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ダジャレの効用? 六匹のカエルのウエルカム物語

2017-09-12 11:45:32 | 想い出を掘り起こす
 名古屋は今池の街で飲食店を経営していたことはたびたび書いた。
 閉店してからもう十数年になる。
 ほとんどのものを、その店を買い取った次の経営者にそのまま置いてきたり、常連客に記念で差し上げたりしたが、食器類などのほか若干のものを自宅へもって帰った。といっても、乗用車のトランクに入るぐらいだからたかが知れている。

 最近わが家を訪れた人が、玄関前の植え込みの傍らにあるものに気付いて、「可愛いですね」といってくれた。
 それがこの写真のカエルたちで、食器以外に持ち帰った数少ないもののひとつである。とくに価値があるものではないが、とても手放しがたい思い出があってもって帰ったものである。

     

 見ていただくとおわかりのように、茶色のカエルはそれぞれ子ガエルを背負っている。青いのは単独で二匹、合わせて六匹である。実はこの数、そしてこの茶色と青色の混合のなかに、それぞれ物語があるのだ。そして、それがゆえに持ち帰ったといっていいだろう。

 まずはカエルたちを入手したいきさつである。
 店をミニ改装した折である。私の店はカウンター前に氷を敷き詰め、そこにその日仕入れた魚類や野菜類を展示していて、顧客が、それを煮てくれとか焼いてくれという注文に対応するようにしていたので、その片隅に何かアクササリーのようなものがほしいと思っていた。

 ちょうどその折、陶器市かなんかの催しがあって、そこでまずは一番大きい親子ガエルを見つけて買おうとした。その時、陶器屋のおっさんがいった。
「お兄さん、客商売だろ?」 
 当時私は、いかにも客商売ですという面構えをしていたようだ。
「そうですがなにか?」
「だったら、カエルの一匹や二匹買うのはやめたほうがいいよ」
「どうして?」
「だってそれじゃぁ、せっかく来た客が《帰る》って、帰っちゃうだろう?」
「へぇ、そう。だったらカエルはダメということかな」
「そんなことはないよ。客が来るようにすりゃぁいいわけだから、どうせ買うなら六匹買いなよ。ほら、客を《六カエル=迎える》っていうだろう」

 そのおっさんおうまい弁舌に感心して、結局親子ガエルを大・中・小と三セット、つまり六匹を買って帰り、カウンターに飾った。
 カウンターの客が退屈している折など、「お客さん、そこにあるカエル、なぜ六匹かわかりますか?」と、さも自分のオリジナルであるかのようにそのいわれを話たりした。すると次回は、その人が連れてきた人にさらにそれを吹聴するなどして、常連客の間には、「六文銭(店名)の六カエル」としてすっかり定着し、店のマスコット的な存在になった。

 しかし、この話には続編があって、どのくらい経ってからだろうか、その三セットのうちいちばん小さなものが盗られてしまったのだ。もちろんさほど価値あるものではないから、軽いイタズラ心だったものと思う。
 その当時、飲食店から小物を失敬することはしばしばあり、それらはなんの罪悪感も伴わず行われていた。一番多いのは箸置き、これは家族の頭数に合わせて盗られるので、どんどん減ってゆく。消耗品のように何百個単位で仕入れていた。
 そのうちにこちらも知恵がついて、最初の頃は、魚や野菜などけっこう面白いデザインのものを使っていたが、それはやめにして、モノクロでほとんど模様のない地味なものを使い始めた。盗難はめっきり減った。盃や徳利も盗られた。徳利には店名を入れていたが、店を閉めたいまでも、どこかの家庭にあるのかもしれない。

 といったわけで、四カエルになってしまい、私が嘆いて、どこかで補充しなければと思っていた折から、当時の客は粋な人が多くて、何日かしたある日、常連さんのひとりが、「おんなじものがなくて申し訳ないが・・・」といって二匹の陶製カエルをもってきてくれた。それが上の写真の青い二匹のカエルだ。これは他のものと違って、おんぶはしていないバラだが、トータルで元のように六カエルになったことは間違いない。
 涙がちょちょ切れるほど嬉しかった。以来彼らは、盗難に遭うこともなく、閉店までカウンターで店内を睥睨し続けたのであった。

 こんな「六カエル」を、閉店するかといってむざむざ手放せないだろう。この置物たちには私の城であった店の思い出があり、とりわけ客との濃密な関係を築くことができた栄光の日々(?)の痕跡があるのだ。
 もって帰って以来、玄関先でいまも頑張っている。 
 ただし、客商売をやめたいま、訪れる人といったら新聞配達と郵便屋さん、それに時折、貧しい老人の懐を狙ったさまざまな勧誘人たちぐらいである。

 カエルたちも、手持ち無沙汰であろうと、私がときどき頭を撫でてやる。
 なんたって半世紀近い付き合い、私の守護神のようなものだから。



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