ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

キーストン・コーナーのビル・エヴァンス

2013年02月25日 | レコードのお話
ビル・エヴァンスのLPレコードをえんえん聴いていくと、キーストン・コーナーで80年9月7日のライブ『マイ・ロマンス』の演奏で終わっている。
このLPは、めったに聴くことはないが、エヴァンスは演奏の途中でふいに指が動かなくなったかのようにタンノイの音が途絶える。
はてな、と注目すると、相方のジョンソンとラバーバラが動揺して、ベースとドラムス音符を延々とあみだし弾き連ね時間を稼ぐので、ワルツフォーデビィのLPで演奏したマイ・ロマンスより1分長く8分25秒奏したが、途中から回復したエヴァンスは再びピアノを鳴らし観客の拍手が勃興する。
そのとき、ジョンソンとラバーバラの安堵してつい音符の強弱がおやまあと思うほど一時激しい。
エヴァンスの演奏は、ともかくLPを一巡したここで、まったく設計の違う装置に座席を移すと別の世界が無限に広がっているのかもしれない。
テレビを点けると、国際スキーで本命の選手が米国に破れ2位になるが、非常に喜んでまことに屈託が無い。
だが翌日の団体戦で、ロシアの隕石のような飛翔を空に描いて、こんどは決着をつけたのを見た。





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ピクチャー・オブ・ヒース

2012年12月19日 | レコードのお話
小学校が統合されて消えることが各地に散見されるが、ついに当方の昔にも番がまわってきた。
「母校はいま、納豆工場になっています」
熊本のお客の申されたことを、このさい思い出す。
あれは、ホッピングというスプリングを巻いた棒に乗って、ピョンピョン跳ねる遊びの流行ったころ、小学校舎は背後の小山に鍵形に坂道が迂回しており、傍に平安期の観音像を拝する古刹の寺院が山目の旧国道の先にあった。
坂道の途中に『とつけもの屋』と俗に言う店があって、横綱鏡里のブロマイドを買った。
校舎の角部屋には陽が射さず、昼なお暗く、幻灯室というスライド映写の専用部屋にされていたが、低学年のあるとき2クラスを集め『フランダースの犬』の上映があった。
シーンと一巻見終わって、先生が暗幕を開け部屋が明るくなると、我々ガキンチョとは違い感性のきたえた先生に涙は無いのを見て感心したが、予想があたったように二人の先生は生徒を見ていた。
フランダースの物語は、めめしさを嫌う西洋的センスか本国では人気がないと聞き、民族の果敢を感じる。
このフランダースを見せられた1956年の頃は、ジャズ世界にとって新しい局面がいくつも勃発して忙しく、たとえば「56年のペッパーにハズレなし」と定評の作品群など、背伸びしても存在をまだ知らなかった。
後年になって、誰もこの時代に特異な思い入れがあることが、タンノイのスピーカーと似ている。
廃盤の『プレイボーイズ』ジャケットの『ピクチャー・オブ・ヒース』を鑑賞するとき、異様な高値をよんでいるものがジャケットを新しく変えて、再発売になっている。
チェット・ベイカー、アート・ペッパー、フィル・アーソ、 カール・パーキンス
あるいはまた
アート・ペッパー(as) ラス・フリーマン(p) ベン・タッカー(b) チャック・フローレス(dms)。
たのもしい面々のこのサウンドを、自在に脳裏に想像できる人も多かろうが、元の録音テープは一緒なのに、ジャケットが代わればスピーカーのエンクロージャーのような違いが、やはりある。
先日、水戸から5人の客人が登場されて、いざタンノイの音を鳴らしたところ、エアボリューム的に絨毯一枚敷いたくらい音が吸われることに驚く。
ユニットを4つにして、倍の空間で豊かに鳴らしたいものである。
水戸学御専攻の各人の、これまでのご活躍のことは「水戸の三ぽい」とも言われ、おそろしくて聞くことはしなかった。




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サラ・ボーン

2012年10月25日 | レコードのお話
『2年ぶりに、六甲の山の麓の自宅で、さみだれとアジサイの季節を迎えています。夜のとばりの下りる頃、そっとアンプの灯を入れて、サラの歌声に耳を傾けるひとときがまちどうしいこのごろになりました』
上杉氏は、マニア垂涎の高名な『上杉アンプ』を愛好者に販売しながら、タンノイのサウンドをご自身謳歌されていたが、あるとき雑誌に以下の告知をされたのを読んだ。
「上杉研究所のアンプを所有されているかたは、製造番号のご連絡をお待ちしています。創立10周年を機に、全国に渡った当社アンプの所在を把握しようと思い立ちました」
勇躍当方はペンを取って『U・BROS-1』の申告をした1週間後に返書があった。
「受け付けました。あなたの所有アンプは転売品です」
もうちょっと、色よい返事を期待していたのになあ。
永久保証も、こうなっては壊れては大変と、なんとなく電気を通す機会も減ったような気がする。
そのとき書かれたご本人直筆のような、わずかな一行をしみじみ眺めると、字の太さやインクの色から『モンブラン』と思った。
タンノイサウンドの、さまざまに聴こえるサラ・ボーンの歌声は、マイク無しに本人のそばで聴く実際はどのようなものか、あこがれをさえ抱かせて鳴る。
彼女の、七色の虹の声といわれるオクターブに広大な声量や、野太い低音に支えられた妙なる絹摩れの裏声まで、巷はそれを『ザ・シンガー』『女王』と賞賛したものである。
そのものズバリを、迫真のナマのように聴きたいと考えれば、アンプやカートリッジや、どのようなオーディオ装置の選択があるであろう。
そのようなあるとき、不思議なご縁で当方の前に登場した千葉のS氏はこともなげに言った。
「サラ・ボーンのことは、以前わたしがアメリカに渡ったとき、ワシントンのクラブのかぶりつきでツバキを浴びながら聴きました」
「!」
当方は、そのとき表情には出さなかったが、気分は複雑で、もはや結果のわかってしまったボクシング試合に感じるとは意外?
それでなんとなく、しばらくサラを聴かなかったのが、みょうである。
以後、千葉のS氏を大先生と尊称したが、なぜならこの御仁は、またこうも言っている。
「オリジナル・ブルーノートを多数コレクションしている多くの著名人を回って、めちゃくちゃ触らせてもらいましたが、程度の良い盤を揃えて蒐めるのは困難とわかりました」
サラ・ボーンの七色の声の再現は、当方の前にいまもって無窮に立ちはだかる山である。
するとあるとき、葛飾のオートグラフ氏から薄い小包が届き、封を開く内側からベスト盤と高名な『アフター・アワーズ』が現れた。
いま先生は、オートグラフによってサラを聴いている。
音楽が時代を映す鏡であると思ったのは、このように聴いた曲から忽然と光景が浮かぶようになったころである。




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ミスティ。レッド・ガーランド

2012年09月12日 | レコードのお話
『これは、初心者のころによく聴きましたね』
レッド・ガーランドのシリーズをターンテーブルに載せると、秋風に乗って秋田路を来られたT氏の言葉を思い出す。
開業したての頃は、何を鳴らしても、使い手達の宣旨がある。
さすがに千葉の大先生も心配されて「いま東京では、おもに七十年代以降の演奏だから」と暗に諭しておられるのか、困った。
なあに、堂々と好きなものを鳴らしていなさい、とタンノイは言っているようだが。
中学の旧友も、わざわざ仙台から二十年ぶりに一瞬だけ姿を現すと「herbie mannはみんなはジャズでないと言っている」と言いに来て帰って行かれた。
それが、冬休み練習帳を五人で一日でかたずけた仲であった。真摯な親切である。
それではと以前より緻密に聴いてみたわけだが、タンノイで聴いてご覧なさい、これはジャズです。
ミステイ・レッドというLPは、ジャミールナッサーのベースが、すごい。何がと言って、指の皮が剥けている、と心配するほどドバーン、ミシミシッと弦が唸ってビビビビーンとテーブルが振動している。
ウチだけかもしれないが、タンノイの38センチコーンでこんなに鳴って、このLPは異常なのか。
ガーランドは、それをまったく好きにさせ、ガントのドラムスも抑揚気味に渾然一体、ともかくこればかりを鳴らしていたらそのうちスピーカーが破れるに違いない。
いったいジャズのフレーバーの何を聴いていたのか、あとになってどうも思い出せない。
さきごろちょうどロジカル氏からお電話をいただいたとき、アンプが故障中で鳴らなかったので残念であるが、かれは「味噌ラーメンを食しながらゴルゴ13を読んでいたら、秋田に向かうのをやめて家に帰りたくなった」天才開発者である。
一センチ動かしただけで差がわかると豪語する機関銃のような技術論にたまげたのか、ウチのアンプは賢くも壊れている。
そういえば、海岸の新居の東ドイツ励磁装置の御仁から久しぶりに電話をいただいて、当方、恐る恐る被害の様子をそれとなく問い合わせた。
互いに、その微妙な状況を脳裏に滲ませ、先方は、どうやらますます良い音で鳴っているらしく、新着の『岡山特製の黄色塗装のアンプ』がラックに鎮座しておられるそうな。
こちらは、しばらく故障中で無理ですね、と申し上げた。
だが、目を閉じれば、どのようなお宅の記憶の装置も、我々は、自在に思い浮かべるマニアのサガを持っている。









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6月に聴くホレス・シルバー

2012年07月01日 | レコードのお話
梅雨の季節に343街道を走ってみた。
緑の木々が道の周囲の森や遠くの山々まで全面に生茂って、雨に葉を濡らしている。
路面も丁寧に、都心の渋滞に難儀した者がこの変化に富んだ道を走ると、思わずカネ持ちのプライベート道路と錯覚するかもしれない。
ブルー・ノートの4185番はホレス・シルバーが1964年に五重奏団のメンバーを変えて奏った自作曲であるが、当方にはやはりなぜかB面の方が気分が良い。
彼は何枚もLPを多作しているが、自分の作曲をピアノ演奏してご満悦の気分がうつってくる。
最後の曲は、LPのジャケットになっているポルトガル系親父殿の、連れ合いを曲にしたロンリー・ウーマンのトリオといって、ジャズ演奏では59年のオーネット・コールマンと思い違って楽しんだものだが、雨の343街道の雰囲気に、まあどちらの曲も甲乙つけがたく似合っている。
景色をチラチラ見ながら曲を聴いて、ゆっくり走行しないとあぶない、というのは鹿が出る。
笹野田峠といえども、そこは、新緑とジャズのみ。





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弦楽四重奏曲9番

2012年02月11日 | レコードのお話
九州の南小倉の、とある著名な院長殿からまいとし年賀状をいただく。
当方が、正月に限って母屋のポストに足早に駆けつけるのは、その賀状を家族の眼から隠すためであると、思われているふしがある。
当方は、しばらくどなたにも年賀状を書いたことが無い。にもかかわらず、南小倉の賀状は届く。
その図柄にわけあって、秘密クラブの趣味の案内状のごとく一等抜きん出ていること『ラズモフスキー第三番』のごとくであった。
なにかこの件にお返しできないものか、ひそかに思案し、それなりに苦心をみせている当方の掲載する歌姫のジャケットも限界かもしれない。
とても、南小倉の御仁の賀状には及ばないが、減七の和音の強奏に始まる弦楽四重奏曲を聴いていると考えることが有る。
タンノイ装置が、音楽愛好家に好まれるのは、ともするときわどいヴァイオリンという楽器の、真実の響きを極めるのは、タンノイスピーカーの音響が一番近いと、多くの愛好家は察知していたのではなかろうか。
たんじゅんにそれらしくうっとり聴かせる優れた装置は世にいくらでもあるが、峻厳に究極で至高のヴァイオリン四重奏曲を空間に創造するのは、やはりタンノイを鳴らしたときであろうと、多くの人々がそこに隠されている謎に挑戦し、アンプやカートリッジを吟味して攻防をくりかえし半世紀である。
きょうは、はたしてどうかなとブダペストSQのレコードをターンテーブルに乗せてみた。








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ベートーヴェン『皇帝』

2011年11月11日 | レコードのお話
ベートーヴェンのピアノ協奏曲『EMPEROR』は『5』を背番号に持って、生涯の1曲にめぐりあう者に、五線譜から身を起こしオーケストラホールのステージに起つ。
なかでもこれが一番というGULDA、VIEN・PHIL盤をわざわざ重量盤で購入し聴いたところ、文句無く素晴らしく、ほとんど疑問もわかずお蔵入りになった。
気になるのは、いぜん門馬氏だけが強く推薦していたゼルキンのピアノをバーンスタインの指揮で録った孤高の存在があって、はたしてアダージョも含めどんなあんばいなのかまだ未聴である。
バーンスタイン氏もゼルキン氏も、タンノイで聴く当方に縁が遠かったのは、聴いてみるとすぐにわかるレコード録音のなにがミスマッチか原因がよくわからない盤で、高域がやかましい。
クラシック録音では、どちらかといえばフィリップス盤やEMI盤が当方の耳に触り善く、これが同じ五線譜からときおこされた曲とは、どうなっているのだ。
最近になって、日本の若いピアニストが『EMPEROR』に新境地をひらいたところをたまたまラジオで聴いて、急にゼルキン氏ならあの部分がどうであったのか?
倉庫からついにCBS盤を探し出して、いよいよ針をのせて聴いてみた。
やはり装置の変貌したROYCEに、バーンスタイン氏もゼルキン氏もいささか変貌を遂げている。
タンノイから聴こえるサウンドと旋律がジャズ風に圧倒的大暴れで慶祝、しかも一瞬のめくるめくアダージョには予想外にぎょっとして、最後まで針をあげることができなかった。
ピアノの音姿も、当方の部屋ではアップライト型のように砂かぶりの眼前に広がり、とくにベーシストの弦の鳴りが、松ヤニをよその規格よりは三倍塗っている鋸を挽くような音を起て、その結果、何人かの団体がニューヨークフィルの右手から圧倒的存在感を突然のようにくり出している。
たまたま奥の部屋で背を向けて聴いていて、思わず、ダ誰だ、と振り返ってしまうほどである。
そうこうしているとき、「ワインを一本、おねがいします」
と現れたのはシャコンヌ氏で、先日のダブルの上着の姿はやはりそうとう似合っていたが、夫人の前ではふれないでおいてあり
「こんど拉げた川崎の代わりのホールに『FAURE』を聴きに行きます」
と申されるので、前祝いに、フルネ指揮のアーメリングとクリュイセンの盤を聴いてみた。
はたして『EMPEROR』の完全盤は、この時間の先にあるのか。







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カーネギーのJATP

2011年08月28日 | レコードのお話
そういえば先日の夜分に『T』のマスターが立ち寄られ、いつもの構えで、近況を少々話してくださったことを思いだした。
佐久間システムのワンホーンアルテックによってストイックに豪華なジャズ喫茶を造ると、珠玉の名盤をコレクションしていた洒落た人物の、あるとき『Jazz At Philharmonic 1950』という3枚組ノーマングランツ一座のライブセッションLPをカウンターに置き、同じセットが2っあるから譲ると申してくださった。
オッ、と思ったが、見るとこちらのぶんはそうとう汚れたケースが真っ黒で、価値をあきらめ受け取ったブツである。
Royceに持ち帰って聴いてみると、業務用にめずらしくノイズがない。
ケースの透明なラップを剥がしてみると、まっさらの卵色に新品同様、宝物である。
今日聴くA面の2曲目のバラード・メドレーは、レスターヤング、F・フィリップス、イリノイジャケー、ロイエルドリッジ、デイジーガレスビー。練達のライバルがカーネギーホールの壇上に並んでいる、めいめいがソロのつまりワンホーンで観客に最高に張りきった演奏を連続して張り付いて聴かせる豪華さに、血圧亢進し、快い疲労感である。
1952年のカーネギーメドレーソロをひさしぶりに聴いていると、トライアンフの客人がおみえになって、東ドイツ製の20センチ励磁ユニットのことや、トーレンス127が地震で立ち往生したお話などを伺うことができた。




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ON A CLEAR DAY

2011年04月17日 | レコードのお話
オスカーピーターソンのフォーメーションといえば、R・ブラウンとE・シグベンのサウンドが記憶のセットであり、黄金比のように約束の風景である。
では、たとえばベースをサム・ジョーンズ氏とドラムスをバビー・ダーラム氏が演じたLPの、カッテイングが『Verve』でない『MPS』であったら、サウンドのフォーメーションや音色の味は、はたしてどうなのか、心得のある人はひとかたならぬ思いを持つ。
この1967年のリリース盤は、新居に案内されたようなまぶしさがあって、ピーターソンは楽しんで演奏している。
まるでハイファイ・セットのメーカーを入れ替えたような音のピーターソンを考えてもみなかったが、余震の隙をかいくぐって、当方は演奏とサウンドを堪能することができた。
このような震災に、聴きようによっては、なぐさめているような、励ましているようなピーターソン・サウンドが一時の喫茶時間である。
近頃のように、余震を百回以上も経験してみると、ダダッとおとずれる少しの揺れでも必要以上に身構えて、いかな二本差しといえども、イースター島の石像のように平然とたたずんでいることはどうなのか。
帝都お江戸の城の石垣も崩れないよう工夫されているが、旗本八万旗の大久保彦左衛門のやせ我慢気分で、きょうは平然とトーレンスを回転させて、LPジャズを楽しんだ。









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WOOD STORY

2010年12月18日 | レコードのお話
ひとに誰も、おじいさんとお祖母さんがある。
明治生まれの祖父は、囲炉裏でいつも自己流の義太夫をうなっていたが、あるとき小児の当方が、練炭の『コタツ』に腰まで入って漫画を読んでいたところ、なにやら足元が熱くなった。
そこで、のぞいてみるとズボンに火がついているではないか。
驚いてコタツから飛び出したところ、ボオ!と一気に炎が大きくなってカチカチ山である。
驚きのあまり板敷きの間を走りだすことしか知恵がなかったが、傍の祖父も驚いて義太夫をやめ当方を追いかける。隣室で来客と話をしていた父も駆け込んで来て、ふたりはDUOで追いかけてきて一瞬の間に四つの素手をバタバタとズボンの炎を揉み消したので事なきを得た。
みな、何事もなかったように元の位置に戻り、当方もズボンをはきかえて、またコタツで漫画を読みだした。
そのような孫に甘い祖父も、当方が割箸の先に針を着けた矢で襖に向かってダーツ遊びを仲間とやるときは、おこっていた。良い絵が描いてあったらしい。
祖母は、当方が生まれたとき、すでに他界していたので、写真で面影を知るのみである。
さて師走をひかえた先日の、とあるひるめし時、二人の黒服が現れ、当方のような峠の藁葺きの茶見世に丁寧である。
一方は、奥行きのある笑顔が谷啓を思わせ、もう一方は祖父の若いときの明治の気骨を漂わせ、あくまで礼儀正しい無言の御仁であった。
「タンノイは、なるほどこのような音色でなかなかけっこうです」と、あたりさわりなくうなずいて聴いておられたが、室内の音響が気になるらしく、しきりに見回し、
「ぜひ自分たちは、車に積んである楽器をここで鳴らしてみたいのである」と、当方を見て言っている。
この世に、タンノイ以上の楽器があるというのか、いのちしらずの二人の黒服は、狭い空間でサクスとベースをいまからDUOでライブを、と気前よく言った。
それをきいて当方は、母屋に錆び付いている開かずの金庫がもし開くことがあれば、そのときは一人百万でどうですか、と言うと、では前祝いにちょっとやりましょうと、いやはやまさかの本気にニューヨーク仕込みのジャズをタンノイに聴かせてくださるそうである。
それからすぐさま準備がはじまって、楽器をかまえた二人のつらだましいが、レンブラントの絵のようにさまになっている。
これは、本物だと気がついた当方は席を離れて母屋に走った。
「すぐに来て。いま新しいタンノイが聴けるから」
もう待ち構えていたベースがドーン!と、すさまじい一発で弦がぶるぶるゆれ、静かな語りかけるようなイントロがはっとするような溌剌とした美しさで名曲を鳴らしてゆくと、こんどは気骨の雰囲気のサクスが、意外に艶っぽく、しかも話のわかるおとなの気分を全開にして次第にスタンダードナンバーは圧倒的である。
目前のタンノイと重なって透徹したジャズのフレーバーに油断した当方は、となりに言った。
「この演奏は、キミへのプレゼントだから」
すると、眼の前でそれを聞きとがめたベーシストが、楽器の向こうからにゅっと顔をのぞかせて言っている。
「事前の商談もなしに、そちらで一方的に話を進めてもらっては困ります」
どうも、ジャズのむこうで聞えていたらしい。
二人のDUOは、ニューヨーク仕立てというよりイギリスの気品をサウンドにみなぎらせたが、鍛錬の技量を、さりげなく演奏に透かし見せたのか。
もしタンノイノのジャズに、人の陰影というものがあるとしたら、このような人々の音楽が到達して得たものなのかと、嬉しかった。




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ZOOT AT EASE

2010年10月29日 | レコードのお話
秋もさかりの或る日のタンノイによれば、ズートは、レコードのB面の最後にふたたびテナーサクスに持ち替えて、シャワーのあとになんどかひらめいた新しいフレーズを、この『マイファニー・バレンタイン』で試しているような一瞬の導入から、しだいに確固とした音像になって聴く者は魅入られてゆく。
調子に乗っているときの、フレーズの周回でバッ!バッ!と機関車が余った蒸気を排気するいつもの合いの手を入れるところまで聴こえて、当方としてはニッコリだ。
ズートの録音盤をいろいろ鳴らしていると、同じ曲になかなか巡り合いがないから、ミデアムレアに料理した1973年のこの演奏が、あとあとまでやり直す気にならないマイハニー・バレンタイン解釈であったのか。
ハンクジョーンズ氏のピアノ、ミルトヒントンの豪華なベース、グラディテイトの一瞬キラめくハイハットが、コーヒーの味も忘れる気分である。
そのとき電話が鳴って、お忙しい時間を縫ってジャズとオーディオの近況を知らせてくださる杉並のS先生の声がきこえた。
このたびはちょっとした異変があった。
「こんど、眼の手術を受けることになりまして」
それは大変なことであるが、3カ月絶食して心臓にカテーテルを挿してえらいめにあった10年前の経験から、こちらは驚く感受性が、どうも希薄になっている。
平安時代の兼好法師も、「頑強な体のひとは山登りにも待ってくれぬ」と言っているし、ハイパワーのS先生が、なにかいよいよ身近に思えたのがもうしわけない。
どうか上首尾で、またいつものジャズのようなお話を聴かせてもらいたいが。
S先生の地下要塞のオーディオ装置を、ステレオ・サウンド誌で拝見したことがあるが、前後を4つのオーディオ装置に囲まれて、しあわせな日々をおくられているかたである。



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『アニタ・オディ』

2010年09月12日 | レコードのお話
『アニタ・オディ』のマーティ・ペイチ楽団のオーケストラを唄伴にした大きなスケールは、壁全体がステージに広がって、大掛かりなサウンドが花である。
58年のクラブ、ミスター・ケリーズを聴くと、トリオで音像もぐっと接近し、ラリー・ウッズのベースが、ウォルター・ペイジの剛弦ベースのように唸って、バックロードホーンは凄い。
62年のスリー・サウンズと手合わせしたLPは、唄伴というより交互にマイペースを聴かせる嗜好がおもしろい。
四枚のLPを聴いて、アニタ・オディの音像をこころゆくまで楽しんだ。
しかし、あるとき偶然、スタジオでコマーシャル用に唄うフルスイングしているまったく別人のアニタ・オディをマッキントッシュ・アンプで聴いて、唖然とした。
まるで腕まくりした姉御のアニタの巨体が、タンノイの前で、豪放に唄っていたのである。
これはいつのまにかついに臨界をこえて、ノーブレス・オブリージェになったのかアニタ・オディは、凄い。
しかし、いまもって一番のものといえば、やっぱり56年にピーターソンが唄伴をつとめた『シングス・ザ・モスト』かな。
B面ラストの三曲をタンノイで聴くと、ゆっくりした時間がまどろんでいる、アニタとピーターソン・トリオの独特の雰囲気が気分である。
夏もいよいよ峠を越えたそこに現れたのは、「通路の散水弁から水が少々漏れていますが」と、紺色のシャツで決めたSS氏であった。
南三陸の観光船に乗って、この夏撮った海鳥の飛翔の一枚を、それとなくチラリとテーブルの上にすべらせたSS氏の、写識が遺憾なく発揮されている、後方に飛ぶ一羽の構図も、唄伴のようで見蕩れた。
しばらく感心するとSS氏は、
「まあ、それほどでもありません」とご謙遜である。







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ヴァイオリン協奏曲の王者

2010年04月11日 | レコードのお話
中学の時、女性が二階に昇ってきて、背筋を伸ばしバイオリンを構えるのを傍で見ていたが、あのときの弦の気難しい音色をおぼえている。
ベートーヴェンが現場の首席Vn奏者クレメントにヒアリングして入魂の五線譜を綴ったニ長調は、生涯1曲しか完成のなかった『ヴァイオリン協奏曲の王者』といわれている曲である。
どの部分が、いかように王者であるのか、このたびはマランツ#7とGEC-KT-88を四本挿して力のみなぎったトランスアンプで聴いてみた。
伝統的な棒術師ヨッフムについて、かの吉田秀和氏は、著書の320ページのどこにも触れていないのがいささか謎であるが、これは期待を持ってチョイスした盤が、じっさいにタンノイから静かな出だしで鳴ってみると、最初の一音からすでに圧倒的に不可思議な方向にロマンチックで、ときに哲学的な音符の綴りがどこまでも綿々と気をそらさせず飛翔していく。
このベートーヴェンの曲を、作曲年代のような小編制のオケに頼っても楽しめるはずと思うが、旋律や構想の妙を聴くライブセッション的感興はあるとしても、いまタンノイから響いてくるベルリン・フィルの音像は弦楽群の森林の深みを湛えた威容がすばらしい。
全員がソリストの集まりのようなBPOを背後にして、シュナイダーハンのヴァイオリンは堂々と揺蕩うように鳴って行く。
カデンッアといって、楽章の途中でソリストが自由に創作のセンスを発揮する場面になったとき、二楽章でもやはりそうであるが、背後で押し黙って澄ましている技能集団の面々を背にして、シュナイダーハンのヴァイオリンは瑞々しくのびやかに、あの二階で聴いた難物の奥歯に響く音も、名人の手にかかってやすやすと、躍動感の漲る弦楽群の美しさ。
当初から低く鳴り続けていたみょうな存在のティンパニーであったが、ここではじめてジャズ・トリオのドラムスのように音を起てると、胴鳴りを効かせた太い音を響かせるヴァイオリンにピッタリと応じて、二者の演奏は能舞台の立体のように白熱していった。
突然のごとく、風に揺れるカーテンのように背後の弦楽群が揺らめくと、ベルリンフィルは、いよいよ打揃った楽器群が自在に青墨の太筆で宙を走って気を吐いて、堂々たる排気量の音像を見せつけるように圧倒する。
三楽章になると、オケもこのときまでには曲想の結句を見きわめたように、坂道のカーブに働く遠心力にまかせてスピードのついた音が、さらにほんの数回、スーパーカーのようなドドドッ!という風圧をさせて、ひた隠していたパワーの凄さを指揮者とソリストに見せつけるように、ズズン!と響かせ度胆を抜いた。
とうとうベルリンフィルの床が揺れるような風圧が飛んできて、たいていは一瞬周囲をはばかりながら、ニンマリすることであろう。
少しの間を置いて二回、床やテーブルをブルブルンと振動させてゆくのが、まさかそれをVnコンの第一の収穫であると言うつもりはないが、いやはやなんともしかたのないベートーヴェン氏である。
協奏曲が、このように独奏者とオーケストラの息のあったフレージングで力の漲ったスピード感を聴かせると、ほかのあらゆる演奏団体でもそうなのか、ちょっと期待を持ってスターン、バレンボイム、ニューヨークフィルをターンテーブルに載せてみたが、好みというものはいかんともしがたく、きょうはすぐにレコードを戻した。
ヴァイオリン協奏曲と言っても、聴いてみるとほとんど交響曲のような質量であるニ長調Vnは、旋律が磨かれて、技巧をつくした完成度が満足といえる。
これまで世に何百と演奏された録音のうち、フルトヴェングラーとメニューヒンの戦時のライブ演奏は、かすかにB-17爆撃機の飛行音も録られて緊迫した戦時下を想像させるし、カール・ズスケVn クルト・マズア指揮 ライプチィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のものなど、必ずやオートグラフの三メートルのバックロードホンの威力が、極限の器楽をひびかせてくるのかもしれない。
1915年生まれで、ウイーンフィルハーモニーのコンサートマスターであったW・シュナイダーハンは、そのままの経歴の音楽を、ベルリンフィルの猛者を相手の会場に乗り込んで、ここに涼しく弾いてみせたのか。
平泉の自動車教習所に息女を合宿させると申される宮城の客が立ち寄った。







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3月15日

2010年03月15日 | レコードのお話
ラジオで聴くとき、唄声から容姿はまったく判然としない。
クリス・コナーやアニタ・オディも、写真を見るまでは、声と容姿の結びつきにくい人であったが、タンノイやアルテックやJBLによっても、同じLPであるのに違う個性が聴こえる。
三月十四日は財務省の出先機関にお届けする書類を完成させなければならない繁忙日。
毎年あわただしいこのころ、ゆっくり誕生日を祝う気分は15日を過ぎてのちになるが、ことしは、クリス・コナーなどを思いついて祝日を迎えた。
クリス・コナーといえば、印象的なジャケット・アートの『シングス・ララバイズ・オブ・バードランド』は、むかし四谷『いーぐる』において後藤先生が、当方をまえにおん手ずから選んでターン・テーブルに載せてくださった記念の一枚であるが、それも同行のS氏のお引き立てがあらばこそ。
このLPとはべつに、彼女が1978年に来日のとき、三週間滞在した最後の日に目黒スタジオで録音されたLPがある。
『ALONE TOGETHER』LPは、本番録音がただ一回という緊張のダイレクト・カッテイングによって、これ以上ないほど生の声に接近したのか?オーストリアのAKGマイクを、A面がコンデンサー・マイク、B面がダイナミック・マイクによって録られているマニアックな逸品であった。
ここでFLY ME TO THE MOONを聴くと、ハスキーのうえにキャラメルを口に含んで唄っているような個性が印象的である。
もう一枚、いただきもので、バート・ゴールドブラットのデザインで有名な1956年盤の一枚も鳴らしてみる。

三月というのにいまだ寒冷な一関に、群馬県の伊香保温泉の傍からお見えになったと申されるお客は、当方の様子をおもしろく思ってくださったのか、「わたしも定年になったら、このような喫茶店をやりましょうか」と言った。
リラックスした徳川慶喜のようにソフアで座り直すと、御自分の部屋は非常に広くて、スピーカーはシングル・コーンでも非常にのびのびと鳴っておられるそうである。
ぜひ評判の伊香保の湯に遠征して遊びたいものだ。



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夢見るコルトレーン

2010年03月01日 | レコードのお話
コルトレーンが活躍した時代は、手を伸ばせば棚にある。
コルトレーンは、両手でサクスを構えて平城宮の廟堂の仁王のように中央に立ち、脇を固める三人と、コルトレーン独特の光彩を闇から一斉に放射してくるところを聴く。
このとき、ライブ演奏で周囲に大勢の人が居て聴くコルトレーンと、タンノイで一人で聴く音ではどうなのか。
一方は浅草寺の境内の豆撒きのように、いくらおごそかでも周囲はざわめいて、マメのようにバラバラ降ってくるサウンドのご来光に、どうしてもめいめい感動の言葉を発して興奮し、なかには卒倒し、救急車が飛んできたりすることもあってかまびすしい。
これが集団で聴くライブの相乗効果というものであるが、いっぽう、タンノイによってじっくり聴こうとレコードをジャケットから取りだすと、光線を反射する円盤にカッティングされた溝の模様が、すでに音を発しているかの様相を見る。
B面の『SONG OF PRAISE』など溝模様が個性的で、眺めても良く、ミゾで音楽がわかるといわれるものは、幾つも在る。
コルトレーンは、演奏の順番にわけがあるといっているが、その音を発しているミゾというものに、それなりのカートリッジ針を降ろすと、オリジナル盤であれば手にも重くミゾも深く掘ってあるのかサーチライトのようにギラリとした音が、工場の巨大な4つの送風機のように、スピーカーから周囲を吹き飛ばして迫って容赦がない。
これで充分に当方には聴こえるが、送風機をあと一つ増やすとしたら?
「ドラムスをもうひとつ」とコルトレーンは言ったらしいが、本当だろうか。
めずらしくベースがソロで、ジミー・ギャリソンがミゾの四分の一を延々弾いているところを聴いて、このときのギャリソンは、「四人でも一人でも、ほらおんなじですがな」といっているかのように、独特の主張を述べているのだが。
コルトレーンは、シェーリーズマンホールやほかの演奏会場に集まる聴衆の違いを体感して、作曲技法も変えながら、時代の春夏秋冬を円盤の音ミゾに残していった。





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