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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

安倍政権の役割と教育基本法

2006-11-23 04:53:43 | 社会評論


  安倍政権は小泉後継を表看板にしながら、実際にはかなり異質というべきである。

 そこには、企業や銀行などの人事において、攻撃型の後には管理型、拡散型の後には収縮型という役割分担があるように、小泉氏と安倍氏の間にも、かなりの相違があり、しかもそれらは相和して補完関係にある。

 先ず、戦後史における小泉内閣の位置づけから見てみよう。

 彼の政策の目玉であった「郵政民営化」をはじめとする「民営化路線」は、グローバリズム時代の国際競争力に耐えうるための徹底した私有化とそれを基盤とした合理化の路線であった。

 これは、既に行われていた国鉄や電電公社の解体と民営化の路線を継承するものであったが、さらにそれをドラスティックに推し進めるものであった。
 それは、例えば、彼のもうひとつのスローガン、「護送船団方式の解体」に象徴されるように、みんなで一緒に進むことの拒否でもあった。
 ここにおいて、力あるものは他を切り捨ててでも進めという方式が確立された。

 これと比較されるのは、1960年代の池田内閣以来の高度成長政策との違いである。この時代に日本資本主義は飛躍的な発展を見るのであるが、それは同時に、全体の所得を底上げするものであり、一方では各地のいわゆる革新地方自治体による提言に触発されたとはいえ、社会福祉による弱者の救済が課題となり、現実に拡張した時代である。

 この所得の底上げと社会福祉の普及は、一方では階級対立型の労働運動の牙を抜き、そればかりか、どこの資本主義国でも一般的である階級意識を含まない、利益共同体としての組合をも解体するものであった。
 以後、組合は企業の成長を補助する「おこぼれ頂戴型」以外にはほとんどあり得ない状況である。

 この過程で、明確なおこぼれから外れた官公労の労働組合の抵抗があったことはあったのだが、それらもスト権法案などの諸法規制と、先に見た大手官公労の母胎の民営化の中でついえ去った。

 要するに、池田内閣以降の高度成長の中では、まだ、おこぼれや福祉の進展の余剰があり、全体的な底上げ感があったのである(だからといって全面的に肯定しているわけではないが)。

 それに対し、今般の景気回復は、「いざなぎ景気を越える」といわれる好況にもかかわらず、庶民の間にその実感は全くなく、従って個人消費は冷え込んだままという事態があり、それが今回の景気回復の特徴といわれる。

 これは明らかに、私有化の徹底による格差の裸の出現であり、勝ち組と負け組の分離における「自己責任」論の行き着くところといえる。
 要するに、かつては曲がりなりにでもあった公的配分の論理の崩壊であり、それを補う公共的援助の諸サービスそのものが既にして私的所有へと移行し、従ってそのサービスそのものが持てるものの「自己責任」でしか享受できなくなっていることを現している。

 かくて、福祉国家は「私的所有の原則」という超越的な目標の中で、その公共性を喪失しつつある。

 これは国民国家としては、一面、危機的でもある。
 自分たちの国家と思われていたものが、自己責任による分裂したものとして姿を現してしまうからである。私たちが支え、そのために働いてきた国家が、私たちにとっては実はよそよそしい疎遠なものであることが、赤裸々な区別と差別の場とし現れてしまうからである。

 ここにいたって国民国家のアイディンティティを、経済的な配分とは別の形で築く必要が出てくる。
 それが、抽象的な価値としての民族的な同一性である。その内容は、血縁としての生物学的同一性、領土の空間的持続と出来うるならばその拡大、さらには言語の共通性とそれに依拠した文化的歴史的同一性への依拠いえる。

 既にお分かりのように、そうした課題、要するに、小泉氏が経済的に解体した幻想の共同体を、精神的、観念的に補強し再構築する役割こそ安倍氏に託されたものなのである。

 その第一段が、教育基本法の改定であり、その目玉が「愛国心」の強調であることは象徴的である。
 この改訂の後には、それにより、教育内容を細かく縛る七つの法案が既に準備されている。
 そして、その行き着く先が憲法の変更であることは安倍氏自らが語っているところである。

 そうした愛国への偏重は、外敵の襲来を言い立てる言動に支えられている。内部の矛盾を外敵の問題にすり替えるのは、何も北朝鮮の特許ではない。わが国での世論のコントロールも、まさにそれと同一なのであり、奇妙な広がりを見せる嫌韓や嫌中の言説を背景に、閣僚や党幹部の核武装論、先制攻撃論が公然と語られる。幹事長時代と違って安倍氏自身は直接は口にしないが、かといってそれを諫める気配は全くない。

 要するに、安倍氏並びにその内閣の役割は、小泉氏が行った民営化という徹底した私有化による裸の資本主義によって生み出された格差の拡大、福祉国家の解体、自己責任という棄民化などによる分裂の危機を、仮想敵国を媒介とした国家意識の培養、愛国心を中心とした国民の再教育と再結集、現行憲法の破棄による軍事大国への転進などによって精神的、観念的に強行突破しようとするものに他ならない。

 そして、そのことによって私たちが失うものは、200万人の自国民の犠牲と、近隣諸国の2,000万とも3,000万ともいわれる犠牲を伴ったすぐる戦争の中から、私たちが歴史的に学びとってきた「不戦の誓い」であり、カントが世界平和論を著して以来、「始めて現実の国家に具現した平和をうたった憲法」なのである。


*現行の教育が抱える「いじめ」や「学級崩壊」、「基礎学力の低下」といった問題は、それ自身真剣に取り組むべき問題だが、それらは、今回の教育基本法の改定とは全く関係がない。
 それらはむしろ、文科省の紆余曲折した思いつきの教育方針の結果であり、その検証を抜きにしては語れない。
 さらにいうならば、この混迷した世相が子供たちに与える諸影響を、学校現場のみの責任で解消することなどは出来ない。
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2 コメント

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Unknown (游氣)
2006-11-23 21:38:40
漠然と感じていた小泉・安倍ラインの継続性と相補性が論理的に把握できました。
破壊者小泉内閣の危険なエクスキューズとしての安倍政権。温和な顔の中から鎧がちらりですね。
批評精神を持たない国民は放牧された羊のように簡単に向きを変えてゾロゾロ歩き出します。
こうした地道なサイトは貴重です。今後もご自愛の上お続け下さい。
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Unknown (六文錢)
2006-11-25 03:50:58
 游氣さま  いつもお読みいただきありがとうございます。
 また、今回は励ましのお言葉を頂き、大変心強く思っています。
 
 私の中では、これらを書く場合、貴兄は想定読者として中心的な位置にいらっしゃって、したがって、どんな駄文でも、貴兄に恥ずかしくないものを書きたいと念じている次第す。

 今後とも、よろしくお見守りいただければ幸甚です。

<追伸>前にご紹介いただいた、ひろさんも、ここを見ていただいたようで、感想など頂きました。
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