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ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

MJQの大運河

2012年11月28日 | 巡礼者の記帳
あるときベネチァの運河の橋の狭い街路のショーウインドゥで『カメオ』を1個、買った。
フランソワーズ・アルヌールに似ていたので。
それからローマに向かうバスの中で、ガイドがなにか言っているのを聞いた。
「良く仕上がった自信作のカメオは、裏側に職人のサインが彫ってあります」
そっと包みを開けて裏返して見るのは人情だが、膝の上のそれにサインは無い・・・
やがて到着したコロッセオの広場対面の、カメオ工場見学はコースになっていたようだ。ガイドの話は、前振りだったのか。
ずらりと作業台に並んで貝にノミを動かしている、端の職人は、経験が新しいようにみえて未来はマエストロである。
「むにゃむにゃ」と話しかけると、ローマの職人は、ベネチァのカメオにあっさりサインを彫ってくださった。
それでいまも母屋のカメオには、燦然とローマ人のサインがある。
この晩秋、めずらしく関が丘の哲人が登場した。
ご自宅の初期のパソコンに特殊なプログラムを読み込ませるのに成功した話を言いつつ、シルクロードの背景音楽のLPを、「いま途中で500円でした」と見せてくださった。
珈琲を淹れているとそこに、きりりという眉をしてタンノイを自宅で鳴らしているという客が入ってきた。
当方のタンノイについて、十年来聴取の哲人であり若干の解説をしてくださるところが、いやがうえにも江戸時代の芝居小屋のようで完璧である。
気立ての良い雰囲気の御婦人は、窓際のほうに席をとり、男性とタンノイの対峙を見ていた。
もし、タンノイの音にカメオのような自信作があれば、サインもあるのか?
タンノイのスピーカーには、その名も『オート・グラフ』(署名)という空前絶後のスピーカーが存在し、それが五味康祐さんが鳴らしていたものである。
五味さんは、Modern Jazz Quartetの大運河を聴いてはいないのが惜しい。






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新潟のタンノイ氏

2012年11月25日 | 巡礼者の記帳
母屋で昼食のあとは、廊下のウサギにあいさつして、活字を眺めていると眠くなる。
これがシェスタである。
そのとき誰か、店に入ってきた。
あなたは誰かな?きょうはやってません。
「ええッ、毎年来ているではありませんか」
そうであったとは失礼。新潟のタンノイの御仁である。
――おや、外のあれは、どの社のクルマですか。
「なにほどのこともありません。日本製です」
すばらしい。

これから聴くのは
BILL EVANSのイタリア音源には、69年7月のワルツ・フォー・デビィも演奏が残っている。
THE COMPLETE RIVERSIDE RECORDINGS18枚組レコードにも収録されていない、ヨーロッパツアーの放送用録音でラジオ放送されたものである。
観客が、だいぶ騒がしいし、列車の通過音まで聞え、それは地下鉄ではない。




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ヴェローナ

2012年11月23日 | 旅の話
あるとき、ヴェローナにおりた。
石畳の広場の右手にローマのコロッセオのような闘技場があり、ちょうどオペラ公演のための舞台セットを遠目に見ながら中世の石建築の街路をいくと、街は南のナポリと違ってクールであるが、まだじゅうぶんデカメロンの物語の雰囲気にある。
イタリア独特の、馬の尻毛で装飾したバッグや観光客のための商品満載の商店街とは別に、路上にリヤカーでイタリアン・グッズを並べた老人が、傍で昼寝をしていた。
10センチサイズの人形がいくつも棒に結わえてあり、フアッションが手縫いでイタリアンだ。
シェスタ最中のおじいさんを揺り起こし、商売モードにならない老人はぼんやり「何個、欲しいんだ」と言っている。
「ぜんぶ、おねがいします」
おじいさんは嬉しそうでもなく、また仕入れるのが面倒なのか、やれやれといった感じで袋に入れてくれた。
大挙してやってくる日本人が、観光客かバイヤーかわからない時代もあったので、押し寄せるものを観察すればデカメロンの人たち同様に見えたか。
最近流行の、当方もシェスタの最中に卓上の電話が鳴った。
秋田から先日そちらに寄ったものであるが、タンノイの音が非常に良かった、と申されている。
そのお宅で聴いているスピーカーは『ディナウディオ』であると。
――おや、現代気鋭のものですね。
「先日、販売店に立ち寄って、なにかとてもよい音がしているのを聴いて、買ってしまいました」
開発者や経営陣のことを当方は一瞬思い出したが、高尚な方々である。
――ちなみに、?。
「百万両ほどでしたよ」
近所にパイオニアの『P-3』プレーヤーを手放す人がいるが、手に入れた方がよいか、とかさねてお尋ねで、目が覚めた。






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343号線に秋のヘンデルを聴く

2012年11月18日 | 巡礼者の記帳
だいぶ以前の記憶の御二人の客は、路上の枯葉を踏んで現れて、たしかオーディオを百セット買換えて真相を聴いた剛の者と目される人である。
だが、意外なことを話しているのをSOFIA CHAMBER ORCHESTRAの背後に聞いた。
「いちど手放したものを、再び迎え入れることがあるとは考えもしませんでしたが、けっきょく、コーナーヨークをいま聴いているのです」
つまり、タンノイモニターゴールド15を、御室に再び迎え入れていると申されている。
もう一方の寡黙で柔和な御仁は、ウイーンのフェラインザール正面に住まわれてオーケストラ音楽に密着充満した生活をおくられたことを聞き、薩摩治郎八を一瞬思い浮かべたが、いま日本にいて、きのうのようにウイーンを回想するオーディオ装置とはいかなるものか、ぜひうかがうことにした。
当方の問いにあっさりと、それはまるで融通無碍に答えがあった。
「アルテックのマグニフィセントを聴いていますが、中身のユニットはいろいろ変遷して、もはやA-7ではありません」
マグニフィセントの中身は、A-7の上下が逆に装填された応接間仕様で、ウーファー416-8B、中高域にはドライバー802-8Gとセクトラルホーン511Bにタンジェリンという蜜柑断面の拡散盤が填めた通常のタイプとは、もはや別物になっているご様子である。
そのとき宮沢明子のショパン・マズルカが鳴り止んだので、レコードを交換しなければならない当方の通常業務に立った。
それまで音楽の思い出を話しオーケストラを楽しんでいた御仁だが、急にイスから立ちバックヤードを振り返り、当方が手に持つジャケットを見て言った。
「1958年マイルスですね。これから4時に仙台に戻りますので、ではそれを聴いて・・・」
腰の正宗がパチンと鍔鳴った、クラシック一辺倒のイメージを御仁はあっさり払拭して着席した。
昨日久しぶりにおだやかな時速で散策した秋の343号線は、いたるところ紅葉の林が色を重ね、遠近の山並みがヘンデルのコンチェルト・グロッソのように美しい。
パルミュラのようであった高田の通りは、計画的に地面をかさ上げする工事が始まり、大船渡は新しい店舗が次々開業して、なにやら遠くでなつかしい街宣車の声が聞こえる。





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謎の古代獣

2012年11月04日 | 歴史の革袋
一関大橋から10キロの南に来て、ゾーリンゲンでサクッとリンゴを剝きながら、金流川の河川敷を眺めて風の音を聴く。
東北山脈の麓から湧いた水は有馬川と金流川に二筋、一関の南『花泉』を流れて北上川に注いでいる。
昭和のはじめ、川岸で古代獣の骨化石が大量に発見されたという花泉の金森遺跡がここにある。
金流川とは、文字どうり砂金が流れていた川で黄金の川エルドラドであったが、いまは枯渇したらしく、誰も採取している姿はない。
有壁本陣の傍を流れ下る有馬川と、さらに南を流れる開けた田畑の丘陵なだらかなところに、大きな標識と案内板が立ち、目の前に広がる風景が、2万年前の旧石器時代もそのままそこにあった。
付近で稲作用水の溜池を掘っているとき、穴の中からぞくぞくと現れた古代獣骨は、バイソンのような現代の牛の2倍サイズの動物骨で、それまで発見種がなく『ハナイズミモリウシ』と名がついた。
この大量の骨を分類していると、なかから見つかった、よく切れるように研磨された骨スクレイパーをみて、世界の狩猟場に見られると同じ石器人の遺跡ではないかと推察されている。
年代測定による2万年前の氷河期は、ベーリング海を歩いて渡ってきた古代獣がここにも暮らしていた風景を、ぜひ兵馬俑坑のような穴を覗いては周囲を眺めながら、桜の下の茶店でのんびりしたいものである。
そのあと、同じ花泉にある『牡丹園』という花の公園に立ち寄ると、入り口にさまざまの盆栽が売られて、色調の可憐なバラの鉢木が一個あったのが忘れられない。
それを聞いた花泉の人が、業務の帰りにトラックを店の前に停めて言った。
「庭園造作中の人が、これは要らないというので、バラではありませんが、よかったらどうぞ」
小ぶりな皐月や躑躅の株を、さっそくいくつか荷台から降ろし、庭のあちこち植えて楽しんだ。
古代人も狩の肉を、このように振舞っていたのだろうか。
先日、仏像の金箔修繕を職業にする客人が婦人と登場されて、タンノイを聴きながら、「むかしは、2トラックのデッキを担いで仙台までライブ録音に行ったものです」
というお話を聞いた。
この御仁は、マイクロ精機の糸ドライブにJBLでコレクションしたレコードを、いまではほとんど処分してしまったという。もったいない。
――何枚かレコードを残しましたか?
「ええ、100枚ほど、残してあるとおもいます」
ケニー・バレルを伴奏に、傍でご婦人が過ぎた日を思い出し、おだやかにほほえんでいる。





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秋の古都

2012年11月01日 | 巡礼者の記帳
11月になると、風の冷たい古都は静かに月見坂の紅葉が輝いている。
この月見坂には例年5月におこなわれる、義経が弁慶たちと平泉に落ち延びたシーンを歴史絵巻に再現した行列は、沿道の観光客の感動的に賑わう藤原祭であるが、いまはまぼろしのように静まり返っている。
どこからあれほどの人が集まったか、つかのまに、祭の行列はアッピア街道のローマの祭のように行進し、体格の優れた駿馬のなかにはダダをこねて行列から抜けようとする馬もいて、騒ぎが祭を盛り上げるのがいっそう素晴らしかった。
芭蕉も、現代に居合わせれば、このときばかりは行き交う旅人の多さに驚いて、違った俳句を詠んだか。
同じ5月に、京都御所を出る葵祭りの牛は、牛車を引いて8キロを賀茂川路にそって上鴨神社へと行進するが、この賑わいも年の暮れに行ってみたら、誰も居なかった。
葵祭りに行列の出発する御所は、歴史的に紫式部や清少納言の勤務していた建物である。
源氏物語の「雨夜の品定め」には、雨の夜に宿直の衆がふと思い出を回想するくだりが千年の昔をいまに伝えて、意外に深刻な内容に驚かされる。
「石上私淑言で宣長は、見る物、きく事、なすわざにふれて、情の深く感じることを阿波礼と言うなりと。小林秀雄はこの心の動きを「思うに任せる時は心は外に向かい内を省みることは無いが、心にかなわぬ筋の時は心は内の心を見ようと促される。これを意識という。宣長のあわれ論は感情論であるというよりは認識論とでも呼べるような色合いを帯びている」と松岡正剛の千夜千冊にあって、森鴎外、夏目漱石は源氏物語を完全に無視して感想の記録が残っていないそうである。これはこれで意外に雄弁だと思う。
この静かな秋に、長野県から男女の客が北の八百年の古都を訪ねて、ベンツのカブリオレで登場した。
いなせな御仁は視線を水平よりややうえに向け、6時間走ってきたが車のクッションが硬いと言い、きょうは市内に宿泊して、あしたは『平泉』に落葉を踏みに行く、と。






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