剃刀の話(何で4枚も5枚も刃がいるんじゃという話)や、歯磨きの話(何で歯磨きペーストを口いっぱい頬張らねばならないのか)を書いてきましたが、それと関連して、エコポイントとかエコ商品に関する助成金の話を述べてみたいと思うのです。
エコポイントとかエコ商品に関する助成金の話は、よほどナイーヴな方でない限り、実際にはエコロジーの話ではなくエコノミーの話であることにお気づきだと思います。ようするに、それらしくエコと名のつくものを買わせ、経済を活性化しようというところに本当の力点はあります。
エコロジーにとっての最大の問題は、実は人間の欲望の拡大と、それに伴う生産や消費の幾何級数的な拡大にあることは冷静な視点からはごく見やすいところであります。しかし、現今行われているエコ運動なるものは、それらに目をつぶり、消費者に新しい消費を強要するものなのです。
「あ、今ご使用の○○は、余計なエネルギーを使っていますから、これにしなさい」
「現在のものは不合理ですから、打ち切りにし、新しくします。それに対応する装置を」(地デジ化など)
余計なお節介です。ほっといて下さい。
新しい商品を作るためにどれだけの資源とエネルギーを消費し、どれだけの廃棄物がでますか?
新しい商品を運ぶのにどれだけのエネルギーを要しますか?
古い商品を壊すのにどれだけのエネルギーを用い、どれだけの廃棄物を出しますか?
答ははっきりしています。余分な「新しいエコ商品」などを買うことなく、現状のものを使えるうちは使いこなすこと、あるいは、出来るだけ消費そのものを抑制することの方がよっぽどエコなのです。
その意味では前々回述べたように5枚も刃がある剃刀は疑問ですし、例え失言にしろ、かつてみのもんた氏がいったように、歯磨きのペーストはそんなにべっとり付ける必要はないのです。
現今のエコ運動のうさんくささははっきりしています。「ものを買ってくれ」というエコノミーの問題を、「これを買った方がお前のためにも世の中のためにもなるぞ」とエコロぶって居丈高にがなり立てるところにあります。
それくらいなら、「物が売れなくて困っているから、買って欲しい」と率直に言われた方がすっきりするというものです。
先に見たように、最大のエコとは生産や消費を抑制することですが、それが出来ないばかりにエコという衣を着せた消費拡大を図っているわけです。「地球に優しいエコ」という衣の下には、依然として、「消費は美徳」という鎧が見えています。
エコ商品を買うとエコポイントというものがもらえて、それでもって別の商品の購買に充当できるそうなんですが、そのエコポイントで買えるものがどんどん拡張して500品目近くになり、その中にはエコに関係のないものやエコに反するものさえあるとのことです。
どうしてそうなったかというと、選挙間近で各業界にまんべんなくおこぼれをということらしいのです。こうなると、もう何をやっているか分からない茶番になってしまうわけです。
私のような貧乏人は、容易に車を買い換えたり、エコ電化製品を買ったりはしません。
現在使っているものが使用不能になるまで使い倒します。
そしてそれが慎ましやかですがエコになると考えています。
しかし、私のような者ばかりですと、ものを作り売らんかなという企業はたいそう困りますね。
だから、取って付けたようなエコを看板に迫るのでしょうね。
さて、そうなると、本当に地球に優しいエコを実現するということは可能なのでしょうか。
企業の維持がありますし、国際競争もありますし、雇用対策もありますし・・。
とはいえ、私のような消費者は、そのために要らないものを買ったりはしないのです。
とりわけ、「エコのためだから」という押しつけがましい商法には、「アカンベエ」をするほかないわけです。
<追記> 言い忘れましたが、このエコポイントやエコ助成金、私たちの税金から支出されるわけです。ですから本当は「アカンベエ」では済まない問題なのです。
エコポイントとかエコ商品に関する助成金の話は、よほどナイーヴな方でない限り、実際にはエコロジーの話ではなくエコノミーの話であることにお気づきだと思います。ようするに、それらしくエコと名のつくものを買わせ、経済を活性化しようというところに本当の力点はあります。
エコロジーにとっての最大の問題は、実は人間の欲望の拡大と、それに伴う生産や消費の幾何級数的な拡大にあることは冷静な視点からはごく見やすいところであります。しかし、現今行われているエコ運動なるものは、それらに目をつぶり、消費者に新しい消費を強要するものなのです。
「あ、今ご使用の○○は、余計なエネルギーを使っていますから、これにしなさい」
「現在のものは不合理ですから、打ち切りにし、新しくします。それに対応する装置を」(地デジ化など)
余計なお節介です。ほっといて下さい。
新しい商品を作るためにどれだけの資源とエネルギーを消費し、どれだけの廃棄物がでますか?
新しい商品を運ぶのにどれだけのエネルギーを要しますか?
古い商品を壊すのにどれだけのエネルギーを用い、どれだけの廃棄物を出しますか?
答ははっきりしています。余分な「新しいエコ商品」などを買うことなく、現状のものを使えるうちは使いこなすこと、あるいは、出来るだけ消費そのものを抑制することの方がよっぽどエコなのです。
その意味では前々回述べたように5枚も刃がある剃刀は疑問ですし、例え失言にしろ、かつてみのもんた氏がいったように、歯磨きのペーストはそんなにべっとり付ける必要はないのです。
現今のエコ運動のうさんくささははっきりしています。「ものを買ってくれ」というエコノミーの問題を、「これを買った方がお前のためにも世の中のためにもなるぞ」とエコロぶって居丈高にがなり立てるところにあります。
それくらいなら、「物が売れなくて困っているから、買って欲しい」と率直に言われた方がすっきりするというものです。
先に見たように、最大のエコとは生産や消費を抑制することですが、それが出来ないばかりにエコという衣を着せた消費拡大を図っているわけです。「地球に優しいエコ」という衣の下には、依然として、「消費は美徳」という鎧が見えています。
エコ商品を買うとエコポイントというものがもらえて、それでもって別の商品の購買に充当できるそうなんですが、そのエコポイントで買えるものがどんどん拡張して500品目近くになり、その中にはエコに関係のないものやエコに反するものさえあるとのことです。
どうしてそうなったかというと、選挙間近で各業界にまんべんなくおこぼれをということらしいのです。こうなると、もう何をやっているか分からない茶番になってしまうわけです。
私のような貧乏人は、容易に車を買い換えたり、エコ電化製品を買ったりはしません。
現在使っているものが使用不能になるまで使い倒します。
そしてそれが慎ましやかですがエコになると考えています。
しかし、私のような者ばかりですと、ものを作り売らんかなという企業はたいそう困りますね。
だから、取って付けたようなエコを看板に迫るのでしょうね。
さて、そうなると、本当に地球に優しいエコを実現するということは可能なのでしょうか。
企業の維持がありますし、国際競争もありますし、雇用対策もありますし・・。
とはいえ、私のような消費者は、そのために要らないものを買ったりはしないのです。
とりわけ、「エコのためだから」という押しつけがましい商法には、「アカンベエ」をするほかないわけです。
<追記> 言い忘れましたが、このエコポイントやエコ助成金、私たちの税金から支出されるわけです。ですから本当は「アカンベエ」では済まない問題なのです。
みんな、分かってるけど、この波に乗らないといけないのですよ。
これまで輸出に依存してきた日本ですが、米国の消費は今後期待できず、中国の経済成長著しい中、日本経済が生き残る道は、ET(環境技術)しかないのです。オイルショックのおかげ?で、日本の省エネ技術は世界最高と言われます。これからは、この技術に特化して、他国と差別化していかないと、特に、中国には負けてしまいます。ヨーロッパでは日本の製品は、いずすのディーゼルなど、省エネになる、環境にいい、と評価が高いです。イギリス、ブラジル、中国では新幹線を導入しようとしています。日本製鋼所や東芝の技術は世界唯一です。「中国製は安いけど、日本製品や燃費がいいので、日本製品を買おう」という機運を、米国、欧州で起こす必要があります。ETバブルで国内市場での経験を積んで、国際消費に受け入れられるようアピールしていくこと、まさに、その練習なのです。
今は100年に一度の経済危機なのです。危機をチャンスに!です。
「儲けることがどうして悪いんですか」と開き直って顰蹙をかったあの人物は、
六本木の奥ションからの発言を非難されると、「努力しないといけないんです。全ては自己責任のしからしめることということをはっきりせねばなりません」と説教し、
法の網にひっかかっると、「私だって汚されつつあるこの地球をなんとかしなくては、と常に考えているのです」と、連脈のないことを口走る、
こういう人物って、この国には多いですよね。
かってこの国にいたインテリゲンッイアと称される人はどこにいったのでしょう。
と言うと、こんな声が聞こえてくるようです。
=それは違います。その関連産業に連なる人に対する労働者の救済にもなるのです。=
以上の弁明で、ダムから道路に至る必要のない工事が毎年、何兆も使われてきました。
ET技術を日本は進めるべきです。具体的に、
ET技術を示さないと、中国は受け入れてくれないでしょう。
・インテリゲンチャとは、かつて、北朝鮮は地上の楽園と喧伝して帰国事業を後押しした人々のことで
しょうか?それとも、いまだに、「拉致問題と国交回復をセットで」と主張する朝日新聞の論説委員でしょうか?
・オバマ大統領も、不景気から脱出するために、グリーン・ニューディールという主張をしています。これに合わせればいいのではないでしょうか?
・どうすれば、今の不況から脱出できるのですか?その具体的な提案を聞きたいです。
・エジプトのピラミッド(王の墓ではなく、公共事業が目的だというのが現在の研究だそうですが)、やローマの巨大な遺跡(日本はまだ縄文時代)を見て、無駄な公共事業だ、彼らは愚かだったと、笑える人がいますか?人類の歴史は公共事業の歴史です。
私が書いたのは「エコ商品を買いましょう」という大合唱が、実際にはエコノミーの問題であって、「次はこのエコ商品」、「ハイ、次はこのスーパー・エコ商品」という消費の拡大スパイラルの一環でしかないということです。
それが、この不況から抜け出るために幾分かの効果はあるかも知れません。それをしも否定するものではありません。
それを認めた上で、なおかつ、それが地球に優しいとかエコロギーの決め手であるかのような幻想を振りまくことを問題にしているのです。
N響大好き。さんもご指摘の通り、中国やインドが急速に生産と消費のサイクルを拡大しつつあります。このグローバリゼーションの中、こうした趨勢はやがて中南米やアフリカなどへも波及することでしょう。
こうした中にあって、人類の生産と消費の関係そのものを俎上に乗せて考えることを抜きにし、新たな生産と消費の拡大を図っても、それは一時的な景気の回復には繋がるかも知れませんが、環境問題からいったら、負債の先倒し、ないしは自転車操業のようなものではかいかということです。(字数制限のため、以下次項に)
メーカーは新しい商品を開発し他社との差異化を図り、生き延びるほかはないでしょうが、それはあくまでもエコノミーの問題なのです。
それをエコロジーのためだと押しつけがましく宣伝することに不快感を覚えるのです。
竹中流の新自由主義政策が破綻したといって、今度はケインズ流の新古典派経済への復帰だという趨勢があることは存じています。それがうまく行けば有効雇用が増大するかも知れません。
しかし、その場合でも環境問題とは関わりがありません。ピラミッドは、巨大な冨をもつ王が、労役を提供する民にその糧を与えるというポトラッチであったかも知れませんが、ほとんどが人力で行われた巨大事業と、今日のそれとを同様に考えるわけには行きません。
私のいいたいことは、エコノミーの問題はそれとして実践的に対応するとしても、それをエコロジーの問題であるかのように装うことはやめた方が良いということです。
そして、エコロジーの問題をそれとして基本的なところから考えるのが「インテリゲンチャ」(という人がいるとしたら)の仕事ではないかと思います。
しかし、心をうつのです。だから、歴史も芸術も面白く豊かなのです。貴方の言い方に似てきてしまいました。お許しを。
しかし、人類の歴史は、公共事業の歴史だなんて、そんなこと誰が言ってますか。
ピラミッド建設の時代には奴隷制度はありませんでした。ですから、ナイル河氾濫によって食えなくなった農民に給金を与えるという意味では、トータルな社会的活動=公共事業といえます。
しかし、いま世上で批判されている「公共事業」とは、征・寒・罪のための工事と言われているものを指します。最近目立つ、景気刺激剤としての工事は横に置くとしても、公共事業とは税金で、公共の福祉のために為す工事です。