随分前に気がついていたのですが、なぜだか分かりませんでした。
今ここに書くからといってそれが分かったわけではありません。
しかし、やはりなんだか不気味な感じがするので、黙っているのもと思い、曖昧なままに書きます。
黒いのです。街が黒いのです。とくに朝夕のラッシュ時には街が黒くなります。
何がどうなっているかというとサラリーマンやOLの服装がほとんど黒いのです。まるで葬儀場から雪崩出た会葬者のようなのです。
いつからこんなになったのでしょうか。そしてなぜ?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/a5/d5fdcc5b3977850d8e42a0d5653eaf85.jpg)
JR岐阜駅 エスカレーターにて
もう40年ほど前ですが、私もサラリーマンでした。営業職でしたから背広がユニフォームのようなものでした。
でもその頃のサラリーマンの背広姿は決して黒が主流ではありませんでした。むしろ黒は異様で変に目立ったともいえます。
紺、茶、グレイ、モスグリーン、パープルなどなどを基調としたものの様々なバリエーション、それにストライプやチェックなどが入り、かなりカラフルでした。
それに加えて、高度成長に合わせるかのようにカラーシャツの流行などもあり、薄いブルーやグリーン、あるいは暖色系のシャツを着用したものでした。
さらに言うならば、ネクタイも今よりはカラフルでバラエティに富んでいたように思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/d7/4107be567b006907742432fb9096fd77.jpg)
JR岐阜駅 プラットフォームにて
私自身の背広の過去の保有の歴史を辿ってみても、黒の系統は細かなストライプが入った一着だけでした。しかもそれは、通常はほとんど使用せず、業務の途中や終わりに冠婚葬祭や儀式などがあり、どうしても色物を避けるべき時にのみ着用したものでした。ようするにそれは礼服の替わりなのでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/8d/d45d7670051482c2544151b5a5ac0a9b.jpg)
名古屋 地下鉄にて
ところが現在、なぜこうしたモノクロが主調になったのでしょうか。一般に不景気な折りには黒が流行るといわれます。確かに不景気はここしばらく続いています。
しかし、どうもそうした流行にとどまらない、もう少しスパーンの長い現象のような気がするのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/2c/aeffcc2355ca95b4659dd5ef22ea869d.jpg)
名古屋街頭にて 女性もです
モノクロは白と黒、ならびにその間の色調といっていいでしょう。白は何にでも染まる色ですし、黒はあらゆる色彩を拒否しているようです。その間のグレイゾーンはそうした両者のせめぎ合いによるものでしょう。
いずれにしてもモノクロは排他的なように思います。黒から白への縦の系列にのみ依存し、その他のというか、横の系列を排除しているように思えるのです。
もちろん、この事実から安易に何かの結論を誘導することは早計でしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/84/170f0b8233fe57368bf8b409d03ac7e3.jpg)
同 名古屋市街頭にて
ただ、何か不気味な感じは拭いきれません。
みんな孔雀になれとはいいませんが、かといって烏ばかりではどうかと思うのです。
孔雀と烏の間に、鳩や雀や椋鳥や百舌など様々なバリエーションがあってもいいように思うのです。
何でこうなったのでしょうね。
現役のサラリーマン諸氏やOLのみなさん、とくに黒い衣装に身を包んでいる人からコメントがあればなどと思います。
今ここに書くからといってそれが分かったわけではありません。
しかし、やはりなんだか不気味な感じがするので、黙っているのもと思い、曖昧なままに書きます。
黒いのです。街が黒いのです。とくに朝夕のラッシュ時には街が黒くなります。
何がどうなっているかというとサラリーマンやOLの服装がほとんど黒いのです。まるで葬儀場から雪崩出た会葬者のようなのです。
いつからこんなになったのでしょうか。そしてなぜ?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/a5/d5fdcc5b3977850d8e42a0d5653eaf85.jpg)
JR岐阜駅 エスカレーターにて
もう40年ほど前ですが、私もサラリーマンでした。営業職でしたから背広がユニフォームのようなものでした。
でもその頃のサラリーマンの背広姿は決して黒が主流ではありませんでした。むしろ黒は異様で変に目立ったともいえます。
紺、茶、グレイ、モスグリーン、パープルなどなどを基調としたものの様々なバリエーション、それにストライプやチェックなどが入り、かなりカラフルでした。
それに加えて、高度成長に合わせるかのようにカラーシャツの流行などもあり、薄いブルーやグリーン、あるいは暖色系のシャツを着用したものでした。
さらに言うならば、ネクタイも今よりはカラフルでバラエティに富んでいたように思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/d7/4107be567b006907742432fb9096fd77.jpg)
JR岐阜駅 プラットフォームにて
私自身の背広の過去の保有の歴史を辿ってみても、黒の系統は細かなストライプが入った一着だけでした。しかもそれは、通常はほとんど使用せず、業務の途中や終わりに冠婚葬祭や儀式などがあり、どうしても色物を避けるべき時にのみ着用したものでした。ようするにそれは礼服の替わりなのでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/8d/d45d7670051482c2544151b5a5ac0a9b.jpg)
名古屋 地下鉄にて
ところが現在、なぜこうしたモノクロが主調になったのでしょうか。一般に不景気な折りには黒が流行るといわれます。確かに不景気はここしばらく続いています。
しかし、どうもそうした流行にとどまらない、もう少しスパーンの長い現象のような気がするのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/2c/aeffcc2355ca95b4659dd5ef22ea869d.jpg)
名古屋街頭にて 女性もです
モノクロは白と黒、ならびにその間の色調といっていいでしょう。白は何にでも染まる色ですし、黒はあらゆる色彩を拒否しているようです。その間のグレイゾーンはそうした両者のせめぎ合いによるものでしょう。
いずれにしてもモノクロは排他的なように思います。黒から白への縦の系列にのみ依存し、その他のというか、横の系列を排除しているように思えるのです。
もちろん、この事実から安易に何かの結論を誘導することは早計でしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/84/170f0b8233fe57368bf8b409d03ac7e3.jpg)
同 名古屋市街頭にて
ただ、何か不気味な感じは拭いきれません。
みんな孔雀になれとはいいませんが、かといって烏ばかりではどうかと思うのです。
孔雀と烏の間に、鳩や雀や椋鳥や百舌など様々なバリエーションがあってもいいように思うのです。
何でこうなったのでしょうね。
現役のサラリーマン諸氏やOLのみなさん、とくに黒い衣装に身を包んでいる人からコメントがあればなどと思います。
安売りしているのは黒ばかりなんです。
流行色ということではないでしょうか。
若い人ほど黒を着ています。
グレーや紺はおじさんです。
ましてや、縞やブラウンは、おしゃれでないです。
それとも、デフレの影響で、単価を下げるために
同一色で大量生産しているのかもしれません。
そういえば先般、ソフトバンクのショップへ行ったら、スマップが勢揃いしたでかいポスターがあって、やはり全員黒っぽいスーツでした。
♪青い背広で心も軽く♪という藤山一郎の歌がありましたが、「黒い背広」では「心も軽く」とは行かないような気もします。
余談ですが、この歌のリメイク版を氷川きよしが歌っているのを聴きました。なんか一本調子でへたくそですね。
藤山一郎の方がはるかに味がありました。
オットいけない、きよしの悪口なんか言ったら、ファンに殺されそうです。
病院や老人ホームで、わがままな患者や入居者に、「氷川きよしさんが見ているよ」というとピタリと温和しくなるという話を聞きました。
夏に戦争と平和記念館にご一緒しましたが、アドレスがわからず失礼しておりました。
お母さまが亡くなられたそうで、ご心中お察しいたします。
短い文からも、幸せな少年時代をお母さまと一緒に過ごされたんだなぁ~ということが伝わってきました。
私の母も92歳、なんとか今日も無事に過ぎたというところです。
最後の写真の右の方、とてもきれいな歩き方ですね。黒いスカートから出た足が白く伸びています。
黒は細く見える重宝な色、考えてみたら私も今日は上下黒でした。
いらっしゃいませ。コメントありがとうございました。
なんだか、わけの分かったような分からないようなことを書き散らしているブログですが、これを機会にご覧頂き、コメントなど頂ければ嬉しく存じます。
亡き母へのお言葉ありがとうございます。
今日も、所用で出かけたついでに、母が入院していて一年半通った病院の近くにまで行き、写真など撮ってきました。
お母上、ご健在とのこと、私の母を越えてご健勝であらせられることを祈ります。
今度お目にかかる機会がありましたら、黒の上下の素敵なご様子でと思いました。