六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

稲刈るころの感傷

2012-10-18 16:56:24 | 写真とおしゃべり
  

 私の近くでは、先週末ぐらいでほとんどの田の収穫が終わった。
 ただし、昨日通りかかった大垣を中心とした西濃付近では、まだ刈り入れをしていない田の方が多いようであった。おそらく今週末ぐらいから一斉に始まるのだろう。

  

 この間も書いたが、稲を刈ったばかりの田には独特の芳香が漂う。その香の説明は私の筆の能力に余るが、早苗を田に差し込む時のあの匂いとも、青田を渡る風の匂いとも、そしてまた、新米として食卓にのぼる折の匂いとも違う独特の芳香である。強いていうなら、稲という草が大地から切断される際に放つ残り香というほかはない。
 だからその香はとてもはかない。刈った瞬間としばらくの間は強く鼻孔を刺激するが、翌日にはもうその香の大半は失せてしまっている。

  

 こうして田は、約半年の休養に入る。
 来春、再び田が早苗で賑わう頃が待ち遠しいが、反面、これっきりで田としての機能を終えるところもまた出てくるだろう。
 律令以来と云われるこの地の田が、目の前で消滅してゆくのは淋しい。
 これはどこか、商店街がシャッター通りになるのを目撃することに通じるのかもしれない。

  

 田から稲の匂いが消えるのを追っかけるように、金木犀の匂いが漂いはじめた。
 

コメント (8)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【読書】水村美苗『日本語が... | トップ | イヌワシの伊吹山、長浜、大... »
最新の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (杳子)
2012-10-18 21:01:30
私は名古屋の都市部に住んでいるので、日常的に田畑を目にすることはできません。
刈入れ後の田んぼの写真を見せて下さってありがとうございました。
「独特の芳香」って、焼き芋みたいな香ばしいような匂いじゃないかと想像します。あるいは、青畳みたいなのでしょうか。ぜんぜん違ってたら恥ずかしいですが。

稲ってもう千年も作り続けられているなんて、考えてみればすごいことですね。
返信する
Unknown (六文錢)
2012-10-18 23:25:29
>杳子さん
 刈ったあとの匂い、青畳が幾分近いでしょうね。匂いを言葉で表現するのは難しいのですが、あえていうと、青畳の匂いにさらにプラスαの豊かさとまろやかさを加えたようなとでもいいましょうか。
 
 それから刈ったあとの上4枚の写真は、今では圧倒的に少数派なのです。
 今時のコンバインはいわゆる自脱型といって、刈り取ると同時に脱穀までしてしまいます。したがって、藁も残らず、藁屑として田に散乱するのみです。

 上の写真のものは、刈り取りはさすがに昔ながらの鎌でではなく、刈り取り機でしたのでしょうが、その後、はさがけ(写真のような様子です)にして天日干しを行い、その後に脱穀をします。

 天日干しにしないものは乾燥機で一気に熱風乾燥するのですが、やはり天日干しのほうが美味いと言われ、手間暇はかかるのですがそれを選択する農家もあるようです(先にみたように少数派です)。

 ただし、天日干しのものは証明書付きで流通段階で高く売れるようです。
返信する
Unknown (sannko)
2012-10-19 00:35:05
稲田の匂いは、どう表現したらよいのでしょうね。
小学校の高学年を過ごした高山での、田舎暮らしが甦ってきます。
学校の水田の稲刈りも、脱穀も授業としてやらされました。当時は嫌だなあと思いました。脱穀の際の籾殻が、襟首にとんでちくちく痛かったし。でもあの匂いは、やっぱり好きでした。
もうしばらくすると、田圃にうっすらと霜が降りて綺麗だなあと子ども心に思ったものです。そして目を上げると美しく優しく雄雄しい乗鞍岳がそびえていました。
返信する
Unknown (六文錢)
2012-10-19 03:11:51
>sannkoさん
 場所は違っても(私の場合は同じ岐阜県でも西濃地方)ほぼ同時代(もちろんあなたのほうがお若い)ですから、収穫の作業の手順などはやはり人力に依るものだったろうと思います。
 「目を上げると乗鞍岳」とのことですが、私の場合は伊吹山でした。

 その伊吹山に一昨日、沖縄から来た人と一緒に出かけ、その他のところを含めてほぼ一日をいっしょに行動しました。
 折から、オスプレイの問題、さらにまたしてもという米軍人によるレイプ事件が不可避の話題になりました。

 彼女は、日本の政府や本土の多くの人々は「まことに遺憾」な事態としながらも、米軍基地の存続は日本の防衛のために必要なものだとの前提を崩そうとはしない、さらにひどい人たちは、「なんやかんやいいながら、お前ら基地のおかげで食ってるんだろう」とさえいうと悔しがっていました。
 そして、それをいうなら、自分の娘、自分の恋人が殺されたりレイプされたりしてもなおかつそれを許せるのかと自問してからにして欲しいといっていました。

 それを語った時の彼女の眼が潤んでいるのを見て、その場を収束させる「適当な」言葉をとても見出すことは出来ませんでした。

 お返しに沖縄へ招待されましたが、「これまでも行く機会があったのだが観光気分で行くのはどうもという思いがあって」と率直にいうと、「じゃぁ基地を見に来れば」とのこと。
 「う~ん、それはありかな」とも思うのですが、行けば泡盛に酔いしれる自分がいたりして・・・。

 台風で心配されたフライトでしたが、無事沖縄へついたというメールが昨夜ありました。
返信する
Unknown (只今)
2012-10-19 09:06:10
 「藁塚に帰省の兄を隠れ待つ」
 という句は『蛍雪時代』(1952)に、橋本多佳子選として採られた句ですが、
 「便所より青空見えて啄木忌」
という句が、同時期にあったことを後日知りました。
 寺山修司の句で、選者は中村草田男。
返信する
Unknown (maotouying)
2012-10-19 22:32:00
こちら黄土高原も、刈り入れの真っ最中です。こちらで米というと粟(谷子)のことで、小米ともいいます。日本で食べる米は大米といいます。

粟の刈り取りは、穂先だけを刈り取るので、畑に匂いというのは残らないですね。乾燥してるし、山の段々畑で、常に風もあるので。

3、40キロくらいの粟を天秤棒で担いで山から下ろし、庭に広げて、独特の道具でパタンパタンと実を落とします。それを掃き集めて、今度はちりとりのような形の道具ですくって、ざーーっと肩先から落として、殻を風で飛ばします。何度も何度もやって、ようやく粟の実だけになります。もちろん何から何まで手作業で、ほんとうに来る年も来る年も来る年も、これらの作業だけで人生の何十分の一かは終わるな、という感じがしみじみします。粟は千年はおろか、4000年くらい前から栽培されていたそうで、そもそもこの黄河の畔のあたりが原産地なのかもしれないです。

最近は、私も米より粟を食べることの方が多くなりました。あるものを何でも放り込んで粥にすればいいので、手間がかからないからです。

明日は、孫老人と呉老婆山へ日帰りで行ってきます。昔、日本軍と八路軍が戦った場所です。この界隈でもっとも高い山なので、あたりの風景も楽しみです。天気もばっちりなので、広角レンズも持参して、傑作がものにできたら、自分のブログにアップする予定です。
返信する
Unknown (六文錢)
2012-10-19 23:03:26
>只今さん
 同人誌でも拝見しましたが、寺山修司との絡みがけっこうう多いですね。
 「螢雪時代」、懐かしいですね。
 私は商業高校からの受験でしたので同誌にずいぶんお世話になりました。模試や添削なども受け、自分が全国レベルでどのへんにいて、家庭の事情で限定されていた学校へ入れるものかどうかを模索したりしていました。

 短歌や俳句の文芸欄も目を通してはいたのですが、投稿までは至りませんでした。というよりそんなゆとりや能力がありませんでした。
 
 その後どうなったかは知りませんが、往時の受験雑誌には受験のスキルのみならずそうした一般性を併せ持っていた面があってやはり良き時代だったのでしょうね。
返信する
Unknown (六文錢)
2012-10-19 23:18:57
>maotouying さん
 昨秋そちらへおじゃました折に、その村の大きな石臼の近くに、あきらかに粟の脱穀あとの穂先を見かけ懐かしく思いました。
 私の子供の頃はこちらでもけっこう作っていて、正月には普通の餅の他に粟餅や黍餅(コーリャンの餅です)を搗いていたのですが、そうした風習も見かけなくなりました。

 おそらく作物の市場価格に見合った合理化の結果でしょうが、それがかえって食生活を貧しくしている面もあるようです。

 昨年は天秤棒でだいこんを担っていた女性の写真を撮って来ましたが、その前にmaotouying さんのブログで信じられないほどの嵩の豆がらをやはり天秤棒で担ぐ人の写真を観ています。
 それであの崖っぷちの細い道を歩くのですからまさに並外れた労働ですね。重さもですが、恐怖を感じます。

 孫老人との同行、実現しつつあるようでよかったですね。彼との同行でしたら、きっといい話を聞くことができるように思います。
 また、写真の方も楽しみにしています。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。