ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

蝶よ花よ

2012年05月30日 | 巡礼者の記帳
「休日メンテナンスのお呼びがあって、管理棟の会議の方はいまからでは間に合いませんね」
どこか嬉しそうに見えなくもない関が丘の哲人、ジュースのストローを置くと、時事片々を話し、携帯の画像を開いて洒落た映像とモールス信号を聴かせてくださった。
御仁はモールス信号がわかる、などというと、新聞によれば趣味でも怪しまれるご時世だが、ほんとうなのか試してみることにした。
トン・トン・トン・ツーって、なんですか?
「ほんにゃ、えーと、それはローマ字では『V』ですね」
Royce開店の時、えーっと500円あれば大丈夫でしょうか、と登場されたことで有名な哲人であるが、
モールスがわかっていると驚いた。
ベートーヴェンの5番『運命』の開始はモールス信号の『V』である。
当時連合軍の勝利を符丁するこの音符は、日本の『ニイタカヤマ、ノボレ』とおなじくで、トスカニーニが大戦中好んで指揮していたということだが。
そこに、以前電話をいただいていた北海道の客人がタクシーで到着した。
お話をうかがうと、大きなパイオニアの箱を鳴らし、駐屯地の前で音楽喫茶を開いておられるそうで、戦後に生まれた我々にもかかわらず、どこかしらミリタリー色とおぼろげにつながっているうえ、団塊の世代とは拾った命の発露と言えないこともない。
いまでは何事もなかったように、にこやかにタンノイのまえにいて、あの芭蕉先生ですら、隠密の嫌疑があるミリタリー色とはなあ。
平泉のホテル武蔵坊で『あきよし敏子』さんのディナーコンサートが6月17日に行われると熱心な支配人からご案内をいただいて、また、『南郷サマージャズフェステバル』のポスターが届いた。
青森の夏は、また暑くなりそうである。




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「チェロキー」

2012年05月26日 | 巡礼者の記帳
あるとき鍛冶町を抜けてプラモデルの店に向かっていたのは小学生のころである。
河川敷に自衛隊が整列して、磐井川にカーキ色のボートが浮かび、雨で増水した川面にザンブと隊員が飛び込み、両岸に渡されたロープに必死に縋っている。
ずぶ濡れにへばり付いた軍服のまま救助訓練は始まったが、ヘルメットの下の顔は洪水に濡れて大変な迫力で頑張っている。
そのとき、堤防の石段をジープが45度の傾斜でゆっくり登り降りして、増水期に恒例の水防訓練は始まっていた記憶がある。
ジープは、熱中していたプラモデルの資料によると、4輪の二つが地雷で破損してもスペアタイヤを使い、3輪のまま100キロ走れることなど、性能を極めた車体の後部にタイヤが付いているのは地雷を避けるためらしい。
当方の車は先日パンクし上着を脱いで更生したが、あのていどでビクともしないのがジープである。
皐月の陽気にロイスの道端に小判草を揺らし、ジープとエンブレムの付いた車が停まると、ひょうひょうと入ってきた長身の御仁が居た。
座頭市の番組にみる、腰に長い刀を一本差して登場するような、ただものではなさそうな御仁であるが、タンノイを聴きたいと要点を言い、どこか笑っている。
分析不能の人物に注目しているとやがて、18歳の時世田谷のホーム商会でコーヒーを喫しながらクオードESLを買った話や、もしかするとそれは当時からおぼっちゃまが大きくなったのか。
当方の年齢を知ると、生まれは2歳ほどあとでも、腕前はだいぶ先を行っているようだ。
「昼はroyce、夜は川向こうで、ふたりのおにいちゃんに遊んでもらうのも面白そうだ。一関に住もうかな」
長刀を鞘から抜いて一閃してみせると、もう一方の専門家とふたり、乗ってきた最新型のジープ右ハンドルの「チェロキー」にカーナビを打ち込んで、名物の食堂に去っていった。







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永楽銀銭

2012年05月21日 | 巡礼者の記帳
墨田スカイツリーの開業日、きょうの株価はすこし戻して8700両で始まった。
現在は1万両あれば大台と、気分も下火の雰囲気が心もとないものだ。なぜといえば他人の懐中ながら日経平均4万両の時代も、まえにあったような気がする。
御畳奉行の『鸚鵡籠中記』には、以下の記録が有る。
江戸において、銭にわかに今日上げ、純金一分につき一貫文換え、夕方少し相場下がる。これは昨日、向後銭の相場両につき四貫文より三貫九百文に相定しといい、追付京にて一銭十当の大銭仰せ付けらるの仰せ出しこれ有る故なり。[宝永5.閏正.29]
一関市内の中央を磐井川が流れるその河川敷に、さまざま年中行事が行われていた。
打上げ花火であったり、牛祭であったり、季節のうつろいを楽しむ人の姿がある。
あるとき当方が商売にいそしんでいると、母屋の方から子わっぱが飛んで来て「河川敷でゴザを敷いた二人の老体が古銭を売っている」という。
まんいち、永楽銀銭でも混じっていれば、それは16萬両である。すぐレジのかねをつかんで、これで!と買いに行かせた。
だがすべて寛永通宝であった。
ご老体達の笑顔がよかったらしい。






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パンク

2012年05月18日 | 巡礼者の記帳
青葉若葉の光のどかな山や谷を眺め、ぶらぶら走る春の343号線もまた情趣がある。
するとなにやら、ズブズビと路面で音がして、急に車が傾いたではないか。
oh!パンクしている。
タイヤのメッシュの針金が覗いているところを初めて見たが、そこまで消耗しているとは。
レコードの針もタイヤも、走る道具には寿命が有る。
購入して12年の車体は、6万キロ走ってめでたくゴールド免許証に変えていただいた強運であるが、金ケ崎の陸運局から戻る途中、平泉の有名な速度検挙坂道に差しかかったとき、前方にゆっくり黄色のロングトレーラーが走っているのが見えた。
こういうときは007モードに切り替わり、ブロフェルドの一団を警戒し追い越すかどうか迷うが、下り車線を塞いで走られると、空いている右に車は競走馬のようにせりだしてしまうものだ。
やはり黒車が脇道から飛び出してきて、前方の交差路に向けて突っ切ろうという宮城ナンバーである。
中にイケメンが2人乗っている、ゴールド免許証危機一髪。
この車が納車された昔、花泉の営業社員殿に無理をいって、透明コーテイングをダブル塗装した効き目なのか雨晒しに耐えているが、操縦性能は記憶のトロッコのように動きがパッとしない。
おかげをもって運転は慎重に、ときに素早く。
パンクの車を公道から傍の隘路を下降させて農道に降り、上着を取ってタイヤ交換にいそしんだ。
10分ほど過ぎた頃、午前中の天気の良い山麓の一軒家から様子を見る人が現れたが、手伝いのいるほどのことはなかった。
きょうは仙台からジャズを聴く御仁が現れて、そういえば角五郎の早朝五時のスーパー駐車場でも、コーヒー自販機におさつが入らないので手間取ったら、遠くから塵取と帚を持った警備員殿が掃きながら近寄ってきた。
ブロフェルドの一団は広域に活躍し、めったな油断は禁物である。グフ。
343号線のパンクの記念写真を、きょうは郊外のDP店まで取りに行った。
「75円のサービスポイントはすぐ使えます。どうされますか」とカウンターの女性が言っている。
それらの写真のなかに、最近の仕事場の様子の写っているものがあった。
棚の本のほとんどが頂いたもので、まだ読んでいないことは楽しみである。




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『ハッセルブラッド』

2012年05月02日 | 諸子百家
むかしお世話になっていた会社で、ある時、席を並べていた隣の人物は趣味でハッセルブラッドを持っていた。
釣好きで、「きのうはせっかく皆が集合したのに、海浜丸の船長あっさり×これだって。低気圧高波でガチョーンです」
手を×印に組んで船長の断るしぐさをしたが、我々も彼の勧めに10人ほどで釣休日を楽しんだとき、竿から餌から気配りてきぱきの釣船に大満足したことがある。
普段の社内の様子にない不思議な才能を感じた。
営業が、あるとき言ってきた。
「取引先の社長が、オレの同窓会の撮影を頼むといっておりますので。成○大学二十年期クラス会だそうで、ひとつよろしく」
ほかにも、西○デパートの七五三祝い撮影応援などというのもあったり、そのころ我がチームは社内で暇に思われているらしく、いろいろなところに助っ人に駆り出される運命であった。
会場に時間ぴったりに着くと、すでに宴会たけなわで、とくにクラスメート同士で結ばれた男女がいまでも嫉妬酒の中心に座らされ照れている様子が可笑しかった。
記念撮影の時間となり、全員に並んでもらったところ、名士達はいつまでも自由に振る舞って揃わない。
ここは適当にストロボを焚くところだが、彼は頑としてシャッターを切らず、辛抱強くハッセルのタイミングを待っている。
依頼主も集団の中から、いいから撮って!と声を出しているが、彼はいっこうにハッセルブラッドのシャッタ―を切ろうとしないので、全体を見ているこちらは次第に焦ってきた。
――適当に撮ったら・・・。
「いや、あとになって写真を見たときキチンと写っていないと、必ず文句があるのです」
彼は動じず落ち着いている。
後日営業は「良く写っているとお褒めの言葉をもらいました」と礼に来て、そのときおもわず隣の席にいる表情一つ変えない、ふだんはひょうきんなところもある人間を眺めた。
『ハッセルブラッド』はブロニーカメラで、ドイツ製ツアイスレンズをセットし、画像の秀逸が評判であるが、スエーデン製というところに意外を感じる。
大戦中、ドイツの偵察機がスエーデン領内に不時着した機体を差し押さえて、搭載カメラを分解し、より以上のものに仕上げるセンスがあった。
スエーデン鋼というものか薄くて丈夫なボデイ構造は、レンズの性能とあいまって、アポロ宇宙船で月まで飛んでいったことが誉れである。
そのとき世界中の人間が見た月面に広がる風景は、アポロ専用に設計された水晶の単結晶ツアイス・レンズで撮影されたものという。
レコード盤を見るとき、デジタルカメラは銀塩フイルム時代の世界を越えたのだろうか。
またまた髪の長い、タイプの違う女性がジャズを聴きに登場した。







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北上川クルーズ

2012年05月01日 | 巡礼者の記帳
日本で四番目に長い北上川は、『弓弭の泉』というところに溜まった一滴の雨から、延々250キロを勾配ゆっくり流れ下って、いつしか太平洋の石巻付近にたどりつく。
この流れの途中、県庁の盛岡城下や、賢治のイギリス海岸、義経終焉の高館など流域の古都、城柵に接し、太古の昔から一瞬の休みなく、滔々と流れてきた。
現代では、輸送トラックがハイウエイを切れ目無く走り、空に大型機が飛んでいる時代となったが、誰もふと、古代の都の傍を流れる大河をみては、百代の過客と例えた古人を回想し、できることなら百人乗りの大型平底船で、ゆっくりと景色を眺め下る風流に、釣でも楽しんでみたいものである。
かりに、木造に見せかけた鉄鋼船に強力なエンジンを積んで、要所の古都城柵に接岸しながら遊んで大河を往来できたら、サンデッキで釣糸を垂らし甲羅干し、パーテイの貸し切り、オリエント急行のような食堂船も連結しておもしろい。
芭蕉がこの船旅に詠む一句を想像する。

五月雨の 大河を分けて ふねひとつ

連休、手前に座すゆったりした紳士に、珈琲をどうぞ渡してくださいとウエスタンドア越しにさし渡すと、次の客があわてて立ち上がって受け取りにきたのは、大企業のヒエラルキーなのか仁徳であるのか。タンノイはつつがなく鳴っている。





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