ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

続 方丈庵 3

2006年06月27日 | 徒然の記
都心から郊外に向かって県境の民家の途絶えた土手の上に、窓の一つ空いたその2畳ばかりの簡素な庵はある。
いつも見ているものの、何のための庵かわからなかったそこに、或る夕刻、大きく人影が揺らめいて、これか!と納得した。
窓際の裸電球1個の明かりで、背後の壁に映った黒い影が2拍子のリズムで一緒に踊っている。
それは『ノコギリの目立て』をする仕事であった。
新聞紙にくるまれたノコギリが、粗末な板壁に添って何本も並んでいる。
ここは、大工職人を相手の、ノコギリの目立て工房なのか。
刃を上に向けたノコギリの目にヤスリを当て、何の躊躇もなくビューッ!ビューッ!と両腕で押し切ってゆく。尖った金属の一点にすべてを集中させて、厚いレンズのメガネをかけた男は一心不乱だ。
昨日も今日も明日も、延々とノコギリの刃を引く。その庵の空間に、ニューヨークダウ平均も、シシカバブもヘンリー・ミラーも無く、単調だが力強い無心の時間が流れている。
道路に面した一方に大きな窓をつけてあるのは、浅草の露店がみな街路に面しているように、庵主の外に開いた気分を表しているのであろうか。たまにランボルギーニも通る、歩道のない道路に。
ここに、むかしオヤジが使っていた古いノコギリを持ち込んでみたいものだ...。
「このノコギリを、お願いします」
「..........」
モンテイbとシェリーマンdを窓の外において、ちょっとジャズをやってみたら、どんな2拍子?
ヤスリの音に合わせてスイングできるのはクリフォード・ジョーダンかな。

秋近き 心の寄るや 四畳半 (芭蕉)



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続 方丈庵 2

2006年06月17日 | レコードのお話
ROYCE冊子に載った写真の1枚にMS氏のLPコレクションがある。
先日お見えになって、続きのお話を聞くことが出来た。
「コレクションは何枚集めても、けっきょく2.3百枚で事足りるのではないでしょうか」
たまりにたまって、あるとき決心されてダンボールに箱詰めにし業者に送った。そのときより分けた箱の一つもうっかり発送グループに紛れたことに気が付くのが遅く、それは業者にかけあっても2度と戻らなかった。
そのなかにビル・エバンス【INTERPLAY】のオリジナル盤も入っていた。
さっそくタンノイでフレディ・ハバードt、ジムホールg、フィリー・ジョーd、パーシー・ヒースbが織り成すめずらしい顔ぶれのセッションを聴いてみた。
このオリジナル版を失ったのは心穏やかでない。
いまだにぽっかり空いている隙間は、話題のオリジナル盤蒐集家のMK氏に探していただくのがよろしい。

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デッカの客

2006年06月14日 | 巡礼者の記帳
それは痩身の、シャツの襟にスカーフを少しのぞかせたダンディな客であった。
カートリッジは「デッカ」と申されて、翌週もまた、御自分の装置との音の違いを解き明かそうとタンノイの音像を注意深く観察されている。
三度目になる時は『マタイ受難曲』の録音の違うものを二つ持ち込まれて、当方のマタイ受難曲といろいろ聴き比べられて、音の秘密に興味を持たれていた。
マタイの全曲は約三時間の大曲で、当方はアリアとコラールの有名どころを、バッハには畏れながら摘み聴きするていどで、教会堂の壮大な合唱はタンノイロイヤルに、はまり役である。
「デッカの客」は金田アンプのことを少々口にされて「最近はCDばかり聴いていましたが、LPもやはり良いですね」と、押し入れの奥からいろいろ取り出されてお聴きになられたそうであるが、そこまでこだわるお客のこしかたに、深いオーディオの歴史があるのかもしれない。

☆大石内蔵助が江戸入りのまえにしばらく逗留した川崎の平間村に現在知人が住んでいるが、ひょっこり便りがあって、そこで聴かされた「ハイドンの時計」を思い出した。
☆クマさんからヨットレースに使うライカ双眼鏡について問い合わせの電話があった。
☆ROYCEのカートリッジは写真のSPU-AE。ホールドピンが下に付いていて、オーバーハングの合致したアームは下側にスリットが切ってある。SPU-Gのピンが上にあるのは同じ理由で、誤った装着を防ぐため。上下にスリットが切って有るのは便利であるものの、強度に疑問がある?

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トロンボーン奏者は道奥へ

2006年06月10日 | 巡礼者の記帳

月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。
梅雨入りも近い道奥に分け入って、東北道を新車で駆け登った水戸のタンノイ氏は週末ROYCEに居た。トロンボーン奏者でもあるこの御仁に尋ねた。
「ブラームスの曲にどうしてフランス人は違和感をもつのですか?」
「それはフランス人にとって、たぶん曲がマジメで田舎くさいからです」
最初は小さく笑い、たまらずハッハ。ブラームスを気に入って人後に落ちない当方、自分と同時に池袋のB氏を思い出したのが本当に申し訳ない。
「調べれば解りますが、マーラー好きでブルックナー好きはほとんどいません」
「マーラーは誕生が交響曲一番で、人生の終焉が十番ですから、十番の演奏の時は、われわれトロンボーンは途中から出番が無くなって、次第にコト切れるのをじっと下を向いて待つしかないのですよ、どんどん終わりにむかって演奏が進行して行くのを...」
穏やかなこの方の、その場の様子が浮かんだ。
「ブルックナーは、教会オルガンのオーケストラ版ですから、再生装置が立派なほど作品は引き立ちますが、中身はからっぽだと言う人もいます。マニアックなフアンもおりますが」
ブルックナー開始や、ブルックナー休止、なにかと個性的なブルックナーはジャズ好きも多い。
学生の頃、某所で聴かされたタンノイの音が耳に残って、今ではオートグラフを所有される水戸のタンノイ氏。どうやらターンテーブルが寿命なのでガラードにするか、新型にするか迷われている。
トーレンスの226は良いですよ。ロングアームの低域は格別ですよ、とささやいた。
隣町にSPレコードを聴く会というのができるそうで、ちょっと参加してみましょうかね、と申されつつ「では8月にまた」と予告されて車上の人となった。


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JBL・スラントプレート・トリオ

2006年06月09日 | 巡礼者の記帳

ロシア5人組といえばボロデイン、コルサコフ、キュイ、ムソルグスキー、バラキレフ。
江青、張春橋、姚文元、王洪文は中国文革4人組。ダーウイン、マルクス、フロイトは思想3人組。ヘーッと驚くであろうが、人はくくられている。
広小路の交差点で先刻お見かけして、むむっと思ったが、ROYCEにBMWでにゅっと登場された3人の客は、いつもご一緒の顔ぶれで仲がよい。盛岡、一関、仙台に居を構え、装置は『川向うのB』と同じスラントプレート音響レンズの付いたあのJBLのマルチシステムであるそうだ。
「前段のKT-88はそのGECも良いですが、もっと良い球がありますのでお試しになられては」と教えてくださった。御三方のJBL装置は、板の材質までそれぞれ微妙に違って、門外漢には同じようにきこえても相当違うと申されている。
そこにロイヤル所有のTMR氏が登場されて、これでJBL対タンノイが3対2になった。かといって、何かが生じるわけではないけれど、それぞれの装置を一堂に集めた壮観を脳裏に浮かべて、驚く。そういえばあるとき、アルテックA-7のお客が偶然三人揃ってイスにかけた時があり、知っているのは当方だけで、興奮したが黙っていた。
TMR氏は845PPのアンプに繋ぐマランツ#7を射程に入れつつ、困惑を隠せない。
すでに製造が終了して何十年も経つビンテージで、音の個体差が激しいのは有名だ。部品の交換など、アンプは、はたしていまでもマランツ#7の音なのか。いったい人は事前にどのように確かめるのか。
「購入の後に、あー、あのところはこうなんです....とここではあとから新事実が明かされるんですよ」まだまだ言い足りなかったのか。

☆ワールドカップの警備員は、なんとサッカーを見ないで観客を見ている。
☆前回のワールドカップのとき、試合最中、グランドの端で祈祷師が呪いをかけていると騒ぎ出した国があった。



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自由が丘

2006年06月08日 | 諸子百家
自由が丘の古書店を三軒廻ってようやくホームに昇ると、ロータリーを見おろす人の視線が妙でその先を辿った。
夕刻の街路に、動作の不思議な一人の男を三人の女性が遠巻きに見ていた。
普段着の男はまったく無表情で、操り人形のような動作を次々変容させてゆく。パントマイム。
通行人がまた一人二人立ち止まって静かにそれをながめている。そして突然それは止んで、ふっと生き返ったかのように男は、傍らの自転車を引き寄せて跨るとゆっくり商店街の闇に消えた。
それを聞いた関が丘の某氏「その自由が丘で、いソノてルヲ氏の経営していた『ファイブ・スポット』に行き、鈴木勲のライブを聞いたことがありました」

☆碧巖録は神保町三教書院昭和十四年発行。易経は木版刷り?。
☆ウサギの「フーちゃん」というのが廊下で暮らしている。これがパントマイムの名手。

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ジャギュア

2006年06月06日 | 巡礼者の記帳
ジャギュア。
ジャガーはジョンブル気質の片鱗が乗り心地にもあるというがそれはどんなものだろう。
昔、ダブリュ・オー・セブンの第一作で、海から上がってアクアラングを外したコネリーが、フォーマルスーツの裾をピッと引いて歩き出すシーンで、ドッと笑いの湧いたのが英国試写会だ。
そういえば、T・S先生に伴われてロンドンから80歳の矍鑠たるジョンブルがROYCEにみえたことがあった。
なにが気に入らないのかニコリともせず、タンノイを見て「どこの国のスピーカーか?」ときいてくる。ロイヤルを自分の国では見たことが無いという。そして「リクエストは」とたずねたところ「ヴェルディ」と一言ご所望。
お帰りになるとき秘書に「また来てください」とドアの所で通訳させるとゴニョゴニョと彼は靴のひもを結びながら何かを言った。
「なんて言っているの」たずねると、この(高齢の)おれにまた来いってか、と言ったそうで、諧謔もジョンブルかたぎなのか。
ジャガーに乗ってウエストミンスターの客、四谷からおみえになった人は、諧謔とは縁のない快活な紳士である。

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ウエストミンスターの客【4】

2006年06月05日 | 巡礼者の記帳

タンノイ、コーネッタの話題が出て楽しみにしていたところ、それはついに完成され、写真を見せてくださった。
これがコーネッタか。
オート・グラフは音道三メートル?のバックロード・ホーンが内部に工作されてあり、コーネッタはバスレフタイプであるとはいうものの、普通の部屋でオートグラフを聴きたいという熱望をあっさり叶えたのがⅢLZのオートグラフ、コーネッタである。
ⅢLZの10インチユニットをコーネッタに収めるとこうなるのか、タンノイにはぜひともフロント・ホーンがほしいと、望みのかなったコーネッタ。
思ったより大きくて奥行きも深い、堂々たるものであった。
良く見えるように、ちょっと向きを変えてもらいました。

☆ガス屋さんがメーターの交換に来た。ヨーロッパのメータ器は派手でしゃれている。そこで当方はブルーに塗ったのだが、気が付いた職員が飛んできたっけ。



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ウエストミンスターの客【3】

2006年06月04日 | 巡礼者の記帳
幾つも部屋が有るとはお聞きしていたが、この天上の高い部屋で鳴らす音はどのようなものか。スピーカーは五セットあるので、どの装置で聴こうかと、一瞬考えねばならないその贅沢。
「2A3のアンプが、これがなかなか良いですね。球はRCAです」と、淡々と申されるこの方のこれまでの遍歴にマイスターの称号を奉る。
「その、写真の端に写っている衝立はコンデンサースピーカーではありませんか」と、音が気になってたずねると、
「ああ、それ、鳴らしたことないですね、そういえば」
こんど八王子の某アンプメーカーの音を聴きに訪ねたいと申されながら、ラジオ深夜便の佐久間さんの出演のことを思い出しておられた。
ところで、シロネ・システムというJBLの特注セットが世に存在するらしいが、どのような音なのであろうか。


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2006年06月03日 | 徒然の記
「いま見えただろ。羽根の下の青いやつ。あれが松風毛だよ」
ふーん、と空を横切る鳩の胴体を見上げてなんとなく解ったような気がした。子供の時、先輩の鳩の飼い主に「まつかぜけ」とは何か?と尋ねたのである。六.七羽の鳩がグルグル、高く低く旋回していた。
後年になって、それは『松風系』と言って、日本有数の鳩の品種の呼称であるとわかった。「アントワープ系」などと同じである。東欧に「鳩主はアゴの下が陽に焼ける」という揶揄したフレーズがあるが、このあいだ毛越寺の傍の道を通ったとき傷ついた鳩を見かけて、大人しく捕まってくれたので家に持ち帰りダンボールの箱で回復させた。妙な足輪が二つ付いていたので、レース中に鷹に襲われたのかもしれない。
回復した頃、堤防に持っていって放すと、一度物凄い速さで旋回してから、あっというまに消えた。そのときしばらく空を見上げていて、二か月も飼った一瞬の結末に呆然と、アゴの下を久しぶりに陽に焼いたのであった。
鳩は、電話のない頃、貴重な通信手段で、中世の城郭には鳩小屋がある。寝るところと、食事の場所を分けて、あるいはつがいの一方を残し帰巣本能を利用した。地面に降りて啄む鳩はアウトで、寄り道せず一気に巣まで飛翔してこそ鳩である。十五羽飼った鳩が、地面に降りたりすると、子供心にガックリきた。
いまではどうでもよいが、一直線に消えた鳩は流石だ。

☆なんのアンプを使っています?とたずねると「えーっと、レシーバーです」と答えた客は宮城の某ジャズ喫茶のマスターであったらしい。そうと確定したのは二か月後。
☆昨日で四度目になる客も、「ルイ・ベルソンが.....」などとぽろっと言いながら、「明日、水沢のハーフ・ノートに寄ってきます」と申されていた怪しい客だ。
☆タンノイでジャズを聴く。これがどういったらいいのか、松風けのように、見えるものではないところが奥深い。


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霜後の滝へ

2006年06月02日 | 旅の話

「霜後の滝を見に行きませんか」U氏にさそわれて、いかにもふさわしい奇岩美景を想像していた。ところが、ROYCEから車で南に25分、萩の荘に着いてみると目の前にひろがるなんのへんてつもない野原と林で、どこに滝が?と眼が泳いだ。上流の「厳美渓」と比べるべくも無い。
立札の蘊蓄が良い。いにしえの昔、平泉の基衡や伊達藩侯がここまで遠征陣立てし、天幕をめぐらしてしばし宴に興じたと書かれてある。首をひねりつつ紫花の群生した道沿いに歩むと、小さな川の先がにわかに裂け窪んで、たしかに規模は小さいが瀑布といえなくもない。滝壺まで降りてみるとはじめてその岩壁のそそり立ったスケールが実感できた。水量の増す大雨の後を想像しながら水神の祠に手を合わせて一句詠む。

霧立ちぬ 霜後の磐を 虹の川
野守りは見ずや 君が袖振る 

そう、いつもの無理やり本歌取り、当方の知らない風水地形の秘密や深い謂れがあるのかもしれない。和風アバンチュールには目立ちすぎるが、風雪を経たそうとうな歌枕である。ラジカセでジャズは似合わず、ロリンズが滝壺でサクスを練習しました、といういわれがあれば。

☆「霧立ちぬ」は「さ霧立つ」が万葉調で勢いがよいけれど、ただそれだけである。
☆安全ベルトの未装着でアウトになったことを、ミルキーの社長がいまだに申されているのはお気の毒だ。当方も、深夜3時に目覚ましをかけて流星雨を見に行って献金してしまった。
☆流れ星が見えている間に三度唱えると願いがかなうらしい。しし座流星雨のときには「一億、一億」と物干し台で五回も唱えるほど火柱が走ったので驚いた。
☆眼のふちの痣を当方は見逃さなかった。「ハイ、荷物を持ったまま、トラックの荷台から真っ逆さま」彼はうっかり踏み外したが客の荷物を手放せなかった。顔から落ちで大事なメガネは飛んだが、荷物は異常なしとのこと。
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方丈庵1

2006年06月01日 | 巡礼者の記帳
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。

『方丈記』の書かれたという4畳半の庵の復元建築が、一関を北に30キロの江刺藤原の里にある。
ところで、このたび東京洗足のアパートを引き払うとき撮影されたという、無造作な中にも秩序立った人生をうかがわせる記念写真を、さるお客が「どうぞ」と提供してくださった。スピーカーのメーカーを聞き漏らしてしまったのが失態だった。(年齢50代前半と推定される御仁)
「行きつけの小料理屋さんでこのような名刺を隣りの人から貰いました」
どれどれ、と拝見。
かの「菅江真澄」が天明六年に平泉に訪れ当家に十六日間当宿したと裏に書かれて有るではないか。すると遊覧記にその記述あるのだろうか。おもしろい。






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