ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

サラ・ボーン

2012年10月25日 | レコードのお話
『2年ぶりに、六甲の山の麓の自宅で、さみだれとアジサイの季節を迎えています。夜のとばりの下りる頃、そっとアンプの灯を入れて、サラの歌声に耳を傾けるひとときがまちどうしいこのごろになりました』
上杉氏は、マニア垂涎の高名な『上杉アンプ』を愛好者に販売しながら、タンノイのサウンドをご自身謳歌されていたが、あるとき雑誌に以下の告知をされたのを読んだ。
「上杉研究所のアンプを所有されているかたは、製造番号のご連絡をお待ちしています。創立10周年を機に、全国に渡った当社アンプの所在を把握しようと思い立ちました」
勇躍当方はペンを取って『U・BROS-1』の申告をした1週間後に返書があった。
「受け付けました。あなたの所有アンプは転売品です」
もうちょっと、色よい返事を期待していたのになあ。
永久保証も、こうなっては壊れては大変と、なんとなく電気を通す機会も減ったような気がする。
そのとき書かれたご本人直筆のような、わずかな一行をしみじみ眺めると、字の太さやインクの色から『モンブラン』と思った。
タンノイサウンドの、さまざまに聴こえるサラ・ボーンの歌声は、マイク無しに本人のそばで聴く実際はどのようなものか、あこがれをさえ抱かせて鳴る。
彼女の、七色の虹の声といわれるオクターブに広大な声量や、野太い低音に支えられた妙なる絹摩れの裏声まで、巷はそれを『ザ・シンガー』『女王』と賞賛したものである。
そのものズバリを、迫真のナマのように聴きたいと考えれば、アンプやカートリッジや、どのようなオーディオ装置の選択があるであろう。
そのようなあるとき、不思議なご縁で当方の前に登場した千葉のS氏はこともなげに言った。
「サラ・ボーンのことは、以前わたしがアメリカに渡ったとき、ワシントンのクラブのかぶりつきでツバキを浴びながら聴きました」
「!」
当方は、そのとき表情には出さなかったが、気分は複雑で、もはや結果のわかってしまったボクシング試合に感じるとは意外?
それでなんとなく、しばらくサラを聴かなかったのが、みょうである。
以後、千葉のS氏を大先生と尊称したが、なぜならこの御仁は、またこうも言っている。
「オリジナル・ブルーノートを多数コレクションしている多くの著名人を回って、めちゃくちゃ触らせてもらいましたが、程度の良い盤を揃えて蒐めるのは困難とわかりました」
サラ・ボーンの七色の声の再現は、当方の前にいまもって無窮に立ちはだかる山である。
するとあるとき、葛飾のオートグラフ氏から薄い小包が届き、封を開く内側からベスト盤と高名な『アフター・アワーズ』が現れた。
いま先生は、オートグラフによってサラを聴いている。
音楽が時代を映す鏡であると思ったのは、このように聴いた曲から忽然と光景が浮かぶようになったころである。




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謎の金印と金鶏

2012年10月22日 | 歴史の革袋
1974年出版の清張『古代史の謎』で、当時謎のままの解けない諸説が、40年後の現代には解明が進んだ?のであろうか。
この本の28ページに早々と出てくる、後漢書に光武帝が奴国へ遣わした『金印』のくだりについて「あれはそもそも3個ある」「!!?」と、記述がむにゃむにゃでおわっており、歴史の奥行きも深い。
平泉でも、金にまつわる七つの謎の一つに『金鶏山の金のにわとり』伝説がある。
この金鶏山は、平泉の都市区画を囲むように丘陵が両翼に広げた鳥の頭部にあたる中心に、膨らんだ小さな山であるようにも地図では見えるが、一年で一番陽の長くなる日に『無量光院』からみて背後の金鶏山頂に夕日がちょうど沈むように設計されている。
エジプトの神殿やマヤの神殿と軌を一にしているところが、古代に流石である。
埋蔵されていると伝説の黄金の鶏は、雌雄であるとも、また一匹とも記録にあるが、昭和の初めに調査発掘されたときには、漆の入った甕が出てきたという。
素人の当方が考えるには、鳳凰ではなく鶏で一羽埋蔵されているというなら、それは雌鶏であり、雄鶏は金鶏山頂と朝日の上る方向の直線軸上にあるように設計したい欲望に駆られる。
つまり、柳の御所の対岸の山頂にあると考えれば、毎日、とどこうりなく朝を告げる鶏を山頂に捧げて、朝日を遙拝することができる。
その金の雄鶏は、警備の都合上、最も口の固い三人の職人が選ばれて、秘かに対岸の山中に分け入って頂上深く埋蔵したのでいまだに知られていないが、どうして雌雄の金鶏の一方なのか、命じた者はひそかにそれを満足している。
この案は、先日の骨寺遺跡で説明を受けた鐘の埋蔵の話から急に思いついたもので、学説ではないが、いったい埋蔵した軸上の山とは北上川の対岸のどれかな、と柳の御所から眺めて、名物桜羊羹でもつまみながら満足しよう。
金は腐らないので、卑弥呼の金印もいつか地上に姿を現すことであろう。
栃木から三人の客人が登場し、大型のJBLのウーハーを備えたマルチ装置を座右にするスーパーマニアのようだが、携えてきた優秀なカッティング盤を聴かせてもらったところ、一瞬の音像で、努力のすべてがわかるレコード盤も有るものであると驚いた。
以前お見えになった男女の客人で、ウエス・モンゴメリーの演奏に
「これは、親指だけで弾いているんだよ」
男性が隣の女性に説明している。
その様子が,北上川の庭園のベンチで対岸の山並みを説明するように,おだやかでたのしそうであった。





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リンホフの客

2012年10月19日 | 巡礼者の記帳
萩が花 尾花葛花撫子の花 女郎花藤袴 朝貌の花
この季節に憶良が万葉集に残した山里の花詩は日本で秋の七草と言われる。
街道343号線の早朝の光線は、秋そのものであるが、古代から今も変わらず野の花は咲いている。
そのとき、筑波山に魅入って『リンホフ』を長年向けてきた人物が訪ねてきた。
「いまやっと温泉で14日の修行が終わったばかりです、やれやれ」
下山直行して、無精ひげを撫でながらタンノイを聴く御仁は、なんとかいう俳優のようであるが。
リンホフの名機を駆使し、トレーラ―ハウスまで乗り回して、春夏秋冬の筑波山と対峙してきたいきさつをきかせていただいた。
「ハッセルは象形が少し尖って写り、リンホフのほうが好みですね」
タンノイとJBLのことをいっているようにも聞こえて、おや、と思った御自宅では、タンノイモニター15とウエスギに灯を入れる御仁の、心象風景は永遠の筑波山か。
雨の夜には、マーラーを大音量で聴くと、爆音に二階天井方向から山の神様も「ドンドン!」
そこで当方も、久しぶりにベートーヴェンの第九四楽章をベルリンフィルによって大音量で聴いてみた。
すでに巷におなじみの九番四楽章であるが、我々の知っているオーディオ一般と、違った次元の異音で鳴っている、映画館のオーケストラの遠慮のない鳴りを思い出す。
ベートーヴェン氏から、書き上げた譜面を渡され復習った演奏家が、ここの音符の再現が難しいと正直に言ったところ、
「音楽がそのように鳴りたがっているのに、あなたの個人的事情にかまっていられない」と答えたベートーヴェンの心象をいまタンノイで聴く。
写真の、完璧に透明なフレームに無限に収まっている風景のように、我々も音楽を聴きたい。
写真家K氏は、長針が12時を指すと、
「弦楽四重奏曲も好みですが、タンノイを堪能しました」
と申されて、故郷の筑波山に戻っていった。




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秋の便り

2012年10月09日 | 巡礼者の記帳
K氏の著作『古代東北仏教史』という焦茶色の本が母屋で目に留まったが、以前むにゃむにゃとスケッチした陸奥国分寺の塔の位置が、海から見て本堂の右か左か、左右両方か、素人とはいえ錯誤があってはと気にし、本書に納められている膨大な発掘図からやっと知ることができたのは幸運であった。
そのうえ、P310ページに、なんと、あの釈迦堂の御仁の研究書のことが触れてあって、以前、知人と金色堂を拝観した折、切符の受付は他人任せで本を読みふけっている御仁の姿を心配していたが、なんとなく整合性があるとわかった。
以前、テレビ画面で、韓国沖から古代沈没船の遺留品が水揚げされたとき、荷札の『興福寺』という記名から、船をチャーターしていたスポンサーがわかったが、一歯の高下駄や大量の宋銭も揚がっている。
まだ見つかっていないが、平泉のチャーター船も、付近にあるのではないか。
荷札に吉次とあれば、歴史の彼方からそのとき姿を現すか。マルチ・モーダル運輸が彼の仕事であった。
そのとき、寺院に絵画を納めた友人の見学に来て
「ついでにジャズを聴きに」
と客は言っている。
ほかの客の相手をして喫茶に戻ると、タンノイ最高!と壁にサインが残っているが、早計ではないか。喫茶を間違えることもある。
秋のハガキが、一番町から届いた。




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りょうのしゅうげ

2012年10月01日 | 巡礼者の記帳
夕刻、伊達藩から遠征する客があった。
静かな姿勢の御仁は無駄口開かず「新宿のブルーノートでジャズを少々」などと、タンノイのジャズを道中の物語りにされるらしいが、
「この音はスピーカーを加工しているのですか」、と独り言があった。
昨年までいた任地の東京と比べ、おにぎりのお米が大変美味しいと。
そういえば当方も伊達藩に遠征のとき、半額処分で山盛りの寿司パック、三パック籠に入れた覚えがあって、外で待ち構えていた怪しい青年も関係者なのか嬉しそうだったので覚えている。
当方の理解では、気に入ってスピーカー幾つも部屋に入れることは無駄であり、気立てのよい置物が一対あればそれでよい。
この世界には、タンノイでもアルテックでもJBLでもない、あるいは、そのどれをもひとつに兼ね備える理想の装置があるのだろうか。
このお客のように、転勤の合間に各地の音を聴取してゆくなら、いつか理想の音が見いだせるのかもしれない。
母屋にて、聞き覚えの声にテレビ画面を見ると、平泉の『柳の御所』擬定地から古代の大堀跡が映し出されているのが見えた。
それは大槻街の五間堀よりだいぶ巨大な堀跡が、陽光にまぶしく八百年の眠りから覚め、深い人工の傾斜を露出させている。
このように柳の御所の発掘が進めば、いずれ区画や建造物の構造も姿を現し、そのとき堀を渡る幾百万人の観光客のなかにまぎれてみたい。
昼食の弁当も缶類も月産百万個単位の流通である。
セロニアス・モンクとコルトレーンがセッションした記録のジャズランド盤であるが、56年にマイルス五重奏団を退団したコルトレーンが、翌年モンク六重奏団でおこなったクラブ『ファイブスポット』の不思議な演奏を聴いた。
当時、新機軸のモダンジャズの解釈に期待と怪しみを持って現存するセッションの写真を見ると、モンクの付けようのないそのサングラスの構えに見蕩れる。
そのうえモノラルカッテイングであるはずが音像が混わらない、不思議なハーモニーが聴こえる。
この音楽で笹野田峠を突っ走ろうとするのは、あぶない。当方の見解では剛の者である。

いまでも黄金のカルテットと言われるマイルス五重奏団
トランペット   M・デイビス
テナーサクス  J・コルトレーン
ピアノ      R・ガーランド
ベース     P・チェンバース
ドラムス     F・ジョーンズ

新境地を探して1957年に参加したS・モンク六重奏団
トランペット   R・コープランド
アルトサクス  G・グライス
テナーサクス C・ホーキンス
ピアノ     S・モンク
ベース     W・ウエア
ドラムス     A・ブレイキー

そこに並んでいるのはみな、おなじみの固有名詞であるが、エルビンジョーンズ、マッコイタイナー、J・ギャリソンと自前の楽団を駆動させるコルトレーンの関連文脈を眺めていると、『令集解』の巻物を見ているようだ。

2010年にニューヨークを訪れた観光客が約4870万人
2009年の京都観光客数は約4690万人。
2010年ディズニーランド入園者数は年間1690万人





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