ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

黒部峡谷の滝

2011年02月20日 | 巡礼者の記帳
母屋の、いつもの決まった席で、いつもの夕食用の箸を構えて食事を摂っている。
「おいしいね」
と思わずのべたひとくちが、納豆であったりすると、席はシーンとなる。
おっと、しまった。
そのとき、電話が鳴った。
「大阪からですが」
と、電話の向こうで貫禄のある御仁が話している。
「昨年も計画しましたが、川の向こうが急にクローズとのことで、航空券をキャンセルしました」
客人は、こちらにも足を伸ばすと申されて、連休も開けているかとおたずねである。
そのとき、誰にか向かって「おつかれさま」と、優しく返事をした様子が受話器の向こうにあった。
――あのゥ、2ヶ月先でも喫茶を開けましょう。
「ほほう、連休でも大丈夫ですか?」
終始一貫、楽しそうな御仁に、会ってみたいと当方は思ったので請合ったが、黒部峡谷の奥にも、誰も見たことの無い滝がある。
先日も、群雄割拠の著名な『タンノイ』のブログ、の客人が遠路お見えになって、終始楽しそうであった。
その御仁をテレビの画面で探すなら、レストランのメニューを三人が実食して採点する、中央の男性に雰囲気が似ている好人物である。
昔、川向こうにかよってJBLを研鑽したことなどおくびにも見せず、バイオリンが気に入っていると言い、あろうことかジャズのライブの機会も持たれるそうで、たいていのことを卒業し、いまこうしてRoyceにわざわざ足をのばしている。
こちらのかかえている時代がかったレコード再生に理解を示し、初めて聞く話のように終始楽しんで、チップまで置いて、言った。
「いま、車に九十一歳になる父を休ませているので、これで失礼します」
当方は、親孝行な人に弱く、御仁の日常と音楽生活を、あらゆる想像力を働かせてイメージした。
たまには、トニイ・ベネットやフランキー・レインもタンノイで聴こうと盤を取り出すと、SP盤のように硬くて厚い板が、当時のレコードであった。









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銀の匙

2011年02月19日 | 巡礼者の記帳
小庭の日なたに積んでいた大雪が、或る日とうとう勢いよく溶け出して、なつかしい地形が露出した。
雪の下からけろりとした姿を見せた植物に驚いた。
57年。西海岸に遠征したマイルス・リズムセクションの、A・ペッパーとロスの仕事に、皆感心したが、
だが、コンテンポラリのケーニッヒにこのテープを聴かされたマイルスは、
「おれがそこにいたら、ちょっと違ったな」
と言うわけの、その違いをタンノイで考える。
スタジオなのにライブのような熱気で、一気呵成にロスの坂道を駆け下りるセッションであるが、初対面の緊迫とサービスの洪水に、スタジオの影でマイルスは聴いていて、音符をもうちょっと寄せたり離したら、やっぱり俺の仕事になってしまうのか。
ジャケットを眺めて、かってな想像をしていたそのとき、どこからともなく現れた御仁は、ヤマハの1000Mをトライオードで鳴らしていると申された。
ベリリウム振動板のそれまで聴いたことも無い繊細な高域の登場が、今も同じように鳴っているのであろうか。
「といってもいま、蔵の二階の一部のスペースですが」
オーディオの世界では『銀の匙』といわれる、生まれた家の庭に蔵を持つ人であった。








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如月の古川の客

2011年02月11日 | 巡礼者の記帳
宮城県の古川市は、一関から国道4号線を50キロ南にあって、先日1市6町の合併が合意されると、一瞬にして翌朝人口15万の大藩大崎市に変身していた。
そのゆえにかの有名な『小牛田まんじゅう』も、いまは美里町である。
一関、川崎の柵の『金時まんじゅう』や、秋保温泉のおはぎのように、名物は周囲が少々変わろうとも伝統を堅持した。
2月の冷気をものともせず登場した黒ずくめの男女は、ご自宅でタンノイを鳴らしジャズを聴くと申されたが、ボリュームを抑えましょうと気を働かせると、いまの大音量でよいそうである。
ホワイトハウスに招かれた『カザルス』がプレジデントをまえにバッハを演奏したときのこと、ニュース映像は『鳥の歌』が国歌を超えて演奏されている最中、パブロのまえで貴婦人の足を組む姿を見て西洋人は驚いた。
しかし、ジャズを鳴らすタンノイに、斜に構えて聴くのが当方は好みである。
タンノイを造ったイギリス人も、ジャズは正座して聴かないほうが楽しいと思っているのではないか。
すると、そのことを小耳にした男性の傍らの佳人が、タイミングよくサッと斜めに姿勢を変えるのを見たが、もしや専業は社長秘書なのであろうか?流石である。
もしやのついでに古川といえば、あのN氏と同じ音響研究集団ではないか当意即妙が、女性9人と現れたポーカーフェイスMEGUのマスターの遊び心を思い出した。
古川N氏をよく存じ上げない当方ではあるが、あるとき音響概論研究レポートを拝見し、しばらく絶句し驚いた。
それを読んで、タンノイでジャズを聴きながら、いざというとき頼るのは、どうやら迫SA氏と古川N氏か、と漠然と当方は思ったものである。
どんな道場でも、奥の座敷に腕の立つものが控えているのが大映映画だが、師範代が外出しているとき現れた道場破りに「先生、お願いします」と奥の座敷で茶を飲んでいた古川N氏に門弟が声をかけると、無口でのっそり立ち上がり、無言のまま道場に姿をみせるとバッサリ切り捨てる、それが古川N氏である。はっは、よい映像はたのしい。
以前にも、お見えになった客に、N氏の装置の凄さをたずねたところ「それが、まだ声がかからず」聴かせてもらっていませんとのことで、もしかすると当方、いかにも心安く聴かせていただいたが、あれは戒厳防備の装置ともしらずに貴重な体験であったのかもしれない。
黒ずくめのお二人は、家に令嬢が居られるそうで、誕生年のワインを棚から抜くと「とりあえずこれを」と申されたのであった。








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まぼろしの鴻臚館

2011年02月01日 | 歴史の革袋
英国の車に、ダッシュボードがマホガニーであると、走る書斎という雰囲気がどこまでも宗主国である。
その様な車は、誰にもぴったりといかないのが残念だ。
Royceに停車したさまざまの傑作を、ときにジャズ的に座席までのぞかせてもらうのが楽しい。
車はあるとき、毛越寺のそばの空中回廊を通って、中尊寺の金色堂の裏手の道に出た。
太いタイヤが棚田の縁をゆっくり下りていくと、数羽のキジ鳥が雪の上に野生の姿のまま餌を啄んでいる。
金色堂の竹林を背景に、羽根の色合いが美しい。
この棚田になって残っている区画については、古代の池の名残で、かっては庭園が広がり、おそらく三重塔や平安様式の離宮が建っていたのではなかろうか。
礎石が見つかれば、構造や復元も可能かもしれない。
宗主は、西行や義軽ばかりでなく、遠来の客が月見坂を登った汗を鎮めるための、小型の鴻臚館のような接待殿を設けたのは自然のことである。
Royceで、すばらしいベースとサクスを、エキサイティングに披露してくださった御仁からお電話があって、受話器の向こうの声は、ベースのように話がすすんでいく。
そこで思い出したが、この方のご友人が、先日わざわざRoyceにお見えになり、日常のことをちょっと話してくださった人柄に気品があった。
ご自宅は神戸にあり、これまでしばらく東北で業務していること。
過日、車の事故に巻き込まれ、いまだどこか痺れているような気がするけれども、会社の意もあって業務に復帰された。
なるほど、隣に座している御仁を見ると、姿勢と押し出しの良い外務官僚のような人であるが、首のところがすこし不自由かもしれないと申されていた。
ジャズに関心があって、ゆっくりアンプのつまみをひねってコーヒーを楽しまれる日常を、春のように待っておられるのかもしれない。





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