ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

Sonny Rollins on Impulse!

2013年06月18日 | 巡礼者の記帳
梅雨のすこしまえ、南シナ海を「いかだ」に乗って帆を膨らませている探検家の様子がテレビに映っている。
アレッと注視したその面影であるが、だいぶむかし、アパートの白黒テレビで見たニューギニアの奥地を探検中の青年と似ている。
半世紀もまえになるが、当時青年の彼は、
「自分の体内に、日本に無い未開地のいろいろな寄生虫が住んでいる」
と言って宿主の貫禄をみせつつジャングルをかきわけていたが、そのころ同じ奥地で消息を絶ったアメリカ大富豪の有名なロックフェラー事件があり、最後に見たという土人と会って話ができたことをボソッと言った。
日本各地の民話の採集で有名な宮本御仁の風貌とも、どこか似ている彼は、いま、いかだのうえで風向きを見ながら、寄生虫はどうなったかご健勝の様子であった。
さて、当方の車は夜の今泉街道をひさしぶりに峠越えし、民話の世界を彷彿とさせていた住居もいまでは別荘地のようであったが、左右に流れる夜の闇は黒いレコード盤の溝をカートリッジになって走るように、寝静まった街道にエンジンが響く。
やはり、起承転結を随所にみせる今泉街道はすばらしい。
気温16度の森には動物が潜んでいるのであろうか、2匹の小さな狸が縁石を走ったところが、大きな表示版にカッパ伝承の昔話が書かれてあった。
翌日royceに現れた札幌ナンバーの客人は、福島から宮城に建築のお仕事で移動中、ラックスアンプでナショナルのフルレンジを鳴らしておられるそうで、二年になったのでそろそろ北海道に戻ります、ともうされている。
ロリンズのTHREE LITTLE WORDSを喜んで「ちょっと車に取りに」とジャズを聴く人は行動が早い。






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春宵の客

2013年05月18日 | 巡礼者の記帳
夜の母屋の電話が未知の韻律の声を伝え、会ってみようと思った。
では、これから店を開けましょう。
まもなく登場した人は、ウサギの印の小さな菓子箱を当方に差し出すと、待ちかねたようにパイプタバコを喫しはじめたが、あるいは当方がパソコンでゲームを為ながら考え事するように、音楽の合間にパイプの紫煙は似合っている。
ビールが良ければ差し上げましょうかと言うと、もう一方の、テレビで見る時事コメンティーターに良く似た人物が「いや、酔うと河内弁が現れますから」と固辞した。
その男性は、ベルリン・フィルのベートーヴェンが鳴るとすかさず「第九の4楽章です」とパイプの御仁にささやいて、
「カラヤンは第九を3回録音しているが」と応じている言葉は大きな音のうねりにかき消された。
「この♯7は、いつ頃に制作のものでしょう」
「電源は、どのように」
パイプの御仁はゆったりと、あまり喜楽を表情にみせず、ご自宅のオーディオ機器についてわずかに説明のある型番も、当方には異星人のものである。
「聴いているのは黒いビニールのレコードですが、光学装置によって左右の溝をひろっています」
これはいかん。ますます、その鳴っている音響がすんなりとこなかった。
だが、良い音でもいずれにしても、我々はそれを季節の収穫として並んだ自分の抽出しのいずれかに仕舞っていくのがオーディオの道草である。
春宵、紫アゲハかシジミ蝶の飛翔かを楽しんでパイプを燻らす旅の空があった。
「お近くを通過のさい、お立ち寄りください」
御仁は帰り際に親切に言葉を残してくださった。




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江刺市の客

2013年05月12日 | 巡礼者の記帳
江刺市の客は、言う。
「わたしもむかし、東新宿の某オーディオ店で働いたことがありました」
輪郭の太いメガネをちょっとはずすと、正面のタンノイに照準をあわせるようにして、しばらく耳を傾けておられたが、となりの御婦人に言っている。
「このスピーカーは、低音と高音が一つに重なっている。うちの音とくらべてどお?」
ご自宅では、JBLのランサー101を永年聴いているそうであった。
「そういわれても、違いが有るのかどうかもわからないの」
メガネの似合うご婦人は、春の日溜りのように柔かく、答えている。
ライカのケースのような小型カメラを見せてもらった。
「これは、フイルム入ってる?ときかれるけれどじつはデジタルカメラなんです」
カメラの好きな設計者が、銀塩フイルム時代に気分を合わせたセンスが郷愁をさそう。
前に駐車した車といい、日常がさまざま工夫されている人に違いないと思った。




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ヒヨドリ

2013年04月29日 | 巡礼者の記帳
橘なりすえ1254年の『古今著聞集』に、ヒヨドリは人を見分けてなつくので、名前をつけて飼育された平安朝の様子が載っている。
この著聞集には、安倍貞任と源義家の衣川の有名な歌返し「衣の館はほころびにけり」も載っているが、当方が廊下で新聞を読んでいると、2メートル離れた庭からパンをねだるのも一羽のヒヨドリである。
雨の日は野生の餌が少ないのか、築山から廊下をのぞきこんでいる。
しかたのない、とパンをちぎってポイと放ると、地面に落ちるまえにパッと空中でキャッチするそつのなさであった。
そのような某日、日野のボロディン氏が登場された。
――あれ、昨日のBS放送で島田某氏の漱石論を拝聴し、どうされているかなと思ったところでした。
「駅から車をレンタルしたのですが、どこに行くのかと聞かれまして」
おかしなことでもあったか笑って、
「その某氏とは部活が同じでも短いあいだのことで。あとになって『やさしいサヨク』という彼の言い回しに感じ入って本を購入してしまいました」
この某氏の番組は、漱石を解く流暢な言葉使いに映像を傾注させられたが、いまになってどうも内容が思い出せない不覚を残念だ。
メモをとっておけばよかったのか。
ロシア語専攻のボロデイン氏は、お仕事で中国にわたっていたこと、連休で宿がとれないときには二戸市に良いところが有るお話をしてくださった。
タンノイを聴きつつ、こちらの問いに、控えめながらゆきとどいている意外な言い回しは、テレビの島田某氏とかさなる。

※ 沢辺町の栗駒山





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ブルッフの作品26

2013年04月26日 | 巡礼者の記帳
駅からまっすぐ歩いて坂道を上の橋の袂まで来ると、堤防の横断歩道の脇道を、慌てて右にそして左に小走りに移動している人がいる。
その見ている方向は、はるか山の方で、山火事の煙でも昇っているのか?
するとこんどは、右と左の指を四角いファインダーに組んで覗き始め、どうやら須川岳が夕日に浮かぶ絶景を、この人物はいままさに捕捉したかのようであった。
いったい何者か?
それからほどなく、当方が故郷に持ってきたスライドをプリントに出向いたカウンターに居たご主人が、あの時の人であると気が付いた。
犬を散歩させつつ、市内の絶好地を頭脳は網羅しており、あとは時期や天候を待つばかりという、ただ散歩の人ではないのかもしれない。
名人ともなると、いちいちカメラを持たなくとも心のネガに撮ることはたやすい。
ぜひ、これまでの傑作を見せていただきたいものであると思った。
オイストラフがコンテ・デ・フォンターナで聴かせる、ブルッフ氏ト短調26の切実な開始をタンノイは一直線に鳴らし始めるが、途中まで聴いて、これはたしかに傑作であるが、マイルスとコルトレーンが『All of You』のときのようにパートを分けていつもの演奏したらどうか、と想像がわいてもうしわけない。
「恐れ入りますが各パートのみなさん、気分をこめてご唱和お願いいたします」
テレビで見る有名な指揮者がそう言って指揮棒を振るシーンまで浮かぶ。

オイストラフ愛用のストラディヴァリ氏の生まれは松尾芭蕉と同じ年と記録にあるそうだが、漱石も一応の気分は詠んでいる。
木枯らしや うみに夕日を 吹き落とす

名古屋に実家のある、堅い商売の客人がお見えになった。





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『AR-LST』

2013年04月02日 | 巡礼者の記帳
一関から栗駒山を越えて80キロ行ったところが秋田湯沢市である。
金箔仏師はROYCEに登場すると、言った。
「雪は人の丈ほど、まあ積もります」
御仁は、積極的に言葉は無いがオーデイオに精通しているような、気がする。
いまご自宅で鳴らしておられるスピーカーのことを聞いて驚いた。
――たしか、それは百万ほどしましたね。
「そんなにしたの・・・」
奥方は初めて耳にした数字に、動ずるふうでもないが、ちょっと呆れたご様子。
「いや、あれは中古だから・・・」
御仁は、軽くいなした。
――これまで、どのようなスピーカーを鳴らしたのですか。
「AR-LSTなどで、次が4343だったかな」
『AR-LST』は、当方がこれから予定にしているひとつであった。
「良いとは思いましたが、望んでいた雄大なスケールには鳴りませんでした」
密閉のエンクロージャーに9個もユニットが装着されているLSTが、巨大なパワーアンプによって、エヴァンスやウイーンフィルを目の醒めるような雄大な音像に結ぶところを漠然と想像し、ぜひ聴いてみたいとますます思った。






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早春

2013年03月20日 | 巡礼者の記帳
日本のバブル絶頂期は1989年頃といわれ、このころ然る地で所有物件を手放したところ、購入価格の2倍になっていた。
だが、買換えに余得が効果を表す20年待たねば、おなじことである。
日本中の小川のフチの空地にまで買い手の付いたころで、全国土の総価格が2360兆円。
人それぞれ何事か計算し、生き生きと大忙しであったころ、ジャズは。
夏用タイヤに替えたので、ちょっと走ってみようということになった。
郊外に出ると、白い道にまばらに車が走り、草木も芽を吹き始め気分は最高である。
岩手のいちばん南の町に国道4号線が差しかかるころ、脇道に入って昔の記憶を楽しんだ。
そこは前にも記録した花泉という土地であるが、その隣が藤沢といい、温暖な町並みと広大な田畑を眺めながらエンジンは妙に静かなことに気がついた。
さしかかった路傍の食堂を二三軒はしごしたい気分を我慢して、中央林間の更科という食堂の天ぷらお重を思い出していたが、かりにここに別荘を持てれば、近くに北上川も有り、花の育ちもよさそうである。
おや、すると街路の対向車線をはみだすような大型の消防車がピカピカ電飾を光らせて威風堂々と近寄ってくるのが見え、操縦席が五合目のような上の方にあり、このような空母のような巨大な消防車はまだ見たことが無い。麻布からでも走ってきたか。
すると隣の席の者が「あのような消防車はいまではどの町にもめずらしくありません」と言っている。
モデルチェンジは乗用車だけではないそうである。
廊下の陽射しに、ウサギは気持ちよさそうに午眠している。




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聴秋閣

2013年03月16日 | 巡礼者の記帳
先日のお客は美濃国からと申され、そういえば同郷のつながり原富太郎の横浜本牧に造作した『三溪園』という名所に行ったことが有る。
生糸で財を成した経済人で茶人の原三渓は、その蓄財で全国の古建築を広大な庭園に移築し、現在は一般公開されている。
なかでもこの聴秋閣は、非常に感心した造形で、もとは徳川家光の希望で佐久間実勝が二条城内に建造したものらしい。
二階部分はわずか2畳で流石の狭さ。
季節によってはヤブ蚊が飛んでおり、ちょっと痒い。
ここにタンノイを備えて、秋を聴きたい聴秋閣。





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スペンドールBC-Ⅲ

2013年03月11日 | 巡礼者の記帳
ジョイナスから高島屋に入るところにYAMAHAのオーディオルームがあった。
そこで鳴っていた英国スペンドール社のBC-Ⅲは、珍しかったのでいまも憶えている。
BC-Ⅱタイプを聴いて素晴らしいと感心すれば、ついBC-Ⅲのことが浮かぶのは、この社の製品に3つの選択肢があったからである。
ニューヨークのビレッジヴァンガードライブや、ウイーンフィルの田園を鳴らした音像を考える。
タンノイが眼の前に有りながら、それはそれとして。
ユニットを写真で見ると、BC-Ⅱにウーハーの加わった、ラファロのコントラベースが鳴りそうな増強である。
もはや遠い過去の製品BC-Ⅲは、マークレビンソンなどで聴いてみたかった。
関西から立ち寄られた客人は言う。
「白川郷とは離れたところで、そこではあまり雪は降りません」
そのとき、真空管アンプのノイズが鳴り始めおやおやと思ったが、一方の仙台からお見えの男女の客人は少しも騒がず
「良い音を、ありがとうございました」
と丁寧に申されて、折り目のない一枚を出した。
日本語はまどろこしい言葉、英語は戦う言葉だといわれるが、タンノイやスペンドールはブリテンの特徴が色濃く聴こえる。

月はやし こずえは風に かたぶいて




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神戸のカンタベリー氏

2013年03月04日 | 巡礼者の記帳
奈良平城京の遺跡から発見される和同開珎は、そのころ日給およそ1枚にあたって、米2升の代価であるという。
朱雀門の傍に邸宅のあった大納言『長屋王』の年収は4億円もと書かれ、現代ならば邸内にタンノイ装置などを聴く高床響所もあったはずと、雑誌から目を離したそのとき、寒気の少し緩む街路から黒ずくめの、旅の荷を背負った人が入ってきた。
室内のウエスギアンプを見て、300Bキットの組立にウエスギ氏と電話で話したと申される、静かに荒ぶる人は、山下洋輔の弾く「乙女の祈り」が午後の室内にゆっくり響いているところを聴いて、御自身も神戸で『タンノイ・カンタベリー』を楽しんでおられるそうである。
まもなく爆音に変身する有名な山下演奏を賞味されると、とても良い、と喜ばれた。
ウイーンのオーケストラが軽快にシュトラウスの「爆発ポルカ」を始めると、昨年のご旅行で、モーツァルトの「夜の女王」とムジークフェラインザールで対面された記憶を申されているが。
「むかしイタリアの古都で、しばらく勉強したことがありました」
当時をしのばれると、住まわれている神戸の地形は「入っても何でもすぐ出て行ってしまう傾向ですが一関のような盆地の地形に文化は長くとどまるようです」と面白がられるのを耳にして、御仁の都市工学の名刀が鞘走った一瞬を見た。
このタンノイの音はまったく予想していなかったと申され、このうえどのような計画が有るのかとそれは茶席むけの会話のようでもあったが、ジョバンニ・カッシーニも学んでいた古都の学問を、震災の沿岸にご尽力があるのかもしれない。





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山下洋輔

2013年02月11日 | 巡礼者の記帳
コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』を新しい手法でライテイングしたテレビ映像を見たが、次に期待するのは『ジャッカルの日』である。
フランスのド・ゴール大統領が郊外で飼っていたひつじのジローを夫人が気を利かせ、ことわりなく食卓に供したので、大統領は1週間口をきかなかった。
そのド・ゴール暗殺がテーマになったミステリー小説をフォーサイスは『ジャッカルの日』に書いた。
最近ニュースの襲撃事件が騒がれたアルジェリアは、むかしフランスに植民統治され、多くのフランス入植者が暮らしていたが、ド・ゴールは政策転換し、アルジェリアを民族自決にしたことから、ホームグラウンドを失った一群のフランス人がいた。
コードネーム『ジャッカル』をド・ゴールのもとに送り込んだクライマックスは、パリ解放記念式典の8月25日モンパルナス広場。
一度だけ読んだ棚の背表紙が見える本を、異なった演出にリライトするのは、ジャズの演奏でよくあることである。
パリの正面玄関に凱旋門があり、エレベータに乗ったのは2度目の1988年であったが、円形広場から放射状に走るシャンゼリゼやパリ14区のモンパルナス広場の方角を眺めた記憶がある。
パリのフランス人は英語を話さないと聞いていたが、英語で話しかけると英語で答えが返ってきた。
ジュリエット・グレコの唄う『巴里の空の下セーヌは流れる』をそこでしばらく概観する。
Sous le ciel de Paris
S’envole une chanson
Hum Hum
Elle est n e d’aujourd’hui
Dans le coeur d’un garcon
Sous le ciel de Paris
Marchent des amoureux
Hum Hum
Leur bonheur se construit
Sur un air fait pour eux

このときの1988年に、山下洋輔氏がSWEETBASILで演奏したトリオをタンノイで聴いて、驚いた。







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ラジオ深夜便

2012年12月22日 | 巡礼者の記帳
昔も今も、3月15日といえば、勘定奉行署に諸表を納付する期限であったが、どうしても深夜明け方まで事務が追いつかない。
そのとき、つれずれに初めて『ラジオ深夜便』を聞いた。
関西の海洋学の学者が、外国の大学にいて教鞭を執りながら学術論文をいくつも完成させていく生活経験を、エリックサテイのピアノのように淡々と、良い味を醸し話していた。
書類を投函して月夜の勘定署帰りの車のラジオでも続きを聞いて、つい、聴いたことをコメントしようと行動したのがめずらしい。
「あなたの研究生活は聞いてとてもおもしろい」
と、研究室にメールしておいたところ、なんと学究に忙しい時間を割いてお返事があった。
「あの放送は昼の時間の収録でしたが、深夜にもかかわらず、東北では、ほかにもう一人のかたからメールをいただきました」うんぬんの内容である。
このとき初めて『ラジオ深夜便』番組を知ったが、そういえば先日久しぶりにおみえになった志津川の元船長さんとご一緒の貴婦人も、ラジオ深夜便のことを申されていた。
「ジャズ喫茶に初めて来ましたが、わたしは、多少思い違いをしていました。ジャズについては、ラジオ深夜便で何度か聴いております」
一方、元船長さんは、得意の手帳からメモ紙を取り出してこちらに渡し、筆跡もかわらずご健勝で、なによりのことである。
そういえば勘定奉行署からあのあとに連絡があった。
「二階の奥の部屋まで出向いてください」
!!
なにかおたっしとはいただけない。書類の数字に不備が有ったらしい。
しかたなく夕刻行くと、くだんの御仁はやっと出先から戻っていて、対面した当方は机の前に直立しお話を承っていた。
すると、突然背後のドアのほうから声がした。
「そのお客さんを、こちらのソフアに座っていただいて」
声の人物はすぐ姿を消して誰かわからなかったが、言われてしばらく何事か考えていた御役人は言った。
「もう、おひきとりになってけっこうです」
あのときの声の主は、決算講習会で目の前に居た新任の御奉行と似ていたようだが、古い記憶でわからない。
ラジオ深夜便は、画廊の先生からいただいた録音テープでも聴くことが出来てなるほどおもしろく、また、水戸の御仁達も話題にされていたが、ジェットストリームとも違った魅力が静かに聴取者をあつめているようだ。
翌日の勤務にそなえ、布団に入っても眠れぬひとには、あまりおもしろい話はドクであるが。
早朝の積もった雪にこぼれたウサギの餌に、スズメが一羽飛んで来た。





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MJQの大運河

2012年11月28日 | 巡礼者の記帳
あるときベネチァの運河の橋の狭い街路のショーウインドゥで『カメオ』を1個、買った。
フランソワーズ・アルヌールに似ていたので。
それからローマに向かうバスの中で、ガイドがなにか言っているのを聞いた。
「良く仕上がった自信作のカメオは、裏側に職人のサインが彫ってあります」
そっと包みを開けて裏返して見るのは人情だが、膝の上のそれにサインは無い・・・
やがて到着したコロッセオの広場対面の、カメオ工場見学はコースになっていたようだ。ガイドの話は、前振りだったのか。
ずらりと作業台に並んで貝にノミを動かしている、端の職人は、経験が新しいようにみえて未来はマエストロである。
「むにゃむにゃ」と話しかけると、ローマの職人は、ベネチァのカメオにあっさりサインを彫ってくださった。
それでいまも母屋のカメオには、燦然とローマ人のサインがある。
この晩秋、めずらしく関が丘の哲人が登場した。
ご自宅の初期のパソコンに特殊なプログラムを読み込ませるのに成功した話を言いつつ、シルクロードの背景音楽のLPを、「いま途中で500円でした」と見せてくださった。
珈琲を淹れているとそこに、きりりという眉をしてタンノイを自宅で鳴らしているという客が入ってきた。
当方のタンノイについて、十年来聴取の哲人であり若干の解説をしてくださるところが、いやがうえにも江戸時代の芝居小屋のようで完璧である。
気立ての良い雰囲気の御婦人は、窓際のほうに席をとり、男性とタンノイの対峙を見ていた。
もし、タンノイの音にカメオのような自信作があれば、サインもあるのか?
タンノイのスピーカーには、その名も『オート・グラフ』(署名)という空前絶後のスピーカーが存在し、それが五味康祐さんが鳴らしていたものである。
五味さんは、Modern Jazz Quartetの大運河を聴いてはいないのが惜しい。






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新潟のタンノイ氏

2012年11月25日 | 巡礼者の記帳
母屋で昼食のあとは、廊下のウサギにあいさつして、活字を眺めていると眠くなる。
これがシェスタである。
そのとき誰か、店に入ってきた。
あなたは誰かな?きょうはやってません。
「ええッ、毎年来ているではありませんか」
そうであったとは失礼。新潟のタンノイの御仁である。
――おや、外のあれは、どの社のクルマですか。
「なにほどのこともありません。日本製です」
すばらしい。

これから聴くのは
BILL EVANSのイタリア音源には、69年7月のワルツ・フォー・デビィも演奏が残っている。
THE COMPLETE RIVERSIDE RECORDINGS18枚組レコードにも収録されていない、ヨーロッパツアーの放送用録音でラジオ放送されたものである。
観客が、だいぶ騒がしいし、列車の通過音まで聞え、それは地下鉄ではない。




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343号線に秋のヘンデルを聴く

2012年11月18日 | 巡礼者の記帳
だいぶ以前の記憶の御二人の客は、路上の枯葉を踏んで現れて、たしかオーディオを百セット買換えて真相を聴いた剛の者と目される人である。
だが、意外なことを話しているのをSOFIA CHAMBER ORCHESTRAの背後に聞いた。
「いちど手放したものを、再び迎え入れることがあるとは考えもしませんでしたが、けっきょく、コーナーヨークをいま聴いているのです」
つまり、タンノイモニターゴールド15を、御室に再び迎え入れていると申されている。
もう一方の寡黙で柔和な御仁は、ウイーンのフェラインザール正面に住まわれてオーケストラ音楽に密着充満した生活をおくられたことを聞き、薩摩治郎八を一瞬思い浮かべたが、いま日本にいて、きのうのようにウイーンを回想するオーディオ装置とはいかなるものか、ぜひうかがうことにした。
当方の問いにあっさりと、それはまるで融通無碍に答えがあった。
「アルテックのマグニフィセントを聴いていますが、中身のユニットはいろいろ変遷して、もはやA-7ではありません」
マグニフィセントの中身は、A-7の上下が逆に装填された応接間仕様で、ウーファー416-8B、中高域にはドライバー802-8Gとセクトラルホーン511Bにタンジェリンという蜜柑断面の拡散盤が填めた通常のタイプとは、もはや別物になっているご様子である。
そのとき宮沢明子のショパン・マズルカが鳴り止んだので、レコードを交換しなければならない当方の通常業務に立った。
それまで音楽の思い出を話しオーケストラを楽しんでいた御仁だが、急にイスから立ちバックヤードを振り返り、当方が手に持つジャケットを見て言った。
「1958年マイルスですね。これから4時に仙台に戻りますので、ではそれを聴いて・・・」
腰の正宗がパチンと鍔鳴った、クラシック一辺倒のイメージを御仁はあっさり払拭して着席した。
昨日久しぶりにおだやかな時速で散策した秋の343号線は、いたるところ紅葉の林が色を重ね、遠近の山並みがヘンデルのコンチェルト・グロッソのように美しい。
パルミュラのようであった高田の通りは、計画的に地面をかさ上げする工事が始まり、大船渡は新しい店舗が次々開業して、なにやら遠くでなつかしい街宣車の声が聞こえる。





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