ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

アウトバーン

2007年09月29日 | 旅の話
Dusseldorf Hiltonでバスタブに浸かっているとき停電があった。
それで、所在なく薄暗いバスタブの湯に浮かんで一日のことを漠然と思い返したわけである。
「このトンネル横手に、戦時中の飛行機格納庫があります」ガイドが言った。
WWⅡのプラモデルマニアにとって、アウトバーンのトンネルに造られた秘密格納庫の話は耳をそばだてる。
バスは無情にも、あっというまに封鎖された壁穴横を通りすぎた。停まっては危ない。追突されるので。
組立工場とも聞くが、いずれ、あの穴の中からメッサーシュミットが出てきて、自動車道路を滑走路にして飛行機が飛び立つのである。フロントガラスの先にひろがるシュバルツバルトも、パイロットからあのように見えたのだろうか。
気分が同じはずはないけれど。
幼稚園にあがるまえの記憶で、父親と自転車に乗って国道を平泉に向かっている。
頭の上の方からオヤジの声がする。「掴まっていろ、ハンドルに」
平泉の外れの国道に飛行機が不時着したという情報をどこから聞いたのかオヤジは、幼時の当方を乗せて20分も走ったのだろうか、そのとき東北本線の側の白い国道の先から離陸したと思われる物体が、ババババと爆音を響かせて、上空を飛び去って行くところに遭遇した。
たぶん昔の飛行機は、こまかいことを言わなければ直せてしまうのであろう。
乗員が手を振っている黒い機影を記憶に残して、その場をUターンしゆっくり家に戻った。
日本の国道も、電柱が離れているところではなんとなく離着陸ができたのだ。
バスルームの明かりは停電ではなく、ライトが消えていた。
日本の高速道は、アウトバーンをモデルにしたといわれ、東北道では岩手山が綺麗に見える場所がある。
『オールド・タイムズ・セイク』でも聴いて走れば、それは芭蕉の知らない景色だが。

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オクトーバー・フェスト

2007年09月23日 | 旅の話

静かにビールを味わう季節になった。いまころミュンヘンでは『オクトーバー・フェスト』が始まっている。
1974年秋のミュンヘン『ロウエンブロイ』の大テントに入った。
そこには数千人の観光客や市民が、中央の舞台の軍楽隊が吹き鳴らすババリア舞曲のしり上がりに煽りたてる音楽に揺れて、ゴーッという騒音とビールの泡で遠くが霞んでいた。
「ハポンか?」と近くの席の男女が、長椅子をずらして我々を座らせてくれた。
どんどんいこう、と言われて、さっそく回してもらったジョッキを掴んだ静岡人が、小柄な人であったから、大男、大女のドイツ人の間に挟まれて「キンダー?」と可愛がられている。
普段は生真面目なドイツ人も、男も女も太い腕を巻くって、皆ノドの奥までビールに浸かり、陽気に上気した顔でジョッキを傾けていたが、ガイドは「ドイツでは自分の腹の下を見て、足の爪先が見えるようならまだ一人前ではないんだ」と言った。
パルス、ビルゼナー、ヴァイスの大テントをのぞいて陶然として夜道を歩くと、上空のあちこちの柱に備えられたジーメンスのスピーカーから、勢いのよい音楽が聴こえてくる。
公園の一角に即席遊園地がつくられて射的や回転ブランコ、覗き小屋で賑わっていた。
高速ブランコで、毎年、何人も怪我人がでるのは、フラフラで乗っても誰も止めないからだという。
この1974年は「カモメのジョナサン」が翻訳されて話題になり、ビル・エバンスがエディ・ゴメス、マーティー・モレルと日本に遠征し、M・J・Qが解散コンサートで驚かせた年だった。
ラスト・コンサートのLPジャケットは、どれもみな同じに見えても、中のLPは再販なら音に差があって心外だ。

☆ラスト・コンサートをタンノイで聴いて、ピアノやベースの音像定位をイメージする暗黙の了解がある。
マイクロフォンの位置を写真で見ると、位相も含めて楽器をステージにどうやって定位させるのか、感慨が深い。



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ローマの橋

2007年09月17日 | 旅の話

テヴェレ河に架かる小さな石積の橋を渡ろうとしたのは、二度目に泊まったホテルから遠くない所にあるという雑貨屋に向かったときのこと。
薄闇のなかを、行き交う人もなく歩いていると、道の先に、そこだけが明るい橋のたもとの街灯の光の端に、威張った人が立っていた。
黒い服に短いスカートの、バルドーに似たような濃い目鼻立ちの姿は、貴婦人とすぐに察した。
ドキン。
すれ違うにはなぜか狭い、チャオと言うのか?挨拶がわからず、一対一であることが足どりを鈍らせた。
.....ゞ§☆▽♯〆*。
申しわけありません。

オットリーノ・レスピーギのローマ三部作を、まだタンノイで聴いたことのない人は幸運だ。
ミューズの微笑が、三つも待っている。


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ローマのレストラン

2007年09月16日 | 旅の話
我々の通されたレストランは、そこも古い石造りの部屋で、天上まで開けたガラス窓の外に、古代ローマの遺跡『カラカラ浴場』の大きなシルエットが見えた。
二間続きの広い部屋に大きなテーブルが何組も置かれ、旅行客でごったがえしている。
そのレストランで注目すべきは、窓際に置かれた一畳ほどのがっしりした事務デスクで、デスクを中心に移動する目配りの只者でない三十代の白シャツ姿の男が、この店を束ねているらしかった。
大勢のウエイターがその男に恐縮して腰を低くしている姿は、いささか古いローマ時代のようだ。
当方が、男の隙をみて、書類等の置かれている机の側まで行ってみたのは、日本のレストランではなかなか見ることのない、ボスの席が一般客の食卓の傍に置かれている不思議に、表敬の気持ちがあったのだが。江戸時代の帳場と少し機能が似ているのだろうか。
されど、それほど間を置かずに戻ってきたその男が、ゆっくり接近してきて、じっと当方を見ているのが残念だ。
こちらは二十代の若造で咎めだては無いけれど、しかしそれ以上近寄ることもままならず、席に戻った。
それはジャズ喫茶の世界で言えば、話に聞くところの、旅行客が『B』の奥に置かれた丸テーブルに接近したときのような、間合いと緊張かな。
そのあと、ローマのレストランではお定まりのカンッオーネの一団が登場する。
カラカラ大浴場がローマ市民のために賑わっていた頃、日本は邪馬壹国の卑彌乎が国造りに忙しかった。


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佐竹藩の客

2007年09月14日 | 巡礼者の記帳
子供の頃、マンガ本のために造られた立体に見えるというメガネがあったが、タンノイにも、耳に装着して聴くメガネがあれば、メガネにかなうタンノイの音を人は見れるのか。
「いま役所の駐車場まで来ています」
佐竹藩を縦断した客は、昨年ROYCEに辿り着けませんでしたと申されて、出発の時から電話で交信し、砂漠のロプノール湖にならないよう万全を期しておられた。
いよいよ到着した人のタンノイを聴く様子に、相当なメガネを備えていることがすぐにわかった。
だが、ところが世間は広い。
「よろしい音ですが、こちらの音を聴いてもやっぱりもう一つ、枠の外に弾けない感じが残ります。それがタンノイなのでしょうか」
隣りに着席している聡明な奥方の、お言葉である。
我々は、何かを備えたがゆえに、タンノイの音が解るかわりに、何かを失ったのかな...。
佐竹藩の客は、夫人の言葉に笑顔を見せながら気に留める風でも無く「タンノイが喜々として鳴っています。いやー、このような音は、まだ知らなかった音です」と申されて、ご自宅のオート・グラフとの違いを、熱心に観賞されていた。
雷の直撃音と、高原のたんぽぽを撫でる風の音に、あんみつをスプーンで掬う音。音色はいろいろあるけれど、弦やドラムス同様、それらも含めてタンノイ以外の音になっては水の泡である。
まだ聴いたことのないタンノイの高みをもとめて、歌枕の旅は続く。

☆S先生は「明日はちょっと長野に」と申されて、ケリー・スミスなど45回転盤のブルー・ノートをしこたま入手されたお話を聞かせてくださった。

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静かなるケニー・ドーハム

2007年09月07日 | 巡礼者の記帳
「ジャズとクラシックが好きで、そちらに寄りたい」と電話があって、多摩丘陵の街からスーツの男性が立ち寄った。
そういえば『多摩テック』の入り口に、等身大の凸面鏡と凹面鏡が並んでいて、映した巨像に笑った憶えがある。タンノイとJBLにもそこまで差があるのだろうか。
そのころ銀座のソニービルに、四面が総鏡貼りの電話ボックスの大きさの箱が置かれていたので、入ると予想外の展開におどろいた。
鏡は、設置した動機以上に意味を持って困るが、古代は三種の神器のひとつだった。
いま、鏡で聴くジャズ喫茶もあるのか、スーツの客は、オーケストラでバイオリンを奏していましたと申されて、しかしながら、ご自宅で鳴らしている装置は『JBL4344』であると。
困惑を隠せない。
ジャズのおわりに一曲、オケをベルリンフィルで鳴らしたところ、神韻渺々とした情景の、底知れない低音弦が地の底からブルブルと湧いた845プッシュプルの音に「感動しました。これはJBLには到底無理です」
やはり、耳は確かなようで、するとタンノイは、鏡と言うには、ロンドンの霧が邪魔をしているといわれても.....。
ドーハムは、トミー・フラナガンとチェンバースとアート・テイラーをバックに、霧笛の音色を響かせて笑っている。

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ローマのフェリーニ

2007年09月01日 | 旅の話
そういえば、ローマに泊まったホテルは、アルキメデス通りにあった。
古い遺跡のような大理石の建物は、何百年も経つように古めかしく、我々一行の貸し切りにつき、しーんとして他の客をみることはなかった。
フロントでドルをリラに替えようとしたら「リラは無い」といわれた。日々、貨幣価値が下がる当時のイタリア人には、自国通貨を持つことはあぶない。
国家は破綻しても、ドルをふところに国民は優雅に振る舞い、ケインズもローマでは旅人だった。
食堂の大テーブルに着いた我々を、黒と白の服を着たウエイターが十人くらいで取り囲んで、前菜のスパゲッテイを「おかわりするか?」と、ナポレオンそっくりの給仕が大皿を持って当方に迫ってきた。
大きな部屋が三室も続く空間をあてがわれて迷惑したが、余ってるのと、このホテルに小さな部屋は無いらしかった。
その窓際に置かれていた丸テーブルが記憶にある。
『フェリーニ』が座れば、いい感じだが。
フェリーニは新聞記者をしていたことが有る。

イタリアの建物にもタンノイは似合った。しかし『ソナス・ファベール』がそれを遮っている。
波形の忠実な変換器であるはずのスピーカーは、楽器のような強い個性を持っている物が、時代を経て珍重されているのがおもしろい。

☆到来物のブランデーケーキを三個味わったら前後不覚に眠ってしまった。
☆世田谷に盛岡ジャージャー麺が進出したと聞いて、いちど食べてみたいが、スパゲッティナポリタンのようなものかと思う、秋の入り口。


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