熱中しており、間もなく完成するでしょう
技術雑誌でこうのべられた是枝氏だが、自身で納得された稀少部品のみで少数台こつこつと造られる貴重品であるらしい。
そのようなアンプを、受話器を握って直接岡山の是枝氏の耳に「なにぶん、どうかよろしく」とオーダーされたそうだが、聴いたことも触ったこともない高額な一品制作品に大枚をはたかれ、枕の下に写真をしのばせて完成を半年待たれるような、半端な情熱ではないそのマニアぶりも怪しい人である。
以前、この『是枝アンプ』の同じ製品を発注した九州のKU氏が「クリスマス試聴プレゼントです」と送ってくださったことがあった。大変高額な製品を、ご自分で聴くよりさきに当方に送ってくださった希有の存在、KU氏のご厚意にもかかわらず、当方の技倆物量及ばず、ついに腰を抜かすような再生音は再現できなかった。
「いったいどんな音がしています?」
若干の危惧の念を持つこちらの視線を軽く受け流して、RoyceのソフアでくつろぐMS氏はおだやかに言った。
「Royceさんでは是枝をパワーアンプだけ試されたと思いますが、当方では、対になるプリアンプも発注してあるのです」
な、なんてこった。すごい入れ込みであるが、万が一、上手く行かなかったときの経済的反動は大丈夫なのかと、下世話な心配までするほどそれは高額だ。
こちらの気持ちを察したかわからぬが、MS氏は左右の眉をピクピクと二度ほど上下されて、細かなところまで打合せをしたそれはカスタムメイドであると自信たっぷりに申された。
話は、それで終わらなかった。
「これまで使用していたローサーのスピーカーは英国製で、髪の擦れる音も聞こえるような装置ですが、なにぶん箱が小さく低域が十分ではありません。そこで、Royceさんの低音の好みも考慮に入れて他のスピーカーに替えておきますからすべてが揃うまで、しばしお待ちください」と、自信ありげに言われた怪しいMS氏であった。
それから半年も経った若葉の5月であったが、MS氏は「いつでもおいでください」と一枚の地図を書かれ、ついに門を開かれた。
いったいそこで鳴っている音は、どのような音なのか、イギリス好きのこちらのことまで考慮したという、組み合わせているスピーカーのことも興味津々である。これはぜひ遠征して拝聴しなければ。耳の穴を揉みほぐして気仙沼に向けて出発した。
一関から東に国道284にのって太平洋側に50キロ行くと、宮城県境の港町、気仙沼市がある。トンネルを抜けるとMS氏のお宅は市街地から山沿いに少し入ったところにあって、絶好のロケーションである。坂道を降りて迎えに来られていたMS氏の後について二階の八畳の和室に案内されると、そこには大きな三つのソフアと見慣れぬスピーカーがあった。
『ダリ』のグランドというスピーカー(デンマーク製)はトールボーイ型で、座ると丁度耳の位置に高音がある。結論を急ぐようではあるが、この音を聴かされて腰が抜けるほど驚いた。箱の大きさからまったく想像もつかないほど伸び伸びと堂々たる迫真の音が鳴っている。ホーンスピーカーのような金属的重質量をも伴って腰のある中高域をこれでもかと聴かせてくる。低音も立派だ。このような音を出すエンクロージャーは見かけより相当重量がありそうである。タマの音、対するトランジスタといったデバイスの傾向を意識させない音であると聴こえる。八畳の空間でこのような堂々とした音が聴けるものかと驚いた。
「ビル・エバンス」の〈ビレッジバンガード・ライブ〉も、どうかな?と聞き耳をたてると、ブルブルと地震で家が揺れているかのような極低音がして、あの問題の地下鉄の通過音がたっぷりと再生され、これには感激した。
ご本人にうかがうと、とぼけておられるのか「ハウリングだと思います」といわれたが、これはオーディオマニアのあいだでは通行手形に書かれてある。
念のためニューヨーク地下鉄の音がズバリ収録されているキャピトルレコードを手に入れて聴き比べたことがあるが、その経験からいって、やはりそれは地下鉄の音。
ジャケットを見ると、デビィのシルエットの印刷色が黒色のこれは、小鉄盤モノラルカッティングのほうだが、ひょっとしてモノラル盤のほうがたっぷり入っているのか?わけがわからず陶然として唸った。
いったいこのような音は、スピーカーの力だけかといえばそうではなく、意外にアンプの性能だと思う。あまりにも部屋とアンプによって音は変わりはてるので、真のスピーカーの音は永遠にナゾと言いたいくらいオーディオは不可解だ。
初めて見た是枝プリアンプはこれまで想像していたどのイメージとも違い、どこかアールデコのようなツマミが視線を誘う。昔、彗星のように現れて消えたオーディオデバイスというメーカーがあったが、形状が似ていて、電源ユニットのメータも意表を突く外観だ。パワーアンプとセットで聴いた期待に違わぬ音は、さてはこのアンプが出しているのかと恐れ入って、二つのユニットに別れたその形容しがたい不思議なデザインをしみじみ眺めた。
ラインに繋がれたカートリッジも、ダイナベクターといえば、記憶のかなたに消えつつあった過去の商品名と思ったが、現在もニュータイプが月産数個のゆっくりしたペースで造られていた。このカスタムメイドのカートリッジの出す音は、伸び伸びとしながら引き締まって、トランペットの切り裂くような音でも危なげなく、ラッカー盤もかくやと思わせる音ミゾに溶着したようなトレースだった。帯域を伸ばした是枝アンプにはこのようなカートリッジがベストチョイスなのかもしれない。1個20万という性能を誇示する値段に、ご丁寧に専用ヘッドアンプをあわせて使っておられるMS氏の、それがオーディオに見せた静かな迫力である。
さて驚かされたMS氏の音に、朦朧としかけた気を払って部屋を見渡すと、所狭しと立てかけたレコードジャケットが床の間から溢れ足元までさざ波のように迫って来ていた。何十年もかけて選び抜かれた名盤揃いのそれは垂涎のコレクションだ。ブルーノート1500番の100枚の厚みは32センチ。モノサシがわりに両手を広げてその巾ざっと600枚と数えるが、眼で計って二千枚はありそうで、MS氏のこれまでの彷徨を語っていた。
夜道を一関に戻りながら『ダリ』のジャズが、しばらく頭に鳴り止まなかった。


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志津川街道の旅1

2006年02月24日 | 訪問記
昨日300BPPアンプの修理が完了しSA氏は友人を伴われ二台をROYCEに搬入してくださった。定電圧回路をバイパスするか名医は逡巡したが、やはり従来の音で、ということになった。SA氏は先日まで一人で中国に渡り特殊な技能を生かしてかの地の発展に寄与していた。仕事が終われば異郷の人々と白酒を酌み交わして身振り手振り交流したお話を伺い、杜甫李白の世界に更けてゆく夜を思った。
万葉の歌人大伴家持が『あずまなる みちのく山に くがね(黄金)花咲く』と詠んだ東北の産金地帯には、黄金のオーディオ装置もあちこちに眠っている。このSA氏のご紹介で、あるとき大型JBLの3チャンネルマルチセットを鳴らしているというSS氏を訪ねたことを思い出す。無類のオーディオマニアのK氏が、御自分の高級車をご提供くださった。その初めて乗った車は、路面の上を吸い付くようにゆったり移動して、大型スピーカーのようなけっこうな案配である。
途中、北上川にかかる大きな橋のたもとで車を停め、大戦中、米国のグラマンが機銃掃射したといわれの残る鉄橋のアングルに弾痕を探していると、地元の老人が通りかかって「あのへんだ」と漠然と天を指してみせた。
やがて道は海辺に抜けると、そこにおだやかな志津川の町は広がっており近代的に整備された海浜公園から美しい景観が広がっていた。一関から直線にして50キロの距離である。
SS氏とは一度の面識があるが、どうも以前から知っていたような気がする人と思うのはなぜか。迫市にあるSA氏のオーディオ工房に入り浸ってアンプ作りに熱中し、遅くまで作業してそのまま泊まり込むことしばしばで、ついにSA氏の奥方が「あなたたちはどうなっているの?」と冗談話がオーディオマニアの身につまされる。
お宅に到着したとき、ちょうど工場から出てこられた人がいてSS氏ではないのかと遠目に眼をこらした。SS氏も、こちらを何者か?と波長が遭って「きょうはいよいよ、装置を拝見しにまいりました」と挨拶すると、SA氏からもお話が通っていて快く工場に案内してくださった。
その途中、左手に牛舎があり数頭の牛が真っ黒な宝石のような眼をして口をもぐもぐさせていた。その右手に鳩小屋のようなものがあって思わず覗き込むと、そこに微妙な鶏が一匹。眼を凝らすと初めて見るニワトリで鳥骨鶏(うこっけい)と言うそうな。SS氏はひょいと抱き上げて箱から外に取り出し目の前にどうぞと置いてくれた。育ちがよいのか大人しくトサカに羽根状のふさふさしたかんむりを持ち、足の蹴爪がクエスチョンマークのように曲がっているとても優雅な動きの鶏であった。
いよいよ案内された工場の一角に鎮座しているJBLを見てドヒャーとのけぞった。観葉植物に隠れてはいるがこれはどう見てもベイシーと瓜二つのビッグシステムではないか。予想外の光景に息を呑んでSS氏を見ると、パチパチンとスイッチをさわって切り替えて、まず「げんこつ」のほうを鳴らしてくださった。ほかに蜂の巣ホーンもあって適当に気分にまかせて鳴らされているそうである。
メインの大型装置が鳴り始めると、これで驚いたのが、真空管で駆動した時のベイシーサウンドである。JBLを6台の真空管マルチで鳴らしたらどうなるか、オーディオマニアならあれこれLPジャケットと音を空想しないではいられない。それを実現しているのがこのSS氏だ。
この音の印象は、点ではなく面で放射されるサウンドといったらよいのだろうか。とろりとした濃厚な音である。工場の機械の音とJBLサウンドが溶け合って、自分の好みと違和感無く楽しめたので、かえって首をかしげるしまつである。ユニットのパワーが騒音を楽々と押さえ込むのであろう。
「これは重要文化財級のすごい内容です」と微笑まれるので、さもありなんと底力のある音にクラクラしながらそのさされた指のさきを良く見ると、それはスピーカーのことではなく、真空管やコンデンサーの覗いている航空母艦のようなデバイダーを指している。一抱えもある大きなマルチチャンネルネットワークは迫市SA氏の設計になる管球デバイダーであるが、中身はすべてUTCのトランスでかためてあるそうで、重量もかなりありそうだ。たんたんとしたSS氏が唯一自慢された物件であった。
三相200Vから電源を取っており「工場のラインと同時に稼働すると、やはり音がちょっとゆるいですね」と言われたが、やがて静まり返えるこの無人の構内に、ひとりJBLスピーカーが楔を解かれて、マイルス、ロリンズ、コルトレーン、続々とステージに駈け上がって乱舞する光景を想像すると、うわさの黄金郷を見たような気がし、思わず興奮がわき上がる。
工場の操業も終わって一杯やりながらズズズン、ズババンと鳴らしていた或る夜のこと、外に出てみたら、牛どもが一列に横に並んで工場の方に聞き耳を立てて首を振っていたそうであるからすごいマルチ装置だ。
正確に言うと、とほうもなくジャジーな牛どもである。


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ROYCEの看板に手をかけた寺島靖国

2006年02月23日 | 巡礼者の記帳
朝の斜光に香り立つコーヒーは『蕃』のブラジル。
それは昨年夏の、或る午後のこと「これからいくぞ」と電話が言って、高圧的ないつもと違う気合いを込めた相手の声に、おっと思った。いろいろな電話のかかるジャズ喫茶に、以前にも「アンプはなんですか」とかあるいは「キミんとこは、何を聴かせてくれるの?」とか侯爵のような人物にお会いしてみると紳士な流通誌の社長であったり、人は声だけでは解らない。
その勢いはビッグバンド好きの二人組と見当をつけ、最近手に入れた凄い真空管を試す良い機会と思った。
ところが登場したのは二台のタクシーに分乗した六人組、ゾロゾロ降りたって建物を眺めていたが、ヨーシ良しと笑いながら一斉に入り口めがけて攻め登ってくる。ダンボールでも小脇にしていたらテレビニュースでよく見る、ご近所から怪しまれかねない行列だ。最後尾は知的な美人で慶祝のきわみだが、その前の人物だけが目をそらして怪しいので注視した。
ガラスのドアの取っ手を押さえて待っているこちらの側にさしかかるその顔を見たとき!一瞬アタマに血が登って、すぐにその血がスーッと引いた。
「もしや寺島先生ではありませんか?」
声をかけると男はあいかわらずうつむき
「先生というほどのものではありませんが、テラシマです」と低い確かな声が返った。
こういっては大変失礼と思うが、けれども言わせてもらうと、どこか自首してきた組の親分のように神妙であって静謐な貫禄があたりをはらっている。武芸者や禅僧のように修行を積めば人もまたこういうものか、初対面の一刹那は、印象を残した。
関が丘の哲人が「東京ジャズ喫茶物語」を見せてくださったが、メグが吉祥寺にジャズ喫茶として登場するのは七十年一月で、経営のかたわらジャズ評論を展開し、辛口といわれる硬骨なスタイルでアイロニーとペーソスさえ隠し味にしたジャズ文学を楽しんで読んだ人も多い。
全国各地の『歌枕』を行脚し時には道場破りをする、目の前のこの人がテラシマさんかと、実際に間近に見る機会を得て、飛んで火に入る夏の虫とばかり捕虫網の口を押さえてこちらは、図鑑から本物を確認したような新鮮な感動につつまれた。
千葉の大先生から5年前に話に聞いた「テラさん」、九州の楠博士の4年前に申された寺島先生、杉並のS先生の話題に縷々登場する寺島さん、来店するお客の口の端にのる吉祥寺メグ派の総帥にしてジャズ評論数十冊、ラジオ番組、月刊誌執筆をやすやすとこなしている幻のジャズ導師寺島靖国その人がいま部屋に居る。
まあおちつけ、これはライブセッションだ、と言い聞かせるほど、興奮したらしい。
ご一緒されている方々も錚々たる面々で、外の陽が明るく差し込んだタンノイロイヤルの前にめいめいが着かれて耳慣らしのレスターヤングを聴いてくださっている情景をみると、メッカビレッジバンガードというより、極楽のハスの池のまわりのように見えてくるのが不思議だ。
バリバリの道場破り集団をソフトなムードでカモフラージュした、お釈迦様と羅漢様たちのようでもあり、有難い気分になってくる。そこで、
「きょうはこちらの提供でワインでもビールでもどんどんやってください」と、まあ祭壇にお供えする気分で気前よく言ったものである。
「いやいやご主人、我々は払いたくて払いたくてこうしてやってきたのですから」寺島氏は切っ先をかるくいなして切り返し、全員ドッと笑った。柳生新陰流か。
おなじみコルトレーンやエバンスでタンノイの音を聴いていただいたが、エバンスという固有名詞を聴くと四谷「いーぐる」のJBL4343の事や、松島T氏が宮城のジャズ喫茶「カプリチョス」のマスターとその奥方を伴って見えたときの事を思い出す。
来るそうそうビールを飲んでいびきをかいてしまったカプリチョス氏だが、ビレッジバンガードが鳴ったとたんムクリと顔を起こして、わざわざジャケットのリリースナンバーを確認しに腰を上げた様子が忘れられない。
エバンスが鳴り出すと、曲の中に気分が入っていく前に、A調かB調か?という分類がどうしたものか意識のなかで湧きおこるのが妙だ。装置の演奏がエバンスの前に出てしまうのはなぜか。
寺島軍団は2時間ほど遊んでくださって、このあといよいよ川向こうのベイシーへ進軍と、盛んに軍議を凝らしていた様子が面白かった。けっきょく女性を先頭に立てることで一致した。なんでも「こなくていいから」と『B』の店主が言ったとか、その意味を忖度する立場にないが、これには御大もあわてて、
「こうなったらオレは、矜持も外聞も捨て潜入する!」
「手ぬぐいでほっかむりして店内に紛れ込み、店主がコーヒーを持ってきたら『寺島ですがサインお願いしまーす!』と被りを取るのはどう?」と、周囲を笑わせたという伝聞はこちらまで聞こえていた。
ドンと投資して7百万ともいわれるスピーカーを導入し周囲をあっといわせた寺島氏は、威風堂々宿願のジャズ喫茶ベイシーの本丸に向け、総勢6人の大軍でROYCEを後にした。
このときの東北ジャズ喫茶道場破り行脚のレポートを、スイングジャーナルのほか月刊新潮(純文学誌)に出稿されたものを読んだ池袋の知人が「新潮とは、並みの毛並みではないね」と驚いておられた。
ベイシーでの様子はS・ジャーナルによって僅かにうかがうことが出来たが、かぶりものを取る前に「よく来てくれたね」と迎えられたそうである。
両巨頭の相見える姿は川中島と言ってもよく、誰でも木戸銭を払ってそのライブセッションを見たかったことであろう。それを後で知った杉並のS先生も、しばらく呆然とされていたのか電話の向こうに気配が無くなって、こちらの方があわてました。



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KG氏のこと【1】

2006年02月22日 | 徒然の記
昨日ふたたびレックスハリスン氏がお見えになった。
これをどうぞ、と塩野七生『ローマ人の物語Ⅸ』をお持ちくださった。
ROYCEにはKG氏のご厚意でほとんど読みたい本はそろっていたが、最近、気になっていた塩野のシリーズで、喜んだ。
ハリスン氏はどうも謎の人物である。
御帰りになるとき、ロイヤルの上のパイプから皮で巻いた一本を選び、
「これは手が熱くならないのです。アメリカのタバコが届いていますのでよかったらどうぞ」と申されてお帰りになった。
そのさいニュッと右手が半分上がったので、思わず握手したが...大きくて厚い手であった。
手が半分上がったときどのような国際常識になっているのか教えていただきたい。
お連れの奥方と、似ている人がそこまで来ているのに浮かばないと気分が腑に落ちなかったところついに中村紘子の若い頃とわかりスッとした。
もっともハリスン氏の音楽センスで内田光子のほうを前に並べるかもしれず異存があってはならないが、当方は晴れ時々視力0.2であり自信がある。
そのROYCEのパイプはKG氏のお使いになったものだが、KG氏はめったにお目にかかれぬ偉人かもしれぬとあらためて思う。
その昔、KG氏を訪ねる知人について行ったことがあった。
KG氏の画廊に伺うと、ル・コルビジェ展を催されていたが、入り口は都議選であったか選挙事務所と隣り合わせで、非常に賑々しかった。
ここではなんですからと、近くの交通会館の屋上の回転ラウンジでコーヒーをご馳走になった。
アラジンのランプのようなコーヒーポットが客のまえに各1個はこばれると、そのポットからカップ一杯満たしてもまだ余っているのが豪華である。
翌日、ご自宅にご招待くださって、お伺いしたそのおり、応接間の壁に額ブチの大きさのわりに画面の小さな本物のミロの絵をみた。
その鮮やかなミロの抽象画は、そこに全部が見えているのではなく、秘密めいているが中央に空いた枠内に一部が見えている。
隠れた部位を時々に位置を変えては鑑賞すると未知の啓示が心に浮かんでくるのか。待庵の掛け軸のような遊びを思った。
「絵画評論家も、この絵を記憶のカタログから探すことは出来ないでしょう」とほほえまれたように記憶している。
ジャズのレコードも忘れていたB面をたまに聴くとはてなと思う。
そのときのこと、食事をいただいた部屋の、ピアノの上にみかけたパイプ楯一揃いが、不思議な形で永く印象に残っていたが、あるとき人の手を廻って三十年の時空を越えて偶然にも到来した。
KG氏の部屋にあったものだとすぐわかったのが、妙であると思う。いまはRoyceのスピーカーの上でジャズを燻らせている。
そのKG氏に武道の心得が有り、知人の見ている前で親指と人さし指だけでひょいひょいと腕立て伏せをされたらしい。どれどれとやってみると、これはまあ無理。
また、あるときKG氏と連れだってヘンリー・ミラー展を見に行ったときの話を聞いたが、絵画、書籍をためつすがめつ没頭しハッと我に返ったとき、見回して姿のどこにもない。KG氏は遠く出口のところで暇にしておられたという。
「もっとじっくり見たかった・・・」
知人は残念がっていたが、早さにも意味がある。ジャズでも、いよいよこれからというときひょいとレコードから針を上げて、もう終わっている人だ。
知人からRoyce開店のことを聞かれたKG氏は、たった一度会っただけの当方を思い起こされて、漢詩をくださった。

寒鳥啾々栗駒峰
仙客喫茶翰墨遊
遯世塵憩露伊西
君知杜漣霧笛泪

栗駒やまの峰に鳥が啼く
仙客、茶を呑み芸術に遊ぶ
世の塵を避けてロイスに憩う
君知るやトレーン霧笛のなみだ

漢字の繋がりをながめていると、その行間の後ろにコルトレーンも良いが、ケニードーハムがぽっと浮かんだ。気分のよい喫茶店になりなさいといわれているのかもしれない。


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LP蒐集を楽しむ

2006年02月21日 | オーディオショップ
ジャズの中古レコードを販売している店がH町にあると聞いて半信半疑の或る時、同じH町にお住まいのK氏が「ついてくればわかります」と言われた。
花曇りの日、国道342に乗って一関から十二キロほど南に向かい稲子川に架かる小さな橋にむかう。このK氏の車というのが、駐車場からお尻がはみ出している高級車だが、運転スピードがなぜか車のずうたいに似合わず猛烈に早かった。一関H町間の道路は坂道もあれば陣屋の脇の細い道もある。踏み切りも渡れば、握りこぶし一つくらいの隙間の場所も通ったが、とにかくK氏はマン島レースのように走っていた。たびたび見失いそうになってこうなったらネコやタヌキくらいなら突っ切るしかないのかとアクセルを踏んだものだから、寿命が縮んでいるとすればあのときか。
あとで思い返せば、このK氏の選んだコースは一味違っている。途中、奈良の山野辺の路のような風光明媚な隠し道路もあって、新発見の風景に気を取られ、こちらはあぶなく路肩から脱輪するところであった。ただ早いだけのK氏ではない。
橋を越えてすぐ先、右手に神社の鳥居があり、左手に、たしかにその店はあった。
そこでK氏と別れ、C店に入ってみると壁のボードに大変なジャケットがびっしり展示されて、思わずありがたさにクラクラする。
ABCの順に仕切られたボックスに麗しのジャズジャケットは並んでおり、アーチストが目当てであるならそのアルファベットを頼りに容易に掘り出し物が手に入る。ただしアートペッパーはAで捜してはならずPの仕切りに有る。オスカーピーターソンもOではなくPである。JJジョンソンはJで問題ない、などと考えていると、BGMに流れるジャズの音が良すぎて思考が妨げられる。一度に二つのことが出来ないタチなのだと笑う。
この店には錚々たるジャズメンのライブ演奏ビデオテープも奥の棚にひっそりとあるので、これを入手し家に持ち帰れば、即、ジャズの歴史に輝く巨人の演奏と映像でご対面がかなう。ジャズ好きにとってはオアシスだ。
プレステッジの『MILES』もここで発掘したが、演奏の出来栄えにプライスが付いているのではない。稀少盤であるかモノラルかステレオか、で値がつくのであろうか?以前から仙台のバークリーレコードさんの場合も思ったことだが、ジャズと縁のない一般人には値段の深さに驚くことであろう。
千葉の大先生から届いたCDのなかに廃盤市場で高額に扱われるオリジナルデスクの紹介されているサンプラーがあって、これはジャズを聴くというより骨董品を扱う感覚である。
このCDはEMI盤のTOCJ-5710で、ジャズ導師寺島氏の企画と書かれてあるが、なるほど幅広くご活躍の人である。
【リバティー】
50年代のウエストコーストジャズを収めた「ジャズインハリウッド」シリーズ。ノクターン原盤が多い。ジミーロウルズ、ライトハウスのハワードラムゼイ、ジュリーロンドンのボーカル、マーティペイチオーケストラにアートペッパーが参加したもの、などなど貴重。
【パシフィックジャズ】
稀少なものといえば20種しか無い10インチ盤。一番高いのはPJLP1のジュリーマリガンカルテット、またアルヘイグトリオPJLP18は誰も見たことが無い幻の名盤。ボブブルックマイヤーやチェットベイカーアンサンブルも高い。
【ジャズウエスト】
全部で10種しか出てないのでみんな貴重。
一番高いのはJWLP8テナーマンだが、リターンオブアートペッパーJWLP10も探している人が多い。日本版が登場したことのないジュリアスウエッチャーカルテットは稀少盤。
【インペリアル】
ブルース系の作品が多い。ソニークリスの3枚、ウオーンマーシュ、ハロルドランド、チャーリーマリアーノは二枚の十インチ盤のみ。EP盤ではハーブゲラー、オスカーペデイフォード。
【ブルーノート】
オリジナルはなんでも高いブルーノートだが、1500番台では1568ハンクモブレー、リーモーガンのキャンディ、ケニードーハムのカフェボヘミアあたりが少ないらしい。
【トランジション】
一応1から30番まであるが発売されたものは20種もない。ワトキンスアットラージ、バーズアイビュー、バードブローズオンビーコンヒル、ジャズアドバンス、ジャズイントランジションあたりが高価。
【ダイアル】
SP盤が主体のため相場があってないようなもの。探している人も少ない。チャリーパーカーは高い。
Royceに来られた客が、遠目にベイシーインロンドンのジャケットを見て5万円!と言っていたが、たはは、それはじつのところポリドール再発盤なのでせいぜい3千円である。
気仙沼のMS氏が一枚15万円したというデビュー十インチ盤などをときどき持ってこられるが、耳の穴のうぶ毛も逆立つような、間違いなくすごい音のものもある。ターンテーブルのマットをこのときばかりは掃除して、かけさせていただく。なんでも、ラジオで聴いた曲に矢も盾もたまらず、手を尽くして探し求められた結果、斯様な値段になってしまったそうであるが、そこまで熱くなれてこそ、幸いなるかな人生というものか。
昔、練馬ナンバーの赤いボルボで来られた御医者も10インチ盤を二枚携えてみえられ、拝聴したことがあったが、「ついでに本場の英国サウンドでこのビートルズを聴かせてほしい」と紙袋からLPを取り出したのにはまいった。
このマニアのこだわる高額なオリジナルレコード群について、千葉の大先生にうかがったところ「ブルーノートオリジナルの有名な蒐集家を廻って、めちゃくちゃ触らせてもらったが、オリジナルといえども盤質の良いレコードは意外に少なかったですね」とのご返事であった。であるからこそ盤の状態のよいものはますます貴重品となって、骨董蒐集のような感覚で取引きされるのであろう。
秋田のジャズ研究家でドッドッとBMのオートバイを飛ばしてくるお客があった。このC店の存在を話すと、ふたたび秋田から車を替えて陣容を整えてそこを訪ね、そのさい、店主のオーディオ装置を別室にて聴かせてもらったそうである。このお客には2万枚くらいのコレクションがあると申されていたが、いまだ蒐集の途上なのか、あの仙台のバークリーレコードさんにも秋田まで出張してもらったことがあると話しておられた。
秋田のT氏やJO氏、唐桑町のS氏、江刺のT氏、古川のU氏、気仙沼のSS氏、厳美のKO氏などにもお話ししたところ、走りながら考えるタイプの人々は早速C店に駆けつけられていた。
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三迫川の旅【1】

2006年02月20日 | 訪問記
芭蕉が平泉をめざしはるばる白河の関を越えて奥州路に分け入ったのは元禄2年春のこと。いよいよ平泉という一歩手前の一関で、磐井川のたもと『二夜庵』に投宿し旅の疲れを休めたのは、5月14日とされているが、その二夜庵とジャズのメッカ『B』は目と鼻の先だ。現代の芭蕉達も、夜にちょっと旅籠を抜け出して一杯やりながらジャズを楽しんでいる。
この磐井川は、市街地から望む、遠くに雪をいただく一番高い山、標高1627mの須川岳を源流として、この山から流れ下りRoyceのそばをかすめ『B』の傍を流れて北上川に合流し、ついには太平洋にそそいでいた。
先日、二人のお嬢さんを伴ってRoyceにおみえになった宮城県の客人は、おなじ須川岳を源流とするもう一方の南の川、三迫川のたもとにあって骨董店と喫茶店を経営されている旧家のご主人だ。
「ひさしぶりでオーディオらしいオーディオを聴きました。やはり継続は力なりですね」などと符丁を発しながら次々とお話になった概容では、三菱の2S305を御自作の真空管アンプで鳴らして居られるようである。
音好きで日本を代表したスタジオモニター2S305の名を知らない人はいない。以前モニター仕様でないサランネット仕上げのものを中野のジャズ好きの知人宅で聴かせてもらっていたが、アンプによって音の印象は違ってくるものの、落ち着いたバランスの風格のある音がする。
昔、ちょっと冷蔵庫を購入しに道玄坂のYに出かけたときのこと、どこからともなく良い音が聴こえてきた。音をたよりに狭い売り場の端にある階段をどんどん昇っていくと、三階ほど昇って最上階とおぼしきリビング家具の並んだフロアの一角で、静かな音量でありながら腰の強い音を階下まで響かせていたのがこの2S305であった。階段を三階も吹き抜けて静かな音を浸透させる力は小型のスピーカーには無い。客もめったにそこまでは上がって来る様子のない天使の売り場に2S305をセットして鳴らしているマニアがこの店に居る。
あらためて三菱2S305を聴いたあの日が重なった。或る休日、骨董と御茶を嗜むことにしてまだ訪れたことのない沢辺の町をふらりと訪ねてみた。
地図をいただいていたので三迫川と旧街道の交差するところに『OM』を訪ねあてることが出来たが、時代を経たみごとな門構えを敷地に残している、そこはモダーンな板張りの喫茶店であった。しゃれたデザインだ。
一抱えも有る壺の並ぶ入口から店内に入ると、落ち着いた板張りの、天窓の大きくとられた中央にカウンターがあり、壺や皿の陶器、和箪笥、大和絵など、主人のメガネにかなった骨董もびっしり陳べられている。この店内にスピーカーは置かれていない。
快活なご主人は骨董についてさまざまの経験を披瀝されて、なにか楽しい音楽のように会話が店内に流れる。コーヒーについても焙煎の器具と生豆の扱いを懇切にお話くださるのが大変興味深かった。
カウンターで一筋の湯気の立ちのぼるカップを前に、小鼻を膨らませてコーヒーの香りを喫すると、一瞬、思考の中心で何かがはじけるような気分がする。中世の羊飼いが野性のコーヒー豆を焚き火にくべて始まった歴史のいわくが思い起こされるブラックコーヒーだが、上品な風味のブルーマウンテンに、砂糖を加えた場合の味をちょっと試したくなってスプーンを貸していただくと、ご主人が差し出されたものはこれが手触りもどっしりした真鍮のみごとな曲線を描くスプーンだ。
同伴していた秘書がスプーンの由緒をたずねると、懇意の職人に作らせたものであるそうで「よかったらどうぞお持ちください」とまで言っていただいた。秘書そっちのけで喜んだのは申すまでもない。
(続く)


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三迫川の旅【2】

2006年02月20日 | 訪問記
【承前】
お客が重なって店内も立て込んできたので、おいとましようと腰をあげると「どうぞ、スピーカーを見ていってください」と申されて、店のお客をそこに残したままご主人も立ち上がった。別棟のご自宅に案内してくださるというので大変恐縮した。さすがに解っておられるかたである。車にとってかえし、秒5コマ連写の仰々しい二重モードラを附けたコンタックスを掴んでご主人の後を追った。
一面の大きな壁を背に少し宙に上げてセットされた2S305の端正な配置から、これまでも無窮の至福をかなでてきたであろうことがうかがえて、うらやましく思った。
そのとき階下の方から、ご主人を呼び求める新たなお客の声がして、お店に客を残されたままであったことに慌て、後ろ髪引かれる思いで早々においとましたが。
おぼろげな記憶ではあるが、オーディオアンプやテクニクスのPS-10プレーヤーを据えられたクローゼットの中央に一枚のポートレートが掛けて有り、あれはRivieraの風景だ。ニースの紺碧海岸を背景に美女と肩を寄せて撮影された記念の一枚のようであった。
最初の話に戻れば、俳人芭蕉はあの交通の便の無い時代になぜ平泉までやってきたのか?
一説には、仙台伊達藩の瑞厳寺の城構えを調べるための幕府隠密説があり、さらに時代を四百年遡る歌人西行の歌枕を偲ぶ旅であったと言う人もいる。やはり歌枕には、人を引き寄せる秘密がある。
芭蕉は晩年に「かるみ」という枯淡の心象風景を弟子に語っているが、するとジャズでは、オーディオの枯淡とは、それは侘びの風趣を聴かせる粋な音か。五味康佑の言う無音のタンノイか。
或る日のこと、夢の中でついに最高のオーディオ装置の音を聴いた。それはなるほどこれがそうだったかと納得のいく、まだ聴いたことのない音だった。目を覚まして、これは夢ではない、確かに聴いたと何かに刻みつけたかったが、やはりそれは夢だった。
無粋となっても76センチウーハーを正面に装備したロイヤル76で、バックロードと合わせた風を、頬に受けてみたい。


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旅立ったKAI氏

2006年02月19日 | 徒然の記
ドアを開けて、悠々と藍染めの着流し姿を現されるのはKAI氏である。
透明なメガネのときもあれば上半分アンバー着色のときもあり、視線のまったく見えない濃い色のときもある。
「ピカソがモンマルトルのカフェーでテーブルクロスの端にちょっとサインして珈琲は無料となっていたそうです」と昔聞いた美術の先生の話に感心したことを言うと、次から短冊状の紙に書いた自作の一句を「どうぞ」と慇懃に差し出されて着席されようになった。
KAI氏はあるときシベリウスの音楽の印象を話しておられたが、現実に音楽を聴くよりどうもイメージが豊かにひろがるのはなぜかと、その話術に呆れる。それではせっかくのオーディオ装置も所在無しで、立直しに思い浮かんだ曲が武満徹のノーベンバーステップスである。
レコードの片面を針が移動するあいだ無言で聴いて居られたKAI氏は、予想に反し音楽のことにまったく触れず、他の話をして帰られた。
はたして数日して再び登場されたKAI氏が、この日はいつもの短冊でなく〈Royceについて〉というなにやら短文を装丁されたものを差し出しながら
「あのノーベンバーステップスをまたお願いします」と言われた。
日常の創作の合間に書き上げられたそれは、オーディオ装置と空間についての印象とのことであった。
山里の竹林の間をビューと風が吹き抜けるような横山の尺八の音色と、しじまを居合いのように切り裂く鶴田の五弦琵琶のコラボレーションがタンノイから流れている時、ふと見るとKAI氏は小脇にその初盤ジャケットをしっかと抱え、めったなことでは放すまいというように、ときどき抱え直しているのが見える。
何ごとが起こっているのかよく考えた。
「そのレコード、どうぞお持ちください」
と言うと、はじめてレコードジャケットはテーブルの上に解放された。
KAI氏がみせた予想外の反応に、ジャズ喫茶は喜んでばかりもいられないが
「ヘンリーミラーという作家から届いた手紙を、複製してお持ちしたので差し上げます」
開店のとき、心よく稀覯品をくださっていたKAI氏である。
「尺八には『オーシキチョー』といって黄昏時に寺の鐘がゴーンと永く余韻を引いてたなびく様子を表現したような音律があり、東洋人の心音です」と申されて、紙に『黄鐘調』と書いた。尺八にまつわるこれまでのさまざまの出来事を話しておられた。
鐘で思い出されるのはムソルグスキー〈展覧会の絵〉の終章『キェフの大門』の鐘の音だが、アシュケナージのピアノによりガランガランと打鳴らされる鍵盤の和音はフィナーレの総奏が音の壁となり迫ってくるときの、塔の上から降ってくるロシア風の『黄鐘調』がロイヤルのバックロードホーンによって絶妙な効果が聴かれて圧巻だ。
あるとき、千葉の大先生が「ラヴェルの展覧会の絵ですが・・」と言われ、ラヴェルとことわりをいれるのはなぜだ?と一瞬思ったが黙っていた。ムソルグスキーのピアノ原典をオーケストラ用に編曲したのはラヴェルであるが、依頼したクーセビッキーに演奏権が独占されたためストコフスキーのように独自に編曲しなければ演奏がままならなかった現実がある。
大先生の言い様を聞いて、ジャズ一色の人であるとそれまで思っていたがクラシックもぬかりはないのかもしれない。
KAI氏は、以前には「それほど会う必要は思いません」と語っておられたミラー氏に、いよいよ会うこととなって、先年渡米されたそうであるが、そのときニューヨークの友人が機転を利かしジャズクラブに案内した。
僥倖というべきか、そこでビル・エバンスのライブを聴かれる千載一遇の好機に接した。
だがジャズに関心のなかったKAI氏に、それはほとんど意味を持たなかったので、エバンスの三つ揃いスーツ姿だけを印象に残して帰国さた。
日本で偶然、プレイボーイ誌の裏表紙の写真に同じジャズクラブのエバンスを見て驚いたとは、ビレッジバンガードのことか。
窓辺のテーブルに相対しハイデッガーやライン河に浸した尺八のことなど滝のように流れてくるお話を聞いているうち、忘れたまま終わってしまった。
さて、小沢トロント響横山勝也の『ノーベンバーステップス』のレコードを持ち帰られ、かたずをのんでお聴きになった氏であったが、ご自宅のアンサンブル装置から聴こえた音は、Royceで記憶していた音楽が萎えた音になっていたと後日ポツリともらされて、それはタンノイの威力か気まぐれか。
空の青く澄んだ日のこと、そのKAI氏は京都郊外に終の栖を移されることになったと、少しの間メガネをはずして直接Royceをながめた。
Music is in the heart! Not in the world in the society! と壁面に大書されたのはKAI氏である。
『音楽、それは心に響くもの。世間で踊れるものならず』
Royceに遊んだ氏が記していた。









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幻のCD廃盤レア盤掘り起こしコレクション

2006年02月18日 | レコードのお話
ジャズ好きなら誰でも知っている名著『ジャズ喫茶マスターこだわりの名盤』の編者RK氏からジャズマスターズマガジン『幻のCD廃盤レア盤掘り起こしコレクション』にROYCEも紹介しますと、店舗の写真を載せていただいた。
その写真は『ジャズライブ徒然草』http://homepage.mac.com/hmitsui/royce.htmlのMさんが撮影したものを使わせていただいた。Mさんは非常なジャズ好きで、お使いになっているスピーカーはタンノイRHR!賢明なる選択。
巻末にジャズスポットガイドという住所一覧があり、数えてみると全国で730軒あった。多いか少ないか、にわかには判定できないが、世界的にめずらしいと思う。
最近、編者の一人TO氏の友人TS氏が遊びに来られて「この本に載ったCDは、軒並み値段が上がってしまったのです」と教えてくださった。
ジャケットアートといえばブルーノートが有名だが、この本に紹介されたCDのジャケットアートもどれも濃密な現代アートですばらしい。マガジンランド発行の非常に凝った本で、定価1200円のところ、無料で送っていただき申しわけありません。
CDといえば、ROYCEにある大量のジャズCDは、さる大先生が運んできてくださったものだ。かなりレアなものも混じっていて正倉院あぜくら造りの棚に収まっている。秋田T氏は或る1枚をぜひ研究のため聴かせて...とめったに鳴らさないCDも出番がある。


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銘球WE300BPP

2006年02月17日 | タンノイのお話
5年目にしてはじめてWE300BPPアンプから煙が出た。大変なことになった。100Vのアンプを無理矢理105V駆動に改造してもらって、やっぱりやってみるものだと悦に入っていたが。
そのときタイミング良く、今、大阪から戻っておられると、隣町のSA氏からメールをいただいた。ROYCEの中枢アンプのクオリティはこの方が担っている。頑丈な真空管アンプもいつか壊れる運命で、技術のある人のサポートが不可欠だ。
このSA氏は凄い。こんな音にしたいと注文をつけると、ダメとか嫌とか、言ったことがない。口をへの字に結んで考えておられる。無理難題のときは、コメカミをぴくぴくさせておられる。頭脳がフル回転しているのだ。フィラエンザールのウイーンフィルの75人のスケールや、サンデイアットビレッジバンガードのスコットラファロのベースの出来栄えは、この人にかかっている。マイルスのトランペットはじつはアンプが吹いているのだ。
ROYCEのモノアンプはWEを各2本使用し、電源トランスの重いだいぶ回路に凝ったアンプで「またこれと同じ物を造るのは、かなり気力がいります」と溜息まじりに申されるS氏に「こんどぜひ、誰も造ったことのないような凄い最終アンプを造りましょう」と、更なる傑物を持ちかけている自分に気が付いた。このWE300Bという管球は一旦製造が終了し、刻印モノ1本10万といわれるマニア垂涎の幻の銘球だが、そんなサイフの不条理をナゼ4本も使うのか?それは使った人でないと解らない愉悦があるからだ。しばらく遣隋使をなさったS氏が、中国製の300Bを大量に輸入したので20本ほどROYCEに置いておきましょうと言われた。そこでさっそく差し替えてこの1万円の球を鳴らしてみた。なかなかよろしい。これでも良いのでは...。
一週間ほどしてモトに戻して聴いたWEの瞬間的印象というものがある。解る人には値段は正しい。



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ザベストオブジャズ101人のこの1枚

2006年02月15日 | 徒然の記
或る日突然、「原稿依頼の電話」があった。
聞けば相倉久人、平岡正明、野口久光、油井正一、立松和平、色川武大、ジョージ川口、服部良一、藤岡琢也、菅原正二といった執筆陣に伍して紛れ込ませるというのである。よろしい。このときムムッとアタマに浮かんだのが千葉の大先生だが、
「ホ、ホントかよ!」空いた口を塞ぐことも忘れ、さぞかし驚くことであろう。
それでは、原稿はこんな感じに。
むかし、川向こうの某ジャズ喫茶に、ジャズ好きの御一行を案内したことがある。移転前よりますます良い音になっていると聴こえる蔵造りの音だ。左のスピーカー片チャンネルだけを聴いても充分厚みのある深いジャズが鳴っている。いいね、この音。やはり、スピーカーの右と左を合わせなければ音楽にならないようでは、これを凌ぐことはできまい。感心して席に戻ったそのとき「やってますかー、よかったよかった」とドアの暗がりのほうから若い男がスキーの板をかついで入ってきた。
隣のイスにドカリと掛けると「ここのジャズ喫茶はどうなってんでしょうか」と当方にむかって言う。ほほう、どれどれと聞くと、来る途中ヒッチハイクに手間取ったので、電話で営業時間をたずねたらいきなりガチャリと切られちゃったそうである。
「マスターは居ますか。どの人ですか」ときくので「ほら、あの黒いシャツの人だよ」と教えてあげた。若者は立ち上がり背伸びして奥の部屋に視線をただよわせていたが「うーん、居る居る。これでよし」と言った。なにがこれで良しかはわからないが、富山県からはるばるヒッチハイクでやって来たのだ。
「リクエストってできるんでしょうか」リュックをもぞもぞさせていたが、中から小箱を取り出した。それは、あのコルトレーンのインパルス・コンプリートである。
「これを聴くと疲れがとれるんです。肉体労働なもんで」いつも肌身はなさず持っていると言った。
「どうかなあ、リクエスト」と、首をかしげたそのとき、ちょうど曲が変わる短い静寂があった。
目の前のJBL2220と375と075からバウン!と一斉に放射された音像が店内を直進して、まともに浴びた若者は「ウワーッ!」といって電気に打たれたようにテーブルに身を突っ伏した。スイフティ!
鳴った曲こそ若者が憬れてはるばる聴きに来たコルトレーンだった。水際立った偶然をまのあたりにし、ピピピと背中に涼しいものが走った。
若者は三曲ほど聴いてから「もう、帰らなければ、終電が」と、きっぱり立ち上がった。富山から来て三曲でお帰りになった「ベイシーの客」である。
この『コルトレーンの神髄』というCDは白眉といわれ、8枚目には驚きの別テイクもある。6番のデイアロードでは何度も中断し修正して3回4回とテイクを重ねていくトレーンのナマの声を聴くことができる。コルトレーンは少年時代に伯父の教会でクラリネットとアルトサクスを憶えたそうだから、残響の強い教会堂の体験と後年のシーツ・オブ・サウンドの因果はあると思う。ROYCEに据えつけたタンノイという英国のバックロードスピーカーは、この教会堂の空間の余韻というものを暗示して、静謐な空間に燃焼するコルトレーンの神髄にひとつのアプローチを演出している。ケルン大聖堂という石造りの巨大なホールに入ったときに驚いたが、こうあってほしいという音楽を夢想すると、ジャズもオーディオも、はてがない。
(ジャズ喫茶ROYCE店主)


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T氏のJBL

2006年02月14日 | 訪問記
T氏は以前ご自分の装置のことを「ジャズ喫茶ベイシーと同じ構成です」といわれたのでびっくりしたことを覚えているが、いつかは立ち寄らせていただきたい「歌まくら」である。
ところが、一関から仙台に通勤されておられるそうで、なかなかスケジュールが合わなかった。T氏は、ちょっとタルファーロウに似た紳士であるから、そこからご自宅のサウンドをある程度想像することができる。はたして、ベイシーと同じ装置とはいかがな音のものであろうか。いよいよその音が聴けるとあっていささか微熱状態であった。
土曜の夜7時はたそがれ時をやや過ぎて、家並みは闇に隠れようとしている。ついに見つけたT氏の家は、一品デザインのおちついた堂々たるシルエットで我が前にあった。
玄関脇のオーディオルームは十畳のスペースで一枚板削り出しの床に白い壁、天井はこれがなんと二階部分まで吹き抜けのオーディオのための豪華な造りである。
家の設計は盛岡の専門家に依頼し、主要な木材はご自分で秋田杉を買い付けにいかれたそうであるから木の厚みもすばらしい。
JBLは堂々たる威容をオダリスクのように床に横たえて眼前にあるが、ライトグレイに塗装されたウーハーエンクロージャーも非常に美しかった。ベイシーの店内は照明が落ちているので装置の全容を記憶できる人はその道のマニアであるが、T氏の明るい部屋では、すべてが見通せて、レーシングカーのコクピットのような座りの良さで、手に取るようにジャズを楽しまれている。
かたずをのんでJBLの第一声を聴く。一聴して、やかましい音が無いのに驚く。これはどうしたことか、あらゆる部分を吟味すると、このように透明な音になるのか。ここで、ベイシーの音とはまた違うシャープで造形の若々しいもうひとつのジャズの世界を教えてもらった。さすがに十畳の部屋といえどもこの装置の大きさであるから、通常のコンポの音像の比ではない。聴取位置はユニットに近いのでこれがかえって演奏者に接近したライブ感を醸し出す。
この装置をベイシーのような土蔵造りの入れ物に据えると、ドスの効いたあのような音になると知っても、これにはまると、大型装置を距離をとって聴く劇場型の聴き方にかえって違和感を持つかもしれない。
途中、T氏は行方不明になられてしばらく部屋にお戻りにならず、お忙しいのかと思っていたところ、戻られたその手にコーヒーの湯気の立つフラスコが握られていて感激した。たっぷり時間をかけて淹れてくださった美味しいコーヒーだった。


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松島から仙台へ【1】

2006年02月13日 | 訪問記
アルテックでもタンノイでも、どこの愛好家の装置も同じようなジャズが鳴っているのであろうか?それを訪ねるのが『歌枕』の旅だ。
松島町アルテックA-7はマッキンC-22と275の銘器、高域を300Bアンプで稼働するそのST氏が「ちょっとアルテック純正の球アンプに換えてみましたが申し分のない音が出ています」と、パワーアンプを4台調達されて、ダイナミックで潤いのある音が鳴っているらしい。
そろそろ街道の雪も溶けた或る休日、片雲の風に誘われてU氏とともに松島町の『歌枕』に向かった。
まだ冬のなごりが見られる山野の風景は穏やかに開けてレッドガーランドのピアノトリオがどこからか聴こえてくるようだ。
「この近くにマンガ家石森正太郎の生家がありましたね」
U氏の記憶をたどってゆくと、土蔵を改築した立派な記念館があった。道を隔てた所には石森氏の生家があり、訪ねた我々を受付の女性が快く招き入れてくださった。
いまも人が居住まいしているような内部を案内されると二人の先客が居り、庭先にそって小川が流れていた。それをテーマにしたマンガも描かれたそうであるが、こちらの気を惹いたのは南部箪笥の上の管球ラジオである。
高校まで住んでいたという石森氏の勉強部屋は二階の通りに面したところにあった。そこにもしマンガの落書きでも見つければ値打ちである。煎茶をご馳走になって記帳をすませ、ふたたび車上の人となる。
街道沿いの商店街にさしかかると「あの電気店には以前アルテックA-7がありました」とU氏はたいそう詳しい。
さらに市街地を抜けてしばらく行くと、風景の開けた崖地に原生人の住居跡といういくつも穴の穿たれた洞穴群があらわれて、車を停めてしばし魅入った。陽が昇れば獲物を追い、夜は星の下で焚き火をする、時の流れるままに暮らしたご先祖の生活に思いをはせる。
夢の跡 巌の庵や 蕗の薹
本歌取りは先人への敬意のあらわれであるが、下手な演奏ではかえって失礼か。なぜか急に空腹を感じて、上海風と書かれた看板に吸い込まれるように車を入れた。
「食事は早い方でしたね」とポツリと申されて、ヨーイドンではじめたわけではないが、終わってみると同時に箸を置いて涼しい顔のU氏であった。
駐車場から出発のとき、親切そうなワゴン車の運転手に道を尋ねると正反対の方向を示され仰天したが、あらためて交番で確認したU氏の最短のコースは正しかった。
いよいよ松島町に辿り着く。ST氏は玄関に我々を迎えて、二階の結界に招じ入れてくださった。アンプはすでに交換されて真空管が赤々とヒートアップされ、音楽世界はまた新たな展開をみせている。
目の前に2列並んでいるアンプはアルテックグリーンの塗装も眩い1568パワーアンプ4台で、迫町の大御所SA氏の装置が記憶から甦ってくる。さる知りあいの遊休ラインから一部を譲り受けることができて、豪華なマルチチャンネルを実現されたそうであるが、このように人脈とは魔法の鉱脈である。
「あまり欲しそうにしましては、値段は上がるもので、自制の心が肝要です」などとジョークをつぶやいて笑わせる。
カウントベイシー「ライブ・アット・バードランド」のB面がバリバリと空気を押し分けて眼前に音像が林立し、普段冷静なU氏もスリッパの先でヒョイヒョイとリズムを取っておられる。見事なアルテックの音が再現されてうっとりした。
「以前、マドリッドに上陸したことがありまして」とST氏は船乗りをしていたころを話題に、マニタス・デ・プラタのLPを聴かせてくださった。
だいぶ以前からジプシーの村にまぼろしの『銀の手』といわれるギターの名手がいるという噂があって、飛行機嫌いで村を離れることなくマスメディアと無縁の男に、米コニサー協会が録音機材一式を揃えて現地録音を敢行した貴重な名盤である。切れのよいジプシーのルンバが、ビリビリとホーンから吹き出すのを聴いて、なぜか静かな名曲『ジャンゴ』が頭に浮かぶ。
(続く)

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