ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

携帯タンノイ

2011年10月10日 | タンノイのお話
利休のわび住まいに、タンノイ。
幸いなるかな道楽
この期に及んでふと、茶室向け、寝室向け、旅籠向けに携帯タンノイを考案した。
ユニットはⅢLZの10インチモニターゴールドを流用し、極限まで箱を小さく薄く、マグネット部は背後の板につき出させて、それなりの蓋をつける。
色彩、化粧板自由自在。上部と下部に棒が付く。
側面にカーオーディオのカセットやチューナーなどのデッキがビルトイン。
弁当缶サイズの上部に300Bを挿す。プリはクオードやDB-1がよい。
またショートホーンのエンクロージャーに、後面の板を取った箱のままビルトイン。
この箱2個にサブウーハーまで備え、
しみじみ
世にこのような、こしゃくな世界があろうとは。


※夕刻「ちょっと駅に知人を迎えに」と登場したV6アウディ氏が、ⅢLZは何インチでしたかと言っている。誰も見ていないと思っていた...
パリに行ったときガイドが、シャンゼリゼはシャプスエーリセオンというラテン語で、日本で言う高天原の意味だと言った。
それなら平泉にもあるなぁ、と緊用で先日空中回廊を途中まで行ったら工事中であった。
その前の週か、早朝大船渡からもどるとき、隧道で静御前が車を運転しているところとすれ違った。
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ST.THOMAS

2011年10月02日 | 巡礼者の記帳
白のマツダ車から降り立った御仁は、以前にも見覚えのある秋田の人である。
2つのカメラクラブに籍を置いて御仁は、カメラとレンズ一式を手に車高低く迅速な車で各地を席巻されてきた。
前項の横手市から北西の方角に進路を取ると、100キロ先の日本海に突き出るように男鹿半島はあり、地図上で弓なりにきれいに反った海岸の深部に、県庁の置かれる『秋田市』があり、そこに住いがあるという。
飛鳥時代からこの地に国府機能を振るった『出羽の柵』は、そのとき諸国から選ばれた1300戸の移住があったと記録に残り、いまは秋田小町の華やかな人口32万の大都会となっていた。
「200ボルトを引いてみました」
オーディオ装置に電源まで気を配る者に、専用電柱まで特注した有名人もいる至高の世界であるが、いざ行動となると、認可の要する障壁分野である。
この御仁の室内に、静かに増えるCDの山にハッと気のついたご夫人は、いぶかしく視線を向けるときもあるそうで、しかし
「どうも、こちらが留守のときに、何かを聴いている様子です」
当方のアンプリファイアーについて、常時通電したままなのか、お尋ねがあった。
それで思い出すのは千葉の大先生のことで、奥方がこちらに漏らされた話に、主人が出版社から帰宅して、
「きょう電源、落とした?」
部屋の掃除で壁のコンセントを拝借したことが、音の変化に発覚したスゴ耳なのか。
それほどでもない当方は、まいにち遮断していることを、そういえば誰にも黙っている。
最近『Zoot』がよいとあれこれ触手をのばしておられるそうで、
「最後に、ロリンズのモノラル盤のST.THOMASをお願いしたいものです」
あのまばたきのない角形の眼光の先に広がっている太いパイプから、ズートとはことなった直截な野太いテナーサクスがタンノイから放射されると、ご自宅の音や、さまざまの記憶の原風景が一瞬にフラッシュ・バックして、御仁の脳裏にひらめいた。
秋田の金売り吉次の隠し金山の脇を通って、いつか日本海をながめに道の駅を縫って走ってみたい。






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雲と霧の二楽章

2011年10月01日 | 旅の話
きのう発表された9月末の日本の株式時価総額は266兆円であった。
これが1989年のバブル絶頂期には890兆円計上されていた。
『おあし』は羽根が生えて手強い。
色即是空する世の、寿司はどのみち2人前で腹一杯とわかり、カセットテープでジャズを聴く。
すると、『マイファニー・バレンタイン』が予想外の節回しで、美空ひばりのようにイントネーションが凝っている。誰だろう。
シングス・ザ・ヴィーナスから収録されたアニタ・オディであった。
新潟からお見えになった御仁は、ご自宅のウエストミンスターの写真を見せてくださった。
部屋の反対側にはJBLが置いてあり、本来ジャズの人であるが、Royceで聴いたヴィヴァルディの冬の二楽章を覚えていてくださって、さっそく買い求めて、それからよく聴いておられるそうである。
あるとき、そのヴィヴァルデイの生息の地、ベニスに行ってみた。
ベニスは土地が狭く、どの家も一族郎党が集団で1軒に住むといい、ベニスは決して窮屈ではないがびっしり家が立ちこめている。
ここで生活した彼は、もうれつなスピードで作曲しながらピェタ慈善音楽院の業務をこなし、『四季』をはじめ幾多の名曲を生み、人気が出ると外遊するようになった。
驚いたベニスの事業主は、給料はそのままで作曲生産を厳命している。
はじめに四季は、慈善音楽院の子供たちで演奏されたのであるとしたら、いまRoyceのタンノイで鳴っている演奏は格闘技のような音であるので、作曲者も「誰の曲だ!」と驚くのかも知れない。


※Zeiss1.4/85


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