朝夕、めっきり涼しくなってきた。
そして、自宅近くでは、金木犀の香りも漂い始めた。
もう、秋の気配が感じられる。
そんな中、25日の木曜日に、ウィーンフィルの来日公演を聴かせてもらった。
ウィーンフィルは、世界中で私が最も敬愛するオーケストラ。
2005年10月にムーティが振る来日公演を初めて生で聴いてからというもの、私はすっかりウィーンフィルの虜になった。
もちろんLPやCDのディスクを通して、ウィーンフィルの素晴らしさは知っていた。いや知っていたつもりだった。
しかし、ウィーンフィルが奏でるモーツァルトのクラリネット協奏曲をサントリーホールで聴いたときの感動は、今も忘れることができない。
もちろんペーター・シュミードルのクラリネットも、ウィーンフィルの絶妙のアンサンブルも絶品だった。
しかし、第一楽章冒頭のトントントントンと淡々と伴奏を刻む弦楽器の音に、私は言葉では言えないくらいの衝撃を受けたのだ。
それは羽毛のように柔らかく、重さをまったく感じないサウンドでありながら、モーツァルトの音楽が必要とするリズムはものの見事に表現されていたから。
こんな音、こんな音楽は、いまだかつて聴いたことがなかった。
その時以来、ウィーンフィルは私の心の中で絶対的なアイドルになり、それ以降の来日公演は、かかさず聴いてきた。
しかし、今年の公演は、パソコンの不調という信じられないようなアクシデントがあって、チケットが取れなかった。
痛恨の極みではあったが、「今回は、さすがに縁がなかったと諦めよう。今まで幸運すぎたのだ。それにドゥダメルは若いし、また聴く機会はあるだろう」と強引に自分自身に言い聞かせていた。
そんな折、ずっと視聴しているクラシカジャパンの視聴者プレゼントでウィーンフィル来日公演の招待券のプレゼントがあることを知り、100%だめだろうと思いつつ申し込んだところ、何と奇跡的に当選した。
信じられないことが起こると、人間はよく頬っぺたをつねるというが、今回私は送られてきたチケットを見てもまだ信じられなくて、本当に頬っぺたをつねってみた。
そこで初めて本当に当選したことを実感。次の瞬間小躍りしたのは言うまでもない。こんなこともあるのですね。
クラシカさんには、心からお礼を申し上げます。
<日時>2014年9月25日(木) 19:00 開演
<会場>サントリーホール(大ホール)
<曲目>
■R.シュトラウス: 交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』 op.30
■シベリウス: 交響曲第2番 ニ長調 op.43
<演奏>
■指揮:グスターボ・ドゥダメル
■出演:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(アンコール)
■J.シュトラウス
・アンネン・ポルカ
・ポルカ『雷鳴と稲妻』
前置きが長くなったが、そんな奇跡的な経緯で聴くことのできたコンサートだったので、私は特別の感慨を持ちながら、開演を待った。
やがて、会場の照明が暗くなりステージが明るくなる。
その後、いつもの光景であるが、コンマスのキュッヒルを先頭にメンバーがステージに登場してきた。
この日のもう一人のコンマスはシュトイデだ。またキュッヒルとともに今シーズン限りで退団するヴィオラの名手コルも、ヴィオラのサブの席に座る。
コンサートの前半は、「ツァラトストラはかく語りき」。
冒頭部分「日の出」はオーディオのデモンストレーションでもよく使われるが、当たり前のことだけど彼らの演奏に、こけおどし的な要素は微塵もない。
絹のような音色、そして豊かな拡がりを持ちながら少しも重さを感じさせないバス。
世界中でウィーンフィルだけが奏でることができるただ一つのサウンドは、この日も健在だった。
パレットの色はとんでもなく多いが、全てが有機的に結びついている。
よく言われることだが、全編まさに歌のないオペラを観ているかのようだった。
「日の出」の後、しばらくして登場する「信仰のテーマ」のなんと美しいことか。
こんなとろけるような表現ができるのは、ウィーンフィルだけだ。
第二部では、なぜか歌劇「サロメ」の中で、サロメがヨカナーンを呼び出すときのシーンが頭をよぎる。
リヒャルト・シュトラウスの爛熟した雰囲気を存分に表現しつくして、前半は終わった。
後半の、シベリウスは、さらに名演。
エネルギーの迸りも強烈で、このオーケストラが本気になったときの凄さをまざまざと感じさせてくれた。
さて、この日タクトを振ったのは、ベネズエラの俊英グスターボ・ドュダメル。
正直に告白すると、「ドゥダメルか。確かに大変な才能だと思うけど、単に才気煥発というか早熟の天才じゃないの」とある種の偏見を持っていた。
しかし、この日の音楽を聴いて、まったくの誤りであることに気づかされる。
まず第一に、彼はまさしく自然流の達人だった。
よく聴くと、「あっ、やってるな」と思う箇所も散見される。しかし、その表現は説得力があり違和感は皆無。大きな流れの中で、極めて自然に表現されていた。
それから二つ目の特徴は、見事としか言いようのない呼吸感の素晴らしさ。
私は、ライブで演奏を聴くときに、できるだけ演奏家と呼吸を合わせて音楽を楽しみたいと思うタイプ。
オケの楽器は何一つ演奏できない私であるが、この日のドゥダメルの指揮であれば、楽器の一つを手に取って気持ちよく演奏に参加できそうな気がした(実際に、そんなことができる筈もありません。でもそんな錯覚を覚えるほど、自然な呼吸感だったということです。)
三つ目の特徴は、全体の見通しが極めて明確であること。
たとえば、シベリウスの第一楽章。聴き手をフィンランドの大地へ誘うような魅力的な描写をしながら、そこにはすでに終楽章のイメージが感じられる。
個々のフレーズはこれしかないという見事な表現を行いながら、決して全体を見失うことはない。
そして、何よりも、音楽に生気を与えることができることが、彼の最高の特徴だろう。
私がムーティを敬愛する理由は、まさにそれだ。
今回私が感じたドゥダメルの美質が最も顕著に表れるのは、ひょっとするとオペラかもしれない。
昨年のスカラ座の公演は聴きそびれたが、次回来日するときは是非とも聴いてみたい。
まだまだ、ドゥダメルは若い。
だから、今回あえてマエストロという言葉は使わない。
しかし、近い将来、彼は必ずや音楽界を席巻することだろう。
また、聴く楽しみが増えた。
コメントありがとうございました。
記事にも書きましたが、今回のウィーンフィルは縁がないものと諦めておりましたが、恋い焦がれると、奇跡も起こるのですね。
今でも夢のようです。
それからドュダメル、この人は、やはり本物でした。いわゆる「あくの強い」演奏とは対極にある自然体の表現ながら、部分部分の表現力には独特の個性が感じられるし、曲全体の構成力も抜群でした。
あのウィーンフィルを相手にしても決してひるむことなく、強いオーラを感じさせてくれるあたり、やはり超大物です。プライドの高いこのオケが、なりふりかまわず本気で演奏する姿にも感動しました。
ムーティーとの共通点もあるということで、なるほどなと思いました。例のアマチュア?との活動から何か落ち着かない感じの音楽を想像させるのですが、ムーティーの場合当初から独特の音楽性を示していたので、当時の安売りデジタル録音を探しているぐらいです。
それにしてもこんな高額券もあたるものなのですね。素晴らしい!