ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

除夜の鐘

2006年12月31日 | レコードのお話
「ナマズ君、お静かに」
某気象台の地震課の壁には、そう書かれてあるそうだが。
先年の三陸沖地震では吹き飛んだSPU-Aの針が直角に曲がった。
ビニールの堰堤の斜面を10トンダンプカーのようにゴーっと走りにはしっていたダイヤモンドの丸太棒が、ばんと浮き上がってもんどり打ったと想像する。
その程度で良かった。
タンノイの1年も終わろうとする日、仙台の隠れ家から、御実家に移動する途中に立ち寄ったお客が、車からダンボール一箱のオリジナルLPを降ろし「1ヶ月ほど、置いておきますから聴いてください」と申された。熱いコレクターの貴重なLPを押し戴いた。当方は他人様のコレクションを観賞するのも大好きで、困る。
さて、除夜の鐘の前に、ワルツ・フォー・デビィで『タンノイ・ロイヤル』のご機嫌を伺う。どのLPがどんなに良い音で鳴っても、このLPがウンと言わなければ、タンノイの音は決まらないのか。
むかし秋葉原に「ファラディ」というオーディオ・サークルがあって、熱心な実践派の3名の方がROYCEにもお見えになったが、HPに掲載されたワルツ・フォー・デビィ全種聴き比べの論文が、音が聴こえるようでとても良かった。
そこで触れられていたか、ほかの誰に聞いたか記憶がはっきりしないが、バンガードのラファロのベースが、左から聴こえるレコード、中央から聴こえるモノラル、右から聴こえるレコードと、市販のLPに三種類あるという。
ベースに向けたマイクロフォンの録音テープを、ミキシングのさい左右どのチャンネルにするか誰に決定権があるのだろう。
タンノイは涼しく再生するだけであった。
ナマズくん、どうかお静かに。良いお年を。

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年の暮れ

2006年12月29日 | 巡礼者の記帳

タンノイの音は毎日変わるが、二つのオーケストラほどには違わない。
静かに雪の降った朝、電話が鳴って「カーナビに打ち込みますから、ご住所をお願いいたします」と申されている。
あくまで涼しげな美しい声だ。
先日、ワインを購入に見えたマニアックなお客は、「ワインのために、このように温度に気を使われて、頭が下がります」などと、喉をならしそうにボトルに見とれているので、たんに暖房を節約しているだけで二の句が出なかったが、さすがにきょうはとぼけているわけにもまいらず、急遽2台のストーブをオーディオの部屋に持ち込んだ。
やがてお見えになった客は、アマティ・オリジナルを愛聴される女性とJBLご愛用の紳士、「このタンノイはユニットを入れ換えてありますか?」
聴取の印象をどう受け止めるかきわどい符丁をろうされながら、ときどき笑顔で、なにかお話しくださいというように当方に姿勢を向けるので、少々講釈を垂れました。
モンタニェのレシピに登場するような女性も微笑んで耳を傾けておられる。
するとそこに、あとから入ってきたリンホフ氏と「やあやあ」といった感じで「奇遇だ、1年ぶりで」というように、世間はせまいものだと。
御二人が帰られて、リンホフ氏がオーディオの背景を少し補足してくださった。




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バードのクリスマス・イブ

2006年12月24日 | 徒然の記
バードといえば、チャーリー・パーカーのこと。もうひとつはタンノイで聴くレスピーギの『鳥』という管弦楽曲のことが浮かぶ。
鳥は、一般にやかましいので敬遠だが、小動物を誰かが持ってきて家に住まわせ、しかたなくつきあうことが、ままあった。
小桜インコも、その生態をながめていると、それぞれ個性が強烈で人格をすら感じる。
あるとき止り木の上でゆらゆら居眠りしていた奴が、ついに落っこちて、失態を取り繕うようにサッと餌箱に駆け寄って啄み始めたのは、鳥と言えども恥ずかしかったのか、感心した。
クリスマス・イブに一匹が行方不明になって、慙愧にたえないメリー・クリスマスだった。

☆写真は、リバーサルフィルム(スライド)からネガを作らず染色プリント

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12AX7

2006年12月17日 | 徒然の記
ウナギと梅干し、カニと氷水。
子供のころ、台所のかまどの傍に煤けた絵が貼ってあった。
お土産のヤクルトドリンクを飲みながら、幼馴染みとその話で笑った。
「松は幹を観る。ツツジは姿を観る」というそうで、子供の時にあったサルスベリの木も植えるように言われた。
神奈川の庭にも3本の柿の木があるそうで、落葉に悩まされ近所迷惑を考えて小さく切ってしまったから、良い柿が実らないという。
ところで最近届いた12AX7球は、考えていたのと違う音が聴こえて感銘した。まだまだ日本のあちこちに求める球は有るようだ。
12月のコンクリートの部屋は寒くて、タンノイも凍れる音楽であるが...。
「こんど管球アンプの販売を手がけようと考えているのです」
そのちょっと寒いROYCEに、ご婦人と目黒区鷹番からお見えになった紳士は、タンノイもお使いになったことがあると申されて、事業意欲満々の方だった。
そういえば昔、鷹番に住んでいたことが在る。
あのとき、真夏の夜更けになっても碑文谷は土砂降りの大雨で、こうなったら、会社から社員寮まで裸で走って帰ることに決まった。スーツを入れたビニ袋を頭に結わえ、若い6人は一列縦隊に大井川の川越えのようなスタイルで一斉に走りだした。
暗闇にバケツをひっくりかえしたような雨をかきわけ『鶴の湯』の前まで来たとき、ふと横の物体を見ると、いつのまにかパトカーがピタリと同じスピードで我々と併走している。挨拶ぬきで、みな懸命に走った。
そのお客によれば、銭湯はご健在とのことである。

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箱根彫刻ノ森美術館

2006年12月06日 | 旅の話
千里に旅立て、路粮を包まず。
三更月下無何に入と云いけむ昔の人の杖にすがりて、
貞亨甲子秋八月、
江上の廃屋を出ずる程、風の声そぞろ寒気也
「野ざらしを 心に風の しむ身かな」

芭蕉の『野ざらし紀行』は箱根の関を越えて始まったが、
天下の嶮の上に、その彫刻群はあった。
眼に見えないジャズやクラシックの気分を、眼で見ようとする。
物言わぬ造形が、永遠の時間を一瞬にとどめてゴドーを待ちながら
そこに佇んでいるようだ。

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ポンペイ

2006年12月04日 | 旅の話

ポンペイの広場はベスビオスの火山灰の下から姿を現して、歴史の記憶を蘇らせた。2千年前の街のまだ三割は土の中に安眠しているが。
村の食堂で昼食のナポリタンをとっていると、どこからともなくヴァイオリンと打楽器を持った老人達がテーブルのそばに来てトリオで演奏を始めたではないか。
こ、これは、チップはどうなってるの?食べていても気がきではない。
だが、なかなか良い気分だと気がついた。
どんどん、お願いします。
こんな演奏でホントにいいのか?と彼等はニコリともせず恐縮して演奏しているので、ノセるのに皆で苦労した。あきらかに近所の普通の村の人であった。

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東大寺梵鐘12月30日

2006年12月02日 | 旅の話
巷に雨の降るごとく、ヴェルレーヌの鐘も、良寛の鐘も、ノートルダムの鐘も雄弁に喋っている。
チャイコフスキーの1812年の鐘は軍艦マーチのようだ。
眼の前の、日本三銘鐘といわれる「東大寺の梵鐘」は、明日の六根三世の煩悩を吹き払う大働きをまえに、微塵の興奮もみせず落ち着き払っていた。
そっと触ってみると、わずかに振動しているように感じるが、指の鼓動であったかもしれない。
タンノイのユニットも、振動して歴史を創っている。
すべてを、振動宇宙というそうだ。


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唐招提寺講堂

2006年12月01日 | 旅の話

奈良の都も、年末には人がいなくなる、という話は本当だった。
或る年の12月30日平城宮跡に立つと、もと官庁街であったところはポンペイの遺跡のような記憶も大地に留めず、あまりに印象が薄い。
唐招提寺の講堂が、朝集殿(霞ヶ関ビル)を移築したものときいて、足を伸ばしてみた。誰もいない。
当時の御役人の勤務時間は、朝の四時から昼の十二時までであったそうな。
天平時代の木造弥勒菩薩坐像、持国天、増長天立像と三体がいわばジャズ・トリオで静謐な空間に、濃厚な無音の存在感をみせている。
土門拳は「キミね、仏像は走っているんだよ」とシャッターを切る心を述べたが、たしかに仏像はスイングしているようだ。
夕刻、ホテルを抜け出して、駅前の市場に食料の買い出しに出掛けた。
暖房の風をまともに浴びて、風邪をひいてしまったが柿が美味しかった。

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