国道342を登って須川岳を越えるとき、本州を馬の背のように通る一本の分水嶺と交差する。
その分水嶺に立つと、太平洋側の領地を一関藩、日本海側が佐竹藩であると、皆いまも心得ているのがおもしろい。
富士はどこから見ても富士であるが、この地の須川岳はそうではない。分水嶺を越えた佐竹藩では『大日岳』と呼ばねばならず、伊達藩から見るとき、この山を『栗駒山』と称して、それが歴史というものか。
長老写真家が或る時訪ねてきて、大事そうに鞄から取り出した須川岳をめぐる数葉のスチール写真のなかに、気になる風景が写っていた。
山頂から、僅かに佐竹藩に入って横たわっているみずうみを撮影したものであったが、火山湖のためか魚も棲まない透明な水面をひろげて、春夏秋冬をただ日の光にひっそりとうたた寝ているという。
これはぜひ一度、登攀してみなければ。
さいわい、クルマで行けるときいて、或る時当方はハンドルを刀の柄のように握りしめ、分水嶺を越えて佐竹藩に入った。
舗装された道を進むと、検問も番所もなく、秋田おばこの姿もなく、隠れるように湖はあった。
駐車場から森の小径をたどって歩くと、清潔に管理されたキャンプの設備があって、山小屋が幾つも並んでいるが、塵一つ無い。
カセット・ラジオからスタンリー・タレンタインとそのメンバーが聞こえてきたが、タンノイでもJBLでもない、不思議な音がここでは鳴っていた。神秘の静けさを湛えた湖は、何を演奏してもただ吸いこまれていくかのような雰囲気があって、笙や篳篥で奏でる底なしのジャズである。
夕刻、仙台の帰りと申される人物が登場し、アート・ペッパーの『Meets The Rhythm Section』(R・ガーランドp、P・チェンバースb、H・J・ジョーンズds1957年LA録音)と77年の『VILLAGE VANGUARD LIVE』(G・ケイブルスp、G・ムラーツb、E・ジョーンズd)を鳴らしたが、お客の希望はその間にあった時間を聴こうという試みである。
演奏と演奏の間に横たわったA・ペッパーの20年を推量するのもまたジャズである。
その分水嶺に立つと、太平洋側の領地を一関藩、日本海側が佐竹藩であると、皆いまも心得ているのがおもしろい。
富士はどこから見ても富士であるが、この地の須川岳はそうではない。分水嶺を越えた佐竹藩では『大日岳』と呼ばねばならず、伊達藩から見るとき、この山を『栗駒山』と称して、それが歴史というものか。
長老写真家が或る時訪ねてきて、大事そうに鞄から取り出した須川岳をめぐる数葉のスチール写真のなかに、気になる風景が写っていた。
山頂から、僅かに佐竹藩に入って横たわっているみずうみを撮影したものであったが、火山湖のためか魚も棲まない透明な水面をひろげて、春夏秋冬をただ日の光にひっそりとうたた寝ているという。
これはぜひ一度、登攀してみなければ。
さいわい、クルマで行けるときいて、或る時当方はハンドルを刀の柄のように握りしめ、分水嶺を越えて佐竹藩に入った。
舗装された道を進むと、検問も番所もなく、秋田おばこの姿もなく、隠れるように湖はあった。
駐車場から森の小径をたどって歩くと、清潔に管理されたキャンプの設備があって、山小屋が幾つも並んでいるが、塵一つ無い。
カセット・ラジオからスタンリー・タレンタインとそのメンバーが聞こえてきたが、タンノイでもJBLでもない、不思議な音がここでは鳴っていた。神秘の静けさを湛えた湖は、何を演奏してもただ吸いこまれていくかのような雰囲気があって、笙や篳篥で奏でる底なしのジャズである。
夕刻、仙台の帰りと申される人物が登場し、アート・ペッパーの『Meets The Rhythm Section』(R・ガーランドp、P・チェンバースb、H・J・ジョーンズds1957年LA録音)と77年の『VILLAGE VANGUARD LIVE』(G・ケイブルスp、G・ムラーツb、E・ジョーンズd)を鳴らしたが、お客の希望はその間にあった時間を聴こうという試みである。
演奏と演奏の間に横たわったA・ペッパーの20年を推量するのもまたジャズである。