ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

スタックス・スピーカーの客

2012年06月24日 | 巡礼者の記帳
マッシーアイアンが青い空に振り抜いたはるか上空を、音もなく米粒のような機体が白い糸を引いていくのが見える。
あの先には松島空港がある。
その日登場した御仁は、あくまで柔軟な上品さを漂わせて、タンノイは知人の音を知っているが、すばらしい、ともうされている。
横浜からお見えになって、ご自宅ではマランツ♯7Tにスタックスのコンデンサースピーカーを愛用していると、フルトベングラーの第九を取り出されて
「先の所だけでよいので、これをお願いします」
オーディオが好きでたまらない風情がアンプやプレーヤーやスピーカーに次々視線を走らせては、思いついた要点を言葉にする人であった。
おもいきり音量をあげて清流を飛び跳ねているようなウイーンフィルを鳴らすと、
「ほほう、ボスコフスキーであるなら70年代ですね」
音楽の遍歴が言葉に似合っている人である。
次に、レイ・ブラウンのベースがドウンと床を這って、オスカーピーターソンのピアノがロンドンハウスの一角で静かに鳴り始めるお馴染みのLPを聴くと、すぐジャケットを確かめて二三の曲名を言い、楽しそうである。
「これは良い。タンノイ・スピーカーが欲しくなってしまいました」
雑司ヶ谷宣教師記念館に社屋のあったスタックスの製品は、どれも個性的に凝っていて、駄作がない。
当方もそのコンデンサー・ヘッドフォンを持っているが、そこで聴こえるような音が、ほんとうにスピーカーで鳴るなら理想だと思い、確かめるまえにタンノイを選んだが。
その人は、大型の衝立状の装置によって音楽をこれまでも聴いてこられたわけである。
現実にそのような、コンデンサー・ヘッドフォンで聴こえるあの瑞々しい真に迫った音響が部屋で鳴っているというのか。
コンデンサースピーカーとタンノイの違いを聴きとって、御仁だけがその答えを知っている。
「では、川向こうというところにも、ちょっと寄ってみようと思います」
あくまで上品に去っていった。
すると、入れ替わるように釣竿のコレクションに余念のない青年がやってきて、その友人が言う。
「わたしはJBLを聴いていますが、そこに重ねたハードデスクに音楽データをいれるのですか」
新しい時代の会話が、音楽のデバイスのことを指しているとわかるのに、少々時間を要した初夏である。





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『サムホエア・ビフォー』

2012年06月17日 | 巡礼者の記帳
棚のレコードは、さきごろの大地震で三度もゆかに散乱し、こうなったらとりあえず拾って棚に戻したままである。
ぐちゃぐちゃの並べ順のせいで、忘れていたレコードにいろいろ手が伸びるようになった。
席に並んでタンノイを聴く男女の客は、横浜育ちです、と女性が申されているが、会話がときどき関西弁になる。
一緒の男性の関西弁がうつったものというから、あるいは密着した生活をされているご様子である。
当方も、自由が丘の改札口を出たところで、関西弁の男に道をきかれ、思わず「あっちヤ」と言葉が出た。
関西弁とは、おそろしいもんヤデ。
「サラ・ボーンは何枚か持っているわ。よく聴いたのはティボリガーデンかしら」
女性は、背筋のとおった姿勢でジャズをたんたんと話しているのをみて、ふと、池波正太郎の『剣客商売』に登場する、佐々木三冬を思い出した。
三冬は、田沼老中の隠し子で書物問屋・和泉屋が持っている根岸の寮に、老僕の嘉助と暮らす、井関道場の四天王の一人などという女剣客である。
モデル業のようなこれほど一貫して姿勢の良い客はめずらしいので、ジャズも真っ直ぐに聴いておられるかもしれない。
1961年のサンデイ・アット・ビレッジヴァンガードからレコードを変え、1966年キースのライブ『サムホエア・ビフォー』を聴いて、あれっ、と一瞬思った。
ピアノ・トリオライブで、ドラムスが同じポール・モチアンであるせいか、ニューヨークからロサンゼルスのシェリーズ・マン・ホールに、そのまま演奏は移動したかのようである。







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インターモデュレーション

2012年06月15日 | 巡礼者の記帳
「アマゾンから来ました」と本を届けてきた。
むかし黒海がアマゾン海とよばれていたころギリシア神話に、アマゾネス女族が住み果敢に騎馬で弓を構えて男どもを蹴散らしていた。
米アマゾンドットコムは書籍等売上が3兆7千億くらいか販路を拡大し、報道では大目付が140億ほど請求した件が、どうなったか宙に浮いている。
「まえのところで、遠くからきたのねと言われました」
――アマゾネス?と聞かれなかった?
「切らなくとも、それほどでもありません」
??
アマゾネス嬢は、一言残して次に向かった。
ジム・ホールとエバンスのデュオを聴いていると、大気はいよいよ梅雨に入ったらしい。
そのつぎに登場した新人女性がチラシを出して、東北にチェーン展開中の業務をカウンターで説明する。
襟元に明るい陽射しを飾った中堅の黒服女性が、ドアのところで後輩の仕事を頷いていた。その女性が、喫茶を見たいという。
「父が、酔って帰宅すると、箸を振ってカルロス・クライバーがお気に入りでした。子供の頃から何度もそれを見ていました」
少女は、父の心をながめている。
そう言われて、箸を振ってカルロス・クライバーになったタンノイの音像が気になった。
ぶるるんと快速にうなって、オーケストラはいま騎馬民族の荒々しさである。
「父の聴いていた音とはほんとうに、違いますね」
そういってオーケストラ全体を仰ぎ見るように、やがて黒服の女性は話しだした。
自分は娘が一人居るが、など、いろいろお尋である。
それが、ギリシア神話のアマゾネスを現代に彷彿とさせる騎上の姿に見えなくもない。
後輩は、先輩の仕事ぶりを目の当たりに体得した。
ジム・ホールとのデュオは、四年前のアンダーカレントがジャケットの印象にあるか、どちらがどうというのもおもしろい。








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マッキントッシュXRT-26の客

2012年06月03日 | 巡礼者の記帳
窓の外で、鳥が空中にヘリコプターのように止まって、街路樹の虫を狙っている。
おだやかな陽射しのなかに、刻々と昆虫世界はいそがしい。
子供のころの記憶の初めにある漫画は、家に誰かの持ってきた『冒険王』や『漫画王』があったが、いっぷう変わっているタッチで内容も奇想天外なものは、ラブレーのガルガンチュワ物語といって強烈に記憶に残っている。
あのような高尚?な翻訳漫画はどういう編者の意図か、ガチョウの首を掴まえて跨って、どんどん話は進展していくのだが、発想も色彩もほかの日本漫画とは一線を画していた。
自分で買った杉浦茂の、さらに一時代前のことである。
そのときこんにちはと入ってきた客は、漫画の中から現れたように、どこかフワッとして言っている。
「じつは、まえに珈琲代を忘れて帰ってしまいまして、すぐ来ようと思ったのですが」
業界用語では「無銭飲食」であるが、当方にも目黒でその経験がある。
忘れるほど、他に気を取られていたのであった。
その御仁は、2か所ジャズ喫茶をはしごして来たそうで、なんでもご自分の手に入れたスピーカーと聴き比べるためであるらしい。
そうとうな自信ではないか、とそのスピーカーのことを尋ねてみた。
『マッキントッシュ XRT-26』という奇抜なフォルムのそれは、昨日たまたま電話を頂いた杉並のS先生の御友人が、ステレオ・サウンドに登場されたときに引っ提げていた銘器と同じである。
それはどのようなあんばいで聴こえるのか、ご自宅の音の満足度を、客人の口元をながめて待っていた。
すると『大橋純子』のCDを取り出して、13番をお願いしますとは、ゴルゴの呼び出しのようだが。
タンノイで唄う大橋純子は、中高域の張った小股の切れ上がった歌唱に、ところどころサビをきかせ、なるほどおみごとである。
するとその客は、むにゃむにゃと、ジャズ喫茶全般の感想を述べると、また漫画の世界に帰っていった。
江刺の方角であると申されている。






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