ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

サラ・ボーンを聴きに

2011年09月07日 | 訪問記
ダブルの背広の似合いそうなシャコンヌの御仁は、久しぶりにRoyceに現れると、タンノイを鳴らすアンプの不調のことを申されている。
ふと、最近のタンノイが今もあの、音像の凝縮した『ⅢLZ』のサウンドを、新製品でも鳴らしているのか、急に聴いてみたくなったのは、9月の朝の気分である。
「現在の我が家の音も十分ですが、こちらのような音も良いですね」
と、申してくださっている希求を、幾つかのアンプで鳴らしてみると結果は鮮明になるのである。
御仁は、少々散らかっていますがどうぞ、と申されて、そのまま車が先頭を走り出した。
早い速度に追いつくとき、地殻の変動で段差の残っている国道四号線は、外気のうららかさに午前の太陽の輝きがまぶしい。
県境を越えて紆余曲折するころ、瀟洒な建物群の並ぶ一角に車は入っていった。
庭の緑まで真新しい、中央二軒目に車は入ると、そこも新築のもはや御殿である。
窓の大きい、明るい部屋の中央に、ガラスの庭を背景にタンノイはあった。
さっそく管弦楽の大きい編成をしばらく聴いて、次にサラ・ボーンを聴かせていただいた。
マイファニーバレンタインは、すこしくぐもった眠そうな唄い出しから油断させておいて、次第に1954年のサラは、本題に入っていく。10本の指のどれかを折ることに躊躇は無い。
テンダリーは、単刀直入に1955年のモノラル音源でありながらスピーカー面積を超えて上層から下方まで太く輝いて唄う。
ニューヨークの秋、サマータイムと、滑らかな虹色の高音が静かに伸びていくのを、黙って聴いた。
スターダスト、煙が眼に染みる、と聴いて、このあたりは1958年の録音でステレオサウンドになっているが、ビロードの光沢がいぶし銀のうえにピカッと鳴り、ベースのようなブルブルと揺れるノドを披露して、やはり10本の指のどれかにしたい。
ユービーソーに入る前に、集中して聴けるように周囲をはらっておきながら、58年の録音がはたして一番佳いのか、先人諸兄の意見を聞いてみたくなるほど、独特の仕上がりである。
デイバイディ、ミスティ、と聴いていくと、A列車で行こう、のまえに指が足りなくなりそう。
新しいタンノイは、トランジスタのデバイスによって、艶やかな低音部から高音部まで申し分のないサラ・ボーンが唄っている。
記憶にある、まぎれもないサラボーンである。
許可を得て、スピーカーの背後に回り、スピーカーコードを単独の位置に切り替え鳴らしてみると、また違ったバランスに変身したタンノイが、「どちらがお好み?」とたずねている。
現代のタンノイは、ニーズに柔軟に対応しているジョンブルの余裕に、ちょっと笑った。
シャコンヌの御仁は、両者の音の意味する違いを的確に言い当てながら、仕事では前者であるが、くつろいで長時間聴ける新しいフェーズに興味を示されて、どちらにするかアンプの修理を依頼している技術者と、アンプが戻ったら相談したいと申された。
当方が、かってに触ったことは、決して口外してはなりません、と念を押して、再び午後の用事のために、もときた道をとってかえすのであるが、ふと窓の外を見ると、なにやらダブルの背広の似合いそうな様子でシャコンヌの御仁は、生茶のボトルなどを差し入れてくださるところであった。











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聴く鏡

2010年12月01日 | 訪問記
『聴く鏡』の御仁は、目の前の丸テーブルに居て、薬師寺の座像のようにおごそかにかまえている。
店内にあるマルチシステムから放たれるジャズという名の即興音楽を、十年ぶりに訪問し拝聴している当方は、ありがたい気分に浸っているが、それもこれも、融通無碍の人物が急にやってきて、ぜひとさそわれ、さきほどドアを二枚くぐったのである。
この店には四辰図のようなフェーズの音があると人は言い、そのひとつは、店内の明るい照明におだやかな音量で鳴る音、つぎにほの暗い時間帯にみられる透明で闊達な音、次に、研ぎ澄まされた音の切っ先が飛び交って、指で掴めるような空圧が左右の鼓膜をエキスパンドする強烈至極の音、そして結界の丸テーブルに居て聴く天上の音とあるそうだが、もうひとつ忘れてならないのが街の七不思議の一つに数えるひとのいる、己の心に聴く謎の『鏡の音』である。
さて、融通無碍の御仁は、きょうの昼、急にやってくると、当方が古くて新しいパソコンの部品構成に悩まされている隙を突くように、「これから『聴く鏡』という著作にサインをもらいに行くので、よろしければ様子をたまにはごらんになってはいかがですか」と、それももっともなお話であった。
これまで十年もその姿を知らない謎の人物について、お客の噂のまぼろしが語られ、エスピレチンのように虚空を切っている。
昨日も「秋田から電話したところ、いきなりガチャリでした」と現れた客はいうが、はたして本当にジャズは鳴っているのか。
休みがちも趣味のうちであるが、一度、音をきいておけばそれで良い。
まだ客の居ない午後一番に店内に向かった当方は、ジャズを聴く客席の位置をどこにするか選んでいると、あいにくマリソン・ライターがそこに置かれていた。
「こちらにきてください」
書籍にサインをもらったらしい融通無碍の人物が奥の丸テーブルで呼んでいる。
いわゆる結界に、一歩踏み込んでいくと、『鏡の御仁』はJBLという仏閣の奥の間に、仁王のように鎮座してジロリと当方を見て無言である。
にじり寄って下座に、よろしくお願いしますと辞を低くし、なにも返ってくる言葉がないので、かってに判断し椅子を引いた。
それから時計の長針がかれこれ10分も移動するあいだ、互いは黙っていた。
融通無碍の御仁は、まったく会話がないのでおそれをなしたか、さっきひとり姿を消すしまつだ。
しかしジャズを聴く者はいざとなれば、誰も沈黙は、じつは得意である。
御仁は、厚く積んだ原稿用紙に太いモンブランの二本を載せたまま、じっと何か見えないものを見ている様子だが、以前会ったのはかれこれ十年も前のことなので、おそらくこちらの記憶がないと思うが、当方も先日、東京から来たと申される客に「道でかの人物と会ってもせっかくだが、見分けができないかもしれない」と当方が言うと、驚いた客は、「この雑誌に写真が載っていますから置いていきます」と、親切であった。
しかし、そのような適当な写真に、だまされてはいけない。ここに来るとき見てきたそれと、いま見る本物の実像は、まったく違うではないか。
その様子は体躯もがっしりし、眼光するどく、くちを直線に結んでゆったりとかまえ、微動だにしない。それを撫愛想ともいえるが、健康そのものである。
しかたなく無言のまま、御仁を前にしたなんとも良い気分に浸って、周囲の壁面をのんびり眺めジャズを楽しんだ。
この結界の一角は、背後にレコードの再生ルームがあり、いわば宗易の待庵の二畳ともいい、これまでも貴重な歴史をきざんだ重厚な空気がただよって、ほの暗いなかに周囲を取巻いて利休好みのような由緒の有り難い品々がいっけん無造作に並べてある。
雑然としながら魅力的に、ポートレートや記念サインや壁の片側の千冊積みの書籍など、御仁の歴史がそこからも眺められ、せっかくこの店を訪ねる遠来の客が、チラとも覗けず、はてはシャッターの下がった入り口を見たばかりで、再び新幹線で帰る人も多いそうであるが、やはりその期待が再訪を促すのは、音ばかりではないのか、と漠然と感じる充満したものがそこに御仁とともにある。
客席から見て腰板壁に隔てられたこの空間については、客席のすぐ側にあるにもかかわらず、古代中国の科挙ともまがう御仁の詮議がまずあって、なかなか座れないとroyceに来るお客は申されているが、皆、払われるようになかば呆然とし、憮然と応対の感想をのべている。
かりに、当方のように、望んだわけではないがかってに座って、あいかわらずブスッと沈黙している鏡の御仁をまえに、くるりと九十度曲がってきこえてくるJBLマルチ装置の音を平然と楽しく聴いていると、タンノイは至高の音ではあるが、なるほどこのような究極といってよいシーンのJBLに、思わず内心、ニッコリだ。
そのうち、気がつけばサクスの音色があたらしく空気を染めはじめて、柱の向こうに掲げてあるジャケットをサッと覗きにいくと、やはり『modern art』で、ペッパーがサクスを横に半傾像している。
席に戻りつつ「これは駅前のタルのマスターのお気に入りで、喫茶の壁におおきく引き伸ばした写真を貼っていたんだよね」と独り言をもらしてしまった。
タルのマスターは、すばらしい。
するとなにかしらぬがややあって、目の前に菓子皿がすうっと置かれた。
お茶受けとは豪勢なジャズ喫茶だ、と感心して、しばらく席を外して戻った融通無碍な御仁に「あなたが来たときもこのような菓子が出るわけ?」とお尋ねすると、
「いいえ、ぜんぜん...」と笑っている。
菓子とは子供扱いか、と内心不思議でいると、ドアの方が賑やかになって、車椅子の客が入ってきた。
迎えに行った鏡の御仁が我々の丸テーブルに誘導し、交わされる話が耳に入る。
この客は、これまでJBLのマルチ装置を標榜して研鑚を積んだいきさつを当方に言った。
「座標軸がわからなくなると、いつもここに足を運んで来たのですが、ここの珈琲はおいしいですね」と、カップを太い指で摘んでいた。
そこで菓子皿をその客のほうに押しやっておいて、当方もカップの深い色の珈琲を覗いてみると、次々入ってくる客の応対に忙しい鏡の御仁はしばらく戻ってこなかったが、ふたたび突然こちらの前に、まえより大盛りになった菓子皿がもう一個置かれたので、ぎょっとしていると、鏡の御仁はこんどは麦煎餅をビニール袋から取り出したその片手を、にゅっと目の前に突き出して当方に食べろという。
裏千家でもなんでもよいが、日本一のジャズ喫茶の突き出されたお茶受けというものを目の前にして呆然としていると、鏡の御仁は云う。
「こちらの土産の煎餅だが、秋田名産で、いくら食べても腹にもたれないんだよ」
いわゆる茶席の亭主のような解説があった。
声の柔らかい「鏡の御仁」の顔を見ると、さきほどまでの構えた様子はどこかに消え、意外に人なつこい笑顔で、ニコニコしているではないか。
この御仁は、そういう笑顔もできるのである。
いやはや、アート・ペッパーさまさまの、タルのマスター効果というものであろう。
そこにまた、ジャズ幾星霜という様子の客が入り口を開けドア越しに、黒ずくめの当方を見てなぜかニコッとしたが、丸テーブルにいるこちらを受付役かなにかに見えてしまったのかな。
その客は、もう一つある丸テールに座ろうとしたのであるが、どこからともなく吹く風にあっさり一般席に連れ去られてしまった。
その様子から気がついたのは、まずはじめに正面で正しくジャズを聴きなさいという延喜式の初めのことわりのようなものと思うが、当方も、特段の用事があるわけでもなく一般席でかまわなかったのであるけれど。
ところで、鏡の御仁の重用するモンブランの万年筆について、キャップの頂辺にある白い星形はモンブラン山頂の冠雪である。
むかしあるとき、隣に掛けている女性にそのキャップの模様を見せて話していると、ふーん、と女性は覗き込んでいる。
そこに突然人が現れたので、その女性はなぜかあわてて一メートルもサッと当方の側から離れた。
それ以来、どうもモンブランの雪についてはあやしいと、記憶がいっている。





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迫SA氏の第2室

2009年06月16日 | 訪問記
迫SA氏の第2室の写真も、これからそこで鳴る音楽の悦楽を、堅く約束しているかのような奥床しいたたずまいてあるが、はたして訪問した者がどの部屋に通されるか、一定の法則があるだろうか。
4号線を仙台に向かって、将監トンネルに入るための車線を左に取ると、一本のかこわれた道は空中になだらかなアーチをつくってほの暗いトンネルに吸いこまれて行くが、SA氏のこの部屋に入るには、ただコースを取っただけでは、難しい。
あるお宅のオーディオ・ルーム隣室で御茶をもてなされるも、ついに装置と対面できなかった、他流試合お断りの家もあったような伝聞は、いまも楽しいけれど、これは避けたいものである。
鳴っていたアルテック605の美音を思い出していると、めずらしく沼S氏が登場された。
修理のおわって一部回路変更されたROYCEの『845アンプ』の偵察に、嗅覚鋭く馳せ参じたのである。
是枝アンプや、東独の励磁スピーカーなど多彩な遍歴の氏は、抜群の聴取力と知識で一刀両断迫ってくるので目まいをおぼえることもあるが、その最初の一言はこんな風だ。
「この音は、さきほど電源をいれたばかり...とか?」
当方は、パイプを指に遊んで聞こえないふりをしていたが、過日テレビ放映されたジャズ番組での感銘などを聞くあいだに、『Farmers Market Barbecue』も音のかたちをみせてきた。
そこで沼S氏がご持参の、ケルテス・デッカ盤『新世界』を聴いてみた。
目玉の飛び出るような大枚を投じて入手の貴重盤のいきさつもおもしろいが、ティンパニーからトライアングルから、さまざまの音の総和が分離と集合をくりかえし、壁面いっぱいにしばらく広がって終章を迎えると、「うむ、このレコードからこのような音は、いまだ聴いたことがありません」とあっさり態度を変え、SA氏のあみだした管球回路の選択を分析するように、遠眼を凝らしてアンプを見ている姿があった。
前段の300Bはともかく、整流管は何を使っているのでしょうとの質問に、はじめて調べると「あっ、やっぱりムラードのGZ-37」と痛痒な表情をされ、これは、なかなか手に入らない名球なんですよ、とこれまでの音の全てが、この球にあったかのような説得ある解説が述べられる。
そういえば、費用はいらないと申されて...まさかそういうわけにも、と沼S氏に告げると、あっけにとられたような顔である。
845アンプを改造のSA氏は、工作について蘊蓄の一言もないばかりか、ROYCEで鳴り出した初めての音出しに、当方の反応を待って横顔をただ心配そうに窺っていたあの日のSA氏のことが懐かしく思い出された。
沼S氏は「わたしの部屋の装置も、必要なときには足の裏にびりびりっときますよ」と笑って符丁を申されて、刀を納め戻っていったが、いつかお訪ねして励磁のフルレンジが8個並んでいるという未踏の装置を聴きたいものである。







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古川N氏のJBL

2009年06月10日 | 訪問記
写真を見て、だいたい音が想像できる人は世に大勢いる。
ところが、この装置はダイアフラムの修正や位相合わせが繰り返された効果なのか、瑞々しい音像が聴こえて驚いた。
一方で、ジャズの場合、歪みも音楽であるとして、大向こうは一筋縄ではないけれど、N氏は当然マーク・レビンソンの傾向も精査され、かの有名な『川向う』にも足を運ばれて、そのうえメーカーにてアンプの設計に携わった技術を効果的に投入し、御自分の好みを極限まで追求した結果、N氏の指向する瑞々しい音像が林立して鳴り響いているのであった。
当方のグリーン・オニオンカップと刀を合わせたかのように眼の前に置かれた1脚3万円の珈琲カップの深い色にゾクッとしたとき、デューク・エリントンの強烈な演奏が眼前に展開されてキックドラムの最も低い重低音がドスッ!と鳴った。そのとき、充分な厚みの木の床からはじめて足の裏にびびびっと来るのが、にくらしいほど計算された効果だ。
これしきのことで、タンノイは驚いてカップを落としてはならぬ、か。
孫悟空は觔斗雲に乗って不老不死の音を求め、地の果てに聳えていたのはお釈迦様の手のひらであるが、N氏を遮るその手のひらは、はたして。







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歌枕古川N氏を訪ねる

2009年06月09日 | 訪問記
古川N氏の邸宅を訪問することが出来た。
迎えの車を出しますと言われたが、小説の世界ではスペクターやブロフェルドの接近もあるのが世の中である。独自のプログラムで一関を出発すると、途中、最近防衛省とネーミングされた宮城の特殊車両二台が、当方の車にぴったり着いた。
バック・ミラーでながめると、バズーカ砲のようなものにシートを被せて迷彩服の隊員はなにやらニコニコ嬉しそうだが、信号が青になったときアクセルをいっぱいに吹かして回避行動をとったのはいうまでもない。むかし入隊したチバくん、もし偉くなっていたら、緊急返電してちょうだい。
さて、N氏が四年前に御自分でデザインされた邸宅はいま闇夜に浮かんでいる。写真を、というと、オーディオ以外のご要望は初めてですと喜ばれて、建物の内部も気さくに案内してくださった。
ご夫人が挨拶にみえたので、当方は、宜しくお願いしますとこうべを垂れた。
すると、何かお願いしてしまったのであろうか、しばらくして二階の和室に招かれて筋違いにカットされた座卓に、大好物のものが....。
見事な色彩の陶器が床の間に幾つも並んでいるのは、ご夫人の趣味である。ご夫人にオーディオについての感想をうかがうと「前の家では、あまりにも音量が激しくて、天井からいろいろなものが落ちてきました」とにこにこ、これまでの思い出をお話しくださった。
隣りに、オーディオ・アンプのための各種の測定器やパソコンの置かれた個室があり、N氏の並ならぬ力量をうかがわせている。N氏は昔の会社で一時的に眼をいため、サングラスをかけて勤務していたそうであるから、さぞ職場でも異彩を放っていたに違いないと想像する。
神妙で奥の深い人物N氏は、サングラスが似合っているとして喜ばしいのであるが、当方には優しく接してくださるのがありがたい。
オーディオは、そもそも人であると古人いわく。つぎに、その装置のことを。






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SA氏の新装置1

2009年06月07日 | 訪問記
昔、SA氏に言った。
誰も造ったことの無いような凄いアンプを、いつか、造ってみませんか。
それがどんなアンプか当方は知らない。
SA氏のアイデアを傾けた、それの実現が楽しみである。
ところで、故障したアンプの修理に先日迫区にあるSA城を訪問し、そこに新しく置かれた装置を初めて聴いた。
全容を眺めた最初、思わず両の耳に綿を詰める用心も、念のため考えたが、センスと情熱の結晶は聴くものに深く感銘を与える。用心は全くの杞憂で、ブルー・ノートのサウンドは易々とあっけなく、あるときは優しささえ漂わせて眼前に展開され、おもわず、鳴らしているのはどのアンプですか、と尋ねた。幾つも並んでいるどのアンプの音なのか、知りたいものである。
SA氏は、小型のアンプでも、これほどの威力を聴かせる高能率のスピーカーであると、知らせたかったのか、出来上がった写真を見て、その時の音を思い出した。
当方の故障アンプは、まもなく整備されて届けられたが、SA氏が、牛のようにのんびりした言葉で「ウー、出来上がりましたが、うまくいったと思います」と、電話のむこうで話した様子から、当方はなんとなく良い結果を思った。
間もなく登場したSA氏と出来ばえをタンノイで聴いて、永い間、故障のまま待機していた845アンプが、以前とさま変わりしたことを知った。
SA氏が立ち去った後、しばらく眼前の音について考えたのだが、念のため管球のサイズをモノサシで計ってみると、845管の前段に挿っていたのはやっぱり4本の300Bそのものであった。すると直熱管のほうが良いのではないかナ、と漠然とつぶやいていたことは、このことであったのか。
これまで、845管が良いとか、いや300Bが、と悩ませていた、捨てがたい微妙な音の個性は、紫の上と夕顔を二人並べた相乗効果が聴こえているのか、源氏物語の世界をしばらく楽しもう。
どのような再生音が良いと追求して、何年か経った後に『あれは良かった』と忘れられない音が、やはり宜い。
さらに未知の音像世界を考えるとき、高度に完成された眼前に展開する凄まじい演奏音像はそれとして、その林立する演奏音像の隙間に、ふとあたかも向こうの景色が見えるようなことがあるとしたら、そして、演奏者の背後にまわって動きが見えるような錯覚が聴こえたら、それも慶賀なことである。
オーディオの七大難問は、まだ人知れず探されている。
言葉だけでは漠然としているが、今回の改造で、名人の技倆の未来にそういうことも考える。






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迫SA氏の修理ピットに遠征

2009年06月02日 | 訪問記
天気のよい休日に『ディア・ジョン・C』を鳴らして、修理の845アンプを積んだ車は4号線を南に向かった。
アルテック宮殿、迫SA氏の修理ピットを目指したこの日、迫区に入るルートは四本あって、ドン・ペリニョンをJ・ボンドが嗜んでいる『007 Goldfinger』の、ゴルフ勝負のあと、熔かした金塊で組み立てた車を運転して、ヨーロッパの工場に密輸するコースと同じ雰囲気を味わうことのできる道がある。
左側に森、右側に田園風景のひろがるコースは、スメルシュが金塊を熔かす工場を隠し持つあたりさわりのないアスファルトの伸びるのどかな道に、それらしい建物もおあつらえに見え満足であるが、そのとき前方に怪しい車が停車しているな、と追い抜くと、その車は背後から突然全速で追いかけてくるのがミラーに映る。ここまで役者のそろっているコースはちょっとめずらしい。
そういえば、前回の伊達藩遠征の四号線も天気が良かったが、前方を走る大型四駆がスピードを加速したり戻したり、わりに軽快な足回りを見せて、高い位置にある運転席に濃紺のツールドフランスの格好をしたドライバーが座っている。
「あれぇ?AK氏に似ているなあ」とつぶやくと、それが聞こえたかのように運転者はソワソワはじめ、左右のバックミラーを見たり、アポロキャップに手をやったり動作が活発になった。
このように、森羅万象を想像しながら安全運連すれば、居眠り防止になるわけであるが、その前日の深夜の走行では、前方にやっと車も無くなりヨシ!このへんでエンジンに活を入れてやるかとアクセルを踏んだとたん、前方の暗闇に電光表示板が点灯しているのが見る間に大きくなって『スピードに注意』とあったのがゆきとどいている。
さて、ところで訪ねた迫SA氏は、唐の都から3年で帰郷すると、すかさずオーディオ・ルームをもう一部屋増やし、アルテック605など傑作装置を増設し新境地を見せていることが噂になっており、期待と興奮に思わず武者震いしたが、新しくタイヤをセットしてもらった快調な当方の車は、とうとう迫川の橋を渡って見慣れた建物の横に停車した。
そこに、SA氏のご母堂が盆栽の手を休めて「先程から待っていますよ」と言葉をかけてくださった。
さっそく新しい部屋に招かれて聴かされた605バックロードなど音像の佇まいはすばらしい。アルテックにしてはしっとりした奥行きを感じさせて、やっと運転のハンドルを握っていた手が解れるころ、SA氏は、言う。
「これでいいかな、としばらく聴いていたのですが、何日もすると、あの音の壁がドーッと迫ってくる大型装置がなつかしくなりまして」と申されて、次の部屋に珈琲を用意してあるというが、どうやらもう一つの部屋の方が謁見の間であったのか。
そこにはA-7を横位置に四台並べた4組のウーハーがあり、ダブルスロートのセクトラルホーンとスーパーツイータが乗っている日本海軍の空母信濃といった豪壮さを漂わせているが、カウント・ベイシー・ビッグ・バンドも、左右のセパレーションも分離する奥行きを聴かせて、見事な音像であった。
駆動しているアンプを探すと、大工さんの弁当缶サイズに2ワット出力の管を挿したようなものを示して「これです」と申されたが、思うにSA氏としては、研ぎ澄ました切れ味の全て見せるということではなく、ハラハラと空を落下してくる懐紙を、きょうはちょっと横に払って見ました、という奥床しさで、このうえどのような音が現れるか底が知れない。
そしてそのあと、思いがけない話を聞いた。
あのもう一方のアルテックの牙城、N氏の装置をSA氏は先日のこと早くも訪ねて、奥の院に鎮座している噂の轟音に全身を浴びてこられたそうである。
以前、N氏のお話では、厳美の仙境で翼を広げている怪鳥『ウエスタン16A』を聴取のため訪問されたことを申されていたので、これらのことから思うに、割拠している群雄が静かな緊迫感もひそかに随所に遠征行軍をかさねている様子だ。








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クリプシュホーンの音

2009年03月29日 | 訪問記
憶えのある剣客達は、3ウェイ・オールホーンと聞いて、心にさざ波のたつ気分で、タンノイも、JBLも一瞬忘れる。
もう試みた人も、いまだかって無い人も、あの剛毅の冒険的システムに、ブルー・ノートのセッションをあてはめて、指の動きの見えるようなベースの唸り、風圧のドラムスのあいだから降ってくるシンバルの青い光、反射し楓の音響板を叩くピアノ線の音符。完成された想像の立体音響を思って仕事の手が止まる、それは美化された難しいオールホーンの音である。
五味康佑さんが、自宅に拵えたコンクリート・ホーンから鳴った音を聞いて即座に失敗を認め、金槌を握って打ち壊す比喩が落差の無念を物語っていたおそろしいオール・ホーン。
だが、理想のオール・ホーンの音は必ずある。
ウイーンフィルやベルリンフィルの音を、タンノイよりもさらにこれまで以上に聴こうというなら、まぼろしのウーハー・ホーンの登場を待つのか。
このように待つのが楽しい或る日のこと、ふとした用事で訪れた某所の装置を聴いた。
「ジャズのことは、さっぱり...」などと申されながら、眼の前の大画面にうら若い女性の海辺のプロモーションビデオが次々と流されるかとおもえばまた、その屋のあるじの行動を追うと青いキュウリのお新香と御茶の手配にも忙しい。
「おいしいお新香ですね」と言ったら、ハイと、ラップをかけた持ち帰りパックを奥から作ってきて、いったいどうなっているのだ?
すると、こんどは壁面の大きなスクリーンに、ビートなにがしとその屋の主人が席をならべて映しだされて、『テレビタックル』という番組に遠征出演されたときのものといわれるが、普段と様相を換えていささか斜に構えてニコリともせず受け流している主人の演技力に、ビート某氏は持て余し気味に頭を抱えてついにテーブルに額を落としているところが価値であると思った。
それが普段、誰でも承知しているあいそのよろしいご主人の笑顔であるが、刀を納めている仮の姿であるともみえ、対比の妙にますます感心した。
そのとき、一瞬、風が通るようにさりげなく、あの3ウエイ、オール・ホーンの粋とうたわれているクリプシュ社のマホガニー・キャビネット装置が鳴った。
流れたのは、聴き覚えのあるエヴァンス・トリオによる日曜のビレッジヴァンガード・セッションである。
まさかこの時刻に、本当に装置を鳴らすとは予期していなかったので、わずか5分ほど鳴らされた静かな『ワルッ・フォー・デビー』の音符の、そこにぱらぱらと散った様子に、マッキントッシュ・アンプのブルーのイルミネーションを見ながら、やっぱり完成されたオール・ホーンは良いね、と思った。
このような箱に仕組まれたオール・ホーンシステムは設計者の粋である。
折り曲げホーン部に低音用15インチ口径ウーファーを用いているところがタンノイと似ているが、フロント開口部をつくらず、壁面をホーンの延長にするしくみのポール・W・クリプシュが考案した独自のフォールデッドホーン設計だ。
この装置でオーケストラなどを聴けば、映像のビート某氏のようにこちらも頭を下げたくなるようでさえあるが、このようなシステムを備えて、ガラス窓の向こうの渓谷の春夏秋冬を眺めている日常こそ、粋の極みなのかもしれない。




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『T』

2008年10月30日 | 訪問記
「あれ?帰るの」という、いつもと違うフレーズが気になって、2日後の夕刻、早仕舞いして『T』に向かった。
トンボ帰りは、失礼だったか。
彼はバックヤードの奥から姿を現して、笑っていた。
「佐久間サウンドを聴かせていただきましょう」
ウーン、そうだねぇと棚から抜き出した一枚を「録音はよくないけど..」と、ガラードのターンテーブルに載せると、チャーリー・パーカーのB面の3番が、静かな店内のアルテックのワンホーンから突然のように柔らかで張りのある音で流れてきた。
初めて聴くもので、このLPのジャケット・アートも見たことがない。
バラードのフレーズがいささかタンノイと違う音色であるが、よろしい。
Tのマスターは、あくまで静かに、ソウルフルなモノーラル・ジャズの世界を呼吸してそこに居た。

☆壁のアート・パネルは、ペッパーのジャケットを2メートルに引き伸ばしたもので、反対の壁の、エレガントなモデルと一対になった理想の構成。そのアートを見ながらコーヒーを淹れるのが、ちょっとうらやましい。






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クリプッシュ・ホーン

2007年07月07日 | 訪問記
「店舗に置いて有るので、触られほうだい、汚れています」とうかがっていたが、或る日黙ってその場所に客を装って行ってみた。
目的はただ一つ、あの『クリプッシュ・ホーン』である。
街道に面した暖簾を潜ると、そこにガウディの異次元のような不思議な空間があって、奥のガラス張りのテラスから青葉に反射した陽光が射し込む、時計の秒針も動くことを忘れるような寛げる広間であった。
右手のコーナーに、オーディオ装置と本格的なスタジオ調整卓が備えられて、店主の並ならぬセンスをうかがわせている。
クリプッシュ・ホーンは、有った。
それは、アメリカ製であることを、しばらく考え込む美しさを発揮して、いかなる音像をも再現してみせるとでも言いたげに鎮座していた。
よその装置と同じ音に興味はありません、と店主は申されたそうだが、以前一度お会いしたとき、当方の3倍のテンポで会話が飛んでくるので、非常に出鼻をくじかれた。
当方の『ロイヤル』とくらべて、いかにも弁舌さわやかに鳴りそうで、そのうえ腰の抜かすような低音でも出されたら、恐ろしい。
きょうのところは、黙って引き下がることにした。
いつかきっと、何年先か、心の虫が知らせるようなタイミングが来るであろう。
撮影した写真を前に考える。
当方は、クリプッシュ・ホーンのまえで、鳥肌をたてて聴き入ることになるだろうか。

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WE INSIST!

2007年07月07日 | 訪問記

スピーカーの拝見が済んだので帰ろうと腰を上げたとき、当方の連れが奥から出てきた水兵服のキャプテンに呼び止められ、何事か話している。
その人物が、クリプッシュ・ホーンの所有者であった。
「どうぞ、こちらに...」
我々は招かれて船のタラップのようなところを昇っていくと、そこに艦橋があった。
窓からは周囲の景色が眼下に広がって、建物の下の岩場にしぶきを上げる奔流は、ちょうど帝国軍艦が浪を蹴立てているように見えなくもない。
そこにもう一人の水兵服を着た屈強な男性が、スイングする『ライ・クーダー』のように、外部との仕事を捌いている。
すごい部屋だ。
何がというのは明かせないが、微妙なセンスとハガネの規律で、粛々とそれは進んでいる。
眼下はるかに大勢の人が、我々の居る艦橋を見上げて右往左往している。
ライブの合間に、鳩談義が当方に飛んできて、眼をぱちくりだ。
当方は子供の時15羽飼っていたから先輩スジにあたるというわけか、彼は水兵のキャップを取ると「宜しくお願いします」と、さっとハガネの規律をみせた。「月月火水木金金」は当方に勤まりそうもない。
そうしているうちにも外部から大量の業務連絡がキャプテンの無線に入って、いちいち読み上げてくれる。いわゆる携帯メールだが。
油断していると、証明写真かなにかシャッターがパシャパシャ切られ、並べられたのは「プリクラ」というものであった。
そのように壁の片面が、大勢のゲストのプリクラで埋まっていた。
おや、『B』もそこにヒゲをたくわえて構えているではないか。
よろしい、当方もちゃっかり、連れに合図して水兵殿とプリクラを撮った。
マックス・ローチの名盤『WE INSIST!』できめてみた。

☆ジェームズ・サーバーの気分で楽しませてもらったが、忙しそうでチャンスは1回だけである。
☆後日、謎のA氏が見えて「どうすれば自分も、そのスピーカーが聴けるのでしょう」と申されたので「奥様同伴などはどうでしょう」と言った。楽しみに待とう。
☆「ところで鳩は何羽いるのですか?」な、なんと200羽!であるそうな。驚くなかれ、飼うということは自分の鳩と他人の鳩と識別がつくということ。




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ハマー

2007年07月07日 | 訪問記
艦橋からの景色を楽しんで、ビビッドなクルーにリフレッシュされ、ふわふわになって艦橋を降りた。
駐車場には、いつのまにか爽やかに着がえたキャプテンがふたたび登場し、当方の連れの、そのまた連れと親しそうに「アイスクリームを食べに行きましょう」などと言っているが、艦隊勤務はどうなっている?
そのとき、駐車場の一角に妙な車を見た。
「先日、ミジンコ博士も乗りました」という助手席に、気が付いたときには当方もあやかって収まっていたが、これと同じ車を記憶で捜せば米軍の『ハマー』が近い。
「たんなる営業運搬車で、なにほどのこともありません」とキャプテンは遠慮がちだ。
道幅いっぱいにしずしず進む車は、あくまでのんびりとアイスクリームの店を目指した。
すれちがう車も沿道の人も「ンガ!」と腰が引けて、葵祭りの山車でも見上げるように、好奇と畏敬の視線で見る。
助手席からフロントガラスごしに見た風景は、ちまたの駆逐艦級の車と比べ、同じ景色ではなかった。『ⅢLZ』から『オートグラフ』に替えてビバルデイを聴いたようなとでもいうのか...。
Ⅰ本のコーンの右と左にダブルで盛りつけられたアイスクリームは、手の上で食べるより早く溶けだして、当方は、なすすべなくそれを眺めた。
キャプテンは快活に振る舞いながら、我々を最後まで楽しませてくださった。


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春の嵐

2006年05月06日 | 訪問記

春一番が吹き荒れた先日のこと、屋根のトタンが3枚めくれたのに気が付いて「松島T氏」は屋根に昇った。夜のことで、難儀されたそうである。次回からは、命綱も必需とおぼしめされよ、老婆心ながら。
T氏は、これまでA-7に「マッキンC-22」をあてがっていたが、現在は「オンライフU-22」のほうがよろしいとパイオニアのデバイダーを通して、アルテックの管球アンプをバイアンプ駆動されている。プレーヤーは、マイクロの糸ドライブも試したが、音楽的にやはりガラード。
ところで、以前から気になっていた『YUASAコーヒープロダクト』の移転のその後を知ることが出来た。新たな転居先にアルテック・フラメンゴは健在で、焙煎機、テーブルカウンター等のある一階にスピーカー、2階にテーブル2つというセッテイングであるらしい。
ブロロン!と、県下に1台しかない愛車も好調に大橋方面に遠ざかった。

またまたクマさん登場。昨晩、さる知人が電話で「10億用意したから、売れる映画を頼む」と依頼してきたと。日本のヤコペッテイに、ついに時代は追いついたか。クマさん少しも騒がず「と、とりあえず百万でよいから振込みなさい」と言ったので、結果は次回に。


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KO氏、オートグラフを造る

2006年04月13日 | 訪問記
好日、一関に戻る途中で、KO氏の装置をぜひ拝聴しましょうということになった。
KO氏のメイン装置のことは以前紹介しているが、なんでもこのたびは『タンノイ・オートグラフ』のエンクロージャーの自作に取り組まれ、ついに完成したと噂の聞こえたKO氏。先日Royceにおみえになったときはまだ二分の一の試作モデルの段階で、とりあえず完成しましたと写真を見せてくださった。
ミニモデルは塗装も立派、十分期待のできる玄人はだしの出来栄えである。
そのときのこと、車の荷台に市内で調達されたオートグラフのための畳サイズの板が積まれていたのをシートの下に見て、失礼ながらはじめてKO氏が本気で取り組まれていることをひしと感じた。
KO氏のあるときポッと浮かんだアイデアは、お持ちになっていた『タンノイ・ヨーク』からそのユニットをはずし、オートグラフの箱を造ってそこに入れてみたらどんなものか、マニアなら一度は期待を込めて思う夢である。
だが実行される人はほとんどいない。ノコギリを手に持ってハタと行き詰まるネックは、あの複雑な折り曲げホーンの構造にある。
そこをまずミニモデルを造って難関をあっさり抜けられたKO氏の、その情熱に驚いて兜を脱ぐ。
しばらく腕や肩が痺れて「もうこりごり」とおこったように申されたそうだが、その収穫は何物にも変え難い。
K氏も早速駆けつけてすでにお聴きになったそうで、ぜひ探訪せずば。
さてところが、お宅に立ち寄ってみるも期待のKO氏は外出しておられ、このときは拝聴できなかった。写真を手にとって、美音をあれこれ想像するばかりである。

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メイコ・プレイズ・ベイゼンドルファー

2006年04月12日 | 訪問記
江戸に水戸、紀伊、尾張の御三家があったように、東京オリンピックのあの頃トリオ、サンスイ、パイオニアがオーディオのご三家といわれ、パイオニアの看板モデルとして存在感のあったスピーカーが『CS-100』だ。
その図体のせいか値段のせいか、秋葉原でもめったにお目にかかれない逸品を聴かせてくださるというので、京浜東北に乗って大森まで遠征したことがある。
Y家に着くと、大きな木が茂った二階家の旧家で、引き戸の広い玄関を入ったところに年配のご婦人が出迎えてくださって、大きなアンモン貝の化石がゴロゴロ置いて有る棚を眺めながら、二階の和室へ上がったことを憶えている。
隣りの部屋まで二間を開け放した開放感のある室内に、その大きな『CS-100』はあった。
桜材の一枚板と思われる贅沢で堂々たるスピーカーは、正面から見たネットを囲むフレームの厚みが四センチくらいは有るのか、押しても引いても動きそうにない重量感が音にも現れて、落ち着き払った渋いサウンドが時には唸りをあげ、そしてたなびくように飽きさせなかった。
このときY氏はオープン・テープのソースに凝っていて、2トラック38センチの『メイコ・プレイズ・ベイゼンドルファー』という菅野録音は、ほれぼれするような音だった。打鍵のなまめかしいダイナミックレンジに無理のないスムーズな和音がビューンといつまでもペダルの踏まれている間、明瞭に聴き取れて、カートリッジによるLP再生では歯が立たないとすぐにわかった。
あのときすでにオーディオはピークに達していたのだろうか、知りたいものである。
Y氏は父親の形見のニコンのプロトタイプのカメラを見せてくださったり、オーディオの話も尽きなかったが、息抜きにおもしろいレコードを聴きましょうとかけてくださったのが『エルビス・オン・ハワイ』であったから1973年のことである。

☆フィールドスピーカーフルレンジ8発のサウンドについて、どうやらかなりの手応えがあったようだ。

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