ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

ベンツの客はトリオで

2009年10月27日 | 巡礼者の記帳
赤いベンツの客が、再び登場したのは、秋の初めのことであった。
新たにわかったことのひとつは、彼はベースを弾きこなす特技があり、あぶなくそちらの道にゆくところだったのではなかろうか。
留学経験があって、壁に表装のH・ミラーの手紙も二行ほど巻き舌で読んだ。
いぜんの女性は、スポーティーなジーンズに装いを替えて、そのうえ赤坂先生と呼ばれるピアノ・マンも行楽に同伴されている。
じつに、完璧である。
ただ、なぜか雰囲気が、前回とは双子の兄弟のもう一方の人であるような気がするんだね、どうも。
彼は笑って、携帯のアップル社の新製品をプチッとやると、ライン川沿いのフォトキナ会場の『アグファ』のブースを見せてくれた。AGFA社最後の参加であったという。
赤坂先生は、謹厳なる表情のままタンノイから視線を当方に移したが、ピアニストというより学者の雰囲気であって、冗談の言えるタイミングは無い。
「ヴィレッジ・ヴァンガードの地下鉄の音を、念のため友人宅のJBLでも検討したのですが....」と、タンノイの音に納得すると、三人は打揃って、陽光のあふれる路を再び秋の行楽に出かけていった。
黄色を抑えたような赤いセンスのベンツは、街路を音もなく消えていった。

☆昔、AGFA社を見学した折りの記憶をいうと、併設のカメラ博物館があって、ダゲレオタイプやステッキカメラなど膨大な量の歴史上のカメラがドイツ的厳正さで陳列されてあった。
館長が大きなポスターを記念に提供してくれたので、そこにサインをお願いすると、彼はちょっと意外そうに眼をパチクリさせたが、万年筆のキャップを緩め、一気にシュルシュルとペンを滑らせて達筆のドイツ文字である。
工場見学で見たものは、製造上の廃液がライン川に流されるため問題を抱えている途上の古い生産ラインで、プラスチックの薬品ケースが無人の機械からポン、ポンと押し出される様子を見せてもらって、まもなくそのラインは廃止になるという。
別行動でアグファ社のオーナーと会見していた○社長がレストランで我々と合流し、「そのような程度のものを、日本からわざわざ行ったお得意様に見せてしまったのは、配慮がなかったね」というと、たまたま眼の前に座ってしまった当方に、このモーゼル・ワインは日本では7千円くらいかな、と言って、トクトクッと注いだ。
そのうえ、「あなたにはまだ教えていなかったけど」とワインのグラスを指し、この細いところを持つ。熱で冷やしたワインが温まらないためだね、と言った。
○社長は、もと大学教授であった経歴のなせる流儀で、啓蒙思想に溢れている。
そういえば、四階にある給湯器の傍で社長が征露丸を何粒か呑んだのをたまたま垣間見たので、そのことを所長に報告したことがある。
「社長は、大変な激務のようですが」
所長は少し笑って、「昨夜は、おそらくアルコールに激務なのかもしれん」と言ったことは内緒にしておきたい。

☆そういえば
五十人でいっぱいのそこに、部門の頭目が一堂に会して、みな熱心にメモをとって耳をかたむけている。
毎年海外視察する社長は経営の先頭を切っていたが、しもじもの立場で最後列に耳を傾けていると、そのとき六十年代半ばのアメリカ視察でウオールマートの話があった。
商品の値札がスライドで映し出され、社長は一点を示すと、小数点以下の98セントという端数を注目し、いまでこそあたりまえの
「彼の店では、5ドルの商品であれば、必ず4ドル98セントに表記している」
どうやらそのほうが、わずか2セントの違いが消費者に4ドル代というイメージを訴えるそうで、店内はすべてそうなっていると。
われわれは皆、へーと思って、めんどうなこっちゃ、と思った。
レジスターがゆきわたっていない昭和40年代のころは電卓も非常に高価で、近所の鷹番の八百屋さんもザルを天井からゴムひもでつるし、暗算で商売している。
100円のものを98円で売ったら、計算間違いのもとである。
しかし社長は、ウオールマートの戦略を高く評価していた。
問題は、その数日後におこった。
N本部長という、雲の上の人がこちらの仕事場にやってきて
「きょう、空いているなら、ちょっと付き合えますか」
ぎょっとし、約束の時間に同行した。
案内されたのは小さいがいかにもの料理屋で、和服の女性が静かに応対する。近所にこんな良いところがあったのかと驚いた。
「なんでも、好きなものを注文しなさい」
渡された品書きに目をおとしていると、さっさと適当に注文した御仁は、
「どんどん食べて」と勧めてくれる。
ちょっと箸をつけたところで、本題に入ってきた。
「きょう、社長室に呼ばれて、申されるには先日の報告会で壇上から見るところ、キミだけメモをとっていなかったそうだが」
うぐっ。
「なぜか、と社長は心配されて、ぜひキミに会ってきいてくるように、とわたしは申しつかったのだが....」
“$#~*
営業から『コンタックスRTS』一式も世話してもらったが、最近は電池のいらないFTAをもっぱらに、これがおもしろい。









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夜の訪問者

2009年10月24日 | 巡礼者の記帳
閉店後に来る人は、夜の訪問者である。
なんでしょう?と、タンノイのある部屋に灯りをつけてお通しすれば、まえに一度お見えになった若い取締役殿が当方のとなりに座し、会社がセカンド・リリースするCDのことを二言紹介してくださった。
CDとカタログを手ずからくださって、そのうえ『ご本人』までを、眼の前に紹介してくださった。
すこぶる附きのソウルフル・ボーカルを歌う本人が、眼の前にいる。
だが、すぐその人は遠ざけられ、迫力のある代わりの人が前に座し、隣は取締役である。
離れたところには、さらに三人の関係者と思われる見識を滲ませた人が居られて、遠くで静かにレイ・ブライアントやオスカー・ピ―ターソンが鳴っている。
ふと、これまでのROYCEのジャズ・ボーカルとお客の関係を思い出していた。
仮想現実空間にあって、すこぶるつきの淙々たる黄金の歌い手が、レコードによって日夜出没して歌いまくっているジャズ喫茶。それも無尽蔵な五十年前からのレコード盤で。
来客達も、何十年もそういうボーカルを楽しんできており、「なるほどROYCEの音だね」と納得しつつ、御自分の脳裡のレパートリーと照合し過去を振り返っていると、突然、未知の歌い手が鳴り出して、いくら頭をひねっても、誰かわからない。無視するには惜しいほど、すばらしい。
ジャケットが見えるところになければ、いったいどうなる。
大抵のお客は、尋ねることをしない。
もしも、HOW?ときけば、そんなことも知らないのかぁ、というカースト制度が惹起され、スルーされて答えが無いのである....。
そのうえその質問は、お客のランクとして永遠に刻印される。
であるため、賢いお客は、トイレに立つか、帰り支度をして、ジャケットを眼で探し、平静を装っているものすごさ。
良い演奏に巡り合うということは、そのような対価の衝いた夢の出会いであった。
言い忘れているが、ROYCEにCDプレーヤーは無い。
預かったCDは美しくテーブルに飾られて、カタログの美麗なイメージとサイドメンの腕の凄さとが相まって謎の歌手が、来年のいまころはジャズの蒼流を席捲しているに違いないが、それにしても当方の眼の前に座った人が、すごい迫力でプロモーションしてくる。
むむむー
いったい「あなたは、何者ですか?」と、おもわず尋ねた。
せっかく尋ねたのに、スルーされて、答えのないのがやっぱりジャズ喫茶。






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大分県の客

2009年10月18日 | 巡礼者の記帳
大分県は日本列島の描かれた地図を東京から二つに折ると、岩手と向かい合って重なる位置にある九州の東の國である。
十日ばかりまえ、何人まで入れますか?という問い合わせがあり、今丁度7人の侍が耳をたてており、あのときもし20と答えれば、その大分から20人の剣客を揃えて北上したというのであろうか。
「わたしの大分は、何にもないところで、湯布院などの温泉が湯気をたてているばかりです」
と口火を切ったその客と、自信たっぷりに武家屋敷の遺構を隠して、あくまで控えめに座を廻している個性的な面々が、タンノイを聴いている。
初めて見る大分の人々が、訛り言葉をおくびにも出さず、これまで磨いてきた剣の道の一端を、まるで禅問答のように次々と飛び交わせて、あうんの呼吸でテーマを片付けていくのを聞いていると、いずれも自宅にJBLやアルテック装置をそなえ豪放磊落な音を響かせている腰だめの剣客達であった。
窓際に座して、いっこうに言葉を発しない人物も、話に同期させパラボラの耳を動かす、このような人のオーディオ装置の凝縮された音は、想像するだに面白い。
一般に語尾の跳ね上がって鳴るジャズの音は、さすがにタンノイの世界ともなると、パースペクティブより音色に重点があるといわれながら、どこそこのライブはアレは良かったね、などと呉越同舟完璧に一致し喜んでおいて、しかるに帰っていく装置の居場所を間違えることがないのは何故なのだろう。
面々のお話によれば、四谷や吉祥寺も回遊されて昨日は川向う、というこの大名行列に、ただ一点欠けているものをふと思ったので、陣屋のそばの茶店の庭で、花でも眺めていると想像して一句詠む。

  ぶんご梅 海を越えたり 十六夜


※一般的な散文も、とありましたので。忘れがちですが。

大分県は、日本の地図の東京を中心に二つに折りますと、ちょうど岩手と向かい合って重なる位置にある九州の東の県です。
さて、十日ばかりまえのことになりますが、「何人まで入れますか?」というお電話の問い合わせのあったことを思い出し、いま席に座っているお客様が、丁度あのとき答えた7人でいらっしゃいますから、もしかりに、20と答えていれば、もしかすると、20人揃われて、大分県から日本列島を縦断していらっしゃったのかなあ、などと、力を秘めている雰囲気の大分の皆さんでした。
「わたしの大分は、何にもないところで、湯布院などの温泉が湯気をたてているばかりなんですよ」
と、さいしょのお客様が、話の口火を切りましたが、次に、本当は武家屋敷の遺構もあちこちにあるのです、と言いたげな、そこは控えめにお話を受け渡す個性的な人たちが、タンノイ・スピーカーの鳴らすジャズをいま聴いていらっしゃいます。
わたしにとっては、初めての大分の皆さんが、訛りのない標準語で話されるのがすこしものたりないのですが、ひごろの、オーディオに傾けている情熱と知識の凝縮を、テレビ特番で紹介された中国は岩窟院の禅問答のように交わして、テーマを次々と検討していくのを聞いたものですから、初めて会ういずれの人も、御自宅にJBLやアルテック装置を据えて、豪快な音を響かせておられることが感じられ、大変うらやましく、興味深く思えたものでした。
いっぽう、窓際に座って、いっこうにお話の述べない方もいらっしゃいますが、耳はちゃんとテーマを聞き逃さず、あるいは普段無言の分、そのオーディオ装置からは、凝縮された強烈な音が出ていたりすることが、無いとは言えません。
ジャズの元気のよいはじける音は、語尾が跳ね上がって鳴っていると、かりに形容しますと、タンノイの絶妙な潤いのある音は、まったく違う世界ではないか、と思うこともあるのです。
高音から低音まで、音像が前後左右にくっきりと隈どって鳴っている装置は、おそらくJBLの鳴り方なのかもしれず、それが心から気に入ってジャズを聴くのもよろしく、またタンノイ・ユニットのように、独特の陰影や潤いが身上の世界を楽しむ人もおられるのでしたが、さて眼の前で、具体的にアーチストがドラムスやベースや、サクスを演奏する鮮烈なエネルギーの放出されるライブ演奏には、さすがにオーディオ装置のこともまったくどこかに忘れて、「アレは良かったね」と、JBL装置であれ、アルテック装置の人であれ、心から「最高の音でした」と一致し喜んで帰路につくわけでした。
でも、みてごらんなさい。
どの人も、かといって翌日にこれまでの装置を替える人はいらっしゃらないのですから。
いまタンノイを聴いておられるこの方々は、すでに四谷の『いーぐる』や、吉祥寺の『メグ』そのほかを訪問なさったそうで、また昨日は川向う『丸テーブル』の歓待を受けたということですが。
どのようなお話のあったものか、大名行列の威力はこれに優るものないと驚きました。
このとき、ふと思ったのですが、紅一点のご参加があって、同伴の方が記念公園の庭で花でも眺めているかもしれませんので、一句を記しておきす。

  ぶんご梅 海を越えたり 十六夜

(大分の県花『ぶんご梅』のような方の、海を越えて、みちのくに足跡を残されるなら、珈琲でもさしあげたいものです。そういえば今夜は、いざよいの月でしたか)












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大阪の客

2009年10月17日 | 巡礼者の記帳
登山靴にリュックを背負って登場された御仁は、大阪の街内に住居があると申されて、よどみなく柔らかな言葉を、教典をつぶやくように話し、コルトレーンがタンノイによってどのように聴こえるか知りたいそうである。
当方は、コルトレーンが一曲のテーマを、二様に吹き分ける透明な叙情を楽しんでいただいた。
その客はおそらく、日本各地のジャズ喫茶をつぶさに耳にしてこられた余裕のようなものをにじませて、アメリカのクラブのかぶりつきで浴びたツバキを懐かしがりながら、タンノイの何ゆえかを諒解する一時を過ごすと、入り口のポスターで気になった事のように、クラシックも好きであると言いながら靴のひもを結んで、ふたたびゆっくり去っていった。





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炭焼藤太の伝説

2009年10月11日 | 歴史の革袋
洛中、洛外に居宅をかまえていた『長者』の昔話は、これまで多くの人々に楽しまれてきた。
当方が県境の自動車教習所にはじめてかよったのは、自分で車を運転するためであったが、彼の地の生活にまったく車を必要としなかった当方に、教官たちは、疑問符をつけてめずらしく思ったうえ、一緒に車に乗ってそのあやしいハンドル捌きをたしかめると、「やっぱり、初めてですねェ」と失礼な一言をもらしたが、おそらく彼等には、申し合わせや覚悟がいったのかもしれない。
車の運転は、義務であればうっとうしいが、坂道発進やペーパーテストを通過して、いよいよ免許証が発行されたとき、ちょっと天気のよい休日に自分で気に入った車が届いてエンジンを空ぶかしするのは、タンノイの調子をみるように楽しい。
他人様に乗せてもらうのと違い、フロントガラスに広がっているのは趣味の世界である。
そして、それまで気になっていた地理上のポイントに、国道四号線の教習コースでみかけた『炭焼藤太』という金の長者の遺跡標識があった。
炭焼藤太のことは、平安時代にこの地が京の都から見ていささか秘境であったころ、木を切り出して炭焼きを生業としていた伝説の人物であるが、沢のあちこちにごろごろ光っている金塊の値打ちを、京からやってきた娘にはじめて教わって、採掘と販路を確立し大金持ちになった長者の昔話である。
それからこの地には、『金成』というそのものずばりの地名が残って、炭焼藤太や金売り吉次の採掘プロジェクトは平泉藤原三代の強力な資金源となり、聖武天皇の御代に、奈良の大仏に鍍金する原資をはるばる馬をつらねて贈った史実があるといわれている。
最近の産出はまったくのように途絶えているが、いまも沢に入ると数時間でわずかな砂金を採ることができるため趣味の採掘マニアが出没するので、いずれ観光コースに組み込まれることになるのであろうか。
タンノイはいま、FRANK WESSの『OPUS DE BLUES』が鳴っている。
そういえばサイドでピアノを弾いているハンク・ジョーンズ氏は、さきごろ川向うでライブを敢行し健在振りを見せつけていたが、数日前のテレビコマーシャルでは、そのときの記念CDが五万両で黄金に鍍金され限定頒布されるとアナウンスされて、俄に炭焼藤太の錬金伝説が現代に連想された。
アルテックA-7でオーディオを楽しむ松島T氏がROYCEに現れて、ライブの行われたあのとき、車で駈けつけ聴いたジャズ・ライブの感興を、「満員のジャズ・トリオのライブを眼の前に体感して、あのように素晴らしいものであったのかとわたしは初めて知りました」と、黄金のホーンのついたタンノイをうっとりながめて申されたが、当方は、右から左にそれを受け流した。
みちのくのジャズ世界に、車も黄金もさまざまの物語を彩って続いていくようだ。






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水戸の客

2009年10月05日 | 巡礼者の記帳
或る秋日に、水戸のタンノイ氏の登場があって考えた...。
分類学(Taxonomy)においてヒトの端緒を♂と♀と諒解しても良いが、人為分類で『納豆』を食するか否かに着目してみたら、どうなのか。
温かい白米の上に、ネギと和辛子と唐辛子を振った納豆をのせると、普段は遠くを見る視線の人も箸の先の納豆に集中している。
本州はともかく、九州は熊本人だけ納豆を食する、という噂をききつけるが、舌の上の味蕾の仕様に、宇宙を共有したものと思われる。
それを確かめる方法はないか、母屋の食卓にて、白糸納豆を前に考える。
以前、富士見町の駅を降りて商店街を某B氏の宅に向かっていると、向こうからスタスタやってくるその人物、久しぶりに会う目的の人であったが、左手に持っている1本の細長い棒は?
「おう、これ。いまそこで買ってきた晩のオカズの焼きサンマ...」
....むかし松前漬の作り方を教わったことがあった、納豆の好きな人である。
水戸の藁で包んだ細長い包装の特産納豆も食べてみたが、さらにこの地の『水戸の梅』という和菓子に楊枝を立てて御茶を呑んだら、一関の『田村の梅』という幕藩風味の白餡をシソの葉で包んだ和菓子と外見はそっくりなのに、違う風味で驚いた。
トロンボーンをオーケストラで奏するという水戸のお客も、納豆は嫌いではないという雰囲気を持つ。
ミンシュ・パリ管弦楽団のあの有名な『幻想』をヨークで聴いた。
この赤盤はどのような録音イコライズなのか、いよいよ五楽章になってたたみかける低音弦の総奏にグランカッサがドッシーンと重なって、いやはやスピーカーのコーン紙がどうなっているのか、タンノイ・ヨークは不気味な音を出し、聴く者を恐懼させた。
クラシック音楽のダイナミックレンジは醍醐味だが、ゆきすぎるとおそろしい。

☆写真は、むかし田村藩の裏庭であった釣山公園の落葉。撮影したSS氏は、「まだ誰も歩いていない時間にね」と。




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『鳥舞』

2009年10月02日 | 歴史の革袋
長髪の怪人SS氏が再び登場したのは秋の初めの頃、
「一関駅前でみかけた男の、ジーンズと帽子の姿に触発され真似てみたが....しかし、あいつは格好良かったな」
と、自分のファッションにアドリブコメントをつけておいて、1曲お願いします、と言った。
むかし、ボンド映画で流行したあのアタッシュケースを開き、取り出したのは数十枚の大判写真の束である。
それが、これまでSS氏のまえに立ち現れたさまざまの情景がすかさず激写されている、無音の憧憬がいっとき静止した問題作の連続であった。
「置いていきますから、ゆっくり見て」といいながら、ロックアイスと水がほしいというので、わたすと、バッグから奇妙な入れ物を取り出してトクトクッと垂らしていたのは、なんじゃらほい。
どれも、眼前に広がるありのままを広角でガバッと気持ちよく撮る上質な桂品に眼を奪われたが、
その一枚に、『鳥舞』の風景があった。
鳥舞と同種の踊りは、アンデス地方など世界中に残っているが、東北に太古から伝承する民話の世界がこのたびユネスコの世界遺産にえらばれてみると、あらためて素朴な円舞の祈りに心をうたれる。
SS氏は、何十年も前に、平泉の束稲山頂でおこなわれた学童の鳥舞をカメラにおさめていた。
この山頂から見下ろしためずらしいアングルのかなたに、平泉を流れる北上川と、高館や柳の御所が写っている。
勧進帳で有名な義経一行の、終焉の地でもある。
こちらが、かってに写真をトリミングしても良いかたずねると、「どーぞ、ご自由に」と言いながら、タンノイから流れるピッツバーグ・ジャズ・フェステバルをバックに、スイスの腕時計を彼は絹のハンカチでいま磨いている。







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秋の便り

2009年10月01日 | 徒然の記
颱風の翌日、ポストに一番町の著名な店から秋の知らせがあった。

「そのヴォーカリストのことは知っている」
「おや、どうして?」
「一関に来たとき二言だけ、会話があったので」
「それはどんなジャズ・ヴォーカル?」
「大勢の取り巻きのガードがきつくて、二言だけ生の声を。サウンドはCDで聴くしかない」
「タンノイで聴いたね」
「フフフ」
「Dear Soulsとは、ネーミングがこれから秋に合っている、か」
「彩花と書いてirohaと読んでもらいたいと、マネージャーが」




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