ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

那須邸の音楽

2013年06月23日 | タンノイのお話
悠久のジャガー氏はROYCEのタンノイに耳をかたむけておられる。
音楽堂を森林の一角に建築された趣味人の、その後の推移を知りたいものである。
『コーネッタ』のユニットをふたたびⅢLZのエンクロージャーに戻され「とても良い音に鳴っています」と写真を見せてくださった。
ジェフローランドや、マッキントッシュ、2A3アンプの音など古今の名器を試されて、たんたんと快活に所見は述べられていくのが、音楽を聴くように耳を奪う。
御仁が一瞬席を外されたとき、いささかの意図もあるわけもなく当方はご婦人にお尋ねした。
――最近の音のご様子、そうとうな仕上がりと感銘いたしました。
「わたくしには、こわしているのか造っているのか、さだかではありません」
なにぶんご婦人は、声楽の研鑚を深く積まれたかたである。
謙譲こそ平安の要諦なのか、あくまで涼しげなご婦人であった。
お帰りになったあと、残された写真を拝見していると、『三無の茶室』の植栽が季節を彩って、音楽堂のなかで小さく見えるアルテックスピーカーと枠に据えられたⅢLZが並び、趣味を持つものには空想が絶好の眺めである。
室内の壁面を飾る絵画もまた、すばらしい。
省みて、ふとトーレンス226のSPU-Aの針圧を計りなおすと3.2グラムであるが、季節が緩んだ今朝がた、少しネジをひねったあれが原因か。
4.5グラムにすると、コントラベースの定位も音はいつもの風景になった。
タンノイの音は毎日変わるが、二人の演奏家ほどには違わない。
しかし、日本の各地のタンノイは、それぞれ確たる別の世界を持って鳴っている。





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ウエスタン16A

2013年04月13日 | タンノイのお話
タンノイ装置を充分享楽したオーディオ愛好家が、個人でいよいよ一気に狙うのはこのスピーカーである。
むかしアメリカの映画館の銀幕裏にあったスピ-カーで、ウエスタン16Aという。
なぜこのような業務用のものが、個人の部屋に必要なのか?
それは、船でいえばタイタニック、戦車でいえばキングタイガー、車で言えばランボルギーニ、作家で言えば芥川龍之介、ワインで言えば。
本当に音楽に埋没するには、このようなスピーカーが良く、聴くというより、文字どうり音楽の中に入っていく装置である。
だが、このスピーカーを満足に鳴らすためには、非情な工夫がいり、オーケストラの弦の繊細な透明感を得るために部屋の構造から考えねばならない。
これまで聴いたあらゆる音楽、ベートーヴェンでもマイルスでも、忘我の境地に誘われる異次元の音像が聴こえるように、ウエスタンエレクトリックは技術を見せる。
アンプの真空管1本でも人道法的にサイフが痺れるわけである。
いちどこのスピーカーを聴いて、これはだめだ、と思うか、これはいけると思うか、ウエスタン16Aは、笑っている。
数学的に矛盾はなくとも情で納得できなければまだ真実ではないと岡潔は言ったが、いかにもオーディオも夢で、見ているだけで楽しい。





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『ウエストレイク』

2013年03月22日 | タンノイのお話
プルプルと卓上の電話機が振動し、地下にしつらえた音響室で『ウエストレイク』を永年楽しんで居られるS先生の声である。
オーディオ装置の4セットを自在に操って、ジャズLPのコレクションを堪能する光景が浮かび、その後のご様子を尋ねてみた。
――オーディオにお変わりはありませんか?
「あれから二つほど手に入れたスピーカーがありまして、KEFの小型が新しく出ましてね」
おやおや、小型にまで触手がのびているらしい?
ところで、とお話は展開した。
「知人が鳴らすJBLの音を聴かれた著名な先生が、すばらしい!と申されたそうで、決心がついて一方のタンノイを処分されたそうです」
けしからん、と当方は思う。
「ところが、それから音がおかしくなってしまったらしいのです」
タンノイとJBLはセットの音響と、茶室のお話であった。

青くても あるべきものを 唐辛子




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『ナグラSNST』

2011年12月04日 | タンノイのお話
熟した柿が自然に落ちる。――茶室のタンノイはおそらくそういう音を鳴らしている。
TEACz-6000というカセットデッキを昔、中古を買ったが、そのまま忘れていたのはナカミチ700を使っているからである。
ナカミチはデザインも音も当方の好みで申し分ない。
プチとスイッチを入れて、何かをしながら聴くときはナカミチにする。
ナカミチ社には、さらに性能の良いカセットデッキがあるとお客各位に教わって調べてみたが、使ってみたいデザインは無い。
音が良いデッキなら、アイワのシュトラッサーという金属テープを使う製品が、これまでのカセットデッキの時代をいっぺんに過去に葬り去った凄い音で引き出しに有るので、音は、このさきにあの業務用『ナグラ』が控えている。
これらは茶室の音の話であるが。
携帯タンノイに『ナグラSNST』でもつないで鳴らせば、未来の茶室の理想の完成図である。
あるとき思い立って忘れていたz-6000を、ドッコイショとつないでカセットを鳴らすと、どうもおかしいではないか、ナカミチ700より気品のある音がした。
書類をみると、当時TEACの技術の粋をあつめた最高デッキであると自慢げに目録にあり、ナカミチ700よりはるかに高額である値札に驚いて、本当かなと内部を開けてみると、部品物量がぎっしりと付いている基盤が縦にこれでもかと差し込まれ、前世紀の人知を結集した手仕事に恐れ入った。
持っている人は一度蓋を開いて内部を見ることを勧める、万が一にも音が良くないとすれば、シジュホスの岩である。
当方の音の良い定義は、車のアクセルをグイと踏んだとき、ブルンと唸りつつ何の振動もなく、静かにあっさりと高速で、いつのまにか左右の車が後方にいるような静かな安定感のことを言う。
だが、この音がよいz-6000については、様子が茶室向きではない。
高性能を訴求する見栄えが、勘違いだろうかどうも高級にみえない。
それゆえ届いた品を一目見て、やっぱり安い中古だと思い、忘れていたのだ。
あらためて聴いた音を気に入ってしばらく鳴らしていたある暑い日、突然、ブランデンブルグかマイルスであったかの最中に音がスッと停まった。
パネルは光っているが、この状態はフライホイールのゴムベルトが伸びてメカが空転し「もう休ませてください」といっている、中古品である。
それ以後ずっと休んだままで、またナカミチ700に戻った。
のんびり何かをしているときは、カセットテープが良い。
そういえば、水戸の御仁達が連れ立って登場し、インターネットで応募した五味先生のオートグラフを聴くキップを3度目にして入手できたと申されていた。
五味先生は、おそらくごくろうさんと言いつつ、復元するなら浄と掛かった書斎の様子ごと五味記念館にして、そのうえ鎌倉の御仁の蔵書付き復元館も並んでいたら江戸の名所ではないか。
このまえ関が丘の哲人の部屋を携帯写真で見せていただいたが、壁の書棚のたたずまいといい、新型パソコンも置かれた新境地に御仁はあっさり住まっていて、気分の良さにおどろいた。
その意味でまだ訪問していないが、先夜10分だけ現れたV6アウディの御仁は、こんどはブルーのジャガーに乗って来ましたヨ、といい、そぼふる雨のなかを当方同道に橙色の前後のライトの発光具合など指し示し、しばらく満足を堪能した。
そのときふと、以前目黒で見た同じ青いジャガーについて、ドアの立て付けが名刺一枚の隙間もないような密着構造であったのは年代価値的に言ってどうなのか、質問すると、
「フッフ何をおっしゃる。この間隔こそが良いのです」と眼が申されている。いかにも左様であった。
昨日たまさか「約束のワインをいただきにきました」とシャコンヌ氏が現れて、当方は惜しみつつ96年の隠匿御物を譲り渡してしまったのでいまシャコンヌ氏宅にあるが、開栓はおそらくクリスマスか、正月か。






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携帯タンノイ

2011年10月10日 | タンノイのお話
利休のわび住まいに、タンノイ。
幸いなるかな道楽
この期に及んでふと、茶室向け、寝室向け、旅籠向けに携帯タンノイを考案した。
ユニットはⅢLZの10インチモニターゴールドを流用し、極限まで箱を小さく薄く、マグネット部は背後の板につき出させて、それなりの蓋をつける。
色彩、化粧板自由自在。上部と下部に棒が付く。
側面にカーオーディオのカセットやチューナーなどのデッキがビルトイン。
弁当缶サイズの上部に300Bを挿す。プリはクオードやDB-1がよい。
またショートホーンのエンクロージャーに、後面の板を取った箱のままビルトイン。
この箱2個にサブウーハーまで備え、
しみじみ
世にこのような、こしゃくな世界があろうとは。


※夕刻「ちょっと駅に知人を迎えに」と登場したV6アウディ氏が、ⅢLZは何インチでしたかと言っている。誰も見ていないと思っていた...
パリに行ったときガイドが、シャンゼリゼはシャプスエーリセオンというラテン語で、日本で言う高天原の意味だと言った。
それなら平泉にもあるなぁ、と緊用で先日空中回廊を途中まで行ったら工事中であった。
その前の週か、早朝大船渡からもどるとき、隧道で静御前が車を運転しているところとすれ違った。
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五味康祐の「モーツァルト」

2011年08月19日 | タンノイのお話
紛失して35年ぶりに手にした『西方の音・天の声』を開いてみると、まず第一行目に現れたのは意外にも小林秀雄氏のことである。
三鷹から鎌倉まで三度も出向いて「小林先生」のオーディオ装置を三度も調整したので、彼の書いた「モオツァルト」はその影響下に完成したのです?と遠回しにタンノイを聴いている耳のこだわりを刻印したものであろうか。
誰にも真似の出来ない五味氏一流のふしまわしに圧倒されて読み進むと、モーツァルトについても、行間にオートグラフの鳴り響くありさまが高鳴って聞こえるようだ。
耳は単なる機能であって、音は脳味噌が聴いていることについて疑いもないが、いかに五味氏の鳴らしたオートグラフが今も鳴るといえども、脳味噌まで借り受け鑑賞することは無理がある、とこの本を読むと感じる。
その五味氏の鑑賞耳が、当時有数のオーディオ機器の中から選んだタンノイという流儀をまずえにしとして、芭蕉のたどった奥の細道をたどるように聴いてみるのであるが。
――音楽のもっとも良いところは、音符のなかには発見されない。それは演奏を待たねばならぬ、と言ったのはマーラーだが――
このように五味氏は書いて、アゴ髭をなびかせて鎌倉まで遠征し、良い音楽は良い音の装置にまたねばならぬのですとばかり装置にガバッと取り組んで、背後で困惑して立ち尽くす小林氏を見るようだ。
この『西方の音』という書物の特徴の一つは、機器の型番や個々の金額が懇切丁寧に書かれて有ることで、我々入門者に、身銭を切って試した結果と、オーディオとタンノイを賞味するおもしろさのありようを聴いて楽しめるように導いているが、タンノイだなぁ、とわかるひとつに、金管楽器の鳴りのことが書かれて有る。
タンノイを普通に鳴らすと、たいてい金管楽器に違和感を感ずるので、Royceにお見えになるタンノイの使い手の衆が、サクスやトランペットを好きではないと申されると、やっぱりあなたは正統派ですと、表千家の鳴らし方を感心して、内心ニッコリする。
当方も、それには悩まされたので、共感する。
モーツァルトは小さいときからトランペットが嫌いで、教育パパのレオポルドが息子を何とかしようと楽器を手に入れ吹いてみせると、モーツァルトは青ざめて震え上がったとあるが、この描写はちょっとタンノイにバイアスがかかった五味氏の言いすぎでないかと思うのは、『B』のライブがあったときどれどれと駆けつけて、練達マルサリス氏のナマのトランペットをたっぷり聴き、まるで、きぬぎぬの朝のような美音にうっとりした。
よし、タンノイの音をこの部分はなんとかしよう、と思った覚えがある。
モーツァルトは、ドンジョバンニでもフィガロでも嫌いな金管楽器を楽想の性格に使い、地獄の門の近くになるとトロンボーンを鳴らしている、と五味氏は書いているので、モーツァルトではなくタンノイを使っている五味氏ならではの表現で、言いすぎではないか。
トロンボーンを吹いている人は、たぐいない美音のとりこになっておられることを知っている。
五味氏は、モーツァルトを解明するあかしのひとつの例として、トルコ風ロンドに触れているが、『K331』が、母を喪った日の作曲であると気がつくや、この曲の聴き方に一定のバイアスが生じてしまい、娘さんの弾くピアノにはおろか、多くの演奏家のことを書いた五味氏一流の名文はつぎのとうり。
『ピアノをならい始めた小女なら必ず一度はお稽古させられる初心者向きのあのトルコ風ロンドを、母を喪った日にモーツァルトは書くのである。父親への手紙より、よっぽど、K三三一のこのフィナーレにモーツアルトの顔は覗いている。ランドフスカのクラヴサンでこのトルコ風行進曲を聴いたとき、白状するが私はモーツァルトの母の死後にこれが作られたとは知らなかった。知ってから、あらためて聴き直して涙がこぼれた。私の娘もピアノでこれを弾く。でも娘のでは涙はうかびもしない。演奏はこわい。涙のまるで流れないトルコ行進曲が今、世界のどこぞでおそらく無数に演奏されているだろう。』
当方は、35年ぶりにこの本を手にして、小林氏の著作と棚に並べる栄に浴したが、それにしてもわずか247ページが、このように隙間無く押し詰まった活字のすべてからタンノイの音が全五楽章の交響曲のように鳴り響くのに、廊下のウサギに餌をやりに行く足元が、おもわずよろめいてしまったではないか。
タンノイはすばらしい。








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ウエストミンスターの客 vol.8

2011年05月07日 | タンノイのお話
赤いジャガーを駆って高速道を疾駆する御仁は、コルビジェ風のロッジを那須に構えておられたが、とうとう500坪の庭の一角に茶室の完成あいなって、この連休の5月に登場されると楽しみの写真を御開陳くださった。
川辺で拾った石を並べて悦に入っている当方の感性からすると、それは異星の出来栄えであり、やはりコルビジェの庭なのか。
利休の物語では、露地を茶室にむかう庭石を踏みながら、そこに俗世間のしがらみを置いて身軽な別人になり変わるはずが、この写真を拝見してギョッと思った。
無事に戻ってこれるのか、楽しみではあるが覚悟が迫られている。
一関から眺める写真に名をつけて、三無の茶室。
庭石を行けども行けども、なかなかたどり着かない。
茶室に鳴るタンノイが手に取るように想像できるが、どうも聴こえない。
平蜘蛛の茶器から湯気が見えるようにある碗の、手を伸ばしたそこに侘茶はない。
茶室の内部を撮った写真に、ひとり和服の御亭主が大勢の御婦人に囲まれて微笑んでおられる姿があって、いつぞやこれとそっくりに、9人の女性たちと堂々Royceに登場した寺島先生の光景が思いおこされた。
この御仁にいわく、素封家であった兄から五十枚ほどLPを遺られたが、タンノイで聴くと昔の盤は非常に音が良い、そうである。
母屋にて、拝領の不思議な味噌が白米のうえに香るのを眺めながら、写真につらなる風雅な庭石の夏のかなたを想像して飽きなかった。





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ヨークとロイヤル

2009年12月30日 | タンノイのお話
ことし、364日すぎて、しばらくタンノイ・ヨークを鳴らし続けた結果、ユニットも役目を心得てきたか、たまにロイヤルのような音にも聴こえる。
ヨーク・モニター・ゴールドの38センチオリジナルから出る音は、どうも隣のロイヤルのバックロードの中を迂回して、どのユニットが鳴っているのかわからないところが怪しい。
タンノイを支える3つの柱は、電源と管球とソースであると簡単に考えていたが、最近の説は、セルフとアチーブメントとインティマシーである。
まったくもって、空気の振動はなぞであり、当方以上に、お見えになるお客は不思議に思っているようだ。
このうえさらに、二.三の妙手を夢想して、いよいよウエストコーストの風がコンクリートの中で舞う絶景のタンノイ・サウンドが?





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仏跳音

2009年12月08日 | タンノイのお話
さきほど現像プリントから戻ってきたTANNOYの写真。
『仏跳墻』という中国料理は、あまりの香りの良さに外を通った和尚さんさえ思わず塀を飛び越えて来たという。
タンノイも、甘い音も辛い音も謂れをそなえ、あるときは破鐘のように、また柳に風のように、駆動アンプによってはあっさりと姿を変えて、地の深くにどこまでもくぐり、宇宙のはるか銀河を飛んでいく、そういう仏跳音をめざすのがおもしろい。
いつも姿形の変わる、きょうのタンノイの音を写真で想像してみる。






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12畳のタンノイ・ヨーク

2008年08月07日 | タンノイのお話
昔、12畳の部屋で、ヨークにマッキントッシュとパイオニアM-4を繋いで鳴らしていた頃。
管球アンプを休んで、トランジスタ・アンプをしばらく使ってみたわけで、大変勉強になりました。
左右の音のバランスがどうにも揃わず、アンプの特性を疑ってメーカーに測定をお願いしたり、なんてこともあったが、右と左を取り替えても結果は変わらなかったから、どうやら部屋の響きが原因だ。
このころS氏が中野の部屋から運んでくださった『ダイナコMK-Ⅲ』もしばらく使ってみたが、音を良くしようと取り替えたKT-88が真っ赤になったのにはたまげた。
その球を、江戸川区のタイガービルにあったハーマンを見学がてら持っていったところ、技術者が無言で交換してくれたが、こちらに聴かせるように『ダイナコ25』というスピーカーをわざわざ突然鳴らして「どうだ!」と良い音を出した。
後日そのスピーカーを購入して調べてみたが、それほどのものでなく手品師の仕業か?いまだにそれを残してある。
この部屋から見える公園の水銀灯に集まる『蛾』を狙って、夜アオバズクが飛んでいたが、野生の其奴は動物園で見るものと動作がまったく違って見飽きなかった。




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八月の写真

2008年08月01日 | タンノイのお話
八月に、管球アンプの赤熱するヒーターが暑い。
そこになお、熱いコーヒーでタンノイを聴く。
「わたしは、冷ましてから喫するのがすきなんですが」どうして熱い珈琲がいいんでしょうかねと言う、クールなジャズフアンにも。
「コーヒーは熱いうちに」と、楽しめる八月なのだが。
八月の或る日、車の窓を開けて風を呼びながら、花泉の奥の知らない道に踏み込んだことが有る。
どうなっているのか、どこまでも車を進めていくと、道は二手に分かれて山間の森の奥に消えていた。
この先を行けば、もう同じところに戻ってこれないような気さえする迷路を走ると、やがて風景の開けた先に中世のヨーロッパの塔のような建造物が突然現れて、近寄ってわかったことだが、よほど西洋の好きな人間が一生懸命木造で組んだと思われる、人の気配のしない古びた微妙な建物であった。
机の抽斗からまた一枚、写真が出てきた。
タンノイを聴こうと席に着いて、眼の前のスピーカーが鳴っていると思っていたが、鳴っているのは部屋であると、試してわかった写真である。
スピーカーの位置を変えると、まず低音の質量が変わり、全体の周波数特性と響きが別のスピーカーのように音楽の鳴るのが聴こえる。
まったく同じタンノイ・ロイヤルであるのに、誰もがはっきり「違う」と言う。
聴いた人は音の違いにびっくりして、「以前に戻しなさい」と言ったり「こちらのほうが良い」と楽しめるのがオーディオ装置である。
大仕事につき、移動はおいそれとはできないが、そのうちまたやってみようと、写真を眺める。
花泉に、まだ知らない道がある。



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トーレンス226

2008年07月25日 | タンノイのお話
カートリッジに『SPU-A』を使うことは、タンノイと管球アンプにとって、音楽の旅の羅針盤が方向を決めたことになる。
SPU-Aに丁度よいアームというのが難しいが、デザインとバランスで、いまのところ『RF-297』である。
だいぶまえオルトフォン・ジャパンに電話して、RF-297を購入したいというと「そのようなアームは知らない」との返事であった。
EMTの放送局用プレーヤーのために、デンマーク・オルトフォン社が製造したアームが、いまでは幻の名器といわれ簡単には手に入らなくなった。
このアームは全長40センチあって大型のプレーヤーでなければセットできない。
わざわざ場所を取る大型プレーヤーにしてまで使いたくなるのは、SPU-Aのローコンプライアンスに理由があることは誰でも知っている。
この重いアームによって、ふてぶてしい低音が出るので、一度使うと手放せなくなる。
アームのオフセット角と距離に問題があるけれど、黙って使うのがツウである。
震度6の地震の深夜、針がバウンドしてタンノイが呻いている。
やむをえず、アームをピボットにもどして再生を止めた。
長い地震振動のあいだ、我々にすることはいっぱいあるが、優先順位でいうと最初にプレーヤーである。次にアンプの電源を落とす。
そしてロイヤル様に走りよって、上の貴重品が落ちないように支える。
この時間が長く、本当はあぶない。
横ゆれが酷いなら、逃げるのであるが、タンノイを放置して逃げるという判断がむずかしい。
揺れがおさまって、ヒビのない茶室の壁に安堵する。
日本に住むということは、そういうことだと最近になってわかってきたような気分だ。
地震がおさまって、世の中、早くも皆眠りについていたようだ。



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夜のタンノイ

2008年05月08日 | タンノイのお話
夜のタンノイが、昼と違った音で鳴ることにはわけがある。
「夜の音を知りたくて、やってきました」
と申される客は、オーディオ装置の振動の景色が、楷書体が草書体のように、昼と夜で違うものになることを知っているのであろうか。
光は振動であると物理の現象に言われているが、タンノイの音も振動であって、飛び交う音波は光の振動の満ちた空気中を、鼓膜まで到達する。
この、光と闇を伝播するときの周波数の違いは測定器上には計測されないといい、議論の対象にはならないが、なるほどそういえば『昼のデイトと夜のデイト』では、たしかに違ったなあ...と、人間に置き換えて理解しようとする人には、周波数以前の心得があるのだろう。
良寛作の歌のこと。
『月よみの 光を待ちて 帰りませ 山路は 栗の いがの多きに』
この歌が読まれたのは、五合庵に遊びに来たふもとの庄屋さんにあてたものときき凄いと思ったが、三十才歳下の貞心尼が訪ねてきたおりのものと異説があり、これはタンノイとJBLいじょうに月の下でも歌の「鳴り」が違ってきこえるのが妙だ。


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年の瀬のタンノイ

2007年12月31日 | タンノイのお話
地球を横切る月の影のスピードは時速1800キロである。
それは軒下の風鈴をさえ鳴らさず通りすぎたが、最近、右の耳に、時計の秒針の音が聴き取れなくなって驚いた。
いつか、そんなことはどうでもよくなっていたある数ヶ月後、元のように聴こえているのに気が付いた。
「この今鳴らしたレコードのジャケットを見せていただけませんか、誰の演奏でしょう、ぜひ買いたい」
女性の言葉に連れの人が言っている。
「これは、ボクは2枚持っているけど、エバンスの『Waltz for Debby』だよね」
「あら、それならわたし持ってるわ。ふーん、そうだったの。ピアノの音がとても良かった」

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是故形而上者謂之道、形而下者謂之器

2007年05月01日 | タンノイのお話
レコード音楽は素敵だと、誰が言ったのか、アームやカートリッジや真空管を眺めていると、しばし時の経つのも忘れるというのは本当だ。
オーディオという魔の山に登って、ゆくえしれずの人もいるというから命綱はほしいけれど、タンノイを壁に並べてウンウン唸っては、人は時々笑っているらしい。
この魔の山を、タンノイという尾根沿いに八合目くらいまで登ると、着流しであごひげに触って周囲を眺めているのは五味さんなのか。
ヘリコプターでエベレストの頂上に立った輩をどうと言わず、あの物の高い時代に五味さんの登ったタンノイ口をあとから行ってみて、その書き残されたタンノイの景色は考えさせられる。
ダンボール箱から出てきた芸術新潮の1976年7月号に五味さんの不思議な部屋の写真があった。
茶室のような部屋の壁に並んでいるのは、なぜか『オートグラフ』と『コーネッタ』と『ⅢLZ』である。
五味さんは、何者かが持ち込んだコーネッタを、ありがた迷惑に預かって、翌日試聴した感想を書いている。
そこにはオートグラフと違った良さを認め、生き返ったように鳴る10インチユニットのためのエンクロージャーの抜群の効果に驚きと賞賛を惜しまない。
「追放するつもりでほうり出してあったカラヤン指揮の交響曲第四番を掛けたのだが、正直、この時ほど近ごろ興奮したことはない。まぎれもないベートーヴェンのアダージョが鳴ってきた。こんな駘蕩たるアダージョをベートーヴェンでわたしは聴いたことがない。カラヤンの入念な配慮が臭みとしか受取れなかったし、俗っぽい嫌みと思えていた。それが適度なやさしさに変わるのである」―要約―
オートグラフと比べて、ややかぶりつきに居て舞台を眺める感じだが、10インチのユニットがⅢLZの箱とは比すべくもなく本当ににすばらしいと五味さんは堪能した。
以前、福島の天神村というところからおみえになった客が「6畳の部屋にロイヤルを据えて聴いています」と大いにマジメに申されて当方を感服させたが、それはジャズでもクラシックでもかぶりつきの間合いにあり、相撲で言えば砂かぶりの、そこでしかわからない興奮と緊迫の情景がある。タンノイはさまざまに鳴っている。



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