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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

友よ!あと一週間だ!

2009-03-03 03:55:32 | よしなしごと
写真は本文とは関係ありません。私が3月1日に出席したある会合への道筋とそれに関するものです。

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 君たちと始めて会ったのは、高校へ入学した前後だから、もう半世紀以上前になる。いろんなことがあり、それぞれがいろんな経験をしたね。
 
 でも高校時代は楽しかった。
 新聞部、歴史研究部、文芸部、演劇部など、気づいてみると結構兼任している奴がいて、合同でキャンプなどに出かけたものだ。君たちと知り合ったのもそうした中でだ。

 
         えらくモダンになった名古屋拘置所
 
 僕に声をかけてきた女の子がいて、僕に好意を持ってくれていたのは間違いないのだが、それ以上何をどうしていいか分からないままでいたら、いつの間にか野球部の奴と肩を並べて歩いてるじゃぁないか。
 まあ、あの頃のうちの野球部は、春夏、甲子園で準優勝というレベルで、一人一人がスターだったから、訳の分からないことをゴチョゴチョいってる僕なんぞはちょっと面白そうだからという寄り道程度だったのだろうな。

 少し(ホントに少しかな?)つらかったけど、それが大学へ行って勉強しようという契機になったのかも知れない。
 それと君たちとの、お互い多少背伸びをした議論が、いろんなことへの僕の好奇心を旺盛にしてくれたともいえる。

 
    その隣にあった旧名古屋地裁・高裁 今は名古屋市市政資料館
           そこで私が出席した会合が行われた


 あ、そうそう。その彼女が今から20年ほど前、N証券という会社のなんとかレディというセールス・ウーマンとして僕の前に現れた話はしたっけ?たぶん、同窓会名簿かなんかを見てのことだろうが、「懐かしいわ」を連発し、僕に絶対損はさせないという何タラカンタラという投資を勧めたのだった。
 僕は、彼女が勧める投資の内容を全く理解できぬまま、「投資というのはよく分かりませんし、また、それを行うつもりもありませんから」と丁重にお引き取り願った。
 誤解しないでくれよ、積年の恋の恨みなんてものじゃぁないんだ。そんなものはとっくに恩讐の彼方さ。僕は本当にそれに興味がなく、彼女の熱心な説明もまるで火星人からの語りかけのように聞いていただけなのだ。
 ただ、「懐かしいわ」を連発する割に、その懐かしさの内容がぼとんどなかったことに一抹の寂しさを感じたことは事実だ。

    
         私の出席した会合はどれでしょう?

 まあ、それやこれやあって、当時、実業学校からは数少なかった進学を選び、土地も離れた僕は、君たちとの間に若干の距離を持つことになったのだが、しかし交流は続いたね。それどころか、不遜にも僕は、君たちの代表で学んでいるようなつもりで、それを君たちにフィードバックすべきだとすら考えたものだ。だからその当時も、勉強会を持ったりしたね。

 それが不遜であったと今いえるのは、僕の方に生活者の感覚が欠けていて、独りよがりで観念的な世界観とそれによる論陣で君たちを煙に巻いていたからだ。今思うと恥ずかしい限りだが、でもそうした形であれ、君たちとの縁を保ってきたことはよかったと思う。君たちは、そうした尊大な僕を、時には痛烈な現実の突きつけなどで批判しながらも、全体としては優しく許容してくれた。

 つかず離れずの関係が続いたが、もう一度お互いに勉強しようという話が持ち上がったのは数年前だろうか。お互いに定年などで第一線を引いてからだろう(Hのようにまだ頑張っているのもいるが・・)。
 無理をせずにスローペースでやって来たその勉強会も今回で10回目を迎えることとなった。で、Uが提案し、その幹事で岐阜市内の某ホテルで一泊し、勉強会と懇親会をという運びになった。あと一週間後だ。

    
              旧裁判所の廊下

 今回の勉強会のテーマは、「100年に一度の危機を検証する」だ。まるで自然災害のように「100年に一度の・・」と語られるこの危機は、僕らが属しているこの後期資本主義がまるで人間にとっての自然条件であるかのように前提されてところから来るのではないかというのが僕の抱いている疑問だ。
 しかし、この危機は決して自然災害のようなものではなく、ある特定のイデオロギーを背景としたきわめて人為的な危機ではあるまいかと思われる。その辺のところをじっくり検証してみようというのが今回のテーマだ。

 僕らは商業学校出だから、簿記やそろばんはお手のものだが、マクロな経済に対してはさして強くない。しかし、敢えて今回はその辺を勉強できればと思う。

 それが終わってからの懇親会も楽しみだ。多少なりとも遠方から来る奴は、今まではゆっくり出来なかった。しかし、今回は違う。親しく盃を重ねて、弊衣破帽の時代に戻り、放歌高唱しようではないか。
 僕は「再会」を歌うぞ。Hよ、お前結構新しがってフォークなど歌うがそれだってもう古いんだぞ。
 それやこれやを含めて、一週間後に会えることを楽しみにしている。

 
          私が出席した会合が行われた部屋
 
 しかし、ここで哀しい知らせがある。長く患っていたNの連れ合いの容態が悪化し、やや危ないとのことで、彼が出てこられないということだ。
 問題提起者に対しいろいろ突っかかってきて、それでもって議論が盛り上がる奴の役割は貴重で、それがいないことは至極残念だが、Nは未だに連れあいに惚れきっているのだから病院に置いて出てこいというわけにはゆかない。
 去年、見舞い旁々、Hと共にN宅を訪れたとき、あんなに喜んでくれたその連れあいがと思うと心痛むものがある。 

 自覚するしないにかかわらず、老いは確実に僕らに迫っている。まさにこれから、いろいろなことが起こるだろう。でも、元気で顔を合わせることが出来る間は、しばし青春の日に還り熱く語りたいものだ。

 世界が僕らを見捨てたとしても、僕らは世界を見捨てないでいたい。




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2 コメント

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Unknown (sannko)
2009-03-04 19:08:33
六文銭さんの高校生の時代に逢ってみたかったニャア!
 きっと素敵だったでしょうね。野球部の人と乗り換えるなんて、だめだよ。でも、あの頃の清沢投手は、かっこよかったそうですね。
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Unknown (六文錢)
2009-03-05 04:30:42
 sankoさん  清沢君のことなどよく知っていますね。
 彼は10年に一人の逸材といわれながら、同時に「悲劇のエース」ともいわれ、慶応に進んでからも、また実業団に進んでからも、優勝経験は少なかったようです。
 ただし、アマチュア野球にかける情熱はとても旺盛で、10年前ぐらいまでは甲子園で審判をつとめていて、私は好感を持ってそれを見ていました。

 私に交際を申し出た女性と付き合っていたのは、その清沢君の球を受けていた捕手の丹羽君という人です。
 彼は立教へ行き、長嶋氏とも一緒にプレーしています。

 彼もやはり、アマチュア野球で過ごし、未だに高校野球の解説などしています。私とも年に1、2回は会う間柄です。

 最近のプロ化した高校野球に対し、資金を注ぎ込む私学と公立とは別のトーナメントを行い、その優勝校が最終的に対決するという方法はどうかという私の提案に「それは面白いかも知れない」と賛同してくれました。

 もちろん、彼女のことはお互いに語りません。
 たぶん彼は、彼女が私にモーションをかけていたのを知らないのだろうと思います。捕手のくせにドジな奴です。
 
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