ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

高田市まで343号線を行く

2011年08月30日 | 旅の話
国道343号線は、内陸から海までを緯度線のように結んでいる道路である。
街を縫い野山を分け入って、あるいはトンネルを抜け、きれいに舗装された車線が伸びる。
道の左右に迫る急峻な山という山に、松や杉やブナの群落や、様々な木がすべてびっしり植林されたように、あるいはかってに群生し、どこまでも連なって目の前に迫るそこを分け入るように道は延びている。
この343号線の途中に、歴史的な町屋の一群が3つあり、途中下車して、燃料補給や食事をたのしむことができる。
観光地で名の知れた睨美渓はこのような渓谷の川を、景色をあそぶ紅葉狩りにやんごとなき暮らし向きの人々が、舟遊びに世塵をはらって景色のうつろいのままに美酒を酌む。
途中に海抜450メートルの笹ノ田峠があり、落差100メートルのループ橋がこの地震でも持ちこたえて安堵したが、橋の下の谷底を見ると、マッチ箱のように小さく数軒の家がみえた。
もしやあの有名な今泉街道の原形に残っている貴重な道路なのか、源義経はここを通った噂がある。まもなく公民館や集落もみえた。
隘路の曲がりくねった舗装道路は時速40キロの標識があり、強者が車体の低い重心のステアリングを駆使して高速で楽しもうとすると、突然山陰から対向車が出現するので危険である。
早朝に宿を戻ると、歴史的震災の対応に遠征してきた○阪検非違使が竹駒橋のたもとで弁慶のように朝の七時に交通整理にピカピカの車体で居た。
大船渡市の分岐路には京○検非違使が雨合羽を着て誘導し、住民はみなサンづけで彼等を畏敬しているではないか。
このように以前から京都、大阪のほかに、信号待ちをしていると通過した滋賀検非違使には、そんなに睨まなくともと驚いたが、それはともかく、この道に中央分離帯が無い343号線を、F-1マシンを持ってきて走るなら世界にもめずらしい絶景のロングコースである。
ブレーキ構造の安定したF-1なら時速二百キロも可能では。
だが、すれ違ったり追い抜いたりする路幅はなく、ただゆっくり高速で走るだけ、霧にかすみ、また光の射すコースを、内陸から海を目指して走ってみたいものである。
海から戻ると、仙台から男女の客があった。
川向こうにも行ったことのないしろうとであるといいながら自信たっぷりで、そのうち、曲に反応する空気感がジャズ者であるとわかった。
女性は都会的に、連れとの会話の間を楽しんで、自分から車を運転し去っていった。
運転席にサングラスが、似合いそうである。







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カーネギーのJATP

2011年08月28日 | レコードのお話
そういえば先日の夜分に『T』のマスターが立ち寄られ、いつもの構えで、近況を少々話してくださったことを思いだした。
佐久間システムのワンホーンアルテックによってストイックに豪華なジャズ喫茶を造ると、珠玉の名盤をコレクションしていた洒落た人物の、あるとき『Jazz At Philharmonic 1950』という3枚組ノーマングランツ一座のライブセッションLPをカウンターに置き、同じセットが2っあるから譲ると申してくださった。
オッ、と思ったが、見るとこちらのぶんはそうとう汚れたケースが真っ黒で、価値をあきらめ受け取ったブツである。
Royceに持ち帰って聴いてみると、業務用にめずらしくノイズがない。
ケースの透明なラップを剥がしてみると、まっさらの卵色に新品同様、宝物である。
今日聴くA面の2曲目のバラード・メドレーは、レスターヤング、F・フィリップス、イリノイジャケー、ロイエルドリッジ、デイジーガレスビー。練達のライバルがカーネギーホールの壇上に並んでいる、めいめいがソロのつまりワンホーンで観客に最高に張りきった演奏を連続して張り付いて聴かせる豪華さに、血圧亢進し、快い疲労感である。
1952年のカーネギーメドレーソロをひさしぶりに聴いていると、トライアンフの客人がおみえになって、東ドイツ製の20センチ励磁ユニットのことや、トーレンス127が地震で立ち往生したお話などを伺うことができた。




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芋粥

2011年08月24日 | 旅の話
旅の宿は、なんとなく良い。
夜更け、カエルの鳴き声が窓外の茂みから聞こえ、蛍も飛び交っている大船渡に泊まった。
布団にいるちょっとした空腹感に、芥川の『芋がゆ』を思い出していた。
平安のころ都に出仕した郡代が、同僚のふともらした「芋がゆを腹いっぱいたべてみとうござる」というささやかな願望を聞きとがめ内心驚いて、そのくらいの望みであればたやすい、と真剣に心を動かし「なんとかします、どうぞ連休にいらしてみては」と誘うおなじみの物語である。
郡代はおおまじめに夜も明けきらぬしじまの庭で
「よいか、朝までに掘ってまいれ!」
と、大勢の村人に大声で下知しているのを、何事かと障子を細めに開けてのぞくシーンが映画にもあり、やがて芋がゆ待望客はいくつもの芋がゆ大釜でもてなされる朝食にキモをつぶすが、当方はそうしたシーンに藤原秀衛が、都から遠路訪問したいと便りのあった西行の桜好きを知って、千人の村長を集め、堤防の堤の上から仁王立ちに
「よいか、一村五本、束稲山の西斜面に隙間無く植えよ」
と執事に下知させている様子がうかんでしまうのである。
西行が平泉に到着するまでに五千本を植えて、昔からそこにあったように平然ともてなすことなど、秀衛にとってはたやすいことであったと誰も疑わない。
西行は、わらじを脱いで『柳の御所』の和室に茶を口にしたとき、突然廊下の大障子が音もなく左右に開かれて、北上川対岸の束稲山に満開の櫻を見るとしたら、旅の疲れも忘れ、気分は桜色である。
桜好きの西行が詠んだ山家集に、今ものこる歌があった。
聞きもせず 束稲山の櫻花 吉野のほかに かくあるべしとは

そういえば、当方の握り寿司好物を知って、あるとき目黒のお屋敷の家人から所用の礼に、話してあるからと寿司店にいつか寄るように言われていた。
着席しておいしく平らげると、店員が平然と代わりの塗鉢を置いて、二人前出すように言われていますからという。
だが箸を進めると寿司は意外に手強く、あれほどの好物も半分まで食べた頃、突然ぐっときたのが残念だ。あと一鉢は、ご自宅にお届けします、と主人の声がした。
タンノイ装置であれば、何枚を聴いても嬉しいが。
仙台の某スーパーの寿司コーナーでも、あるとき半額処分のパック寿司が山のように盛り上げてあるのを見て驚きあやしんだが、警備員やら店長やらが遠く取り巻いて何事かけしからん。それが世の中というものである。
いずれ震災復興もおおよそかたちのなった頃、みやこのやんごとなき人をはじめ、大勢の人々を『柳の御所』に招いて、桜見の会でも催されるか。
関が丘の哲人は、ギターで弾くシャコンヌのLPを800円でしたと聴かせてくださったが、それよりもご自身の書斎兼研究室を初めて隣人にお見せしての感想がそうとう興味深い。
盛岡の客人は、しだいにタンノイに打ち解けてワーグナーを聴き、楽しそうである。







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五味康祐の「モーツァルト」

2011年08月19日 | タンノイのお話
紛失して35年ぶりに手にした『西方の音・天の声』を開いてみると、まず第一行目に現れたのは意外にも小林秀雄氏のことである。
三鷹から鎌倉まで三度も出向いて「小林先生」のオーディオ装置を三度も調整したので、彼の書いた「モオツァルト」はその影響下に完成したのです?と遠回しにタンノイを聴いている耳のこだわりを刻印したものであろうか。
誰にも真似の出来ない五味氏一流のふしまわしに圧倒されて読み進むと、モーツァルトについても、行間にオートグラフの鳴り響くありさまが高鳴って聞こえるようだ。
耳は単なる機能であって、音は脳味噌が聴いていることについて疑いもないが、いかに五味氏の鳴らしたオートグラフが今も鳴るといえども、脳味噌まで借り受け鑑賞することは無理がある、とこの本を読むと感じる。
その五味氏の鑑賞耳が、当時有数のオーディオ機器の中から選んだタンノイという流儀をまずえにしとして、芭蕉のたどった奥の細道をたどるように聴いてみるのであるが。
――音楽のもっとも良いところは、音符のなかには発見されない。それは演奏を待たねばならぬ、と言ったのはマーラーだが――
このように五味氏は書いて、アゴ髭をなびかせて鎌倉まで遠征し、良い音楽は良い音の装置にまたねばならぬのですとばかり装置にガバッと取り組んで、背後で困惑して立ち尽くす小林氏を見るようだ。
この『西方の音』という書物の特徴の一つは、機器の型番や個々の金額が懇切丁寧に書かれて有ることで、我々入門者に、身銭を切って試した結果と、オーディオとタンノイを賞味するおもしろさのありようを聴いて楽しめるように導いているが、タンノイだなぁ、とわかるひとつに、金管楽器の鳴りのことが書かれて有る。
タンノイを普通に鳴らすと、たいてい金管楽器に違和感を感ずるので、Royceにお見えになるタンノイの使い手の衆が、サクスやトランペットを好きではないと申されると、やっぱりあなたは正統派ですと、表千家の鳴らし方を感心して、内心ニッコリする。
当方も、それには悩まされたので、共感する。
モーツァルトは小さいときからトランペットが嫌いで、教育パパのレオポルドが息子を何とかしようと楽器を手に入れ吹いてみせると、モーツァルトは青ざめて震え上がったとあるが、この描写はちょっとタンノイにバイアスがかかった五味氏の言いすぎでないかと思うのは、『B』のライブがあったときどれどれと駆けつけて、練達マルサリス氏のナマのトランペットをたっぷり聴き、まるで、きぬぎぬの朝のような美音にうっとりした。
よし、タンノイの音をこの部分はなんとかしよう、と思った覚えがある。
モーツァルトは、ドンジョバンニでもフィガロでも嫌いな金管楽器を楽想の性格に使い、地獄の門の近くになるとトロンボーンを鳴らしている、と五味氏は書いているので、モーツァルトではなくタンノイを使っている五味氏ならではの表現で、言いすぎではないか。
トロンボーンを吹いている人は、たぐいない美音のとりこになっておられることを知っている。
五味氏は、モーツァルトを解明するあかしのひとつの例として、トルコ風ロンドに触れているが、『K331』が、母を喪った日の作曲であると気がつくや、この曲の聴き方に一定のバイアスが生じてしまい、娘さんの弾くピアノにはおろか、多くの演奏家のことを書いた五味氏一流の名文はつぎのとうり。
『ピアノをならい始めた小女なら必ず一度はお稽古させられる初心者向きのあのトルコ風ロンドを、母を喪った日にモーツァルトは書くのである。父親への手紙より、よっぽど、K三三一のこのフィナーレにモーツアルトの顔は覗いている。ランドフスカのクラヴサンでこのトルコ風行進曲を聴いたとき、白状するが私はモーツァルトの母の死後にこれが作られたとは知らなかった。知ってから、あらためて聴き直して涙がこぼれた。私の娘もピアノでこれを弾く。でも娘のでは涙はうかびもしない。演奏はこわい。涙のまるで流れないトルコ行進曲が今、世界のどこぞでおそらく無数に演奏されているだろう。』
当方は、35年ぶりにこの本を手にして、小林氏の著作と棚に並べる栄に浴したが、それにしてもわずか247ページが、このように隙間無く押し詰まった活字のすべてからタンノイの音が全五楽章の交響曲のように鳴り響くのに、廊下のウサギに餌をやりに行く足元が、おもわずよろめいてしまったではないか。
タンノイはすばらしい。








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Fフイルムス

2011年08月15日 | 諸子百家
ズートが1973年に『at ease』を吹き込んだあのころ、千駄ヶ谷の坂道を登ってゆくとロスのような風景はまだ空間が多かった。
訪問したF氏の映画制作会社は、この千駄ヶ谷坂道の途中に茶色の偉容のマンションがどっしりして、初対面であるが、ツール・ド・フランスの遠征撮影や各種コマーシャル撮りなどさまざま制作に多忙でおられた。
ガラスドアを入ると、いきなり10人ほどめいめい自由かってな行動の社員がおり、さらに奥で16ミリシネカメラを三脚の上で回している三人が、そのレンズを断りなく当方に向けてジーッとやりはじめたがフイルムは入っている?。
持っていったケーキを箱につめたものをわたすと、社長は現れて、バリトン声で「忙しくてメシを食う暇もない」と菓子パンをかじりながら蜂須賀、真田といった陣羽織をイメージさせる風貌で、当方を圧倒した。
上階の自宅に専務という人が伺候していて、こちらの出身地を耳にすると、
「これから夜行でその一関を通過し、千厩まで仕事の打ち合わせに行くんですが」
と言った。
社長は聞こえないように、マインブロイの金色の紙のかかったビール・キャップを次々抜くと、めいめいに注ぎながら、大皿のサーモンのマリネなどを勧められ、当方には親御さんのポートレートを一枚見せてくださったが、広角画面でガバッと撮った仕上がりが異様に鮮烈でいまも記憶に思い出す。
きょう八月十五日は終戦記念日で、ズートのジャズを聴くと、かって太平洋に対峙した国の音楽であるというものの、彼らの演奏はこのような日にも似合った暖かいフレージングで、いつもはどのLPも二曲程度を、つい表面にまで針を通してしまった。





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