ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

Night Has A Thousand Eyes

2011年03月31日 | 旅の話
760年の再来ともいわれる強烈な地殻変動が押し寄せ当方のSUPも壊れて、時代の空気はそのとき停止したようだ。
あたりまえのきのうと、一夜明けた日の、ご飯のおいしさが同じにあるとはかぎらない。
目の前の夕餉がやっと揃った数日あとに、それを喜べるためには何かが足りないことに気がついた。
そのとき、ユサユサといつもの余震がおこって味噌汁がゆれて、すこしほっとして箸をつけた。
当方は鳴らないタンノイとともに、頼りない陸地のうえに住んでいる。
子供の頃、よく聞かされていた母親の故郷に伝承の、大地震と津波の話であるが
「まず、目の前の海が沖まで引いてね、そのときカラカラカラと石が音を立てて湾の奥に落ちていくんだと」
その子供時代のC先生の授業に、スイスの物理学者が日本にも挨拶に現れて人気が騒がれ
「記念に出版された著書が思いのほか売れて、アインシュタイン氏は首を傾げていたが、『E=mc2』を理解できたのはそのころ日本で3人だけ、といわれているのになあ...」
と話しておられた。
『相対性理論』という漢字の意味を、C先生は小学生に言っても仕方がないと省略したが、純粋な我々日本人は、接吻などという漢字が書物に散見されるだけで興奮する民族でそのころあったと、遠回しに観察されたも同然か。
それなら『性』を除外してもう一度見る漢字の様子が、この相対という二点間の慣性と重力場の距離に地球と月が引き合うとき、潮の満ち引きや地震と関係してくることを、抱擁などの漢字と同列に興奮してみるのも、震災の恐ろしさを知れば、非常時のいまは意味がある。
アインシュタイン氏は、お砂糖をまぶして恐ろしいことを言いに、日本にやって来たのかもしれない。
月も終わりになったころ、やっと配給ガソリンを満タンにできたので、頼まれたわけではないがわずかな荷物を積んで三百キロの沿岸の旅に出発したのは、子供の時に聞かされたあのことがとうとう起きてしまったのかと、何かに背を押されるようでもあった。
もはや世代も替わってかくそくなく、取り込み中の迷惑を承知で陣中に見舞ったところ、家を無くされた人は
「ここに上がって、うどんを食べていきなさい」
とやさしく言い、屋敷の無事であった人は、忙しさを山のようにかかえて不在であった。
廃材のやっと避けられた海と同じ高さの湾岸をいくと、余震でドーンと揺れる交差路に体を張って交通整理の人がおり、大阪○警も東北の沿岸の突端にいた。
呆然とした帰り道、フロントガラスの先に赤光を見て我に返ると、夕暮れの340号線から無数の赤色灯をキラキラさせた光が次第に近づいてくる。
業務を交代する品川ナンバーの白黒車両が、四十八台の隊列にそれぞれ電飾を回転させたムカデのように連なって、対向車線をゴー、ゴーと東京に帰っていくところとすれ違った。
震災直後に見た闇夜に電灯のない黒々とした家並みは、国道四号線に点々とヘッドライトだけが音もなくゆっくりいずこにか通過していたが、それをコルトレーン楽団が有名にした『夜は千の眼を持つ』というテーマを思わせ、フォーメーションの中心にサクスで光っている眼と、夜の星の意味を、初めてひとつ想像することができた。
英国の詩人の書いた、昼は太陽が一つの眼で空から見ていることを、夜は星々がまるで千の眼のように、ささやく言葉の心を見ていると。
LPプレーヤーが直ったとき、タンノイの表現する千の眼を、いずれあたらしく鑑賞してみよう。















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peterson THE TRIO

2011年03月22日 | 巡礼者の記帳
連日のように頻繁に地震がおきていると、レコードにSPUを乗せることはひとつの決心である。
ところがこのあいだ、シカゴのロンドンハウスでオスカー・ピーターソンがライブをしている2曲目の一瞬の静寂に、遠くのカウンターで電話のコールが聞こえるところがレコードのハイライトであるところ、ぴったりその電話の鳴りに合わせて、この日ただ一回の地震がブルブルとやってきたのには、へェ!と思った。
地震にも、ご意向やスイングがあるというのか。
そのとき、Royceの外で赤色灯がクルクルと点滅している。
見ると、黒と白の上下に塗り分けられた業務車両が停車して、公務に従事する二人が円盤のついた棒を持って路上で忙しく立ち働いているではないか。脇道から出て右折しようとロングノーズの先端を伸ばした乗用車の鼻先に、出会いがしらの自転車のご婦人が激しく体当たりを敢行したようである。
救急車が次第に近くなってくるのを聞きながら、むかし、ズボッとRoyceに乗り入れたパトカーから制服の御仁が店内に入って来たことを思い出した。
「きのう矢沢永吉のコンサートに行ってきました。ワインを1本お願いします」
矢沢氏と布袋氏のエレキベースのデュオがハモったかライブの雰囲気をただよわせて楽しそうである。
外の助手席に、相方の御仁が困ったように下を向いて待機していたが、どの世界でも仲間の趣味に理解をもつことはチームの絆で大切だ。
そういえば隣の末広町に、欽ちゃんの相方の二郎さんそっくりの人がいてビールを届けていた頃、めずらしく店の前を通った。
「おでかけですか」声をかけると
「グフッ。いま、宮城からの連絡で、尾行中」
と50メートル先に視線を合わせたまま返事があったのは本当だろうか。からだをヒラメのように斜めに忍び足で、初めて仕事を知ったことだった。
そのとき電話が鳴って、那須の御用邸と同じ標高の赤いジャガーのAB氏の邸宅から、震災の様子を問い合わせるご婦人の声があった。
たしかソプラノ・プリマとうかがったことがある電話のさきの声は、ミッドレンジだけ鳴っているタンノイのように普段の会話の落ち着いた声が意外だ。
マリア・カラスについて職業的レベルのご感想をお尋ねしたところ、たいへん興味深いお答えのあったことが記憶にある、さすがの人である。
ご主人が電話を代わって、那須のオーディオ・ルームを襲った地震の様子をおききすることができた。
以前、写真で見せていただいた新築の部屋のコーネッタの情景をこちらは想像していると、意外にも、マーラーはかってないほど最高に鳴っているが、なぜかジャズがセンターから外れてしまったと申されて、こんどはコンクリートの床にじか張りのオーディオルームをアーチ型の屋根で建設したいと申されている。
窓も大きく取って、ガラスは何ミリの厚さが良いか、これまで所持されているアルテックAー7や、ご近所で鳴っているというJBL4343も考慮され、30畳くらいのプランを楽しく検討されている姿が那須にあった。





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春分

2011年03月20日 | 巡礼者の記帳
春分の日、池大雅は画帳を小脇に旅に出た。
麗らうらと日射しを浴び大坂に向かった小半時、妻女は文机の路銀の忘れ物に気がついて後を追った。
やっと峠の茶店で写生に没頭している大雅に追いついて差し出すと
「や、これはどこのご婦人か存ぜぬが...」
と大雅は礼を言った。
妻女も黙ってそのまま知らぬ顔で家に戻った。
大雅の『十便図』を見ると、なんとなく杉浦茂の漫画が似ている。
そのような小さな発見に戸惑って珈琲を喫していると、杉並のS先生から震災の様子を問う電話をいただいて、いたみ入った。
当方も遠慮しつつ問うと、無事に回復された視力は、なんと1.0と。
おそらく復調のランニングテストは、アルファロメオにピシリ!鞭を入れて首都高速を滑走し、大和インター付近まで遠駆けしたであろうご様子が浮かぶようである。
――あの大型の『ウエストレイク』は、大丈夫でしたか?
当方のタンノイは震災で隊列を乱し、いささか乱調のありさまであるが、杉並区も非常に揺れたのであろうか、地下のオーディオルームの豪華な装置の無事を尋ねた。
「なに、あの形状は重心が安定しているので、問題ありません」
ご先祖が伊達藩というS先生は、かりに壊れてしまっても新しくひとつ多めに買いそろえるような気がする。
電気も水道も回復し、ぼちぼち店内の片付けをすすめていると、高田市が郷里と申される客人が現れて、この御仁はいつも早足で夕刻ROYCEの前を通る謹厳なスーツ姿を覚えているが、今見るご様子はアポロキャップにカジュアルな変身が意外に似合っているではないか。
「きょうはエバンスではなくコルトレーンを聴きたい気分です」
まだ大きな余震を警戒して、四散した本の片付けも途中の当方は、音を出す気分ではないので、しばらくお話を伺った。
聞くと、これまで高校の国語の先生をされていて、このたび定年退職を迎えたところの予期せぬ震災であったらしい。あろうことか郷里を襲ったアンビリバボーなご近況について整然とこれからの考えをのべられるのを聞いた。
これまでのご職業とこれからはチャンネルを変えても、テレビ画面でもすぐ活躍できそうな闊達なご様子が印象的な御仁であったが、このような人をいまあの町は必要としているのではないか。
まだ余震の最中ではあるが、海に向かって、頑丈な家並みが再び整然と立ち並ぶさまを、当方はぜひ見たいものである。
トーレンスのターンテーブルの脇に落ちて地震を再生し、500回以上バウンドした『SPU』の針先が、はたしてどうなっているのかおそろし。






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弥生の空

2011年03月06日 | 巡礼者の記帳
空が 屋根の向こうに あるごとく
一本の木が 広げた手のひらを屋根の向こうに翳して
3月は 静かな青さで たたずんでいる。

P・ヴェルレーヌ氏の言葉を借りて、Royceのそとの風景を見たとき、
エンジンの音がして登場されたのは、『フラゴン』氏であった。
「フラゴンは、コーンの振動が大きいとき、異音がするようになりました、調整が必要です」
個人情報を、事もなげに述べられると、Someday Sweetheartを聴きながらアルテック銀箱の写真をご婦人とながめておられる。
いつも慎重な言葉を選んで概観を述べる御仁につき、最小のキータッチでジャズを語るあの有名な団長よりもさらに少ない言葉の、先にあることを当方はしばらく考えた。
一方、出張から戻られた客人が隣の席にいて、麻布の三つ星の洋館の地下で見たワインセラーのことを子細に話してくださったが、ここのテーブルの前にワインをサービスしなさい、と遠回しに言っておられるのだろうか。
いわゆる、ジョーク。
この時間に摂する、時期外れのBEAUJOLAIS Nouveauが、良い味がしているのがおかしい。









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