友人からの情報によると神奈川県教委は、北のテポドンが着弾した場合、全職員の出勤を通達したようです。
一方、例の田母神前空幕長は愛知県岡崎市で講演し、拉致問題の解決は北へ武力で攻め込むも辞せずと語っています。
なんだか戦争ムードが一挙に開花しつつあるようですね。まるで、大量兵器に踊らされたイラク侵攻前のアメリカの様相ですね。
しかし、笑ってはいられませんよ。それを真剣に考えているひともいるのですから。
まず、拉致でもテポドンでもなんでもいいから、やらなければやられるという世論を盛り上げ、戦争に突入します。北の些細な挑発行為を取り上げてもいいし、それがなければフレームアップをすればいいのです。
戦争突入の効果は絶大ですよ。
まず、凹んでいる景気は、軍需需要の増大で一気に解決します。
自動車産業も電機産業も、軍事生産に転換し大儲けです。
内閣支持率も、戦時体制の布陣をひき、挙国一致を訴えれば飛躍的に回復します。
史上最低のあのブッシュが、9・11の報復を誓った途端、90%の支持を得ました。
麻生さんも70%ぐらいは行くのではないでしょうか。
雇用問題も一挙に解決です。
日本は徴兵制はないので、志願兵や非常時徴兵を行えば、若者は吸収できます。
それ以前に、余剰労働者は軍事産業に吸収されているでしょう。
北と日本の軍事力は雲泥の差がありますが、一挙に勝利をして戦争を終結してはなりません。
ダラダラ、ダラダラと戦局を延ばせば、その分軍需産業は好況を維持できますし、国内体制も変えることが出来ます。
当然、国内では反戦運動が起こるでしょう。
この非常時に国家にたてつくとは何ごとかと一網打尽にしましょう。
彼らを取り締まれるよう、法律も整備しましょう。
治安維持法や防諜法を復活させ、特高警察も全国へ配備しましょう。
思想、芸術、などの自由な表現はすべて許してはなりません。
挙国一致に反するものはすべて非国民の為せるものとして取り締まりましょう。
新聞、雑誌、映画などの表現媒体はすべて検閲制です。
生っちょろい現行憲法は当然かえましょう。
まず堂々とした交戦権を得るために9条は廃棄しましょう。
自衛隊などという湿っぽい名前は廃棄し、大日本国軍としましょう。
海外派遣(既に既成事実ですが)はもちろん、他国領土への侵攻も合理化しましょう。
核武装は当然行います。非核三原則などはすべてゴミ箱です。
あ、教育がありましたね。
現行の教育基本法はすべて見直し、戦前の教育勅語を参照しながら、戦う小国民を生産する機能を教育に付与しましょう。当然、日本民族の優越性を教え込まねばなりません。
女性の権限は基本的には維持しますが、愛国婦人会に入会を義務づけます。それに反するジェンダー論などは取り締まりの対象です。
基本的人権?国家に寄与しないものにはそんなものな不要です。国家のために死ぬことが出来るものこそ国家の要員なのです。
在日の人たち?
日本国家の国是を肯定し、それに協力する者のみの在留を認めます。その他は国外退去、あるいは、治安維持などの法規制によって逮捕ないしは処刑です。
政治も改革しなければなりません。
野党はすべて解散させます。
自民党と公明党のみが国が認める政党です。
政治家を志向するなら、そのどちらかに在籍しなけれがなりません。
これでもって大日本の基礎は築かれます。
あとは前世紀の果たされぬ夢だった「大東亜共栄圏」の建設を現実的な課題として追求するのみです。
===============================
以上はカリカチュアです。
にもかかわらず、それにはリアルな裏付けがあります。
前世紀前半の私たちの国は、上に述べたようにまさに機能していたのです。
そしてそれが、アジアにおける2千万、日本における2百数十万の犠牲を生んだことも事実なのです。
一方、例の田母神前空幕長は愛知県岡崎市で講演し、拉致問題の解決は北へ武力で攻め込むも辞せずと語っています。
なんだか戦争ムードが一挙に開花しつつあるようですね。まるで、大量兵器に踊らされたイラク侵攻前のアメリカの様相ですね。
しかし、笑ってはいられませんよ。それを真剣に考えているひともいるのですから。
まず、拉致でもテポドンでもなんでもいいから、やらなければやられるという世論を盛り上げ、戦争に突入します。北の些細な挑発行為を取り上げてもいいし、それがなければフレームアップをすればいいのです。
戦争突入の効果は絶大ですよ。
まず、凹んでいる景気は、軍需需要の増大で一気に解決します。
自動車産業も電機産業も、軍事生産に転換し大儲けです。
内閣支持率も、戦時体制の布陣をひき、挙国一致を訴えれば飛躍的に回復します。
史上最低のあのブッシュが、9・11の報復を誓った途端、90%の支持を得ました。
麻生さんも70%ぐらいは行くのではないでしょうか。
雇用問題も一挙に解決です。
日本は徴兵制はないので、志願兵や非常時徴兵を行えば、若者は吸収できます。
それ以前に、余剰労働者は軍事産業に吸収されているでしょう。
北と日本の軍事力は雲泥の差がありますが、一挙に勝利をして戦争を終結してはなりません。
ダラダラ、ダラダラと戦局を延ばせば、その分軍需産業は好況を維持できますし、国内体制も変えることが出来ます。
当然、国内では反戦運動が起こるでしょう。
この非常時に国家にたてつくとは何ごとかと一網打尽にしましょう。
彼らを取り締まれるよう、法律も整備しましょう。
治安維持法や防諜法を復活させ、特高警察も全国へ配備しましょう。
思想、芸術、などの自由な表現はすべて許してはなりません。
挙国一致に反するものはすべて非国民の為せるものとして取り締まりましょう。
新聞、雑誌、映画などの表現媒体はすべて検閲制です。
生っちょろい現行憲法は当然かえましょう。
まず堂々とした交戦権を得るために9条は廃棄しましょう。
自衛隊などという湿っぽい名前は廃棄し、大日本国軍としましょう。
海外派遣(既に既成事実ですが)はもちろん、他国領土への侵攻も合理化しましょう。
核武装は当然行います。非核三原則などはすべてゴミ箱です。
あ、教育がありましたね。
現行の教育基本法はすべて見直し、戦前の教育勅語を参照しながら、戦う小国民を生産する機能を教育に付与しましょう。当然、日本民族の優越性を教え込まねばなりません。
女性の権限は基本的には維持しますが、愛国婦人会に入会を義務づけます。それに反するジェンダー論などは取り締まりの対象です。
基本的人権?国家に寄与しないものにはそんなものな不要です。国家のために死ぬことが出来るものこそ国家の要員なのです。
在日の人たち?
日本国家の国是を肯定し、それに協力する者のみの在留を認めます。その他は国外退去、あるいは、治安維持などの法規制によって逮捕ないしは処刑です。
政治も改革しなければなりません。
野党はすべて解散させます。
自民党と公明党のみが国が認める政党です。
政治家を志向するなら、そのどちらかに在籍しなけれがなりません。
これでもって大日本の基礎は築かれます。
あとは前世紀の果たされぬ夢だった「大東亜共栄圏」の建設を現実的な課題として追求するのみです。
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以上はカリカチュアです。
にもかかわらず、それにはリアルな裏付けがあります。
前世紀前半の私たちの国は、上に述べたようにまさに機能していたのです。
そしてそれが、アジアにおける2千万、日本における2百数十万の犠牲を生んだことも事実なのです。
拉致してきて奴隷にして作った国なので、
日本の拉致問題の解決なんて協力しません。
アメリカこそ、最大の拉致国家です。
アメリカ人の友人に聞いたところ、
「今でも、アメリカ人がカリブ海の国々に
拉致されることはよくある。だけど、
全然気にしてない。だから、日本人の
拉致なんて、全然気にならない。」
と言ってました。
拉致問題は日本自身で解決するしかない。
だから、元自衛隊員の言うとおりかも・・・。
今日の朝日俳壇にダブル入選の句は
「三月十日七十回忌まで生きん」
死んでいった人の多くは、どんなにか好きな音楽が聴きたかったか、山や野原を散策したかったか。
戦前のN響最後の定期公演は、1945年六月一四日の「第9」。指揮者は有馬大五郎。その有馬の薫陶を得たのが、外山雄三、岩城宏之さん。
お二人とも、「平和なくして音楽なし」が信条の方で、岩城さんは外山さんのように「平和」を冠とした音楽会で棒を振りこそしませんでしたが、中津川に疎開していた頃の話をされた時の、「俺は本当に平和が危うくなった時は、なんでもやる積もり」とのひと言が強い印象として残っています。
>俺は本当に平和が危うくなった時は、なんでもやる積もり
このような趣旨のことを、ノーベル賞の益川敏英氏も言われています。
郷土の先輩・沢田研二(ジュリー)も平和主義者です。
前空幕長は、言いたい放題。身に危険が無いから?
受けた教育の差も大きい。つくづく、そう思います。
♪戦争を知らない子供たち♪という唄がヒットしたのは1971年でした。
30代にさしかかっていた私は、「ああ、もうそんな若者たちがこんな歌をつくる時代になったのだ」とある意味でもはや戦後ではないと実感したものでした。
ただしこの折には、もはや戦争に変な郷愁を持つ人たちが減り、それとは無縁な時代を作る人たちが現れることへの漠然とした期待感がありました。
しかし、事態はそうではなく、むしろ逆でもあるようです。要するに戦争を知らない人たちが多数になり、その実感もないまま、まるでゲームであるかのようにそれを語るのです。
ネットの中で勇ましく吠えたてる人たちも、そこでの人の生き死にを捨象したまま語ります。
昭和人さんが引いていらっしゃる「三月十日七十回忌まで生きん」の句も、それが東京大空襲を指し、そこで多くのひとが死んだなか、生き残った人の句であることが分かる人はもはや少数でしょう。
戦争とは、隣にいた人が死ぬことです。あるいは自分も。
田母神俊雄氏も、1948年生まれ、「戦争を知らない子供」
なのです。