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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

世の中は三日(みっか)見ぬ間の桜かな で、安倍四選?

2019-03-14 01:49:49 | 写真とおしゃべり
 この時期、ジグザグしながらも季節の移り行きはけっこう早い。
 うちの桜が満開を迎えたのは9日ぐらいだと思う。ン十年前からあるサクランボの樹が枯れて、そのひこばえのようなところから甦った。これは数えて三代目の樹だ。

          
          
 若木だけど、これだけびっしり花がつくと。実の収穫が期待でき楽しみだ。

          
          
 しかし、花の命は短い。12日にはもうこんな有り様だ。しかし、それは花を愛でる人間の一方的な視線の言わしめるところで、樹にとっては、いやこの生物体そのものにとっては、花はその生命サイクルの一過性のものにすぎない。
 むしろその重点は、無事結実し、その生命が次代へと受け継がれることにある。

          
 ちなみにソメイヨシノはいささか事情が違う。これは今や日本の桜の代名詞で、日本各地の桜の名所のほとんどがこれによっているが、その品種開発は江戸末期と新しく、いわば掛け合わせのF1だから自然繁殖は不可能で、接木もしくは挿し木などによることが多い。ようするにクローン桜なのである。
 樹齢も数十年と短く、それぞれの桜の名所では、その樹々の更新に気を使わなければならない。

 うちの桜が開花すると同時に起こる現象がある。それを思い出せず、う~んと思っているうちに、昨年の今頃の日記を見てふと思い出した。
 そうだ、ツクシなのだ。
 毎年、うちの桜の開花とほぼ同時に彼らは顔を出す。今年は桜の開花も一週間ぐらい早かったので、それに気づかなかったのだ。

          
 慌てて私の穴場へと急ぐ。ここは私のうちから徒歩2、3分のところなのだが、まさかこんなところにと皆が思うせいか、採りに来る人はいないようだ。

 やはり遅かった。開ききっているものが多い。しかし、ツクシの美味しさは、その穂先のほろ苦さにもあるが、茎のシャキッとした食感にもある。だからめげずに採る。

          
 環境の変化で年々、減っているのか、採れた量は少ない。負け惜しみじゃないがそれでいいのだ。ツクシはそれを採るよりは、袴を取って掃除するのに遥かに時間を要する。
 袴を取っていると、そこに溜まった胞子のせいで爪が青黒くなる。これぞ自然が染める色だ。

 さっと湯がいて、フライパンで炒め、薄口醤油で味を調える。シャキッとした食感が残るように、湯がくのも炒めるのも手早くする。まあまあ、うまくいった。

          
 写真は、そのツクシ料理と、三つ葉と豆腐のあっさり煮である。こりゃ、やはり日本酒だな。
 一人は少しわびしい。誰かとともに盃を交わし、この料理を味わえたらと思う。できればじょ・・・・(以下自粛)。

 季節は移りゆくというのに、嫌な話を聞いた。もうすっかりうんざりしているのに、安倍自民党総裁の四選もありだというのだ。その理由が「余人をもって代えがたい」というのだから、オイオイ、勘弁してくれよと言いたくなる。
 これはもう、どっかへの亡命も真剣に考えるべき事態だ。
 それなりに一生懸命生きてきて、その晩年がこれでは堪らないではないか!
 まあ、これも自分の生き様がもたらした責任かもしれないが。










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