春一番の強風の翌日、余震の隙を突いて、電話が鳴った。
受話器の向こうに聞こえたのは、四弦を操る記憶のベーシスト荘司氏の声である。
「いま御市の手前のパーキングエリアに居ますが、店を開けておられるならちょっと高速をおりて珈琲をいただこうかと思います」
テレビ画面に見る谷啓氏と、どこか似ているやわらかな表情を思い出した。
震災のこの時期にこそ、普段当たり前に浸ったジャズの気分が懐しい。
四月のツアーを、仙台、三沢、三戸、大館、大仙、酒田のロードマップにめぐるそうであるが、
「ご無事の建物を拝見して、ことほぎたいものです」
と電話はご親切に申されている。
当方は、脳裏にアイデアが灯った。
DUOの奏する『虹の彼方に』をお願いすれば、眼前にライブ演奏が、幕臣松平公の大広間気分で現れるのか。
錆びた金庫は頑として開かないが、このさいやむをえない。
まもなく店内に入ったお二人は、室内を見回してうなずくと、このあいだの演奏音響が録音スタジオのように響きがよかった記憶を、無言のカリスマ中川氏ときょうもちょっと奏してみたいと申されたのが、好都合である。
さっそく譜面台が組まれ、楽器がケースから現れるのを見ながら、ご自宅の住居も地震が強烈で、ご婦人よりもべースのケースを抱いて避難したところが問題ではあるが、その大切なウッド・ベースがセットされ、いよいよブビビル、ブッビビン、と4月の薄花色の空気に流れ出した。
荘司氏独特の弦を操る指さばきがクリヤーな音を響かせ、左手のフレームと一体に連動する指が、プフとかブピとか弦に触れて鳴るのが、メロディーにことのほか抑揚を与え録音に聞こえない豪華さである。
しばらく地を這い時に軽やかに飴色のウッドベースから響きが流れていくのを聴いたが、
その一瞬の隙をついてカリスマ中川氏は、サクスのバオ!としたメロディの開始を、アサガオ開口部の先端にご自身が立っているような切実な音の切っ先を響かせて、もし大勢の観客が、節分の仏閣の演台の周囲に参集していれば、すかさずドッ!とありがたい気分でスタンディング・オべ ーションが沸くところである。
だが、英国式には、延喜式のように静かに感動を溜めて、長く味わうのがタンノイだ。
冗談の優れた荘司氏は、
「タンノイのなにゆえかは、およそ記述で承知しましたので、一年後にでも感想を披瀝してくだされば」と合いの手も流石である。
当方は、1曲が終わった流れを遮ってめったにねだってはならないリクエスト、『オーバー・ジ・レインボウ』をずうずうしく希望した。
「ああ、その曲なら、有名なジャズナンバーですから、いきましょう、我々は、レパートリィも千曲以上、たいてい大丈夫です」
と申されると、楽譜をちょっと捲る様子に、むかし某所で見たコルトレーンのナンバーを代わりに演したマルサリス氏が、楽譜をめくる様子と、腰をかがめ譜面を片手で広げる角度が堂々としてなぜかそっくりである。
『虹の彼方に』の演奏については、ジャズ好きならパウエルやティータムやペッパーやゲッツなど、いろいろな音色で脳裏に彷彿とされることであろう。
だが、この日、ベースとサクスで、余震の間隙をついて繰り広げられた演奏は、当方にとって松平公の日記の気分まで斟酌できたところが音響的にもリアルで、望外の喜びとなった。
それは、殿様おそるべしの世界である。
ご自分の演奏に、あまり手放しで虹の彼方に行かれてもこまると思われたか荘司氏は、一言、わすれずに付け加えたのが聞こえた。
「オーバーザレインボーもよろしいですが、最初の『ウッドストーリー』はわたしの作曲です」
☆ タンノイ以外のライブ観賞は、今回のみ特例。
受話器の向こうに聞こえたのは、四弦を操る記憶のベーシスト荘司氏の声である。
「いま御市の手前のパーキングエリアに居ますが、店を開けておられるならちょっと高速をおりて珈琲をいただこうかと思います」
テレビ画面に見る谷啓氏と、どこか似ているやわらかな表情を思い出した。
震災のこの時期にこそ、普段当たり前に浸ったジャズの気分が懐しい。
四月のツアーを、仙台、三沢、三戸、大館、大仙、酒田のロードマップにめぐるそうであるが、
「ご無事の建物を拝見して、ことほぎたいものです」
と電話はご親切に申されている。
当方は、脳裏にアイデアが灯った。
DUOの奏する『虹の彼方に』をお願いすれば、眼前にライブ演奏が、幕臣松平公の大広間気分で現れるのか。
錆びた金庫は頑として開かないが、このさいやむをえない。
まもなく店内に入ったお二人は、室内を見回してうなずくと、このあいだの演奏音響が録音スタジオのように響きがよかった記憶を、無言のカリスマ中川氏ときょうもちょっと奏してみたいと申されたのが、好都合である。
さっそく譜面台が組まれ、楽器がケースから現れるのを見ながら、ご自宅の住居も地震が強烈で、ご婦人よりもべースのケースを抱いて避難したところが問題ではあるが、その大切なウッド・ベースがセットされ、いよいよブビビル、ブッビビン、と4月の薄花色の空気に流れ出した。
荘司氏独特の弦を操る指さばきがクリヤーな音を響かせ、左手のフレームと一体に連動する指が、プフとかブピとか弦に触れて鳴るのが、メロディーにことのほか抑揚を与え録音に聞こえない豪華さである。
しばらく地を這い時に軽やかに飴色のウッドベースから響きが流れていくのを聴いたが、
その一瞬の隙をついてカリスマ中川氏は、サクスのバオ!としたメロディの開始を、アサガオ開口部の先端にご自身が立っているような切実な音の切っ先を響かせて、もし大勢の観客が、節分の仏閣の演台の周囲に参集していれば、すかさずドッ!とありがたい気分でスタンディング・オべ ーションが沸くところである。
だが、英国式には、延喜式のように静かに感動を溜めて、長く味わうのがタンノイだ。
冗談の優れた荘司氏は、
「タンノイのなにゆえかは、およそ記述で承知しましたので、一年後にでも感想を披瀝してくだされば」と合いの手も流石である。
当方は、1曲が終わった流れを遮ってめったにねだってはならないリクエスト、『オーバー・ジ・レインボウ』をずうずうしく希望した。
「ああ、その曲なら、有名なジャズナンバーですから、いきましょう、我々は、レパートリィも千曲以上、たいてい大丈夫です」
と申されると、楽譜をちょっと捲る様子に、むかし某所で見たコルトレーンのナンバーを代わりに演したマルサリス氏が、楽譜をめくる様子と、腰をかがめ譜面を片手で広げる角度が堂々としてなぜかそっくりである。
『虹の彼方に』の演奏については、ジャズ好きならパウエルやティータムやペッパーやゲッツなど、いろいろな音色で脳裏に彷彿とされることであろう。
だが、この日、ベースとサクスで、余震の間隙をついて繰り広げられた演奏は、当方にとって松平公の日記の気分まで斟酌できたところが音響的にもリアルで、望外の喜びとなった。
それは、殿様おそるべしの世界である。
ご自分の演奏に、あまり手放しで虹の彼方に行かれてもこまると思われたか荘司氏は、一言、わすれずに付け加えたのが聞こえた。
「オーバーザレインボーもよろしいですが、最初の『ウッドストーリー』はわたしの作曲です」
☆ タンノイ以外のライブ観賞は、今回のみ特例。