六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

骨折余話 梅と中学校と搬送口

2016-02-17 16:44:04 | よしなしごと
 左腕骨折から約25日、昨日は退院以来2回目の通院日。
 病院までの1キロ余を歩く。
 風は冷たいが、陽射しには春の気配もある。
 田起こしが済んだ向こうに、大福餅のような雲が浮かんでいる。

           

 入院する際、まだ蕾だった梅がほぼ満開に咲き誇っている。
 最初、救急車で運ばれる時はもちろん見ていない(道も違う)が、入院準備を整えて通ったとき、一週間後の退院時に通ったとき、この前の通院時、そして今回と、その都度違う表情を見せてくれて、気持をなごませてくれる。

           
              

 病院のすぐ近くに、私が三年間通った中学校がある。もう、60数年前だ。
 当時は木造2階建てだった。そこでいろいろあったが、あまり覚えてはいない。
 校門近くの貸本屋で、「真田十勇士」などを読みふけった。
 社会の教師に、「真・善・美」について話を聞いたことがある。
 この三位が、カントの「三批判」に相当することを知ったのは後年だ。
 私にそれを説いた教師も数年前、90歳を越えたところで他界した。

           

 病院に着いたがまだ時間があったので裏口へまわり、私が最初、救急車で搬入された場所を改めて見る。このスロープを搬送担架車に乗せられたまま、左手のドアから担ぎ込まれたのだが、詳細な記憶はない。不安と、どうにでもなれという気持が渾然としていたように思う。

           
                
 今回で、治療は一気に進んだ。
 三角巾や包帯がとれ、添えられていたギブスもとれ、抜糸も済んだ。
 しかし、もちろん、完治ではない。
 体重をかけてはダメ、重いものを持ってはダメ、捻ったり捩じったりはダメ、もちろん、車の運転も自転車もまだダメ、それに転倒は厳禁とダメダメづくしだ。

           
               これは骨折当時 手術前

 それと、一挙に保護していたギブスがとれたのもかえって不安だ。
 まるで、主人から自由になった奴隷がかえってどうしていいかわからないような変な具合だ。
 まあ、この状況に慣れて、できることを拡大してゆくしかない。

           
                  昨日の治療後

 もちろんいい点もある。上のダメ以外のことは恐る恐るながらできるということだ。
 風呂にも負傷以来はじめて両手を入れてもよいことになった。
 それまでは片手バンザイをして入っていたのだ。

 老人の負傷は油断ならない。それがきっかけで、体全体が不自由になり、行動範囲が失われ、それが精神的にも崩壊を招きかねないからだ。
 今回の件でかなり骨身にしみたが、しばらくしたら、またポカをするんだろうな。
 でも、気をつけてゆきたい。





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【わが読書】 禁断の書?『... | トップ | 『最愛の子』(原題「親愛的 ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。