ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

恐山から来た客

2006年09月21日 | 巡礼者の記帳
「ふー、音楽に飢えていました」
先日のこと、恐山温泉を巡ってこられたジャズ好きが登場。
「恐山が好きだなんて、変わっていますかね。よろしければ、ぜひタンノイでこのCDを聴かせてほしいのです」と申されて取り出したのはビーチ・ボーイズの『Surf`s Upサーフザップ』。
硫黄のなかを散策していたら、この曲が心に浮かんだという、いわくの曲を傾聴した。
タンノイがビーチ・ボーイズを表現したのは初めて。

☆恐山といえば、本州北端の霊場。イタコや寺山修司がうかんでくるが、霊験ただよわせる不思議な旅の客に、タンノイもかなり緊張した。ヒエーおもしろい!
☆ふたたび『ゴマ饅頭』の御仁があらわれて「40年間岩本町小伝馬町で仕事をしていました。コンクリートジャングルでした」と申されて、この界隈の緑の風景が新鮮に見えるそうである。


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パイプ

2006年09月17日 | 徒然の記
見たいもの。大きな山、広い水、白い土。
ネットで『パイプ』を競り落とした。
代金を送ったが、待てど暮らせどパイプは届かなかった。
ついに、ひっかかったか....。
先日、ポストにはいっていた皺くちゃの封筒から、そのパイプが出てきたので驚いた。9ヶ月も何をしていたのか、そうとう事情のある人らしい。
パイプはもっぱら観賞用で、タバコの葉も、香りのよいものがあって驚く。
来客が、めずらしいマッチを2個、置いていったので、一緒に記念撮影。
タンノイの上に、パイプを飾る。

☆槍を持つ部族の皆さんの、見たいものは。
大きな山はヒマラヤ山脈がよいかな。広い水は太平洋、白い土はゴビ砂漠。

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亀甲占い

2006年09月15日 | 亀甲占い
これは亀甲占いか、妙齢の女性が登場。
「父親のオーディオ装置をいじっていたらドン!と音がしてそれっきり、お蔵入りになりました」
ホルンを吹かれるそうであるが、手短にタンノイを楽しんでいただきました。

☆写真はスコット・ラファロのベース

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福井のPJL・Club

2006年09月10日 | 巡礼者の記帳
福井県から遠征されたPJL・Clubの人が1本の電話の後、イエローなんとかという場所から行方不明になった。
それではと探しに行くと、4号線を、うちわでぱたぱた煽ぎながら、お二人がいかにも旅の風情をただよわせて歩いてくるのを見た。
朝、福井をバスで立って仙台に直行7時間、ふたたび乗り換えて到着されたのであった。
なにやら大事そうなファイルを見せていただくと、これまで訪問された全国のジャズ喫茶の地図や資料が納まっていた。
PJL・Clubはジャズライブ・コンサートのために組織されたそうで、150人の会員を誇っている。

☆コルトレーンが66年7月に来日したとき、12.18.20.23.24日の5回新幹線に乗っている。旅慣れてきた後半、トレーンは誰かの差し入れた尺八を車内で手にとってチャレンジしたと聞いたが、67年には永遠に旅立ったのでJ・海山のような録音は残っていない。インジャパンのLPは惜しくも2枚半だ。残された無音の半分に永遠を聴けと?

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タンノイのエバンス

2006年09月08日 | レコードのお話
夕刻、シャンプーの香りとともに登場したのは、これから静岡まで車で帰ると申される男女のお客。
「以前、お会いしたことがありますか?」
「2年前に来ましたが、その時スピーカーは横壁の位置にありました。だいぶ音が違って聞こえます」
自宅でタンノイをここの低音に負けないよう調整し、だいたい同じ感じになったと思いますが、高音がまだまだと解りました。『エバンス』がこんなにはっきり演奏しているとは思いませんでした。と、タンノイの好きな人は、高音の調整に奮闘されている。
喧しい高音は歪みだが、押さえるとエバンスは沈黙する。ほれぼれする強い高音は『RCAの845』かな。
夜七時にROYCEを出発されたが、一路静岡まで、どのくらいかかるのであろうか。

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フランク・シナトラ

2006年09月06日 | レコードのお話
フランク永井が唄う「マイ・ウエイ」を聴いてみたかった。
目黒駅からタクシーに乗ると「お客さん、どちらへ?」ときかれる。
「フランク永井の家の前を通って」といえば、あらかじめ方向が定まるので、昔、目黒に住んでいた頃、白い塀はロード・マークであった。
『フランク・シナトラ』は、カリフォルニア州とネバダ州の県境が家の中を通る〈カル・ネヴァ・ロッジ〉を経営し、大勢の知人友人を招待したが、カジノ兼リゾートホテルの豪勢な建物で、モンローもそこに泊まった。
カリフォルニア州は賭け事を禁じているのでネバダ州側の部屋は賑やかだった。
いろいろなことを充分尽くして歌手を引退したシナトラが、カムバックしてリリースしたこのLPをタンノイで聴くと、淡々と唄っているようで、たんなる唄ではない。
夕刻ROYCEにおみえになった二人連れのお客は、「良い唄ですが、我々の年齢がバレますね」と申された。

☆杉並のS先生から、渓流釣り釣果5匹とTELをいただいた。世塵を払って雨の渓流にたたずんでマイウエイとは、うらやましい。
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レスターヤング・イン・パリ

2006年09月03日 | レコードのお話
ROYCEに登場したその男性は、ホーチミン市で日本の工場を立上げ、先週まで輸出製品を造っていた。
ところが急伸する中国製に押されて東京のボスによばれ、廃業を決めたのだ。
「ベトナムが好きで、またベトナムに戻りたいのです」とその元工場長は熱望される。珈琲を2杯注文するので何?と思ったら、一緒に呑みましょうと誘われた。
インターネットを開いて最近のホーチミン市の風景を見せると、彼はそのなかの一枚の写真にあっと驚いて、街路に映っている元従業員達の名前を呼んでいる。偶然見かけた懐かしい風景と仲間を見る表情は、ベトナムの人になってしまったようだった。
1959年のパリ録音にレスター・ヤングの郷愁が聴こえる。

☆オルトフォンのモノラル・カートリッジを買ってみたのですが、なぜ2チャンネルのコードが出ているのでしょう、と、S町からお見えになった客は申される。ご使用のスピーカーはアルテックの605である。率爾ながら御夫人は読書好きの麗人です。
☆水戸のタンノイ氏は『B』に入れたであろうか。

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