ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

ヒヨドリ

2013年04月29日 | 巡礼者の記帳
橘なりすえ1254年の『古今著聞集』に、ヒヨドリは人を見分けてなつくので、名前をつけて飼育された平安朝の様子が載っている。
この著聞集には、安倍貞任と源義家の衣川の有名な歌返し「衣の館はほころびにけり」も載っているが、当方が廊下で新聞を読んでいると、2メートル離れた庭からパンをねだるのも一羽のヒヨドリである。
雨の日は野生の餌が少ないのか、築山から廊下をのぞきこんでいる。
しかたのない、とパンをちぎってポイと放ると、地面に落ちるまえにパッと空中でキャッチするそつのなさであった。
そのような某日、日野のボロディン氏が登場された。
――あれ、昨日のBS放送で島田某氏の漱石論を拝聴し、どうされているかなと思ったところでした。
「駅から車をレンタルしたのですが、どこに行くのかと聞かれまして」
おかしなことでもあったか笑って、
「その某氏とは部活が同じでも短いあいだのことで。あとになって『やさしいサヨク』という彼の言い回しに感じ入って本を購入してしまいました」
この某氏の番組は、漱石を解く流暢な言葉使いに映像を傾注させられたが、いまになってどうも内容が思い出せない不覚を残念だ。
メモをとっておけばよかったのか。
ロシア語専攻のボロデイン氏は、お仕事で中国にわたっていたこと、連休で宿がとれないときには二戸市に良いところが有るお話をしてくださった。
タンノイを聴きつつ、こちらの問いに、控えめながらゆきとどいている意外な言い回しは、テレビの島田某氏とかさなる。

※ 沢辺町の栗駒山





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ブルッフの作品26

2013年04月26日 | 巡礼者の記帳
駅からまっすぐ歩いて坂道を上の橋の袂まで来ると、堤防の横断歩道の脇道を、慌てて右にそして左に小走りに移動している人がいる。
その見ている方向は、はるか山の方で、山火事の煙でも昇っているのか?
するとこんどは、右と左の指を四角いファインダーに組んで覗き始め、どうやら須川岳が夕日に浮かぶ絶景を、この人物はいままさに捕捉したかのようであった。
いったい何者か?
それからほどなく、当方が故郷に持ってきたスライドをプリントに出向いたカウンターに居たご主人が、あの時の人であると気が付いた。
犬を散歩させつつ、市内の絶好地を頭脳は網羅しており、あとは時期や天候を待つばかりという、ただ散歩の人ではないのかもしれない。
名人ともなると、いちいちカメラを持たなくとも心のネガに撮ることはたやすい。
ぜひ、これまでの傑作を見せていただきたいものであると思った。
オイストラフがコンテ・デ・フォンターナで聴かせる、ブルッフ氏ト短調26の切実な開始をタンノイは一直線に鳴らし始めるが、途中まで聴いて、これはたしかに傑作であるが、マイルスとコルトレーンが『All of You』のときのようにパートを分けていつもの演奏したらどうか、と想像がわいてもうしわけない。
「恐れ入りますが各パートのみなさん、気分をこめてご唱和お願いいたします」
テレビで見る有名な指揮者がそう言って指揮棒を振るシーンまで浮かぶ。

オイストラフ愛用のストラディヴァリ氏の生まれは松尾芭蕉と同じ年と記録にあるそうだが、漱石も一応の気分は詠んでいる。
木枯らしや うみに夕日を 吹き落とす

名古屋に実家のある、堅い商売の客人がお見えになった。





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黄金の国ジパングは栗駒を越え

2013年04月20日 | 歴史の革袋
1270年から25年をかけて、ベネチアを出発しアジア大陸を二度冒険旅行したマルコ・ポーロは、フビライに歓迎され揚州の総督を3年勤めたが、この揚州はかって鑑真和上が修行していたところである。
揚州の港は地図で見ると日本に近く、ここから酒田港や秋田の港に交易で渡る船は、宝物満載し、平泉は心得て、相手の歓心を得る各種物品を沿岸の集積港に準備していた。
先日、そろそろ雪も解けて、日本海と平泉を結ぶ栗駒山地はいったいいまころどうなっているか、国道342を走ってみた。
しばらく登り、アイスクリームの店の前に道を整えている人に「栗駒に抜ける道の様子はどうでしょう」と尋ねると、
「まだ無理ですから、下に戻って457に抜けるとよいでしょう」と、教えてくださった。
そこで、言われるまま釣橋の隧道から宮城に入ったが、須川岳と栗駒山は同じ山であるのに、登る道の景色がまったく違う、奇妙な山である。
須川岳は、景色の森を抜けて切り立つ崖に七曲がりの険しい道が峻厳な谷川を越えていくが、いっぽうの栗駒山の457号線は、なだらかな景色が広がって、どちらも異なる美しさだ。
どんどん457を走らせるとき、ふと運転席のハンドルの傍らに三段スイッチがあることに気が付いて、パチンと右に入れると、車はポパイがほうれん草を食べたように勝手に馬力を出し、ふだんは驢馬のようなこの車の本当の力を初めて見せた。
だがところで、なだらかな見通しの良い道とは、つまるところ、頂上がそこに見えるのにいつまでも距離の縮まらない根気のいる道である。
春まだ浅く、雪の残っている周囲になったころ、当方はあっさり退却することにした。
途中、工事の道を抜けると、おや、このような高地にまで救急車はサイレンを鳴らし激しい勢いで登ってくる姿を見た。
『吾妻鏡』には、秀衛の残された夫人が酒田に落ち延びて、随行の36人衆とともに暮らした記録が見えるが、芭蕉も奥の細道によればこの酒田に、平泉からもう一つの道を山寺を抜け曽良と旅をしている。

あつみ山や 吹浦かけて 夕すずみ





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ウエスタン16A

2013年04月13日 | タンノイのお話
タンノイ装置を充分享楽したオーディオ愛好家が、個人でいよいよ一気に狙うのはこのスピーカーである。
むかしアメリカの映画館の銀幕裏にあったスピ-カーで、ウエスタン16Aという。
なぜこのような業務用のものが、個人の部屋に必要なのか?
それは、船でいえばタイタニック、戦車でいえばキングタイガー、車で言えばランボルギーニ、作家で言えば芥川龍之介、ワインで言えば。
本当に音楽に埋没するには、このようなスピーカーが良く、聴くというより、文字どうり音楽の中に入っていく装置である。
だが、このスピーカーを満足に鳴らすためには、非情な工夫がいり、オーケストラの弦の繊細な透明感を得るために部屋の構造から考えねばならない。
これまで聴いたあらゆる音楽、ベートーヴェンでもマイルスでも、忘我の境地に誘われる異次元の音像が聴こえるように、ウエスタンエレクトリックは技術を見せる。
アンプの真空管1本でも人道法的にサイフが痺れるわけである。
いちどこのスピーカーを聴いて、これはだめだ、と思うか、これはいけると思うか、ウエスタン16Aは、笑っている。
数学的に矛盾はなくとも情で納得できなければまだ真実ではないと岡潔は言ったが、いかにもオーディオも夢で、見ているだけで楽しい。





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『AR-LST』

2013年04月02日 | 巡礼者の記帳
一関から栗駒山を越えて80キロ行ったところが秋田湯沢市である。
金箔仏師はROYCEに登場すると、言った。
「雪は人の丈ほど、まあ積もります」
御仁は、積極的に言葉は無いがオーデイオに精通しているような、気がする。
いまご自宅で鳴らしておられるスピーカーのことを聞いて驚いた。
――たしか、それは百万ほどしましたね。
「そんなにしたの・・・」
奥方は初めて耳にした数字に、動ずるふうでもないが、ちょっと呆れたご様子。
「いや、あれは中古だから・・・」
御仁は、軽くいなした。
――これまで、どのようなスピーカーを鳴らしたのですか。
「AR-LSTなどで、次が4343だったかな」
『AR-LST』は、当方がこれから予定にしているひとつであった。
「良いとは思いましたが、望んでいた雄大なスケールには鳴りませんでした」
密閉のエンクロージャーに9個もユニットが装着されているLSTが、巨大なパワーアンプによって、エヴァンスやウイーンフィルを目の醒めるような雄大な音像に結ぶところを漠然と想像し、ぜひ聴いてみたいとますます思った。






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『夜のガスパール』

2013年04月01日 | 徒然の記
バルザックの短篇音楽談義のなかに「リュリがフランスに着いたころ、ドイツで音楽をわかっていたのはゼバスティアン・バッハだけだった」と書いてあると。
廊下の日溜りで新聞に眼を通しながら、最初のページの左下段にクスッとやったりする。
そのとき、小さな築山に野鳥がわざとバサバサ音をたてて飛んで来るのは、パン屑のおこぼれを、よろしく催促しているのである。
音楽がわかる、という意味はともかく、当方はラベルの作曲した、ひとつの至高の難曲「夜のガスパール」を聴いて、ホールから帰路に一輪の薔薇を思い浮かべるような演奏が良い。
夜のガスパールは、ベルトランによって、1830年代のパリの個人的叙情を110ペ-ジ、53篇にまとめたものだが、ラベルには芸術的希求であったものか、ともかく未知の宇宙を多数の音符を並べて、3篇完成させた。
芽吹きを眺める庭に、今年も数輪咲くとして、めったに見られぬ理想の一輪は名付けて『夜のガスパール』
4月6日。薔薇の雑誌に、写真が有った。




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