ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

ホウの木

2012年01月21日 | 徒然の記
生家の境界に排水の掘堰があり、大きな木が一本茂っていた。
子供のころ、その木の上に小屋を造る夢想をして、布団に入っても完成の情景がよく浮かんだ。
あるとき、木に登って周囲を見ていると、隣家の裏庭から見慣れない男が手招きしている。
鉢巻きを締めた若い大工さんをたまにみかけていたが、その家の住人ではない。
周囲の板を集め蔵のまえに腰を下ろすと「鳥の巣箱をつくってやるから」という。
アイスクリームの蓋を板にあてエンピツで円を描いて、細い鋸で丸く穴を切った。
本職の手際であっというまに完成させ、こちらがいままで登っていた木を指してあそこに、と言い残すと、それから二度とその人を見ることはなくなった。
この家にも、庭を造成したとき、そういえば境界に大きな木が伸びていて、もはやターザン小屋を造る夢も消えていたが、晩秋の落葉の散らかりようが半端ではなく、やむをえず二股に分かれた一方の幹をカットした。
すると、その年だけは落ち葉も少なかったが、翌年から、根の吸い上げる栄養が残った一方にピストン輸送されるのか、それとも危機を感じたか、次第に以前と変わらない枝を伸ばし、そのうえ、初めて見る大きな白い花を空じゅうにいくつもつけて、抗議のデモンストレーションのようで驚いた。
このあいだ腸をこわして生まれて初めて入院生活をしたとき、六人一緒の部屋にしばらくお世話になったが、窓際のベッドに沈黙する人の様子が、何か言いたげでおかしい。
それとなく観察していると、打ち解けて全員雑談話をしている時間に、こちらの子供の時を知っていると言っている。
職業を聞いて、ふと思った。
――鳥の巣箱を作ってもらいましたね。
あれから半世紀も過ぎていれば面影も覚束ないが、こちらのあてずっぽうに、その人はたしかにうなずいた。
袖摺りあうもえんと、ベッドのうえのいっけん退屈な時間は云う。
自宅の荒れ地のわずかな空間に、植物はどんどん茂っていった。
いま写真の端に映るホウの木は、冬にすべての葉を落として針金のような枝をみせているが、342や343街道の山沿いの道を走ると、盛夏に印象的な姿のホウの木をみては気に入っている。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワーズワースの庭

2012年01月17日 | 徒然の記
髭狸卿の回線から戻って、前回のつづきを思い出した。
当方の朝の日課は太極拳ではなく、マッシーで3回素振りをすること。
そのスペースだが・・・・・
引き前工事によって下図のようになった箱庭は、以前にくらべことのほか狭い。
それから10年で植物は少し回復したが、ワーズワースの風景からは遠かった。

振動の福島から、金田アンプを造りビンテージナショナルユニットをお楽しみの紳士が
立ち寄ってくださった。
本棚に並ぶ書物の背表紙が、ご自分の好みに似ていると。

数年前の花巻の客人は、室内の寒さに笑いながら、
ワーグナーをお願いします、ベートーヴェンも良いが。とのこと。
英語の発音の美しい御婦人もご一緒に。

その花巻からエンジニアが正月に立ち寄られて、やはりモノラル再生が良いと
同志を糾合しているご様子に、しばらくタルのモノラルサウンドを回想した。

ドラムスの御仁が電話で、ピアノトリオのツアーをそちらで聴きたいか、お尋ねである。
すばらしい。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

髭狸卿の登場

2012年01月10日 | 巡礼者の記帳
数年ぶりの髭狸卿がおみえになったので、しばし回線を外遊した。
時節柄、歌舞音曲も控えめの空即是色。

http://wetprofessor.blog115.fc2.com/blog-date-201112.html






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウサギと住む家

2012年01月02日 | 徒然の記
先年の大地震の襲来では、家屋はガタガタに揺さぶられた。
「自宅はどこにありますか」
喫茶のお客からたまに問われるが、いま座ってジャズを聴いていた場所に建っていた旧住居を、喫茶の面積の分だけ庭を狭めて移動したことを、業界用語で『引きまえ』工事といっているようだ。
いちいち取り壊して、新築していてはものいりであるので有効利用した。
「誰があの床下にもぐっていくのか、様子をみていたが、俺だったぁ」
休憩の時、職人さんは缶コーヒーを飲みながら、工事の様子を縷々説明してくださった。
太田牛一は、1580年安土城建築の時、数千人で引いたロープが切れて、一個の巨大な石はズルッと予期せぬ方にすべったと信長公記に書いている。
現場でそれを見ていたポルトガル人宣教師ルイス・フロイスは、手紙に、150人ほどが一瞬にして息がなかったと、事故の状況を書いている。
安土の坂を引いた大石は持ち上げてどこに使われたのか、捜してまだ見つかっていないことを考えて、天守閣の重量を支える礎石に地下に埋められているとか。
当方の鄙びた旧住居は、安土城と比べるほどでもないが、引きまえ工事も無事に、その後の大地震でもなんとかそのまま建っている。
ゆかにビー玉をおいてみた。
土台枠の支えに造った構造物は、がんばっているらしい。
地下にもぐって作業していただいた時の写真を見たが、母屋はこのうえに乗って、そこにウサギと住んでいる。
それを一般に、うさぎ小屋というのかもしれないが。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新年鳥瞰

2012年01月01日 | 歴史の革袋
新年の山道を縫って343街道を走ると、
最大の難所にさしかかった谷底から車のライトを遮った影が
崖の上の林に消えた。
一面銀世界の白闇に、
うちわのような羽根を広げた鳥は、ふくろうである。
しばらく車を止めて様子を見ていると、
5分ほどして、もういちど身を翻して飛んでみせた。
343のミネルバのふくろうは、夜中に飛ぶ。
竹駒橋を右に折れると高田、大船渡まで20キロほどであるが、
この道を反対の左方向に40キロ向かうと柳田国男の『遠野物語』の世界がある。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする