ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

MONK'S MUSIC

2009年05月29日 | 歴史の革袋
練馬区についての続きの話。
そのころの或る日、工場にやってきた新宿営業所のN氏からフイルムとプリントを渡されて、
「自家現像をしている店主が、このシミのような斑が写真に現れる理由を教えてほしいと言っていますから、よろしく」
カラー写真の隆盛期を迎えた大阪万博のあとも、モノクロの延長で薬品キットを使い自家現像にチャレンジするマニアックな写真店があった。
現像部門で相談し、必要なデビロップメントのレクチャーを受け、昼食の空き時間にその練馬の写真店に電話を入れてみた。
ハイ、とオヤジさんの声がしたので、自己紹介のあと言った。これは現像タンクの攪拌不足に生じるムラのようですが、装置はどのような状況でしょうか?
「それじゃオレのやりかたがわるい、と言っているのか」電話の向こうは、そうとう気の短いオヤジさんが、カチンときたのである。
一瞬、言葉に困ったが、そのとき電話の遠くで「おとうさんが、説明を頼んだのでしょ!」と娘さんと思われる必死にたしなめる若い声が聞こえた。
おそらくこの娘さんは、いつも父親の仕事を見ていて、その声は一部始終を知っている。店主は急に態度を改めて、「やっぱり自家処理は無理なのかね」と言った。
ジャズ的葛藤の場面が、一瞬の舞台転換で、秩序と矜持と礼儀で構成されたミレーの絵画に変わっていたが、良いアイデアがほしい。
「そんなことは無いと思いますが、こちらでは乳剤の表面に薬液を充分触れるように、窒素の気泡で攪拌しています。いつでも機材の動いている様子を工場で案内できますから、」と教わったとうり言ったが、オヤジさんに、あまり変わられても娘さんとしてはどうなのか。
しばらくあと、巡回のついでに営業の車は思い出したようにその店の前を通ってくれた。

S・モンクはマイルスの要求にカチンときて、それなら、オレにどうしろと、とばかり曲が進んでもピアノを弾こうとしなかった、あのクリスマス・セッションは、やっぱりおもしろい。
ソロ演奏のモンクのLPを聴くと、いらない音符を削り取った絶対音符の人と言われるイメージどうりにタンノイから聴こえる。彼の作曲になる『ROUND ABOUT MIDNIGHT』はしかし、ソロより大勢でやった演奏のほうが、ファンクのフィーリングも饒舌でありながら深みを感じる。
マイルスは、ソロとトリオとセクステットを一曲の間に交互にして、おそらく完璧な陰影の画面を創りたかったようだが、モンクのリーダー・アルバムの例では、ホーキンスもコルトレーンもブレイキーも好き勝手にやってモンクのイメージとは正反対だ。
この1957年の『モンクス・ミュージック』は“希に見るセッション”と賞賛されるのももっともだが、あとで一人になってレコードを聴いたモンクの言い分はどうなのか。







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練馬の龍之介

2009年05月27日 | 巡礼者の記帳
むかし、或る旅館の勝手口にビールを届けたとき、放し飼いの座敷犬に、尻をパクリとされた。
それを見ていた仲居さんが「いま、噛まれましたよね?」と確認してくるのであるが、そのまえに、可及的すみやかにワンちゃんを押さえて。
それ以来、犬とは、心に一定の距離がある。

練馬から登場された客人は、ご自宅のオーディオ装置を見せてくださるといい、プチッと携帯画面を開くと、最初に現れたのはスピーカーでも練馬大根でもなく、お犬様のアップであった。
一緒に暮らして15年という、眼の周囲がお椀のように白く眉を描いたようなおっとりした表情で、いまにも人の言葉を語りそうな、うまく付き合えそうな雰囲気がある。
名は、何と言います?と尋ねると「龍之介です」とご紹介があって、そういえばもう大分前から吼えるのをやめてしまっているそうだ。
東武東上沿線といえば、まだ大農地が残っている都会のサンクチュアリであるが、当方もそこに20代の頃知人を訪ねたことがある。
そのときはじめて会った人物は、鉄工所を経営されていると言ったが、駅前の料理店で遠来の当方を心温かくもてなしてくださったことを思い出す。
同じ練馬区も、時が一新されていま携帯画面に映された室内は、都会的センスの響きの良さそうな広い木の室内に、ディナウディオという名のデンマークのスピーカーを配置し、車の雑誌の出版に昼夜なく忙殺されてこられた御仁の芸術的遊び心は、このような時間空間から雑誌に投影されたのかと想像できた。
柴犬の龍之介であるが、ちかごろは散歩も道の途中で「このへんで切り上げましょう」とポーズで言うと。

☆ジャケットはヴァンゲルダーの愛犬




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WE-16Aホーンの風聞

2009年05月22日 | 歴史の革袋
当方が県境にある金成の運転教習スクールを選んだのは、たまたま家の前に募集の車が停まったからであるが、好人物であった証に、実技試験のやり直しでカチンときたとき、ヘッヘッとやってきては無料券をくれた。どこで見ているのか。
「これまで本当に?車免許を持たなかったのですか」と彼は訝しげに当方を見たが、全員が車の所有を目指したら江戸の町は手狭でまずい。そのために交通機関は発達し、車は乗せてもらうものになっている。
金成の路上教習は、森の新緑のつらなる田舎道がババリア街道のように風光明媚で、フィトンチットの満ちた練習指定コースをしばらく堪能した。
ブレーキをかけるときクラッチも一緒に踏む当方に、隣りに居て注視しているタダ券の教官は気が付いて「あれェ?ハハーン....」というと公道から農道に車を入れ一直線に伸びる無人の道で彼は言った。
「さあ、アクセルを踏んでスピードを上げてみてください」
ビューンと車は飛んで行く。
「クラッチを踏んで!」
車は、一瞬ふわっとスピードがあがった。
「ほーら、どうです。クラッチを切るとかえってスピードがでるんですよ」
それは、動力理論的に納得がいかなかったが、事実だからしかたがない。
午後になって家に戻るとマンガの轟先生そっくりの人を訪ね、車の教習に宮城に行ったことを話した。
轟先生は、うどんをどんぶりからちゅるっと1本吸いこむと、鼻の上までそれは跳ね上がったのを見た。子供の時、高熱を出すとオートバイで往診に来て注射をうってくださった恐怖の人であるが、こちらの話しにふんふんと笑っている。
金成というからには、むかし金が採掘されてその名が残ったのでしょうか?と問うと、轟先生は言った。
「金なら磐井川でも採れて、磐井橋の下の高校のあるカーブのところにも砂金は溜まっているから、昔は、採る人がいたね」
そういえば磐井川に沿って、金ばかりではなくさまざまのオーディオ装置がうなりを上げているが、先日登場したお客が、おもしろいことを言った。
「れいの雑誌で、ウエスターンの16Aホーンがこのあいだ売りに出ましたが、70万とあるので、誰かと見ると、厳美のあの御仁です」
磐井川上流に鎮座している怪鳥のようなWE-16Aホーンは、つとに高名でいるが、思えばみょうに安い値段で、壊れてしまったのかと心配した。
「そうでしょう。花泉のK氏に電話を入れ確かめると、700万の誤植と聞きました、とのことでした」
それには一瞬、タンノイのサウンドも変調したように轟いたが、どうやら売りに出すというよりは、存在を誇示したのか、と感想は一致したのである。







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V-12の客

2009年05月21日 | 巡礼者の記帳
ROYCEのまえに、『V-12』が駐まった。
ペーネミュンデ実験場で開発されていたロケットは、V-1号とV-2号であったが、なんと二つ合わせたネーミングの銀色のロングノーズの車体は、ベンツ最強の6気筒バルブが2列に並んだ豪勢さで、007のアストン・マーチンV-12をこれは凌駕しているのだろうか。
さっそくドアを開けて内装を見せていただいたが、見るんじゃなかった....というか、立派なセンスは、眼の毒である。
これで高速道をエンジンの唸りも軽やかに一走りしたら、どうかな。
昭和の昔、某社に宮仕えしていたころ、『シボレー・カマロ』を乗り回す人に社員通用門まで送ってもらった時、そのV-8のパワーで追い越しするところをみていると、エンジンがそのために唸るわけでもなく、加速の振動もなくシューッと左右の車が後方にさがって行く。
これまで難物に感じていた輩がニコニコ寄ってきて、「カマロが停まったので誰が降りてくるのかと見ていたら、驚きましたヨ」と言ったが、こちらが驚いたのはV-8エンジンのパワーではなく、以後の接遇がコロリと変わってしまったほうが笑えた。
先日、車検を終えて気分良く走っていた当方の方丈記な車の傍を、名古屋ナンバーの白いロールス・ロイスが音もなくシュルルルと軽やかに追い抜いていった高速フ道の絶景を思い出したが、このV-12気筒なら、並んで太刀打ちできたか。
「ありますよ。ロールス・ロイスのオープンカーも持っていますので、こんど乗ってきましょう」
お客は、そういうと、お借りしていたMCカートリッジのお礼ですと言って、紙包みの菓子を差し出してきた。
あのね、それもいいけれど、2.30個、カートリッジを買って座席に並べておきなさい。
そうだ、ロールス・ロイスは明るいときにお願いします。銀塩フイルムをセットするので。
ローチの華麗なるドラミングでロリンズを楽しみつつ、さてロールスがロイスの前に韻を踏んで駐まる日をゆっくり待とう。







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ラス・フリーマンの客

2009年05月13日 | 巡礼者の記帳
どのくらいの時間が、かかったのでしょう、と尋ねると
「3時間半くらいです」とその一見静かな秋田の客は言った。
『たまゆらの会』というオーデイオ団体のことで、パンフレットをみると秋田も盛大な音響組織をもっていますね、とこれまでおいでになった人を思い出して感心した。
「その会に、二度ほど誘われましたが、アルテックの響きが、とくに存在感を見せています」と、何かの情景を思い出したようにニッコリしている。
どのようなサウンド装置があなたは良いのですか?
「自分の耳にとってスピーカーの音は、大きく鳴ってもかまいませんが、うるさく鳴るのはいただけません」
このような御説を聴き違えて、軽々にうなずいていけない。タンノイの音楽に優るものはない、と言いつつ、アメリカの音に痺れている人を何人も知っている。
先日、仙台からおみえになったお客が、酒田の『グリーン・ベイ』に置かれているウエスタン・サウンド装置が、絶妙の音と申されていましたが?山形の諸兄がうらやましいです。
「酒田はすぐ近くなので、では、こんど行ってみたいと思います」
5~60年代がやっぱり良いというこのお客は、いまジャズ・ハイウエイのどの停留所にいるのか尋ねてみた。
「もしできれば、チェット・ベイカーとラス・フリーマンのやっているのを、聴いてみたいと思いますが」
ラス・フリーマンという、得体の知れないサウンドブラスターについて、チェットとの組合せが良いと言っているのか。どれどれ、とさっそく針を乗せてみた。







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アメリカ青年

2009年05月12日 | 徒然の記
陽光すがすがしい季節、街路に自転車を停めた2人のアメリカ青年がやってきた。
近所に事務所があって、ときどき顔ぶれが変わるが、丁寧でフランクである。
「ジュースをクダサイ」
喫茶に入らず、お酒の棚を見たり、気分良く会話しているのが聞こえ、なぜか全部日本語である。
「オー、バドワイザーがある」
「これは、いくらデスカ?」
240円、とおしえてあげると、ひえーと言った。
「アメリカでは、50円デス」
すると、もう一方の青年がキッとした顔で「呑んだの?」と鋭い眼で聞いた。
慌てた相手が、「イヤ、ノンデナイ、ホント」と哀願調に打ち消したが、すべて日本語。
彼等は、どうやら酒の味を知らないから、ウエスの『Tequila』も、想像だけの世界でおわるかそれもいいねと、バックのロン・カーターを探して聴く。





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ロケット

2009年05月10日 | 歴史の革袋
そういえば昔、当方は、ロケットらしきものを飛ばしたことがある。
それは小学校のとき、裏庭の物置に、代用ガラスに販売したというセルロイドの板が縄でくくられて棄ててあった。
だれに教わったかナイフで削って、鉛筆のアルミキャップに入れ、端を石で潰す。
一説によれば、ジャンボジェツトは18万リットルのガソリンを積載し離陸するといい、サターン・ロケットにおよんではあのタンクが、ほとんど自重のために消費される大掛かりなのに、こちらは素朴に積んだセルロイドキャップを二個の石コロの間に渡し、下のロウソクに点火、物陰に走って退避する。
NASAの偵察衛星が、正午の上空を横切るはずもない光景の、ただならぬ胴震いを見せるキャップロケットの様子を窺っていると、突然、膨張したニトロガスがぷしゅ!という音を残し、目にも留まらぬ速さでどこかに飛んで行く。
これでは、楽しいよりオソロし。
記録映画のペーネミュンデ実験場のブラウンも、同じように緊張している映像を見たが。

そのころ、ゴム動力の模型飛行機を飛ばす達人の噂が子供の間に流れ、あるときついに遊園地の広場で、飛翔の瞬間に立ち会うことができた。
県大会で、滞空時間が二位だったという長身の人物は、賞状と商品が保証している偉人である。
長い動力ゴムが、クルクルと充分に巻かれ、白い紙の貼られた竹籖の翼を垂直に向けたロケットのような姿勢で、難なく手から離れて昇っていった機体は、適当なところでパタと姿勢を変え水平飛行に移った。
風の停まった天空をゆっくり円を描いて、澄んだ秋空に飛んでいるのを見た。
それから半世紀もたつあるとき、たまたま出会った遊園地の近所という人に、当時小学生のまぶたに焼きついた飛行機のことを話すと、その人物はニッコリして言った。
「それは、私です」

☆続きの話
或る日、我々餓鬼ンチョがいつもたむろして遊んでいる小川の傍の門柱から、着流しにメガネの男が出てきて、小学生の当方に言った。
「飛行機を作って上げようか」
どうやらペーネミュンデ遊園地の飛行機の会話が聞こえていたのかもしれない。
話したこともない人であったが、いまテレビ画面で探せばコラムニストの神足裕司に似ていたような気がする。
数日して、その人物が帰宅している約束の夕刻に行ってみると、竹ひごや薄紙や図面や接着剤の入った袋を開けてみせてくれて、おばあちゃんが、炉にギンナンを焼いて皿に並べてくれた。
「あしたから作ろう」と言われた翌日は日曜であった。
縁側で部品を広げ、竹ヒゴをロウソクであぶってつばさの形に曲げていくのを見たが、図面にいちいち重ねて、正確に整形する作業は精密だった。
そこに来客があって、縁側に回ってきた人と、やあ!と気心の通じた間柄の笑顔を見せた。
「なに?それ」
「作ってあげる約束でね」
訪ねてきた男性も、一緒になって組み始めると、メガネの神足氏は笑って言っている。
「先生が二人で作るのだから、相当なものが出来るのかね」
濡らした手拭いに、翼になる紙を挟んで湿らせると竹ひごに被せ、少しの余りもなく正確に切り取られていくのを見た。
数日して機体は完成し、あの県大会の偉人がパフォーマンス飛行したと同じ、ペーネミュンデ遊園地に、それは持ち込まれた。
その神足先生は、いつも言葉少なに含蓄の片言で済ませる人で、メガネの奥の眼も柔和に、傍にいると緊張と安心が同居するというのか、当方はおおむね神妙にしていた気がする。
機体はゴムを巻かれると、静かに手から離れ、ふわりと滑空した。
神足先生は、うん、いいねと笑うと、小学生の当方を残してあっさりと帰っていった。

☆北上川に架橋工事の川崎宿









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クラリネットの客

2009年05月05日 | 巡礼者の記帳
春も半ばの奥の細道を南部藩の帰途、その客は寄り道した。
レニングラード・フィルを駆って、ムラィヴィンスキーがエモーショナル豊かにタンノイを鳴らしてゆくところを聴いてみた。
「吼える金管、といいますね」ロシアの楽器は、味の濃い音色で迫ってくる。
やがて弦楽四重奏曲2番を背景に四方山話をしていたが、机上に積読書籍の一冊から『島田○彦』を目ざとく見た。
「彼はサークルに入ってきたのを憶えていますが、演奏活動ではどうも印象がなく、美女を一人拐かして去ったのでした」
さもありなん。
「部活の予算がないので、合宿の移動はもっぱら各駅停車にして、コントラバスまで乗車させた悠長な時代です」
かれはクラリネットの達人であるけれど、それでいくに世界は狭く、しかし音楽の中に日々溶け込んでいるのであろうか。時には執務中も膝で演奏するのがたのしい。
その貧乏揺すり、やめてください。と机を並べる高尚な周囲のOLは、たまりかねて言ったのか。
無礼な。膝が揺れているときこそ執務も演奏も順調な、ジャズでいうところの『スイング』なのだが。
業師、芸人、職人、場立ち、文人、彼等をよく観察すると、佳境のとき体のどこかにスイングがある。






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赤いベンツの客

2009年05月03日 | 巡礼者の記帳
「仕事でニューヨークに渡ったとき、ヴィレッジ・ヴァンガードに何度か足を運んでいますが、その地下鉄のことは、気がつきませんでしたね、フウーン」
繊細な指を器用に振って、客はスイングしていたが、さきほどの話を思い出すように、「ジャズ・バーのトイレを借りようと入ったら、ロン・カーターとばったり遭った」話や、適当に繰り出す話題がジャズと合っている。
コーヒーを届けると、隣りのエレガントな女性が退屈しないように、きれいな敬語でジャケットの解説を話し聞かせているそつのなさ。
この人物は、何者なのかな?
店のまえに停めた赤いベンツを問うと、あれはもう十年以上乗っているダイムラー時代のものと受け、写真の話になったときむかし当方が遠征したアグファ社が閉じた年代を、ピアノを弾くように遡って正確に教えてくれたので、感心した。
捻った話題にどう返ってくるのか?
むかしジャズでお世話になった大先生のことで、あるときその人物が「父は隠居して、近所の碁会所に足を運んでいる」とはじめて親父さんのことを話したので、それまでのお仕事は?と問うと「警視長」といったから、あぶなく敬礼するところでしたねと、もらったコルトレーンのCDを見せた。
するとその客は「ああ、ボクの親父は、警視正です。もう引退しましたが」とあっさり応じたのだが、これはジャズなのだろうか。
エレガントな女性は、当方の話すとき、わざわざ身を乗り出して万全の態勢で微笑んでくれるので、これに驚いた。
お二人に、参りました。







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門前仲町の客

2009年05月01日 | 巡礼者の記帳
朝8時半に電話が鳴って、その客は現れた。
「ぼくは、前にも、来たことがあるのです」JOHNNY COLESのトランペットが止んだとき、静かに言った。
しばらく記憶のページを捲って気が付いたが、その人物は様子が変わって別人になっていた。高速道を、どのくらい乗って着いたのだろう。
「朝、5時半に向こうを立って、初めてでしたが中尊寺界隈も眺めて来ました」
足立ナンバーのこの人物が七年ほど前に現れたとき、彼には付き添う母親がいて、新車のボディーに生々しい2本の接触キズがあったのを思い出した。
あの時、電話の向こうで、母親なる人はこう言っている。
「ただいまは、とても良い音のジャズをあり難うございました。いま『B』というところの前に居るのですが、店が閉まっているので、なにかあの.....」
遠くで、大きな声で我儘を言っている男の声が漏れてくるが、母親は、一貫してあくまで優しく、いとおしそうに寛大だ。
この人物の近所には、門仲の『タカノ』があって、子供のころから入ったと、あのとき彼に江戸下町の粋の良さが溢れていた。しかしいま、眼の前にいる人物は、別人のように紳士である。
優雅な付添人の、その後はどうか。
「母は、ちょっと病気をしましたが、元気でおります」
Blue Noteの84144は、B面のラストが、たまたまその情景にぴったりのフレームを思わせて鳴っているのに驚いた。
その紳士は、現在ミツビシを使っているそうであるが、いずれタンノイもいいですね、と言った。
時間は、JOHNNY COLESの経過を鮮やかに描いて4次元のかなたに進んでいく。









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