760年の再来ともいわれる強烈な地殻変動が押し寄せ当方のSUPも壊れて、時代の空気はそのとき停止したようだ。
あたりまえのきのうと、一夜明けた日の、ご飯のおいしさが同じにあるとはかぎらない。
目の前の夕餉がやっと揃った数日あとに、それを喜べるためには何かが足りないことに気がついた。
そのとき、ユサユサといつもの余震がおこって味噌汁がゆれて、すこしほっとして箸をつけた。
当方は鳴らないタンノイとともに、頼りない陸地のうえに住んでいる。
子供の頃、よく聞かされていた母親の故郷に伝承の、大地震と津波の話であるが
「まず、目の前の海が沖まで引いてね、そのときカラカラカラと石が音を立てて湾の奥に落ちていくんだと」
その子供時代のC先生の授業に、スイスの物理学者が日本にも挨拶に現れて人気が騒がれ
「記念に出版された著書が思いのほか売れて、アインシュタイン氏は首を傾げていたが、『E=mc2』を理解できたのはそのころ日本で3人だけ、といわれているのになあ...」
と話しておられた。
『相対性理論』という漢字の意味を、C先生は小学生に言っても仕方がないと省略したが、純粋な我々日本人は、接吻などという漢字が書物に散見されるだけで興奮する民族でそのころあったと、遠回しに観察されたも同然か。
それなら『性』を除外してもう一度見る漢字の様子が、この相対という二点間の慣性と重力場の距離に地球と月が引き合うとき、潮の満ち引きや地震と関係してくることを、抱擁などの漢字と同列に興奮してみるのも、震災の恐ろしさを知れば、非常時のいまは意味がある。
アインシュタイン氏は、お砂糖をまぶして恐ろしいことを言いに、日本にやって来たのかもしれない。
月も終わりになったころ、やっと配給ガソリンを満タンにできたので、頼まれたわけではないがわずかな荷物を積んで三百キロの沿岸の旅に出発したのは、子供の時に聞かされたあのことがとうとう起きてしまったのかと、何かに背を押されるようでもあった。
もはや世代も替わってかくそくなく、取り込み中の迷惑を承知で陣中に見舞ったところ、家を無くされた人は
「ここに上がって、うどんを食べていきなさい」
とやさしく言い、屋敷の無事であった人は、忙しさを山のようにかかえて不在であった。
廃材のやっと避けられた海と同じ高さの湾岸をいくと、余震でドーンと揺れる交差路に体を張って交通整理の人がおり、大阪○警も東北の沿岸の突端にいた。
呆然とした帰り道、フロントガラスの先に赤光を見て我に返ると、夕暮れの340号線から無数の赤色灯をキラキラさせた光が次第に近づいてくる。
業務を交代する品川ナンバーの白黒車両が、四十八台の隊列にそれぞれ電飾を回転させたムカデのように連なって、対向車線をゴー、ゴーと東京に帰っていくところとすれ違った。
震災直後に見た闇夜に電灯のない黒々とした家並みは、国道四号線に点々とヘッドライトだけが音もなくゆっくりいずこにか通過していたが、それをコルトレーン楽団が有名にした『夜は千の眼を持つ』というテーマを思わせ、フォーメーションの中心にサクスで光っている眼と、夜の星の意味を、初めてひとつ想像することができた。
英国の詩人の書いた、昼は太陽が一つの眼で空から見ていることを、夜は星々がまるで千の眼のように、ささやく言葉の心を見ていると。
LPプレーヤーが直ったとき、タンノイの表現する千の眼を、いずれあたらしく鑑賞してみよう。
あたりまえのきのうと、一夜明けた日の、ご飯のおいしさが同じにあるとはかぎらない。
目の前の夕餉がやっと揃った数日あとに、それを喜べるためには何かが足りないことに気がついた。
そのとき、ユサユサといつもの余震がおこって味噌汁がゆれて、すこしほっとして箸をつけた。
当方は鳴らないタンノイとともに、頼りない陸地のうえに住んでいる。
子供の頃、よく聞かされていた母親の故郷に伝承の、大地震と津波の話であるが
「まず、目の前の海が沖まで引いてね、そのときカラカラカラと石が音を立てて湾の奥に落ちていくんだと」
その子供時代のC先生の授業に、スイスの物理学者が日本にも挨拶に現れて人気が騒がれ
「記念に出版された著書が思いのほか売れて、アインシュタイン氏は首を傾げていたが、『E=mc2』を理解できたのはそのころ日本で3人だけ、といわれているのになあ...」
と話しておられた。
『相対性理論』という漢字の意味を、C先生は小学生に言っても仕方がないと省略したが、純粋な我々日本人は、接吻などという漢字が書物に散見されるだけで興奮する民族でそのころあったと、遠回しに観察されたも同然か。
それなら『性』を除外してもう一度見る漢字の様子が、この相対という二点間の慣性と重力場の距離に地球と月が引き合うとき、潮の満ち引きや地震と関係してくることを、抱擁などの漢字と同列に興奮してみるのも、震災の恐ろしさを知れば、非常時のいまは意味がある。
アインシュタイン氏は、お砂糖をまぶして恐ろしいことを言いに、日本にやって来たのかもしれない。
月も終わりになったころ、やっと配給ガソリンを満タンにできたので、頼まれたわけではないがわずかな荷物を積んで三百キロの沿岸の旅に出発したのは、子供の時に聞かされたあのことがとうとう起きてしまったのかと、何かに背を押されるようでもあった。
もはや世代も替わってかくそくなく、取り込み中の迷惑を承知で陣中に見舞ったところ、家を無くされた人は
「ここに上がって、うどんを食べていきなさい」
とやさしく言い、屋敷の無事であった人は、忙しさを山のようにかかえて不在であった。
廃材のやっと避けられた海と同じ高さの湾岸をいくと、余震でドーンと揺れる交差路に体を張って交通整理の人がおり、大阪○警も東北の沿岸の突端にいた。
呆然とした帰り道、フロントガラスの先に赤光を見て我に返ると、夕暮れの340号線から無数の赤色灯をキラキラさせた光が次第に近づいてくる。
業務を交代する品川ナンバーの白黒車両が、四十八台の隊列にそれぞれ電飾を回転させたムカデのように連なって、対向車線をゴー、ゴーと東京に帰っていくところとすれ違った。
震災直後に見た闇夜に電灯のない黒々とした家並みは、国道四号線に点々とヘッドライトだけが音もなくゆっくりいずこにか通過していたが、それをコルトレーン楽団が有名にした『夜は千の眼を持つ』というテーマを思わせ、フォーメーションの中心にサクスで光っている眼と、夜の星の意味を、初めてひとつ想像することができた。
英国の詩人の書いた、昼は太陽が一つの眼で空から見ていることを、夜は星々がまるで千の眼のように、ささやく言葉の心を見ていると。
LPプレーヤーが直ったとき、タンノイの表現する千の眼を、いずれあたらしく鑑賞してみよう。