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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

梅雨の晴れ間の可愛い訪問者たち

2009-06-22 01:09:40 | 写真とおしゃべり
 二階の窓から見下ろせるところに柾(マサキ)の花が満開になりました。
 小さくて地味な花ですがよく見るとけっこう可愛いのです。
 今年は例年になく賑やかに咲き誇っているようです。

  

 それに誘われてやって来たのか、アオスジアゲハが一頭*、花から花へとせわしなく飛び回りっているのを見つけました。
 こんな地味な花にもそれなりに蜜があるのでしょうね。
 蝶の飛翔は意外と早いのです。それにとまってもすぐに飛び立ちます。
 それでも懸命に追っかけてなんとか写真に収めました。

  
 
 *蝶は「一頭、二頭」と数えると習いました。
 なぜそうなのかには諸説あるようですが、現在では「一匹、二匹」でも構わないということです。
 そういえば、安西冬衛の一行詩「春」は、「てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた」で、「匹」を使っていますね。

 しばらくの間、目の保養をさせてもらったと思っていたら、今度はすこし離れたところに白いものが動いているではありませんか。
 目を凝らしてみると、そこにはアゲハチョウが一頭いました。
 こちらの方は余り動きません。まだ羽化したばかりかも知れません。

  

 しかし、こんな狭いところに、二種類のアゲハが同時に来るなんて初めてのことです。
 すこし、幸せな気分になれました。

おまけ

  
 
 県立図書館の庭で撮した夏椿、別名沙羅の花です。
 よくご覧になると、上の花弁に蟻が、右の花弁に緑色の蜘蛛がいます。
 これもまた可愛い訪問者といえますね。


  
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3 コメント

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Unknown (只今)
2009-06-22 09:17:08
梅雨の晴れ間と言えば、その在命中、晴れ間は殆どなかったショスタコービツチの二つの協奏曲を昨夜のN響アワーで聴き、感慨ひとしおのものがありました。
 あの東大音感の諸君が全国を回って普及に努めた「森の歌」は、「ジダーノフ批判」を受けての作曲と知ったのは、だいぶ経ってからのことでしたが、それにしても、今でも「森の歌」を口にすると背筋がびんとするのです。そんな話を、あの「話しの特集」の常連執筆者だった指揮者に話したら、彼も悲しそうに頷きました。
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Unknown (ochie)
2009-06-22 09:34:24
家の夏椿はついに枯れてしまいました。きれいな花を見せてくださって、有難う。くもさンも、子どもの頃は、こんなに美しいのですね。
 京都の夏椿で有名なお寺へ、数年前に行った時、高い拝観料とお抹茶代を払って、毛氈の上に座ったら、夏椿の木が、枯れていて、ほんの少ししか花が見られず、がっかりしました。その時の胸の隙間が
今日の写真で、埋められたようで、嬉しいです。
 有難う。
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Unknown (N響大好き。)
2009-06-22 23:45:57
きれいな写真と、素敵な文章。
やはり、自然を大切にしないといけません。

「森の歌」の桜井武雄訳は、スターリンを
「偉大な彼」と訳したり、ピオネールが登場したり、国策音楽、ここに極まれりですね。

今なら、さしずめ、「消費税アップの歌」とか、
「郵政民営化の歌」とか、そんな類ですね。
ショスタコービチの弦楽四重奏曲や、交響曲13番、14番、15番の深刻さに比べれば、比較にならない
愚曲です。「偉大な彼」が殺した人間の数は、
ヒトラーを上回るとさえいわれてますね。
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