ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

陰影礼賛

2010年07月31日 | 巡礼者の記帳
道野辺に 清水流るる柳かげ しばしとてこそ たちどまりつれ

『ジャズ徒然草』の庵主がお見えになって、果報にも『マイルスの枯葉』45回転ブルーノート27001をいただいた。
話には聞いていたが、このようにオリジナルを超えてしまうとおそろしい。
いつも同行される御仁もかわらずご健在であったが、昔、自由が丘のファイブ・スポットに互いが出入りしていたことが、符丁になったらしい。
ジャズも人も陰影なのかな。

☆ NikonFTN



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キャデラックの客

2010年07月30日 | 巡礼者の記帳
初夏の風を切って、その客は現れた。
――そとの車は、初めて見ましたが?
「キャデラックといいますが、日本でのことを考えて、4メートルに短くしてあるようです」
――内装は、なにか特徴があるのでしょうか?
「かまいませんよ。あとで見てください」
細めのタイと格子縞のシャツが、どことなく湘南の微風を漂わせて、サボイのジャズが似合いそうな御仁である。
そのときふと、昔、お世話になった会社にいたあのE氏をしのばせていると気がついて、さまざまなことを思い出した。
E氏は、ざっくばらんに、うるさいことを言わず、軽快に周囲をまとめて大型現像機を運行していたが、薬液の管理やタンクの分解清掃など、いつ見に行っても忙しそうな職場であった。
ところが、雑誌社の催したマージャン全国大会にひそかに参加して、どんどん勝ち進んでしまったらしく優勝カップを掠い、周囲の人間ははじめて偉大なそのセンスと、日常の所作に刮目することになった。
全国優勝と、なにか結びつけるわけではないが、見る目が変わってしまったような気がしないでもない。
賞品のハワイ旅行をおえてしばらくのち、ご本人はご専門を生かすべく、あっさりと職場を去った。
いまも、E氏のアルト・サックスのような語り口が、新米時代の後輩を仕事に督励して飽きさせなかった日々を、ジャズのように思い出す。
キャデラックの御仁は、あっさりと軽快にコーヒーをたいらげると、颯爽と次の港をめざして去った。




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COOL STRUTTIN

2010年07月27日 | 巡礼者の記帳
S・クラークのリーダー・アルバムの録音された1958年は、乃木大将ブランドの小学生服を着せられて中里町に住んでいたが、忘れ難いシーンがある。
コンクリートの玉砂利の模様を浮かべ夏の日差しを照り返す白い国道の、家並みが午後のまどろみにシーンとしている、荷馬車も人もまったく誰も居ない昼下がりに、皆どこにいったのかと人影を探していると、遠くに現れたのは、この時代に場違いな洋装の女性が、それまで見たこともないカカトの尖った靴を履いて、悠々と一人、傍若無人に道の中央を、ゆっくり歩いて来るのが見えるではないか。
笑みさえ浮かべて、特殊な文明を身に付けた異星人のような圧倒的大胆さで、おそらく山目駅から汽車を降りて、国道の真ん中を歩いてきたらしい。
タクシーも無いあのころに見た、それがいまも当方の『クール・ストラッティン』である。

初夏のにわか雨のあとRoyceに現れた若い男は、当方を店長と呼びタンノイの前に座っていたが、この一世風靡したソニー・クラークのリーダーアルバムを聴きたいと、ハンチングを冠ったまま言っている。
北上市の生まれで、姉二人はピアノをやり自分はトロンボーンで、弟はギターだといった。
――それでは、あなたの親御さんも、なにか楽器をされるので?
「父は、バンジョーを弾きます。いま聴いたクラークの演奏は、スピーカーの特徴なのかわかりませんが、リズムのアクセントが非常に変わっていますね」
1931年生まれのソニー・クラークは、57年にニューヨークに戻ってブルー・ノートとレコーディング契約をした。
クラークは緊張し、マニアックなアルフレッド・ライオンがニコニコしている写真が残っている。
20以上のセッションと録音を残しているが、ちまたにおいては、ニューヨーク酒税局のキャバレー演奏許可証がなぜかもらえなかったので、当然歩んだ道であるはずのライブで有名人に、とうとうなれなかったらしい。
だが、彼の力量を、チェインバース、ジョー・ジョーンズ、マクリーン、ファーマーとの五重奏団で聴ける幸運を、ブルーノートは残していた。






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長野県の客

2010年07月18日 | 巡礼者の記帳
遠路立ち寄ってくださった長野県ナンバーの3人は、先生と呼ばれるアンプ創作300台の御仁を中心に、オーディオについて感性ただならぬ客人である。
隣に座しているかたのお話の漏れ聞こえる言葉から、スペンドールやソナスファベールや、多くの機器を楽しまれて、ROYCEのコンクリートの部屋で鳴っているタンノイをいま楽しそうに聴いておられる。
ジャズもクラシックもボーカルも、トリオもビッグバンドもすべて1台で鳴らすための装置。
一台の装置で、心を奪われる音楽を再現できるとしたら、いったいどういう選択があるのか。
このさいポンとスイッチを入れるだけで、雑念を湧かずに音楽世界に入っていきたい。
それは、バイタボックスなのか、クリプシュホーンなのか。
うむをいわせぬ音を求めて、我々の旅は続いている。
「このスピーカーコードはどういったものでしょう」
――メートル350円のマイクロフォンなどに使うシールド・コード10メートルです。
「それは、どこで売っていますか?」
――郊外のコメリにありますから、地図を書きましょう
「真空管はどういったものでしょう?ほかになにか、」
――プリとパワーを繋ぐコネクトケーブルは、東北電力の方のお話ではJPSの高周波ケーブルというらしいのですが、だいぶむかし九州のK先生がご紹介くださったもので、電話するとそうとう良い音を聴いておられた時間であったかこころよく、片手で良い、ですとおっしゃいましたが、6メートルともなるとちょっとしたボーナスの金額であったらしいので、知らなくてよかった唐天竺の到来品です。
長野県の製作名人は傍らで、あくまで冷静にそれでいて温かく補足してくださっているが、ウーロン茶のストロ―をつまむと「きょうの東北は意外と暑いようだが」と申されて、タンノイ装置はSONNY CLARK TRIO が、ファンキーな歌心を直裁に演じている。





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水戸の客

2010年07月17日 | 巡礼者の記帳
水戸ナンバーの車から現れた御仁は、政党の幹事長といった恰幅のよい人であるが、一瞬ジャズにこれは何用かと思わせたところがすばらしい。
「まもなく定年を迎えるのです」とタンノイのまえで申されて、草深い庵に立ち寄られたうえは、ジャズの水戸学など、繙いてくださるとうれしいのであるが。
――貴方のジャズ世界はどの年代を逍遙しているのでしょう?
「ビバップからモードに変わっていくあたりが良いのですが、これからは、自宅でもビッグバンドに新しい出会いがあるのかもわかりません。ソニークラークのヨーロッパツアーもおもしろい。エバンスのExploationsは盤が擦りきれるほど聴きました」
エクスプロレーションズというエバンスの情景は、静かなスタジオにあって、ラファロとモチアンによって、あらゆる音像の強弱がためされ、再び五線譜に戻す記憶があやういほど、自由に放たれた造形が、時代を越えてタンノイから飛んで行く。
ミラノのダ・ヴィンチ工房の静謐な創作のような、誰もが同じスタジオで、彼らとともに過ごす時間を楽しむ名盤である。
この御仁の、膨大な業務と対峙してすごされたこれまでの環境に、短く感謝の言葉をもらす一瞬をききながら、いよいよジャズと向かい合う時間を心待ちにされている今が、うらやましくさえ思われた。
かたわらのご婦人の、偕楽園の小径のように笑みを湛えているユニットは桂観であった。






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白妙の衣ほすあり

2010年07月04日 | 諸子百家
ヘプバーンと教授の『マイ・フェアレデイ』の一幕は、英国オペラ的、洗練への挑戦ということなのか。
日本にて園遊会があった日は、洗練への日本的結晶がそこに見られて、午後のニュースがジャズである。
或る時、目黒駅でタクシーを拾い権之助坂と反対に下っていくと、妙なことに気がついた。
通りの沿道の両側に、10メートルの間隔で相当数のお巡りさんが並んでいる。
運転者に聞いてみた。
――何かあるの?
「おそらく、あれでしょう」
そのときビューッと現れた無音のパトカーの先導で、旗をなびかせた黒塗りの大型車三台が猛スピードで傍を通って行った。
通りの先まで、一瞬すべての信号機が青になって、それであっというまに姿は見えなくなった。
「迎賓館に向かっていますね」
外国の賓客?。
そのあとで不思議なことがおこった。
沿道にあんなに大勢並んでいた制服の集団が、忍者のようにさっと姿を消していた。
洗練への一幕の挑戦か、都会のうたかたは何事も早い。目黒通りはまたいつものように、うららかな陽気をアスファルトに照り返していた。

春過ぎて 夏来るらし 白たえの 衣乾すあり あめの香具山

シロガネの迎賓館なら、一度だけ食べた料理を漠然と思い出せるが、国光園の中華料理のほうが当方には趣味である。
先日、千葉の某所から、さすがという男女が登場した。
――おや、兄弟のように似ていますが。
顔を見合わせていた二人が、言った。
「どっちが上なの」
「そっち」
「うっそお!」
女性は、このジャケットに似ています。





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青森市の5人の客

2010年07月01日 | 巡礼者の記帳
「このアーチストは、年代順に並べていくと、はじめはテナーサクスを加えていますが、あるときからばっと変わって、アルトサクスになり、棚にCDを並べていくと、最後はソプラノサクスになっていきます」
これが、以前タンノイでハイドンを聴いておられた人なのだが、いまでは言葉でもサクスを吹いている青森市のジャズ・サロンのご主人である。
以前お会いしたときよりさらに、風貌がロリンズに似てきたご主人を前にして、すでに高みあって悟りを開いてしまったのではないかと感じ入って、当方はわずかにうらやましい気分がしてきたではないか。
同行の4人の面々も、口は抑えているがスイングを見ると手練である。
隣の客が、『ROLLINS ON IMPULSEI』のLPジャケットを見ていてつぶやいた。
「ロリンズがバンゲルダーのスタジオに入っていく後ろ姿ですね。ドアを開けているのは、バンゲルダーでしょう」
このような人々の住む青森に拡がっているジャズの空気とは、どのようなものであろうか。
漠然と考えたとき、サロンのご主人はカバンから1枚のCDを出して申された。
「これは6月にリリースされた寺久保嬢のアルトサクスの演奏ですが、」
マイ・フーリッシュ・ハートが流れて、デビューしたばかりというのに流麗なサクスが、7月の外気に溶け込んでいった。ケニー・バロンのピアノがまた素敵だ。





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