ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

タンノイ・カンタベリーの客

2008年07月27日 | 巡礼者の記帳
刑事コジャックはテレビの画面で言っている。
「それは方法だろう。理由はなんだい?」テリー・サバラスは飴棒を手に切り込んでいく。
モノトーンの光景がとても良かった。
さて、届いた小包を開けると、箱の上に一枚のメモと小さなガラス管があった。
『音の良いフューズですが、どうぞ』
オート・グラフを自作アンプで鳴らしているトランス・ドライブの権威は、二行の言葉と髪の毛のようなフューズ線に、ご自宅のタンノイを語らせているのか。
正午も廻ろうというとき、品の良いご婦人が姿勢のまっすぐな紳士を伴って登場された。
「あー、ここだわ、タンノイ」
墓参りの帰りです、と申されながらニコニコと、「あなた、ここに座って」と御子息らしい人に勧めて、ロイヤルの音をまっている。
それとなく子細をうかがうことができたが、ご自宅にいまあたりを払って鎮座している装置は、ご主人の蒐集された集大成である『受注生産タンノイ・カンタベリー』と『マランツ#7』と『#8B』とうかがって、またも市内に浮上してきた潜水艦を見る。
「ピアノの音が良く鳴らなくては...」と、ご自宅に搬入されたタンノイの神韻渺々の音楽を楽しまれたそうであるが、その二年間はいささか短かったのか、わからない。
龍之介の一章を敷延して、
お釈迦様は、やがてかたわらの御仁に微笑まれると、ハスの池から顔を上げてゆっくり去ってゆかれました。あたりには、温かな光に満ちて停まった時間が、ときどき風に揺れて微睡んでいます。





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トーレンス226

2008年07月25日 | タンノイのお話
カートリッジに『SPU-A』を使うことは、タンノイと管球アンプにとって、音楽の旅の羅針盤が方向を決めたことになる。
SPU-Aに丁度よいアームというのが難しいが、デザインとバランスで、いまのところ『RF-297』である。
だいぶまえオルトフォン・ジャパンに電話して、RF-297を購入したいというと「そのようなアームは知らない」との返事であった。
EMTの放送局用プレーヤーのために、デンマーク・オルトフォン社が製造したアームが、いまでは幻の名器といわれ簡単には手に入らなくなった。
このアームは全長40センチあって大型のプレーヤーでなければセットできない。
わざわざ場所を取る大型プレーヤーにしてまで使いたくなるのは、SPU-Aのローコンプライアンスに理由があることは誰でも知っている。
この重いアームによって、ふてぶてしい低音が出るので、一度使うと手放せなくなる。
アームのオフセット角と距離に問題があるけれど、黙って使うのがツウである。
震度6の地震の深夜、針がバウンドしてタンノイが呻いている。
やむをえず、アームをピボットにもどして再生を止めた。
長い地震振動のあいだ、我々にすることはいっぱいあるが、優先順位でいうと最初にプレーヤーである。次にアンプの電源を落とす。
そしてロイヤル様に走りよって、上の貴重品が落ちないように支える。
この時間が長く、本当はあぶない。
横ゆれが酷いなら、逃げるのであるが、タンノイを放置して逃げるという判断がむずかしい。
揺れがおさまって、ヒビのない茶室の壁に安堵する。
日本に住むということは、そういうことだと最近になってわかってきたような気分だ。
地震がおさまって、世の中、早くも皆眠りについていたようだ。



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目黒駅界隈

2008年07月21日 | オーディオショップ
花のお江戸に、霊峰富士の見えるなごりの地名がいくつも残ったが、高層建築が静かに増殖して変容する大都会に消える風景がある。
パイ○ニアのビルディングが、なだらかな目黒の丘に突如周囲を圧倒してそびえ立つころ、遠く駿河の富士まで見通せる最上階の眺望は、初めて見るものに息を呑んだ絶景である。
そのビルディングから道路を隔てた斜向かいに、同じころ出現した『ガス・アンプジラ』『スレッショルド』など当代の名器を壁一面に蒐集展示する豪華なショールーム喫茶は、粋人が再生音楽の頂点を蒐めようとしたもう一つの眺望であったのかもしれない。
ホテルのロビーを思わせるガラス張りの壁と、タイル模様の豪華な床のオーディオ店にめずらしい右手に2人の受付嬢が起立して、左手にはレコードの輸入盤を陳列したケースが並んでいる。
衝立状の観葉植物の向こうに、ガラステーブルと皮張りのソフアがゆったりと置かれて、正面のスピ-カー、周囲の棚に陳列された逸品アンプ群が、これから鳴り響く音を約束しているようだ。
その日のお目当ての『ガス・アンプジラ』の音を聴かせてくださいと、紅茶などを注文しながら希望を伝えると、まもなく広い空間が骨太の立体感を聴かせる毅然とした音に飽和し、タンノイとは違うサウンドといえども、栄華を楽しむひとときである。
紅茶は、妙なガラス壷から注いで、まだ少し残っているからゆっくりしよう。
このような空間は、いつまでも存在するだけでありがたかったのに、気が付いたときにはいずこへか消えていたのが残念だ。
ガス・アンプジラであの空間に鳴り響いた『ウイスパー・ノット』が、いまはなつかしい記憶となった。



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HaNG ON RAMSeY!

2008年07月18日 | 徒然の記
渋谷と横浜を結ぶ東横線は、そのころ地面の高さを走っていて、踏切だらけの沿線は信号機の音が喧しかった。
駅前通りの某『古書店』をのぞくと、たまにレコードもあり、ついでに買ったLPが『HaNG ON RAMSeY!』である。
古書店であろうが、昔のカッティングはすばらしい。
この店のちょうど目の高さにあった古代船の高額なイラスト図鑑が気になって、ふと手にとっては満足していたのであるが。
あるとき、裏表紙に貼った値段が下がっている、と気が付いたが、予算というものがある。
なんというのか見るたびに値段は下がっていて、いささか気を回した当方、最初の値段から半値になったところで店主の前に図鑑を差し出した。
大勢の客の出入りに忙しいなかで、謹厳なメガネの店主は、どこを見ているのかわからないような人であったが、多様な書物の陳列が倦きさせなかった。
1965年、ラムゼイ・ルイス・トリオによる、ハーモサ・ビーチのナイトクラブで、客の入れ換えも出来ないありさまの熱狂の演奏をたまに聴くと、その古書店を思い出す。



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タンノイ・ヨーク

2008年07月16日 | 徒然の記
まったく音の無い世界を、想像するのはむずかしい。
高校生の頃「一緒に行こう」とレコード店に誘う同級生がいた。
鯛焼き1個15円であった学生の身分には高価な映画のサントラ盤を2枚買って、そのうちの1枚を貸してくれるという奇特な人である。
彼が、オーディオ・セットからノイズがするというので、ある雪の積もった冬の日、バスに乗って遊びに行った。
農家の離れで、一泊していくことになった。
布団に入って気が付いた。
その家は、まるで耳にすぽっと穴があいたようにシーンとまったく音がしない。
柱時計の音も、山の音も風の音も、獣の声ひとつしない。
ジーという耳鳴りと心臓の鼓動が聴こえるだけの、おそろしく哲学的な真空の闇である。
彼は、このような世界にこれまで生きてきたのか。
目が覚めると、声がして、障子戸から朝日がもれていた。
真の無音とは、耳の奥の、鼓膜の傍を流れる血管の音を聴く世界だったかと驚いた。
珈琲を片手に、ボリュームを絞った無音のタンノイを眺めていると、これまでのさまざまの音楽のフレーズが思い浮かんでサランネットから透けてくるようだ。

☆このスピーカーはレクタンギュラー・ヨークといって、これまでのロイヤルの傍にあるが、二台並べると音が良いと試した人は言う。





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パリ祭

2008年07月14日 | 旅の話
7月14日はパリ祭。
「きょうはパリ祭だ」と、何年もまえに田舎の破れ部屋で言った男がいる。
当時の巴里は、はるかに遠い國だったが、その部屋は特別な空気が立ちこめていた。
子供の時、その話をきいていた当方、いよいよ、パリの空の下、セーヌが流れる景色を眺めに海を渡ったが、おのぼりさんとしては、路上のスタンドに立ち寄って記念になりそうな新聞を物色していると、店員が「タダで読マナイデ」と言った。フランス語、読めない当方にむかって、それはかいかぶり。
『ムーラン・ルージュ』に行きたかったが、満席で、『リド』にまわった。
一番よい席は、舞台のそばの食事付テーブルらしいが、ワイン1本だけの外野スタンドに節約した。
日本の伝統芸では、歌舞伎座のようなものだろうか、ストロボライトに踊り子がストップ・モーションする意外なショーだった。
パリ祭なら、遠くで思うものでよいかと、タンノイでイブ・モンタンを聴く。

☆そのむかし『ウィンドウズ3.1』と格闘していたある深夜に突然電話が鳴り、訝って受話器をとると「きょうはパリ祭だ」の御仁からの「30年ぶり」の電話であった。
或る人物の消息を知りたいと言っているが、中学のころ一度見て以来の伝説の人間が電話の向こうにいた。
その1メートル90はあろうかという巨人が、ジャンパーの肩を少しすぼめて歩いているところを思い出すと、ついでにモーツァルト40番が聴こえる。
この巨人の部屋の蓄音機で聴かされた人がハミングしていた40番。





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GO.

2008年07月12日 | 巡礼者の記帳
前夜の雷雨が、乾燥していた庭の草花を鮮やかにさせている。
そのとき洒落た彩色の車で登場されたのは、眉目秀麗のひとを従えたタンノイを鳴らす客である。
ハバート、チェィンバース、アダレイ、ケリーのおなじみのサウンドが止むと、「娘です」とご紹介があった。
都会の住まいではそれほどの揺れではなかったらしい。先日の烈震の驚天動地の模様や、胆沢との電話不通のことなどが、『THERE IS NO GREATER LOVE』と重なって、柔らかで凛とした女性のイントネーションも聞こえてくるのが一幅のジャズである。
そういえばあの時ROYCEにも、めずらしい御仁から電話があった。
「大丈夫ですか...」
言葉少なに、福岡藩の御殿医KU氏の80ヘルツのかかった声を久しぶりに聴くことができた。
KU氏といえば、スピーカーのまえに腕を組む着流し姿の五味康佑に見えたものだが、ROYCEのサウンドを心配されて、アンプリファイヤー9台を送り届けてよこされた御仁である。
どうされたというのか最近は、『JBLエベレスト』や『ストラディバリ・オマージュ』を離れの茶室に置かれ入り浸たっておられるときき、はてなと怪しんでいたから、電話の先の見えない相手のオーディオ装置を、互いに思い描いた。
「九州においでの際はぜひお寄りください」と、刀の鍔鳴りの聞こえるような声であった。
音楽の森羅万象を楽しまれるのに、アメリカ製であろうがイタリア製であろうが、国境は無い。
新旧の五味康佑氏に、そこの侘び寂びを伺ってみたらおもしろいと思う。
レコードの替った時「この曲は憶えているわ」と女性の声がして、パーシー・ヒースのベースがブルブーンと鳴っている。
父である人は、しばらく見なかった娘である女性の変貌に、ジャズだけが昔とかわらず聴こえているかのようなご様子だ。




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大音量

2008年07月08日 | 巡礼者の記帳
サラ・ボーンのメロディを考えているとき、思い出している歌はテンダリーかデイ・バイ・デイかミスティだろうか。
ふと唐突に、日本人では明治一代女もよろしいけれど、美空ひばりのサラ・ボーンの持ち歌をいくつか歌うところをナマのように聴きたいものだ、と思った。
「しばらくでした」と、あらわれた客人は言った。
若い頃、稲子川の道場にかよっていたころ、店のあるじは「ジャズは大音量でこそ、はじめて聴こえてくるものがあるから」と、アルテック装置をこれでもかというくらいのボリュームで延々と聴かせていただきました。
それはマッキントッシュ・アンプの濃厚なサウンドだったのか、レコードの黒いミゾを針の先が滑っているところを、しばし想像した。
音もジャズの場面もさまざまだ。
レコードを何枚もリリースしている歌手が、マイクを使わないで歌うノドのビロードの潤いはびっくりするほど良かった。一方で、出版記念会でさんざん出番を待たされていたビッグバンドの、最後に爆発したかぶりつきの大音量もすばらしかった。
タンノイは、大音量も小さな音も、タンノイ以外の音ではないだけに。




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その後のテテのあるじは、

2008年07月05日 | 徒然の記
とぼけたなかにもどこか不敵な、それでいてやわらかい笑顔を浮かべ当方の傍に座っているその人物について、
『隠れジャズ喫茶・テテ』のご主人は、あるときふいにROYCEを訪ねてきた。
彼が持ち込んでテーブルに並べた数葉の写真の威力が良い。
JBLの音響装置が備わった根城には、全国各地の歌枕ジャズ喫茶を踏破したあかしとなる「そんなにジャズ喫茶があったの?」と思う膨大なマッチ・コレクション。そして天上まで整然と並んだLPとCDのストックが彼のこれまでを雄弁に語って壮観だ。
このようなJBLジャズの化身の、とうとうと理を述べる御仁にも、タンノイのどこ吹く風のように鳴るコルトレーンの音色と、いつまでも名字を一字間違えて言う当方に次第にタジタジとなって、世の中は広いと、結論してもらえたのが幸いである。
それからは、忘れた頃にお便りが届くが、このところ世間を騒がせた日本最大?の激震に見舞われた当地のニュースに、破壊されたかの聖地およびその傍らにある異教の黎堂を思い浮かべられたらしく、一葉のハガキをくださった。

『お久しぶりです。今回の大きな地震、お見舞い申し上げます。被害はありませんでしたか、貴重なアナログレコードとオーディオシステムは大丈夫でしょうか、心から心配しております、加えてROYCEさんはお酒のほうもあるので大変でしたね。少しは落ち着いたと思いましたのでお便りしました。今後とも頑張ってください。
私は今年二月には胆のう炎になり、昨年六月の脳梗塞に加えて最悪の日々を過ごしており、現在リハビリ中です。人生も末期ですがJAZZへの情熱はまったく衰えておりません。七月はスティーヴ・キューントリオに行きますし、アナログ中心に集めております。ホレスパーランが良い。今年もお伺いできるか解りませんが私の一番好きな街「一関」に一日も早く行きたい思いで一杯です。その時は宜しくお願いします』

かの人物のジャズの深さがしのばれる、いささかも末期らしくないハガキである。








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釜石市の客

2008年07月02日 | 巡礼者の記帳
どこの誰でも良いのに、大抵の御仁が名乗るのは何故かな。
はじめの釜石の客は、『山目駅』で降りてしまったのがまずかった。
たしかに住所は山目というが、彼は歩きに歩いて番地の不思議に目を回した。お気の毒でした。
その気分のよい御仁は、ジャズがとにかく好きであったから笑っておられたが。奥方は「どうせ、晩ご飯には間に合わないでしょう」と、家を出るとき申されたそうな。
次にあらわれた御仁は、ループ・タイの端を引きながら言う。
「夕刻から、あのホテルで会合があるので」と窓の外を見つつ、タンノイの好きな知人がいるので報告しなければ、と。
その次の釜石の御仁はしばらくタンノイを聴いておられたが、シャープな言葉で「このスピーカーの特長は何ですか?」とお尋ねになった。
二つのスピーカーを結んだ線の後方に音像が出来るホール・トーンが特長のユニットにもかかわらず、音が前にも出るようにしましたと、申し上げると「わかりました」と何事か理解した。
タンノイの音とは、自分の耳で彷徨う、知る人ぞ知る奇妙な約束の音であったから。








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INTERPLAY

2008年07月01日 | 巡礼者の記帳
子供の頃、トラックがめずらしかった。
戦争を生き残った車体は、あらゆるところが振動してダダダダとやかましい。急いで駈けつけると、店の前に停まっていたのはやはりトラックである。
イナセな運転手が焼酎を買っている。
男は、やにわにボンネットにまたがって、まず自分でゴクンとラッパ飲みに一口呑んでから、タンクにドクドクと流し込んでいる。
雨の日に提灯を下げた人力車が家の前に停まって、荷馬車とトラックが一緒に走っている時代、ガソリン・スタンドなど、街のどこにあったのか記憶に浮かばない...。
漠然と『インター・プレィ』を流していて、ふとタンノイの音に気が付いた。
このGEC・KT-88アンプの、ゴリゴリ、クッキリと逞しく変身したタンノイに流石と思ったが、何日も聴いていると、何かが違う。
もとのWE300Bアンプに戻すと、ふくよかに瑞々しい、やっぱりそれで良い音であった。
そのときROYCEの前に、重厚なワイン・レッドの車が停まって、ドアを開けたのは黒塗りサルーンの御仁である。
あれ?塗装を変えたのだろうか。型が同じであるのに、ワインレッドとはこれいかに。
サルーンの御仁はあっさりと言った。
「これは、妻のほうの車です...」
赤と黒の二台の車が、晴れた日の高速道を、並んで走ったり前後に入れ替わるジュリアン・ソレルの舞台もよろしいけれど、このエヴァンスのLPは、フレディ・ハバートのトランペットとジム・ホールのギターが加わるクインテットが豪華で、高速道を五台の車のアドリブ・ソロが流れて行くようだ。



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