ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

旅の空

2013年06月27日 | 旅の話
タンノイの音は、枕をそばだてて聴き、香爐峰の雪は簾をかかげてこれを見る
平安時代は、遠方に住むひと、古都平泉を和歌に詠んでも、じっさいに束稲山のサクラを観ることは難しかった。
あるとき、小雨にけむる北上川対岸を走って、いまでは平らな農地になっている束稲山下を抜け、柳之御所遺蹟を初めて見に行った。
横断歩道の傍に無断駐車したこの柳之御所は、大きな堀に囲まれ、長屋王の建物にも似た豪華な書院や池や築山などの跡があった様子が想像されて、歴史に浸る気分の一刻は申し分ない。
御所の傍らを流れる北上川と、対岸の束稲山の間にも武家屋敷や町屋が並んでいた記録があるが、当時人口15万ともいわれる人々の経済生活はどのようなものか。
かりに、板葺き家が千戸も再現されて、どれでも一泊素泊まり千円。
そこにおじゃまして夜鳴きそばでも食べながら、芭蕉は二泊したらしいから温泉でも入って一句詠む。

おもしろや ことしの春も 旅の空





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

那須邸の音楽

2013年06月23日 | タンノイのお話
悠久のジャガー氏はROYCEのタンノイに耳をかたむけておられる。
音楽堂を森林の一角に建築された趣味人の、その後の推移を知りたいものである。
『コーネッタ』のユニットをふたたびⅢLZのエンクロージャーに戻され「とても良い音に鳴っています」と写真を見せてくださった。
ジェフローランドや、マッキントッシュ、2A3アンプの音など古今の名器を試されて、たんたんと快活に所見は述べられていくのが、音楽を聴くように耳を奪う。
御仁が一瞬席を外されたとき、いささかの意図もあるわけもなく当方はご婦人にお尋ねした。
――最近の音のご様子、そうとうな仕上がりと感銘いたしました。
「わたくしには、こわしているのか造っているのか、さだかではありません」
なにぶんご婦人は、声楽の研鑚を深く積まれたかたである。
謙譲こそ平安の要諦なのか、あくまで涼しげなご婦人であった。
お帰りになったあと、残された写真を拝見していると、『三無の茶室』の植栽が季節を彩って、音楽堂のなかで小さく見えるアルテックスピーカーと枠に据えられたⅢLZが並び、趣味を持つものには空想が絶好の眺めである。
室内の壁面を飾る絵画もまた、すばらしい。
省みて、ふとトーレンス226のSPU-Aの針圧を計りなおすと3.2グラムであるが、季節が緩んだ今朝がた、少しネジをひねったあれが原因か。
4.5グラムにすると、コントラベースの定位も音はいつもの風景になった。
タンノイの音は毎日変わるが、二人の演奏家ほどには違わない。
しかし、日本の各地のタンノイは、それぞれ確たる別の世界を持って鳴っている。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Sonny Rollins on Impulse!

2013年06月18日 | 巡礼者の記帳
梅雨のすこしまえ、南シナ海を「いかだ」に乗って帆を膨らませている探検家の様子がテレビに映っている。
アレッと注視したその面影であるが、だいぶむかし、アパートの白黒テレビで見たニューギニアの奥地を探検中の青年と似ている。
半世紀もまえになるが、当時青年の彼は、
「自分の体内に、日本に無い未開地のいろいろな寄生虫が住んでいる」
と言って宿主の貫禄をみせつつジャングルをかきわけていたが、そのころ同じ奥地で消息を絶ったアメリカ大富豪の有名なロックフェラー事件があり、最後に見たという土人と会って話ができたことをボソッと言った。
日本各地の民話の採集で有名な宮本御仁の風貌とも、どこか似ている彼は、いま、いかだのうえで風向きを見ながら、寄生虫はどうなったかご健勝の様子であった。
さて、当方の車は夜の今泉街道をひさしぶりに峠越えし、民話の世界を彷彿とさせていた住居もいまでは別荘地のようであったが、左右に流れる夜の闇は黒いレコード盤の溝をカートリッジになって走るように、寝静まった街道にエンジンが響く。
やはり、起承転結を随所にみせる今泉街道はすばらしい。
気温16度の森には動物が潜んでいるのであろうか、2匹の小さな狸が縁石を走ったところが、大きな表示版にカッパ伝承の昔話が書かれてあった。
翌日royceに現れた札幌ナンバーの客人は、福島から宮城に建築のお仕事で移動中、ラックスアンプでナショナルのフルレンジを鳴らしておられるそうで、二年になったのでそろそろ北海道に戻ります、ともうされている。
ロリンズのTHREE LITTLE WORDSを喜んで「ちょっと車に取りに」とジャズを聴く人は行動が早い。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野鳥

2013年06月06日 | 諸子百家
昔、お世話になっていた寮で彼はブランデーを手に、ガモフやアシモフやマルコムXを社会に出てまもない当方に話してくれたが、ひとはみな、こころに宇宙を持っている。
ガモフ氏とは天文物理学者で、我々が暮している宇宙に年齢が有り原子背景放射の色温度を測れば過去と未来の寿命がわかると言ったような気がするが、またアシモフ氏とは科学者兼小説家でロボット工学の先駆者。マルコムX氏は黒人公民権運動家で「ニーチェ、カント、ショーペンハウアー全て読んだがどうも彼らは、さして重要でない議論に無駄をしている」と言った。
では、一足飛びにフェーズが移動し、当方の母屋の庭や二階から観察する野鳥世界は、黒沢橋と新国道橋の一角に納まって季節のうつろいを見せている。
ここで観察した移動物体を、13枚の組写真にしてみたのである。
子供の時、太陽を我慢して一分間肉眼で見ると、光球が七色に変色していた。
飛行機雲はマイルド煙草の広告がやはり優れている。
白鳥は列になってシベリアから飛んで来るらしいが、最近疫病が言われ息を止めて上空を見る。
モズは肉食で獲物を木の刺に射し貯蔵する、メスのみが抱卵する。
ピーヒョロヒョロと鳴くトビは、高空を円を描いているが人間のアブラゲを攫うこともあるという。
ハヤブサは小鳥を狙う肉食で、空の一点に止まっている。急降下の時速は380キロを出す。
ヤマドリは柿本人麻呂の歌に「あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」とある。
オナガはカラスの仲間で集団行動し、鳴き声も多彩。
ヘリコプタは滑走路がいらない。ドイツ人が飛行体を実現し、アメリカに亡命したロシア人シコルスキー博士が実用化した。
ツバメはカラスを避けて民家に巣を造る?
ヒヨドリは人に馴れツバキの蜜や青虫などを食べる。まれに集団になると農作物を荒らす。
カラスは、手強い。
ヒバリは、大伴家持が万葉集に『うらうらに照れる春日に雲雀上がり心悲しも独りし思へば』と詠んだ。
オニヤンマは、あのスズメバチを捕まえて食事する。
ウグイスはオスが啼いて縄張りを守り、メスがヒナを育てる。
カモは集団で水辺に生活しているわけがある。
セキレイは尾羽根を上下にゆらし、クモや昆虫を食する。
ホトトギスは目の周りに黄色の輪をもち、トッキョキヨカキョクと啼く。平安時代、夜に厠に行くと闇に鳴き声がして怪しまれた。
スズメは、子供の時、庭に米を撒いて籠をかぶせ捕まえたが、捕まえたあとが面倒だ。
ツグミは口をつぐんでいるが、野生姿に見栄えが有る。
シジュウカラは黒い帽子を被って庭に立ち入ってくる。
カケスは雑食で周囲の擬音を真似て啼くこともある器用な鳥。
雁は月の夜に鉤形の隊列で飛び、伊豆沼でも見るが禁猟。
キジは付近の河川敷に住み、繁殖期にかん高い鳴き声がよく聴こえる。
ヤマバトはデデッポッポと啼いて、羽根がきれい。
アオバズクは夜行性の敏捷な猛禽。遠くの森でホーホーと鳴き声がする。
これらの観察に双眼鏡はニコンの12X36を使い、手持ちで視界がグラグラする限界。
ほかに野生の熊も早朝に山から磐井川を降りてきた噂があったが、それを見たときは危ない。
タンノイは良い音であるが、このようなものが周囲に生息している。
蝶鳥の 浮つき立つや 花の雲




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画館

2013年06月01日 | 亀甲占い
当方が大町に住んでいた頃、150メートル離れたところに裕次郎や小林旭の出ずっぱり映画館があった。
かりに京都の地図でその住家を四条烏丸にあてると、映画館は四条大宮である。
良く見た映画館は、京都駅から少しさがった東寺のあたりで、シェーンのラストでズドーンという拳銃が凄く良い音の、星座名の館である。
磐井川を桂川に見立てると、西院の付近に三軒、そうそうたる映画館が有り、西京極にも時代劇専門の映画館があった。
このように、以前は六軒の映画館があったが、テレビが普及し、誰も自宅で小さな画面で映画を見るようになったので、少なからず本物は閉館されてしまった。
オーディオも、いまでは耳にイヤホンを差し込んで、一般的に聴いているのは知っている。
油断のならないのはこのような時代の流れである。
以前お客が、一関にもうひとつ西五条大路あたりにも映画館があった、と話してくださった。
「製糸工場で働いていた女工さんが大挙して押し寄せる映画館で、蚕の匂いでいっぱいだったね」
レコードを聴くのに、そういえばプレーヤーと針が必要だが、先日会報を配布する御仁のお話はこうである。
「チゴイネルワイゼンを聴こうと昔のプレーヤを押入れから出しソニーの針を取り寄せたら、一万両でした」
そうこうしているとジーンズでショーを仕切っているBS番組の良く似たご婦人が「ここは何のお店か」と申されている。
針を使ってレコードを聴く店ですがな。

目にかかる 時やことさら 五月富士





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Just Walking In The Rain

2013年05月22日 | 徒然の記
大町通りについては、昭和は遠くなったかも知れないが、端から順に並んでいた店舗を思い出すと趣がある。
そこに住んだ記憶に有るのは、昭和の四十年ころの六年間だが、プラモデル時代と重なっている。
個性的な旦那衆の経営で、生活に欠かせないありとあらゆる店が軒を並べ、夕方六時にたいがい揃って閉店していた。
夜の大町通りは、街灯に照らされたガランとした舗装した路を遠くまで見通せるなかに、連れ立って酔客が歩いている。
夜も更けて10時になると、望楼スピーカーが「蛍の光」をけっこうな音量で鳴らし、大町の空から、通りや民家の屋根に降ってくる。
それで、きょうも終わった、と当方は思わされたものである。
たまたま勉強部屋の窓の下がパチンコ店の駐輪場になっていて、日中は人込みの喧騒と強烈な軍艦マーチや銀玉のゴーツと流れる音が部屋の中にまで鳴り響いていた。
それで、プラモデルを組み立てていた記憶に、塗装シンナーの匂いと街の喧騒はセットである。
この大町通りの商店街の気分を装飾する重要なスピーカーが街灯に付き『黒い花びら』『紅いハンカチ』『クワイ河マーチ』など流行の音楽が通行人の頭上に降ってくる。
さらに個々の店舗や映画館、パチンコ店の音楽なども響いているにぎにぎしさ。
ジョニー・レイの『Just Walking In The Rain』も鳴っていたハイカラぶりを思い出し、かってにちょっと歌詞を作り替えてみた。
小雨なら 傘無しで
かまわず大町を歩いていて ずぶ濡れになった  
焼き鳥に オンザロック   
こころは うきうき
小雨なら 傘無しで
曲がった道も まっすぐに
どんどん 歩いていけばいいさ
きのうのつづきに あすもある
夜の大通りの ウインドウに
いろいろな明かりに輝く
商品を選んでいる人が
いま手に取ったものを 誰に買った?
小雨なら 傘無しで
僕達がどう出会ったか考えたよ 
どうもそれが思い出せない?
ははは、
手に取ったものを それで眺めている?
狭いメインストリートに、自由気ままに、自動車や通行人の喧騒と音楽を空気のようにして大勢の人が住んでいた街である。
そうこうしているとき、松島T氏がひさしぶりに登場された。
おや、連れの婦人のバケットに、生まれたばかりの幼児が?
当方、その方面にうとく、ともかくマランツ♯7のボリュームをいっぱいに絞ってみたが、一万四千番代の勲章であるのか音量は少しも低くならない。
「こんど、仙台から店舗を新しい場所に移しました」
T氏はまたまた変身されて、写真のお店は広く明るい大きな窓のレストランに、オーディオ装置も備えてあるが、それはアルテックAー7のように見える。
ひょうひょうとして、喜楽を表情に見せないT氏であったが、周囲のオーディオ人の現況と活躍振りは必要に応じ要約され言葉に出てきて、ジャズのかたわら、楽しませて頂く。
一緒に喫茶の外に出ると、モスグリーンの乗用車は「まだ三万キロのものを譲っていただきました」とは、うらやましい。
そのときバケットの幼児がむずかって、御婦人は「音楽を聴いていたときはおとなしかったのにネ」
よく心得ている幼児客、というのであろう。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春宵の客

2013年05月18日 | 巡礼者の記帳
夜の母屋の電話が未知の韻律の声を伝え、会ってみようと思った。
では、これから店を開けましょう。
まもなく登場した人は、ウサギの印の小さな菓子箱を当方に差し出すと、待ちかねたようにパイプタバコを喫しはじめたが、あるいは当方がパソコンでゲームを為ながら考え事するように、音楽の合間にパイプの紫煙は似合っている。
ビールが良ければ差し上げましょうかと言うと、もう一方の、テレビで見る時事コメンティーターに良く似た人物が「いや、酔うと河内弁が現れますから」と固辞した。
その男性は、ベルリン・フィルのベートーヴェンが鳴るとすかさず「第九の4楽章です」とパイプの御仁にささやいて、
「カラヤンは第九を3回録音しているが」と応じている言葉は大きな音のうねりにかき消された。
「この♯7は、いつ頃に制作のものでしょう」
「電源は、どのように」
パイプの御仁はゆったりと、あまり喜楽を表情にみせず、ご自宅のオーディオ機器についてわずかに説明のある型番も、当方には異星人のものである。
「聴いているのは黒いビニールのレコードですが、光学装置によって左右の溝をひろっています」
これはいかん。ますます、その鳴っている音響がすんなりとこなかった。
だが、良い音でもいずれにしても、我々はそれを季節の収穫として並んだ自分の抽出しのいずれかに仕舞っていくのがオーディオの道草である。
春宵、紫アゲハかシジミ蝶の飛翔かを楽しんでパイプを燻らす旅の空があった。
「お近くを通過のさい、お立ち寄りください」
御仁は帰り際に親切に言葉を残してくださった。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江刺市の客

2013年05月12日 | 巡礼者の記帳
江刺市の客は、言う。
「わたしもむかし、東新宿の某オーディオ店で働いたことがありました」
輪郭の太いメガネをちょっとはずすと、正面のタンノイに照準をあわせるようにして、しばらく耳を傾けておられたが、となりの御婦人に言っている。
「このスピーカーは、低音と高音が一つに重なっている。うちの音とくらべてどお?」
ご自宅では、JBLのランサー101を永年聴いているそうであった。
「そういわれても、違いが有るのかどうかもわからないの」
メガネの似合うご婦人は、春の日溜りのように柔かく、答えている。
ライカのケースのような小型カメラを見せてもらった。
「これは、フイルム入ってる?ときかれるけれどじつはデジタルカメラなんです」
カメラの好きな設計者が、銀塩フイルム時代に気分を合わせたセンスが郷愁をさそう。
前に駐車した車といい、日常がさまざま工夫されている人に違いないと思った。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二本松

2013年05月09日 | 亀甲占い
箱庭の一部改修を終え休憩しているとき、入ってきたのは融通無碍の御仁である。
しばらく見かけなかったが、腰だめに話してくるあいかわらずのサードギヤが決まっている。
これをどうぞ、と差し出された紙に、原稿用紙いっぱいの地図のような記号と、流暢なサインが有った。
彼が、だいぶ以前に訪問した川向こうで、なにかの紹介状をしたためてもらったことは聞いたが、真贋まぎれもない書そのものであるという。
――ほほう、どれどれ。
見ると、字の太さ、インクの色、大文字のBの崩しかたなど、増田孝氏ほど権威ではないが、真蹟とみてよい。さては丸テーブルの原稿用紙の上に2本並んでいるうちの、右のモンブランを用いたようであるが。
――あの訪問からしばらくたちましたが、その後JBLの様子は?
「先日、二人の女性を伴ってジャズと珈琲を楽しみに行きました」
――ふむ、それで
「ちょっと用事で席を空け、戻ったら二人の女性の姿は無かったのですヨ!」
――*?
「奥を見ると二人は丸テーブルに座して、マスターと話しているではないですか」
通常、それをなんというのか。
「わたしは、しかたなく一人でジャズを聴きました」
物理現象では単なる空間移動だが、心理学では次の解釈をしたい。
――おそらくあなたに箔を付けようと、歓迎役をなさったということです。
「はあ」

あやめ草 足に結ばん 草鞋の緒





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Eagle has landed

2013年05月06日 | 諸子百家
五月の連休の終わりに千葉のジャズ愛好家と、モールス信号熟練のお客がお見えになって、「そこで購入してきました」と『インドの哲人レーザーデスク500円也』を見せていただいた。
われわれたいていの映画は見ているが、J・ヒギンズの『鷲は舞い降りた』は1975年に刊行され、ベストチャートで6ヶ月連続一位の人気小説である。
映画では、チャーチル宰相誘拐に英国の寒村に潜入したクルト・シュタイナにむけて、ドーバー海峡をフランスから伝書鳩を飛ばし、潜水艦到着日時を知らせる重要なシーンが有った。
無線通信機ではなくハトを使う理由は何か。
当時の暗号電信はドイツではパソコン型の『エニグマ』が有名で、三枚ローターを連結換字する傑作であったのに、連合国はこれをすかさず解読して終戦までとぼけていた。
まさか、263=17,576換字のエニグマが解読されていようとは。
このような大がかりな機械は、とても携帯できなかったはずである。
チャーチルの同時代に、山本五十六提督へ真珠湾攻撃の御前會議通達を知らせる無線を船橋無線塔から発信したトンツートンも、どうも解読されていたらしい。
戦後になって、アメリカ公文書館はこの解読ペーパーを公開している。
当方もむかし趣味で暗号表を作ったものであるが、あっさり解読されたうえ、「換字が間違っています」とまで指摘されるオチがついた。
”The Eagle has landed”は1969年にアポロ11号が月面に着陸した時のコード。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『曾良旅日記』

2013年05月05日 | 歴史の革袋
芭蕉の『奥の細道』に随行した河合曽良の直筆記録は、1978年重要文化財になった。
夕方仙台ニ着。 其夜、宿国分町大崎庄左衛門。
未ノ尅、塩竈ニ着、湯漬など喰。
雨強降ル 馬ニ乗リ、加沢 三リ、皆山坂也 一ノ関黄昏ニ着 合羽モトヲル也 宿ス。
十三日天気明 巳ノ尅ヨリ平泉へ趣 一リ、山ノ目 壱リ半、平泉ヘ以上弐里半ト云ドモ弐リニ近シ 伊沢八幡壱リ余リ奥也 
などのような記述も探せばそこに見られる。
芭蕉の一行と同じコースを、磐井橋傍の宿から平泉の方向に旧国道4号線を行くと、途中の右手に小さな駅がある。
それが当方小学生のとき利用した東北本線山目駅である。
この駅から塩竃の海浜学校に一泊体験で、多くの学童と集団で茶碗2杯の米と出発した大事件が有った。
大広間に大勢でメザシのように並び就寝するとき、メガネの校長先生が言う。
「いいかな、電気を消すよォ」
波の音がザワーッと耳に響いて、なかなか寝付けなかった。
現在、この駅は最新型の駅舎に変わり昔の面影はないが、非常にコンパクトで正面に改札と電子券売機、左右に腰掛が八席並んで、パリの地下鉄の待合室風のおしゃれである。
漱石の『草枕』などを広げ、じっと蒸気機関車の到着を待つ気分は、おそらく止まった時間が一服の絵でさえあろう。
それにしても気がついたが、子供の頃あれほど広く感じた周囲の空間が、まるで地球が半分に縮んでそこに時間がある様子は不思議である。
サークルを一周しようとハンドルを傾けると、広場に先客がいて、攻城機のような黄色の大型工事車両が「わたしは動きませんヨ」と頑張っている。
楽しみにしていたのに仕方がない。ついでといってはなんであるが、山あいの道を昔の記憶をたどって住宅地に分け入ってみると、車は舗装された一本道を上手に回って戻ることが出来た。
この道を通ったのは、子供の時ハトを飼っている人を探して以来、半世紀ぶりであったが、すばらしい。
その翌日、青森から帰路をとった三河湾の御仁が、ROYCEに立ち寄ってくださった。
そのさい拝見した写真によって、これまでナゾであった滑走路型スピーカーの工夫された背面を見ることができたが、後面開放型の湾曲した形状に、ユニットの配線が写っている。
これによって当方は、ますます音楽の様子が雲を掴むように遠くなったが、御仁は丁寧にさまざまの既成の装置を凌駕した自信を静かに滲ませているのが、一縷の希望である。
フッターマンアンプをマルチにご使用になって、そのうえ勤務先に「たしかタンノイ・ロイヤルもありましたね」と申されるほどの人の、再生音響がわるかろうはずはない。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒヨドリ

2013年04月29日 | 巡礼者の記帳
橘なりすえ1254年の『古今著聞集』に、ヒヨドリは人を見分けてなつくので、名前をつけて飼育された平安朝の様子が載っている。
この著聞集には、安倍貞任と源義家の衣川の有名な歌返し「衣の館はほころびにけり」も載っているが、当方が廊下で新聞を読んでいると、2メートル離れた庭からパンをねだるのも一羽のヒヨドリである。
雨の日は野生の餌が少ないのか、築山から廊下をのぞきこんでいる。
しかたのない、とパンをちぎってポイと放ると、地面に落ちるまえにパッと空中でキャッチするそつのなさであった。
そのような某日、日野のボロディン氏が登場された。
――あれ、昨日のBS放送で島田某氏の漱石論を拝聴し、どうされているかなと思ったところでした。
「駅から車をレンタルしたのですが、どこに行くのかと聞かれまして」
おかしなことでもあったか笑って、
「その某氏とは部活が同じでも短いあいだのことで。あとになって『やさしいサヨク』という彼の言い回しに感じ入って本を購入してしまいました」
この某氏の番組は、漱石を解く流暢な言葉使いに映像を傾注させられたが、いまになってどうも内容が思い出せない不覚を残念だ。
メモをとっておけばよかったのか。
ロシア語専攻のボロデイン氏は、お仕事で中国にわたっていたこと、連休で宿がとれないときには二戸市に良いところが有るお話をしてくださった。
タンノイを聴きつつ、こちらの問いに、控えめながらゆきとどいている意外な言い回しは、テレビの島田某氏とかさなる。

※ 沢辺町の栗駒山





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルッフの作品26

2013年04月26日 | 巡礼者の記帳
駅からまっすぐ歩いて坂道を上の橋の袂まで来ると、堤防の横断歩道の脇道を、慌てて右にそして左に小走りに移動している人がいる。
その見ている方向は、はるか山の方で、山火事の煙でも昇っているのか?
するとこんどは、右と左の指を四角いファインダーに組んで覗き始め、どうやら須川岳が夕日に浮かぶ絶景を、この人物はいままさに捕捉したかのようであった。
いったい何者か?
それからほどなく、当方が故郷に持ってきたスライドをプリントに出向いたカウンターに居たご主人が、あの時の人であると気が付いた。
犬を散歩させつつ、市内の絶好地を頭脳は網羅しており、あとは時期や天候を待つばかりという、ただ散歩の人ではないのかもしれない。
名人ともなると、いちいちカメラを持たなくとも心のネガに撮ることはたやすい。
ぜひ、これまでの傑作を見せていただきたいものであると思った。
オイストラフがコンテ・デ・フォンターナで聴かせる、ブルッフ氏ト短調26の切実な開始をタンノイは一直線に鳴らし始めるが、途中まで聴いて、これはたしかに傑作であるが、マイルスとコルトレーンが『All of You』のときのようにパートを分けていつもの演奏したらどうか、と想像がわいてもうしわけない。
「恐れ入りますが各パートのみなさん、気分をこめてご唱和お願いいたします」
テレビで見る有名な指揮者がそう言って指揮棒を振るシーンまで浮かぶ。

オイストラフ愛用のストラディヴァリ氏の生まれは松尾芭蕉と同じ年と記録にあるそうだが、漱石も一応の気分は詠んでいる。
木枯らしや うみに夕日を 吹き落とす

名古屋に実家のある、堅い商売の客人がお見えになった。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黄金の国ジパングは栗駒を越え

2013年04月20日 | 歴史の革袋
1270年から25年をかけて、ベネチアを出発しアジア大陸を二度冒険旅行したマルコ・ポーロは、フビライに歓迎され揚州の総督を3年勤めたが、この揚州はかって鑑真和上が修行していたところである。
揚州の港は地図で見ると日本に近く、ここから酒田港や秋田の港に交易で渡る船は、宝物満載し、平泉は心得て、相手の歓心を得る各種物品を沿岸の集積港に準備していた。
先日、そろそろ雪も解けて、日本海と平泉を結ぶ栗駒山地はいったいいまころどうなっているか、国道342を走ってみた。
しばらく登り、アイスクリームの店の前に道を整えている人に「栗駒に抜ける道の様子はどうでしょう」と尋ねると、
「まだ無理ですから、下に戻って457に抜けるとよいでしょう」と、教えてくださった。
そこで、言われるまま釣橋の隧道から宮城に入ったが、須川岳と栗駒山は同じ山であるのに、登る道の景色がまったく違う、奇妙な山である。
須川岳は、景色の森を抜けて切り立つ崖に七曲がりの険しい道が峻厳な谷川を越えていくが、いっぽうの栗駒山の457号線は、なだらかな景色が広がって、どちらも異なる美しさだ。
どんどん457を走らせるとき、ふと運転席のハンドルの傍らに三段スイッチがあることに気が付いて、パチンと右に入れると、車はポパイがほうれん草を食べたように勝手に馬力を出し、ふだんは驢馬のようなこの車の本当の力を初めて見せた。
だがところで、なだらかな見通しの良い道とは、つまるところ、頂上がそこに見えるのにいつまでも距離の縮まらない根気のいる道である。
春まだ浅く、雪の残っている周囲になったころ、当方はあっさり退却することにした。
途中、工事の道を抜けると、おや、このような高地にまで救急車はサイレンを鳴らし激しい勢いで登ってくる姿を見た。
『吾妻鏡』には、秀衛の残された夫人が酒田に落ち延びて、随行の36人衆とともに暮らした記録が見えるが、芭蕉も奥の細道によればこの酒田に、平泉からもう一つの道を山寺を抜け曽良と旅をしている。

あつみ山や 吹浦かけて 夕すずみ





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウエスタン16A

2013年04月13日 | タンノイのお話
タンノイ装置を充分享楽したオーディオ愛好家が、個人でいよいよ一気に狙うのはこのスピーカーである。
むかしアメリカの映画館の銀幕裏にあったスピ-カーで、ウエスタン16Aという。
なぜこのような業務用のものが、個人の部屋に必要なのか?
それは、船でいえばタイタニック、戦車でいえばキングタイガー、車で言えばランボルギーニ、作家で言えば芥川龍之介、ワインで言えば。
本当に音楽に埋没するには、このようなスピーカーが良く、聴くというより、文字どうり音楽の中に入っていく装置である。
だが、このスピーカーを満足に鳴らすためには、非情な工夫がいり、オーケストラの弦の繊細な透明感を得るために部屋の構造から考えねばならない。
これまで聴いたあらゆる音楽、ベートーヴェンでもマイルスでも、忘我の境地に誘われる異次元の音像が聴こえるように、ウエスタンエレクトリックは技術を見せる。
アンプの真空管1本でも人道法的にサイフが痺れるわけである。
いちどこのスピーカーを聴いて、これはだめだ、と思うか、これはいけると思うか、ウエスタン16Aは、笑っている。
数学的に矛盾はなくとも情で納得できなければまだ真実ではないと岡潔は言ったが、いかにもオーディオも夢で、見ているだけで楽しい。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする