ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

有害レコード

2010年04月23日 | 巡礼者の記帳
有害な図書と指定する、健全育成条例のあることは、知っている。
発禁本とか焚書と称されて『チャタレイ夫人』や『ライ麦畑』も意外に名の挙がった永い歴史に、『北回帰線』の著者を知人の姉がエッチ・ミラーと言っていた意味もわかった。
では、ジャズのレコードで、有害指定はあるのか。
有害レコードを1枚考えておくということも、それは意味がある。
誰でも、1枚くらいある。
そのような夕刻お見えになった静岡焼津のライブ・クラブのオーナーは、アポロ・キャップを目深にして
「うちでは、コルトレーンは、ぜったいかけません」
えっ?_
「だって、そうでしょう」
えっ?...そうか、神様はいなくなったのか。そういうことではないかもしれないが、深く尋ねることは、タンノイから流れるモンテイやテディが遮っている。
この御仁は、面白いことをこちらに発して一瞬だけニコッと笑うと、もとの不機嫌な表情にパッと戻るのが神業だ。これとまったくそっくりの映画監督、大島渚を思いだした。
客の来ない休日は、マグロを相手に沖で映画を撮っているのか。
お帰りの時、名刺をいただいたが、「オレの」とでもいうように金髪女性の顔が御自分の代わりに堂々と刷られてあった。
本人と見比べていると「ノーマ・ジーン。モンローです」と、こともなげに、オレのコレだからとでも言うように。

☆叔母の古いボストンバックから出てきた万年筆。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小林秀雄の「モオツァルト」

2010年04月15日 | 徒然の記
小林秀雄先生(以下、小林)は、酔って御茶ノ水のホームから落ちたとき、あぶなく遥か下の地べたに叩きつけられるところを途中の櫓に引っ掛って助かったのに、本人はそれほど記憶がなく、深刻な反省がなかったらしい。酒豪のゆえんである。
酔っている小林が、モーツアルトのことを言おうとしているとき、あの文はどうなるのか。
「モオツアルト」という彼の作品は、どう読んでも素面の筆致と思うが、なぜか当方は最後まで読み終えるまえに用事を思い出してしまうので、読後の記憶の薄いことが残念だ。
したがってわずか数十ページが、プルーストの長編のごとく霞のかかった行間に、かなしみは追いつけないのも当然か。
あるときタンノイでモーツアルトを聴いて、よしそれではと、そこはぬかりなく飾っている小林冊子を開いてみると、だいたい以下のようなことが書いてあると読める。

『モーツアルトの旋律は、親しみやすく美しく、わかったつもりでやってみると、何時か誰かが成功するものかおぼつかないほど、実際にそれはむずかしい。何度も旋律をなぞってふと気が付くのは、人間どもをからかうために悪魔が創った音楽だ。とゲエテが評したとエッケルマンの回想にある。
トルストイは、ベートーヴェンのクロイチェルソナタのブレストに興奮し、一章をものして対峙したが、ゲエテはベートーヴェンの曲について、頑固に最後まで沈黙を守り通していた。
ロマン・ロランは、それが不思議で、わけがあるなと研究したところ、新時代の到来を告げるベートーヴェンの曲風が解らないではなかったが、ゲエテの耳はおそらく完全にモーツアルトに成っていて、明晰な頭脳も、入り口の鼓膜の習慣に阻まれてどうにもならなかった、ということであろう。
メンデルスゾーンが、ゲエテに交響曲五番をピアノで弾いて聴かせて反応をみたところ、部屋の片隅の椅子に座って不快そうにしていたが、「人を驚かすだけで感動させるどころかまるで家が壊れそうじゃない、オーケストラが皆でこれをやったら、大変じゃろう」と震駭して、食事の席でまだそのことをぶつぶつ言っているのを見た。
だが、本当はゲーテは、ベートーヴェンの繰り出す和声の強烈な音響に熱狂し喝采していたベルリンの聴衆の耳より、はるかに深いものを、言いすぎかもしれないが聴いてはいけないものまでゲエテは聴き取って、苛立っていたのではなかろうか』
さて、どうやらウサギに餌をやる時間なので、きょうもこのへんに。

※「ワシントンに社用で行ったとき、上司を説得してジャズクラブに入りました」と先日の気仙沼の客が申されていたが、わたしはまだ独身だ、とついでにそれも自慢していたのか。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴァイオリン協奏曲の王者

2010年04月11日 | レコードのお話
中学の時、女性が二階に昇ってきて、背筋を伸ばしバイオリンを構えるのを傍で見ていたが、あのときの弦の気難しい音色をおぼえている。
ベートーヴェンが現場の首席Vn奏者クレメントにヒアリングして入魂の五線譜を綴ったニ長調は、生涯1曲しか完成のなかった『ヴァイオリン協奏曲の王者』といわれている曲である。
どの部分が、いかように王者であるのか、このたびはマランツ#7とGEC-KT-88を四本挿して力のみなぎったトランスアンプで聴いてみた。
伝統的な棒術師ヨッフムについて、かの吉田秀和氏は、著書の320ページのどこにも触れていないのがいささか謎であるが、これは期待を持ってチョイスした盤が、じっさいにタンノイから静かな出だしで鳴ってみると、最初の一音からすでに圧倒的に不可思議な方向にロマンチックで、ときに哲学的な音符の綴りがどこまでも綿々と気をそらさせず飛翔していく。
このベートーヴェンの曲を、作曲年代のような小編制のオケに頼っても楽しめるはずと思うが、旋律や構想の妙を聴くライブセッション的感興はあるとしても、いまタンノイから響いてくるベルリン・フィルの音像は弦楽群の森林の深みを湛えた威容がすばらしい。
全員がソリストの集まりのようなBPOを背後にして、シュナイダーハンのヴァイオリンは堂々と揺蕩うように鳴って行く。
カデンッアといって、楽章の途中でソリストが自由に創作のセンスを発揮する場面になったとき、二楽章でもやはりそうであるが、背後で押し黙って澄ましている技能集団の面々を背にして、シュナイダーハンのヴァイオリンは瑞々しくのびやかに、あの二階で聴いた難物の奥歯に響く音も、名人の手にかかってやすやすと、躍動感の漲る弦楽群の美しさ。
当初から低く鳴り続けていたみょうな存在のティンパニーであったが、ここではじめてジャズ・トリオのドラムスのように音を起てると、胴鳴りを効かせた太い音を響かせるヴァイオリンにピッタリと応じて、二者の演奏は能舞台の立体のように白熱していった。
突然のごとく、風に揺れるカーテンのように背後の弦楽群が揺らめくと、ベルリンフィルは、いよいよ打揃った楽器群が自在に青墨の太筆で宙を走って気を吐いて、堂々たる排気量の音像を見せつけるように圧倒する。
三楽章になると、オケもこのときまでには曲想の結句を見きわめたように、坂道のカーブに働く遠心力にまかせてスピードのついた音が、さらにほんの数回、スーパーカーのようなドドドッ!という風圧をさせて、ひた隠していたパワーの凄さを指揮者とソリストに見せつけるように、ズズン!と響かせ度胆を抜いた。
とうとうベルリンフィルの床が揺れるような風圧が飛んできて、たいていは一瞬周囲をはばかりながら、ニンマリすることであろう。
少しの間を置いて二回、床やテーブルをブルブルンと振動させてゆくのが、まさかそれをVnコンの第一の収穫であると言うつもりはないが、いやはやなんともしかたのないベートーヴェン氏である。
協奏曲が、このように独奏者とオーケストラの息のあったフレージングで力の漲ったスピード感を聴かせると、ほかのあらゆる演奏団体でもそうなのか、ちょっと期待を持ってスターン、バレンボイム、ニューヨークフィルをターンテーブルに載せてみたが、好みというものはいかんともしがたく、きょうはすぐにレコードを戻した。
ヴァイオリン協奏曲と言っても、聴いてみるとほとんど交響曲のような質量であるニ長調Vnは、旋律が磨かれて、技巧をつくした完成度が満足といえる。
これまで世に何百と演奏された録音のうち、フルトヴェングラーとメニューヒンの戦時のライブ演奏は、かすかにB-17爆撃機の飛行音も録られて緊迫した戦時下を想像させるし、カール・ズスケVn クルト・マズア指揮 ライプチィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のものなど、必ずやオートグラフの三メートルのバックロードホンの威力が、極限の器楽をひびかせてくるのかもしれない。
1915年生まれで、ウイーンフィルハーモニーのコンサートマスターであったW・シュナイダーハンは、そのままの経歴の音楽を、ベルリンフィルの猛者を相手の会場に乗り込んで、ここに涼しく弾いてみせたのか。
平泉の自動車教習所に息女を合宿させると申される宮城の客が立ち寄った。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

優駿

2010年04月01日 | 亀甲占い
春の便りが届いた。

万年筆の具合と絵柄に、優駿公園の桜の香りがする。

万馬券のほほえみを握りしめて、一着といわず大名行列で乗り入れたいものである。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする