未曾有の大震災から、まる10日が過ぎた。
被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます。
また、一日も早い復興をお祈りしております。
そして、この10日間、私にとっても、あまりに多くのことがあった。
11日の大震災発生時は、ちょうど秋田で講演を行う直前だった。
当然のように講演会は中止になったが、「停電」「寒さ」「連絡がつかない」「情報がない」という4つの状況が重なったこともあり、
「世の中は、今どうなっているんだろう。またどうなるんだろう。そして、自分の家は? 家族は? いつ自宅に帰れるのだろうか?」等々、私は今まで感じたことのない大きな不安に襲われていた。
その後、避難所等に身を置きながら、奇跡的な経過を経て、大地震発生から2日後の夜、なんとか無事に自宅に帰りつくことができた。
お世話になった方、心配していただいたすべての方には、ただただ感謝の気持ちでいっぱいだ。
人の温かさ・優しさというものを、今回ほど強く感じたことはなかった。
日本も、決して捨てたもんじゃない。
大袈裟な言い方になるが、私の人生観が変わったような気がする。
このあたりは、いずれ詳しく書かせていただくつもりだ。
そして、少し平静を取り戻しかけた矢先に、出張の車中で父の死を聞かされた。
血のつながりはないものの、父は精一杯の愛情で私たちを包んでくれていた。
年末に脳出血で倒れてから危ない状態が続いていたので、いつかこの日が来るとは思っていたが、
現実のものとなると、やはり心の中に大きな穴がぽっかりと穴が開いたような気がする。
「永い間、本当にありがとうございました。安らかにお休みください。」
原曲の意味合いとはいささか異なるが、今の私には、この曲しか考えられないという音楽がある。
それは、バッハの「マタイ受難曲」の中で、最後にバスによって歌われる「我が心よ、おのれを潔めよ・・・」で始まるアリアだ。
「悲しみよりも感謝」、「慟哭よりもすべてを超越した清らかさと安らかさ」を特徴とするこのアリアこそ、私はいま聴きたい。
リヒターの旧盤でこのアリアを歌うフィッシャー=ディースカウは、文字通り、神がかり的な名唱だと思う。
優しく包み込むような表情の向こうに、希望が見えるような気がする。
大地震で無残に倒れてしまった我が家の書架の中で、このリヒターのマタイは奇跡的に生き残ってくれた。
心より感謝します。
J.S.バッハ:マタイ受難曲 BWV.244
<演奏>
■エルンスト・ヘフリガー(福音史家、アリア:テノール)
■ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(アリア:バス)ほか
■カール・リヒター(指揮)
■ミュンヘン・バッハ合唱団
■ミュンヘン・バッハ管弦楽団ほか
<録音>1958年6-8月、ミュンヘン、ヘルクレスザール
被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます。
また、一日も早い復興をお祈りしております。
そして、この10日間、私にとっても、あまりに多くのことがあった。
11日の大震災発生時は、ちょうど秋田で講演を行う直前だった。
当然のように講演会は中止になったが、「停電」「寒さ」「連絡がつかない」「情報がない」という4つの状況が重なったこともあり、
「世の中は、今どうなっているんだろう。またどうなるんだろう。そして、自分の家は? 家族は? いつ自宅に帰れるのだろうか?」等々、私は今まで感じたことのない大きな不安に襲われていた。
その後、避難所等に身を置きながら、奇跡的な経過を経て、大地震発生から2日後の夜、なんとか無事に自宅に帰りつくことができた。
お世話になった方、心配していただいたすべての方には、ただただ感謝の気持ちでいっぱいだ。
人の温かさ・優しさというものを、今回ほど強く感じたことはなかった。
日本も、決して捨てたもんじゃない。
大袈裟な言い方になるが、私の人生観が変わったような気がする。
このあたりは、いずれ詳しく書かせていただくつもりだ。
そして、少し平静を取り戻しかけた矢先に、出張の車中で父の死を聞かされた。
血のつながりはないものの、父は精一杯の愛情で私たちを包んでくれていた。
年末に脳出血で倒れてから危ない状態が続いていたので、いつかこの日が来るとは思っていたが、
現実のものとなると、やはり心の中に大きな穴がぽっかりと穴が開いたような気がする。
「永い間、本当にありがとうございました。安らかにお休みください。」
原曲の意味合いとはいささか異なるが、今の私には、この曲しか考えられないという音楽がある。
それは、バッハの「マタイ受難曲」の中で、最後にバスによって歌われる「我が心よ、おのれを潔めよ・・・」で始まるアリアだ。
「悲しみよりも感謝」、「慟哭よりもすべてを超越した清らかさと安らかさ」を特徴とするこのアリアこそ、私はいま聴きたい。
リヒターの旧盤でこのアリアを歌うフィッシャー=ディースカウは、文字通り、神がかり的な名唱だと思う。
優しく包み込むような表情の向こうに、希望が見えるような気がする。
大地震で無残に倒れてしまった我が家の書架の中で、このリヒターのマタイは奇跡的に生き残ってくれた。
心より感謝します。
J.S.バッハ:マタイ受難曲 BWV.244
<演奏>
■エルンスト・ヘフリガー(福音史家、アリア:テノール)
■ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(アリア:バス)ほか
■カール・リヒター(指揮)
■ミュンヘン・バッハ合唱団
■ミュンヘン・バッハ管弦楽団ほか
<録音>1958年6-8月、ミュンヘン、ヘルクレスザール
こんな時ほど音楽の力を借りたいと思いつつも「電力消費を抑えなくちゃ」と考えるとどうしたらいいのかわからない・・・。 「普通の生活を取り戻さなくちゃ」と思いながらも、「前と同じはありえない」という想いの狭間で、未だにオロオロしている KiKi です。
マタイのこの演奏のこの歌、ホント romani さんのおっしゃる通り「神がかり的な名唱」だと思います。 KiKi はこの連休に何とか自分を取り戻そうとベタながらマーラーの「復活」を聴きました。 もう長いこと「マーラーで心を動かされることはもうないんじゃないか?」と思っていた KiKi でしたが、久々のマーラーに思わず涙が流れました。
いずれにしろご無事で何よりです。 これ以上の不幸が被災地 & 日本を襲わないことを日々願い、自分にできることは何なのか考え続けています。
大切な人をなくしてしまったお母様とromaniさまのために 、、、言葉がみつかりませんが、Bachの音楽があってよかったと思います。
では。
元気になってください。
わずか10日間ですが、私には100日分の経験をしたような気がしています。ただ、音楽好きの人間には、最後に音楽がそっと寄り添ってくれるのですね。そんなことを、今回実感しています。
>これ以上の不幸が被災地 & 日本を襲わないことを日々願い、自分にできることは何なのか考え続けています。
まったく同感です。試練と言うには余りに大きなものでしたが、私も真剣に考えていきたいと思います。
父と最後の別れをしたときには、「今まで本当にありがとうございました。」という感謝の言葉しか出てきませんでした。
しかし、不思議ですね。
父の死に際しても、また3/11に秋田で被災した時も、私が欲した音楽はバッハでした。あれほど大好きなモーツァルトでもブラームスでもなかった。
バッハの包容力、バッハの大きさを今さらながら実感しています。
また、当分の間、ひたすらバッハを聴き続けることと思います。
最近バッハをよく聴くのですがバッハの音楽の根底には「力強さ」があると思います。
たとえ受難曲であってもその音楽自体は力強いと思うのです。だから癒される以上に励まされるのではないでしょうか。
幸いリヒターのバッハのセットを持っているので聴いてみますね。
温かいお言葉、ありがとうございます。
>バッハの音楽の根底には「力強さ」があると思います。
仰る通りだと思います。媚びない強さがありますよね。
他の作曲家の音楽の場合、時にこちらに歩み寄ってくれることもありますが、バッハの音楽はこちらから話しかけたときだけ振り向いてくれます。そして、そのときの凛とした強さ・大きさに私は惹かれます。
今回それを思い知らされました。
齢を重ねるたびに、バッハがかけがえのない存在になっていきます。