ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

ヤツデの花と

2010年08月29日 | 巡礼者の記帳
母屋の食卓で、奇妙な天気予報がテレビで流れているのを聞いた。
「おだやかな日差しにヤツデの小さな白い花が咲いています。お天気です」
みると、まじめな中年の男性アナウンサーが、毎回たくみに地上のさまざまな風景の変容を、三十六歌仙が詠む散文のように天候を織り込んで、時に、あぶなくこちらは、味噌汁をよそうお椀を落としそうになったりしたが、毎回聞いているうちに、城達也のジェットストリームを思い出した。
アナウンサーも永く勉めていると、確たる世界を持つ。この放送は岩手限定のようである。
この日めずらしく、温泉道楽の御仁が立ち寄ってくださった。
「昨夜はホテルで、エバンスの三枚組CDを聴いていました」
いったいどのようなけっこうな生活をされているのか謎であるが、タンノイでベニー・グリーンなどを聴きながらお話に耳をかたむける。
「菊地成孔氏が上梓された本について、寺島氏の推薦書評が、どうも本文を読まずに書かれている....」といったジャズ的話題が、レコードの合間に煙のようにただよって時は過ぎていった。




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ハッセルブラッド

2010年08月22日 | 巡礼者の記帳
むかしお世話になったところに、いろいろな出来事があった。
「もめてます」と営業が持ってきた写真が、手ごわい客が四の五の言っているからなんとかしてと、あまり金額的に重要でないものは、回されてくる。
その写真を見た席を並べる隣が言う。
「このフイルムを見ると、ハッセルで撮ったもので、うまくはありませんがマニアですね」とフレームの刻みを指して教えてくれた。
高校の同じクラスの子が泉ピ○子ちゃんだったと言って忘年会を沸かせたりする、まじめで楽しいこの人物に、いつも助けられていたが、手のあいた時間に出発した。
恰幅の良い営業員が、申しわけなさそうにハンドルを握って言っている。
「この程度のことは、我々でも説明がつくのですが、おまえに何がわかる!と、店主がご立腹で、ひとつよろしく」
車は品川の駅前に停まった。
見ると、ワンボックス写真店で、店は別にも持っているけれど、この駅前の立地がすばらしく良いらしく、売り上げ高く鼻息が荒いそうである。
営業員は着くとすぐ当方を紹介しておいて、ちょっとこれ借ります社長、などと店の前を箒と塵取りでゴミ拾いをはじめるそつのなさである。
「まて、やめろ。綺麗にして儲けていると思われたら、お上がうるさい」
その主人はポケットに手を突っ込むと、分厚い札束から一枚営業に渡して、缶コーヒーを買いにやった。
それから当方に、おもしろいことを言い出した。
「その客には、まいっているんだ。できれば、うちに二度と来ないように、ほかの店を紹介してもらいたい」と、半分冗談のように言い、謝ってこなくても良いから、まかせる、となんとも割り切ったもの言いだ。
その足で、近所の客の住所に出向いたわけである。
事務所のような部屋に通されたが、長年の写真が趣味と、仕上がりの不満をしばらく聞いた。
――あの写真は、ハッセルブラッドで撮られていますが、なにぶん光量が不足しているので、少々高くなりますが大切なシーンは手焼き部門で完璧な調整をさせてもらうとありがたいです。写真店さんにも、そのようにご説明しましたが、ハッセルと聞いて、驚かれていました。
すると相手は、何に感激したのかわからないが、少し態度をあらためて嬉しそうに、やっぱりその方が良いかね、と言ってくださったのでたすかった。
1959年の『ランデイ・ウェストン』は、ファイブ・スポットでドーハムやホーキンス、ヘインズ、Wリトルと堂々と「スポット・ファイブ・ブルース」などをリーダーアルバムに残したが、短期間、レストランを経営していたことがある。
先日、ハッピィな四人の家族が仙台から立ち寄られたが、あまりパチパチ写真を撮るので、たまには自分でも撮ってみた。
そのジャズに詳しい御仁は、自分のオーディオ装置はいま蔵にしまってあると申されて、以前秋田にニューヨークから遠征してきたB・エヴァンスを、奥方とライブで聴いた思い出を話している。







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COLLECTORS ITEMS盤

2010年08月15日 | 徒然の記
これは持っていた方がよいです、とセレクトカッテイングされたものが、『家蔵盤』である。
マイルスCOLLECTORS ITEMS盤の特異な点は、56年にマイルスのミュート・トランペットとロリンズのテナーサクスが饗宴した、最後の記録になった盤であるが。
最後の意味をどう理解したらよいのか、このあとも彼等は長命ですごい演奏をあちこちでやっているのを皆知っているが、ニューヨーク地下鉄でたびたび側を走ったはずなのに、二度と録音セッションしていないのが妙だ。
そのことが場合によっては、カインド・オブ・ブルーだって、コルトレーンではなく、ロリンズがやっていたとしたらどうなのか、頭の隅において、いろいろ考えると、ますます寡黙になってしまう。
おそらく、その秘密の一端は1956年のこのニューヨークスタジオ演奏にあるはずでないか、ところが当方は、じっさいにこの『コレクターズ・アイテム』をタンノイで聴くとき、ほかの曲に注意が跳んでしまっているのがいけません。
その曲こそ、マイルスが文句をつけたモンクの作曲になる名曲『ROUND ABOUT MIIDNAIGHT』だが、まだまだすばらしい演奏がどこかに眠っているのではないか、と思いつつ、マイルスとパーカーとロリンズが53年にセッションしたものだけに、なにがどうなっているのか、注意深く耳をかたむけるわけである。
そのさい、一家言あるお客の、猛烈に入れ込んだ解説などを聞かされることもあって、どうにもそれがおもしろい。
自由に話してもらってごらんなさい。皆、流石のことを言っているのは、タンノイでジャズなんか聴いて、まったく。と、当方をあなどっているのか、うらやんでいるのか謎だが、自由に申してくださっているときの、いぶし銀の輝きが剣客揃いだ。
そういえば先日、北上から千葉に仕事で拠点を移している御仁が現れて、あの例のコンクリートの本屋さんで、超マニアックなオーディオ人のご健在のその後をきくことが出来たが、部屋のコーナーホーンが鳴らすROUND ABOUT MIIDNAIGHTをしばらく想像した。
いつかぜひ、聴きたいものである。





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サブルーチン

2010年08月08日 | 徒然の記
子供世界にも、ルーティーンワークはある。
昨日から明日に向けて小学生がこなすメインルーチンは、だいたいの想像がつこうというものであるが、ふとこの8月8日に、プログラム言語的にサブルーチンについて、思い出してみたのが次のようであった。
小学校から帰ると、一番手前に立ててある『杉浦茂』のマンガを読み、次に近所の養豚小屋の親子の成長ぶりを見にでかけ、その家の人に声をかけられ、捕ったばかりのまむしの切り身を七輪で焼いた物体を、滋養になるから食べろと言われることもある。
子供なので拒めず、食したその味は、淡白な煮干しに似ていた。
つぎに子供の集団が遊んでいるところに出会うと、ガキ大将は、子供なのにみょうに見識と度量があって、しばらく入れてもらっていると、隣の区のガキ大将とたまたま出会ってしまって、こちらの大将も長い竹竿を構えて、道の中央で一対一で渡り合うのだが、そこは大将であるから互いに真剣なようでいて、あうんの呼吸で戦いは適当に終わってやれやれだ。
その竹竿は、桶屋さんが道の脇に束ねていたものだが、それでこんどは、桶屋の親方が道端に茣蓙を敷いて、鉈をあやつって長い青竹が細い紐になるのをしばらく見せてもらって、つぎに新築現場があれば、しばらく作業を見ていると「やってみるか?」と釘とかなずちを渡されたりする。
その間のことは、こちらは全くの無言でよく、時の赴くままのサブルーチンである。
次に、運よく御茶屋の親父さんの釣りの成果である磐井川支流のフナや鯉がタライに泳いでいるところを見て、次にお菓子屋の工場のアズキあんが忙しく水桶の篭でつぶされているところを見て、ときに水飴を割りばしにさして「ほれ」と、もらったりする。
つぎに杉の木の側の池の、魚や亀の状態を見て、麻屋さんの長い通路で、機械仕掛けがロープをガラガラ縒っているところを見て、状況が許せばさらに遠征し、各地の鳩小屋を見に行ったりする。
白壁の土蔵が並んだところには、土鳩が何匹も巣をつくって出入りしていたが、あまりに高いので、糞の汚れだけの隙間に、飛んできた鳩が、さっと入って行くのをみて満足しなければならない。
そのような日常のあるとき、家が銭湯をやると言い出して、たちまち田んぼが埋め立てられて、いわゆる瓦の乗った銭湯の建物が出現した。
長い鉄製の煙突を直立させるとき、大勢の男女の工人が、何方向からもロープを綱引きのようにして立ち上げ、てっぺんには西洋の剣のような避雷針がついていた。
その銭湯の裏側に『釜場』と称する内燃機関があって、そこが新しく重要な立ち寄りさきに加わった。
『釜場のおじさん』と呼ばれる人は、柔らかな人なのか堅い人なのか、こちらと同じようにまったくしゃべらず、地面を掘り下げた位置に半身を置いて、いつも湯釜の火加減を真剣に、潜水艦の機関室のようなパイプの走ったメーターをにらんでいる。
その無口な釜場のおじさんが、たまに捕ってきたスズメを、新聞紙にくるんで、やかんの湯をザーツとかけると、竈の炎に放り込んでいる。
適当な呼吸で火箸で取り出されると、焦げたズズメの身が湯気を立て、当方にどう?と合図がある。
すこし目をそらすと釜場のおじさんは、黙って食べ始める。
するとたまに、壁の向こうでドンドン!と叩く音がして、遠くで「ぬるいぞ!」と声がすることもある。
それは人気のないその場所に気配として押し寄せる観客の「成駒屋!」という掛け声と言えなくもないが、釜場のおじさんは、オッという感じで、いそいで竈の扉を開くと、赤い炎に向けて薪を放り投げる。
まれに左奥に行って、小さな戸を開き、たんたんと湯場の様子を見ることもあるが、そこはたしか女湯のはずである。
一瞬の出来事の、無表情の姿勢を、業務中の高度な威厳というのかもしれない。
当方は、釜場の出来事に満足して外に出ると、次に、新らしくできた肉屋さんの前を通る。
親に言いつかって、肉を買ったときにくわしく様子を見たが、おおきな冷蔵庫の中からギューッとドアが音を立てて、取り出された肉塊を、偉丈夫の白衣のご主人が、細く長い包丁を日本刀のように静けさを湛えて、みごとに肉片が切り取られてゆくのを見た。
肉屋の白衣のご主人も、まったく何も言わず、当方に黙ってそれを包んで渡す、静かな世界であった。
夜になると、二階の窓が開かれて、ご子息の非常に張りのあるなめらかな唄が歌われるのが記憶にあり、都会風の新しい時代を彩る景色に感じたものだが、しばらく後になってお会いした時にそれを話すと、思いのほか恐縮されていたのが解せないが、できればもういちど、ちゃんと正座して聴いてみたいものである。
コンピュータ言語では、メインルーチン、サブルーチン問わずすべての処理単位は関数を定義する形で記述されるが、あの世界にあっては主としてキンダー関数である。
床のuesugiアンプが、笑っているようだ。


☆ NikonFTN



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2010年08月01日 | 巡礼者の記帳
スイカズラ くちびる乾く 大三元

夏の便りが届く。

プールサイドの礼装をさがして、早籠は一番町へ





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