赤いベンツの客が、再び登場したのは、秋の初めのことであった。
新たにわかったことのひとつは、彼はベースを弾きこなす特技があり、あぶなくそちらの道にゆくところだったのではなかろうか。
留学経験があって、壁に表装のH・ミラーの手紙も二行ほど巻き舌で読んだ。
いぜんの女性は、スポーティーなジーンズに装いを替えて、そのうえ赤坂先生と呼ばれるピアノ・マンも行楽に同伴されている。
じつに、完璧である。
ただ、なぜか雰囲気が、前回とは双子の兄弟のもう一方の人であるような気がするんだね、どうも。
彼は笑って、携帯のアップル社の新製品をプチッとやると、ライン川沿いのフォトキナ会場の『アグファ』のブースを見せてくれた。AGFA社最後の参加であったという。
赤坂先生は、謹厳なる表情のままタンノイから視線を当方に移したが、ピアニストというより学者の雰囲気であって、冗談の言えるタイミングは無い。
「ヴィレッジ・ヴァンガードの地下鉄の音を、念のため友人宅のJBLでも検討したのですが....」と、タンノイの音に納得すると、三人は打揃って、陽光のあふれる路を再び秋の行楽に出かけていった。
黄色を抑えたような赤いセンスのベンツは、街路を音もなく消えていった。
☆昔、AGFA社を見学した折りの記憶をいうと、併設のカメラ博物館があって、ダゲレオタイプやステッキカメラなど膨大な量の歴史上のカメラがドイツ的厳正さで陳列されてあった。
館長が大きなポスターを記念に提供してくれたので、そこにサインをお願いすると、彼はちょっと意外そうに眼をパチクリさせたが、万年筆のキャップを緩め、一気にシュルシュルとペンを滑らせて達筆のドイツ文字である。
工場見学で見たものは、製造上の廃液がライン川に流されるため問題を抱えている途上の古い生産ラインで、プラスチックの薬品ケースが無人の機械からポン、ポンと押し出される様子を見せてもらって、まもなくそのラインは廃止になるという。
別行動でアグファ社のオーナーと会見していた○社長がレストランで我々と合流し、「そのような程度のものを、日本からわざわざ行ったお得意様に見せてしまったのは、配慮がなかったね」というと、たまたま眼の前に座ってしまった当方に、このモーゼル・ワインは日本では7千円くらいかな、と言って、トクトクッと注いだ。
そのうえ、「あなたにはまだ教えていなかったけど」とワインのグラスを指し、この細いところを持つ。熱で冷やしたワインが温まらないためだね、と言った。
○社長は、もと大学教授であった経歴のなせる流儀で、啓蒙思想に溢れている。
そういえば、四階にある給湯器の傍で社長が征露丸を何粒か呑んだのをたまたま垣間見たので、そのことを所長に報告したことがある。
「社長は、大変な激務のようですが」
所長は少し笑って、「昨夜は、おそらくアルコールに激務なのかもしれん」と言ったことは内緒にしておきたい。
☆そういえば
五十人でいっぱいのそこに、部門の頭目が一堂に会して、みな熱心にメモをとって耳をかたむけている。
毎年海外視察する社長は経営の先頭を切っていたが、しもじもの立場で最後列に耳を傾けていると、そのとき六十年代半ばのアメリカ視察でウオールマートの話があった。
商品の値札がスライドで映し出され、社長は一点を示すと、小数点以下の98セントという端数を注目し、いまでこそあたりまえの
「彼の店では、5ドルの商品であれば、必ず4ドル98セントに表記している」
どうやらそのほうが、わずか2セントの違いが消費者に4ドル代というイメージを訴えるそうで、店内はすべてそうなっていると。
われわれは皆、へーと思って、めんどうなこっちゃ、と思った。
レジスターがゆきわたっていない昭和40年代のころは電卓も非常に高価で、近所の鷹番の八百屋さんもザルを天井からゴムひもでつるし、暗算で商売している。
100円のものを98円で売ったら、計算間違いのもとである。
しかし社長は、ウオールマートの戦略を高く評価していた。
問題は、その数日後におこった。
N本部長という、雲の上の人がこちらの仕事場にやってきて
「きょう、空いているなら、ちょっと付き合えますか」
ぎょっとし、約束の時間に同行した。
案内されたのは小さいがいかにもの料理屋で、和服の女性が静かに応対する。近所にこんな良いところがあったのかと驚いた。
「なんでも、好きなものを注文しなさい」
渡された品書きに目をおとしていると、さっさと適当に注文した御仁は、
「どんどん食べて」と勧めてくれる。
ちょっと箸をつけたところで、本題に入ってきた。
「きょう、社長室に呼ばれて、申されるには先日の報告会で壇上から見るところ、キミだけメモをとっていなかったそうだが」
うぐっ。
「なぜか、と社長は心配されて、ぜひキミに会ってきいてくるように、とわたしは申しつかったのだが....」
“$#~*
営業から『コンタックスRTS』一式も世話してもらったが、最近は電池のいらないFTAをもっぱらに、これがおもしろい。
新たにわかったことのひとつは、彼はベースを弾きこなす特技があり、あぶなくそちらの道にゆくところだったのではなかろうか。
留学経験があって、壁に表装のH・ミラーの手紙も二行ほど巻き舌で読んだ。
いぜんの女性は、スポーティーなジーンズに装いを替えて、そのうえ赤坂先生と呼ばれるピアノ・マンも行楽に同伴されている。
じつに、完璧である。
ただ、なぜか雰囲気が、前回とは双子の兄弟のもう一方の人であるような気がするんだね、どうも。
彼は笑って、携帯のアップル社の新製品をプチッとやると、ライン川沿いのフォトキナ会場の『アグファ』のブースを見せてくれた。AGFA社最後の参加であったという。
赤坂先生は、謹厳なる表情のままタンノイから視線を当方に移したが、ピアニストというより学者の雰囲気であって、冗談の言えるタイミングは無い。
「ヴィレッジ・ヴァンガードの地下鉄の音を、念のため友人宅のJBLでも検討したのですが....」と、タンノイの音に納得すると、三人は打揃って、陽光のあふれる路を再び秋の行楽に出かけていった。
黄色を抑えたような赤いセンスのベンツは、街路を音もなく消えていった。
☆昔、AGFA社を見学した折りの記憶をいうと、併設のカメラ博物館があって、ダゲレオタイプやステッキカメラなど膨大な量の歴史上のカメラがドイツ的厳正さで陳列されてあった。
館長が大きなポスターを記念に提供してくれたので、そこにサインをお願いすると、彼はちょっと意外そうに眼をパチクリさせたが、万年筆のキャップを緩め、一気にシュルシュルとペンを滑らせて達筆のドイツ文字である。
工場見学で見たものは、製造上の廃液がライン川に流されるため問題を抱えている途上の古い生産ラインで、プラスチックの薬品ケースが無人の機械からポン、ポンと押し出される様子を見せてもらって、まもなくそのラインは廃止になるという。
別行動でアグファ社のオーナーと会見していた○社長がレストランで我々と合流し、「そのような程度のものを、日本からわざわざ行ったお得意様に見せてしまったのは、配慮がなかったね」というと、たまたま眼の前に座ってしまった当方に、このモーゼル・ワインは日本では7千円くらいかな、と言って、トクトクッと注いだ。
そのうえ、「あなたにはまだ教えていなかったけど」とワインのグラスを指し、この細いところを持つ。熱で冷やしたワインが温まらないためだね、と言った。
○社長は、もと大学教授であった経歴のなせる流儀で、啓蒙思想に溢れている。
そういえば、四階にある給湯器の傍で社長が征露丸を何粒か呑んだのをたまたま垣間見たので、そのことを所長に報告したことがある。
「社長は、大変な激務のようですが」
所長は少し笑って、「昨夜は、おそらくアルコールに激務なのかもしれん」と言ったことは内緒にしておきたい。
☆そういえば
五十人でいっぱいのそこに、部門の頭目が一堂に会して、みな熱心にメモをとって耳をかたむけている。
毎年海外視察する社長は経営の先頭を切っていたが、しもじもの立場で最後列に耳を傾けていると、そのとき六十年代半ばのアメリカ視察でウオールマートの話があった。
商品の値札がスライドで映し出され、社長は一点を示すと、小数点以下の98セントという端数を注目し、いまでこそあたりまえの
「彼の店では、5ドルの商品であれば、必ず4ドル98セントに表記している」
どうやらそのほうが、わずか2セントの違いが消費者に4ドル代というイメージを訴えるそうで、店内はすべてそうなっていると。
われわれは皆、へーと思って、めんどうなこっちゃ、と思った。
レジスターがゆきわたっていない昭和40年代のころは電卓も非常に高価で、近所の鷹番の八百屋さんもザルを天井からゴムひもでつるし、暗算で商売している。
100円のものを98円で売ったら、計算間違いのもとである。
しかし社長は、ウオールマートの戦略を高く評価していた。
問題は、その数日後におこった。
N本部長という、雲の上の人がこちらの仕事場にやってきて
「きょう、空いているなら、ちょっと付き合えますか」
ぎょっとし、約束の時間に同行した。
案内されたのは小さいがいかにもの料理屋で、和服の女性が静かに応対する。近所にこんな良いところがあったのかと驚いた。
「なんでも、好きなものを注文しなさい」
渡された品書きに目をおとしていると、さっさと適当に注文した御仁は、
「どんどん食べて」と勧めてくれる。
ちょっと箸をつけたところで、本題に入ってきた。
「きょう、社長室に呼ばれて、申されるには先日の報告会で壇上から見るところ、キミだけメモをとっていなかったそうだが」
うぐっ。
「なぜか、と社長は心配されて、ぜひキミに会ってきいてくるように、とわたしは申しつかったのだが....」
“$#~*
営業から『コンタックスRTS』一式も世話してもらったが、最近は電池のいらないFTAをもっぱらに、これがおもしろい。