ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

厚木の客

2012年04月22日 | 巡礼者の記帳
ゲートを入ると、そこはアメリカ。
にこやかな軍人達が総出で案内役になり話しかけてきて、要所で待っている女性隊員も全員満面の笑みで、売店の陳列商品はアメリカから直接運ばれたものである。
「カメラのシャッターを押しましょうか?」
英語であるが、コカコーラの缶が、茶筒のように大きい。
毎年、基地解放サービスデーは、飛行機や基地内を見物に人々が集まるお祭り日であった。
ところが、いまから65年も前の1945年8月30日は、この厚木基地から日本は大変な日になった。
敗戦の日本は、帝都の防空を一手に担っていた飛行機のプロペラをすべてはずされ、進駐軍総司令官が飛来した日である。
サングラスにパイプをくわえ、ゆうゆうとタラップを降りるマッカーサーの姿をニュースで見るが、それが厚木飛行場であった。
マッカーサー将軍は、それから昼食に向った横浜の接収ホテルのテーブルで、皿の鯨肉を一口食しただけでウッと無言でフォークを置いた。
日本人にはせいいっぱいの、いま残っているご馳走だったのだか。
翌日、厚木基地にロッキード貨物が百機ばかり飛んで来て、満載の肉や物資を下ろしていたと書かれている。
VOA放送やFENも、このとき一緒に進駐軍とやってきて、ジャズの新しい風が日本に入ってきた。
そのうえマッカーサーの子弟もアメリカに戻ると、ジャズ・ピアニストになっている。
きょうの夕刻、ROYCEの前に白い車が停まって登場したのは、どこかそつのない御仁であったが、しばらく話を聞いていると、どうもジャズを知っているようでもあり、本当は知らないようでもある。
このようなお客が、意外におもしろいことを話してノリがよい。
厚木に住んでいたことがあるとのことで、米軍基地の一般解放日のことや、いろいろな見聞を昨日のように話してくださった。
厚木飛行場は、地平が見えるように広かった記憶がある。





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ピアノソナタ『月光』

2012年04月17日 | 巡礼者の記帳
ベートーヴェンが30歳のときジュリエッタによせて作曲されたという作品14番『月光』は、はじめに緩徐楽章が弾かれる変わった曲である。
これまでの印象では、右手の三連符と左手のオクターヴのバランスが無限の難曲であり、とうとうめったにタンノイで聴くレコードがない。
テンポがゆっくりすぎると「気のきかないひと」であり早すぎては「せっかち」と思われるところが明白で、いまだめぐりあえないレコードベストワンである。
月光ソナタをせっかくなのでイラストにすると、月夜を走る蒸気機関車のようなおごそかにロマンなベートーヴェンが浮かぶ。
第二楽章になり、晴れやかなメロデイにジュリエッタの登場を思うと良いのであろうか、この楽章は女性ピアニストの演奏が良いかもしれない。
最後の三楽章は、隔てる障害の出没を曲にしているように、ウラディミール・ホロビッツの真っ直ぐな指と、あるいは直角に曲げられた強打の自在に入り組んだ表現に感心するばかりである。
やはり第一楽章は、モラベッツも良いとは思うが、グルダでもケンプでもルービンシュタインでもグールドでも、まだ先があるのではなかろうか。
先日、久しぶりに343街道を走ると、高田の海と平行のメインストリートにガソリンスタンドが開いてアッと思ったが、この343号線の山沿いの区域は、道路をときどき鹿が散歩しているのでスピードを出すものではない。
昨晩見たのは以前会ったニホンジカと違い、カモシカだった。
崖に身を寄せて車を避けている姿がなんとも賢い。





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三河湾の滑走路

2012年04月07日 | 巡礼者の記帳
『OTL-4J』フッターマン・アンプで自作スピーカーを鳴らし、音楽を楽しんでいると申される客人。
室内の様子を以前写真で拝見して、オーディオを楽しむ我々も、こんどばかりは見当がつかない。
お手上げである。
同行の御婦人も、いつも一言もないので、音の様子が何がなんだかさっぱりわからない。
彼は、これまで訪ねた全国各地の音響の風景を、気負った風もなく淡々とレポートする。
だが、自分の音は謎である。
そのうえ現実の写真で作品を拝見すると、なかなかギョッとする出来栄えではないか。
ワーグナーの雄大な楽曲の世界が、この大きな衝立のようなスピーカーの背後にふわっと浮かんだ。
タンノイロイヤルの三メートルバックロードホーンが、バイロイト祝祭劇場の楽劇構造に近い、と解釈していたが、この人物の造ったスピーカーは、新バイロイト様式の雄大な外観でワーグナーのためにあるのでは。
オーディオもスケールは音楽の本質にふれるもので、ワーグナーも、とうとう自身の作品のためにバイロイト祝祭劇場の建築を始めていた。
当方は子供時代に、音楽の三要素はリズムとメロディとハーモニーとおそわったが、しばらくオーディオをたのしむうち、どうやらダイナミズムを足して四つではないか。
このスピーカーの写真をながめていると、ワーグナーの無限旋律が浮かんでくる。
ところでその女性のヘアスタイル、ノーマン・ロックウエル調に見え、言外に雄弁である。
みちのくはそろそろ春日和。





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シルバー・ベンツの客

2012年04月05日 | 巡礼者の記帳
銀色のベンツから降りた御仁はRoyceの様子を見回すと、ソフアに座り、「左チャンネルの音が出ていませんが」と言った。
それは壁際のスペンドールを鳴らしているので、正解である。
ご自宅の神韻渺々タンノイオート・グラフは、プリとパワーとも純正『是枝アンプ』によって、床はコンクリートじか貼りに、EMT927でレコードだけを楽しんでおられるという。
「モニターゴールドの入った、英国純正のものです」
oh!
「よくぞ、そこまで」と、タンノイを聴くものはうらやましく思い、あるいはあきれ、しばらく我が事のように嬉しい気分になるものである。
御仁は、言う。
「わたしは、アンプを組み立てる趣味が有ったことから、是枝アンプを自分でハンダ組み楽しむ希望を岡山に訪問してのべますと、部品だけ送られて来ました。しばらくそれで満足して聴いておりましたが、真実は、自分の工作品と純正品に音の違いがあったのです。ひとつの例で、最初に低温ハンダした部位にさらに高温で二重にハンダするのは手間ですが、完成品の音におおきな違いが現れることをしらされました。純正の是枝アンプはこのような製造ノウハウの集合体であり、わたしは買い直すことにしました」
その是枝アンプについては、当方、南小倉の御仁の配慮をもって以前タンノイを鳴らしたことも、また気仙沼某所において聞き覚えた経験もあり、EMT927と合体した構成が、揺るぎない繊細と豪放を兼ね備えたオーケストラサウンドで聴く者を圧倒しているありさまを想像した。
このような真贋の希求意欲に優れたひとの、ご自宅で鳴るタンノイの音を推量するとき、おもわず、五味康祐さんの辛口の論評を懐かしく思い出す。
五味さんに訪問を受け、ご自宅の装置の音をコテンパンにやられた人々はすばらしい人々であった。その場に立ち会ったわけでもないのに、SS誌のページを始めに眼を通し、音が聴こえるようで、なぜかものすごく感心したことを思い出す。
タンノイの神髄を知るとは、良さと足り無さを細かに聞き分ける分別のことであるので、限られたページにあのように五味氏の筆で書かれることは、たまったものではないはずだが、相手が五味さんでは仕方がない。
御仁は、当方の計画するモニターゴールドとロイヤルの合体に、若干の危惧を述べられてお帰りになった。
モニターゴールド入りのロイヤルは吉と出るか?





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悠久のジャガー氏

2012年04月03日 | 巡礼者の記帳
赤や青の英国ジャギュアを走らせて、悠久の音楽の旅をつづけていた御仁は、御自宅に部屋を三つあつらえてそれぞれにタンノイやアルテックやコンデンサースピーカーを装着し、きままにクラシックやジャズを聴いている様子を写真に見せていただいたことがある。
傍目には、それで充分すぎるというものであろう。
ところがある時、それは非常に天気の良い午後のこと、ひょっこりROYCEに現れると窓際でロイヤルを聴き「この音は出ないね」といったそのときから、なにか新しい次元を意識されたのか、マランツ♯7やシロネアンプなどをあっさり搬入しておられたが、電話の向こうで次のように言ったのが、昨年のこと。
「おたくの丸い屋根に、コンクリ直貼りの床は、ひじょうに良いですね。窓ガラスの厚みはどのくらい?」
社交辞令は、もののふの心得である。
聴いているのが、どのみち形のない世界で、本気はいけないと昔荘子さまも言っている。
この春の芽も吹こうというとき、ざっくばらんなスタイルで夕刻現れた那須の『ジャガー』氏、数枚の写真を取り出すと、こちらに手渡して言った。
「モーツァルトのふるさとに先日行ってみましたが、丸天井にじか貼りの床ほど具合の良いものはありませんね」
御仁いわく、「側壁の張り出しは、音響をととのえるためウイーン・ゾフィエンザールをイメージしてみました。現在はアルテックA7を配置していますが、おいおいさまざま交換してみようと思います」
近隣の巧みな大工さんとめぐりあい、次々アイデアをくりだし苦労なく完成されたそうで、とうとう那須に完成した個人ホールの写真を、当方はただ言葉を失いながめた。
木の香りのなかで、オーケストラやビッグバンドが、フルボリュームで鳴り響くありさまを思い浮かべては、写真に見入って飽きなかった。





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遊古疑考

2012年04月01日 | 巡礼者の記帳
松本清張の『遊古疑考』は、最初に前方後円墳の分析から始まる。
この前方後円墳について最大のものは、一日千人が工事に従事して4年もかかる土砂の運搬量なのに、古い文献にそれが現れないと清張はいい、魏志倭人伝の卑弥呼の項に径百余歩の大きな塚を造るとあるのが貴重であるらしい。
岩手にはひとつ前方後円墳が確認されて、いまから千五百年ほどまえの紀元五世紀ころ、街道『343号線』の起点に近い水沢の南都田に、全長45メートルの前方後円墳が発見され、岩手以北で唯一の存在なので、いつか見に行ってみたいものである。
古代に前方後円墳を造る人々の集団を思い浮かべながらタンノイを聴く。
そのとき、高速道を北に進路をとって福島県から登場された御仁が、永くタンノイを気に入ってSPUで聴いていると申される。
「とくに、これが、」
と紙包の箱を開け、うやうやしく現れたのは古い時代のSPUであった。
オルトフォンSPUを使う人々は、発する音像に固体差異があり、よい音のSPUは宝物であることを知っている。
当方は、押し頂いてしばらく眺めやり、はっと気がついてすぐにお返しした。
うっかり借用し、まんいちそれでいまより良い音でも聴こえては、やっかいというものである。
春の到来を告げる一番町のハガキが、母屋のポストに入っていた。

☆「ワインのラベルを剥がす粘着シールはありませぬか」と入ってきた妙齢の女性は、大きなマスクをして眼だけ見せている。
だが当方にはすぐピーンときた。堂々たる構えは選び抜かれたオダリスクである。いくら4月1日とはいえ、大人をからかってはいかん。
何も買わずに帰っていった。




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