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青春をかすめた名古屋テレビ塔私話 今生の別れか?

2018-12-28 02:13:22 | 日記
 今年最後に名古屋へ出た過日、少し時間があったのでテレビ塔へ何十年ぶりかに登った。
 ここは、名古屋の中心部、久屋大通公園に建つ日本で最初に完成した集約電波塔である。その高さは180m、展望台は90m、その上階の野外展望台は100mの高さにある。

         
 なぜ、取り憑かれたようにここへ登る気になったかは、ここの営業が来春1月6日に一旦終了し、メンテナンスや改装のため20年夏以降まで閉鎖されると聞いたからである。
 二年近く先、傘寿を越えた私が永らえている保証はない。たとえ命はあったとしても、ここまで来てこの塔とまた対面できる健康状態にあるかどうかはまったく不確かだ。

         
 もちろんそれだけではなく、このテレビ塔に関しては、その誕生以来、私の青春をかすめるような思い出がかなりあるからである。
 最初にこの塔を見たのはまだそれが完成していない時期であった。 
 1953年、岐阜住まいの中学生だった私は、中日新聞の名古屋本社の見学に訪れた。その本社屋はいまのそれよりももっと中心部に近く、小さなビルだった。とはいっても、当時の岐阜の山猿から見たらけっこうな社屋ではあった。

            
 ここが社会部、これが新聞を印刷する輪転機といろいろ案内されたが、詳細はさっぱり覚えていない。
 鮮明に覚えているのは、屋上に伝書鳩の鳩舎があり、それ専用の担当者がいて、その説明を聞いたことだ。そうなのだ、まだ伝書鳩が記事運搬の一翼を担っていた時代なのだ。

 いまのように携帯もなく、メールもない時代にあって、僻地からの記事の送信は、記者が携帯した伝書鳩の帰巣本能に頼っていたのである。
 貴重な特ダネを託した鳩が、鷹に襲われてだめになったという話はその折に聞いたのか後でのものだったかは今となってはわからない。

            
 この新聞社見学の後、市の中心部に向かっていた私の目に飛び込んできたのが建設中のテレビ塔だった。何ができるのかはよくわからなかったが、当時の景観からしてそれは異様であり、とんでもないものができることを予感させた。
 この塔は、翌54年の6月に竣工しているが、岐阜にいた私にはその前後の記憶はない。

 次にお目にかかったのは55年、私が高校2年生の折だが、そのときは至近距離からではない。岐阜から名古屋で中央線に乗り換え、長野県に至る行程で、東海道線の枇杷島あたりから中央線の大曽根あたりまで、テレビ塔はずーっと左手にそびえていた。この区間は、鉄道の経路そのものがテレビ塔を中心に弓弧に描くように走っていたからである。当時はまだ高い建物はあまりなかったから、その区間ではず~っと見えていた。

         
 遠目からの眺めだったが、ああ、あの時の鉄骨がこんなふうにそびえているのだとある種の感慨にふけった。その頃、ひとつ年上の文学少女だった人との三度目ぐらいの初恋に悩んでいたので、当時の列車の切ないようなリズムともども、その記憶は苦くしょっぱい味を伴っている。

 その次にお目にかかったのは1956年末か57年初頭、名古屋の大学に入学試験の申込み願書を提出に行った折である。進学校ではなかった私の高校では、教務がそれらを手配してくれることはなく、自分ですべてを行わねばならなかった。
 その帰途、私は出来上がったそれと至近距離で対面した。途上のそれは、なんともつかない中途半端で無骨な様子だったが、出来上がったそれは、収まるべきものが収まるところに至ったという感じで、異様は威容へと変じていた。
 しかし、その折には、それから3年ほど先に、その塔の足下の広場にあれほどお世話になるとはまったく思っていなかった。

         
 1957年春、私は運良くその大学に潜り込むことができた。
 かくして、名古屋が日常の場である私にとって、テレビ塔は遠い都市のシンボルから一層身近なものになったというわけである。

 本題にゆきつく前にじゅうぶん長くなってしまった。私の悪い癖だ。ここらで一旦中断し、続きは明日か明後日に載せようと思う。  (続く)

 
 写真は建設途上のTV塔(これはネットからの借用)と、同塔展望台からの陽が上がっている間の映像。次回は、陽が落ちてからのものになる予定。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (土川三郎)
2018-12-29 10:55:25
懐かしい場所ですね。随分上ってません。
きっと、三嶋さんも2年後もお元気だと信じます。名古屋の懐かしい場所を、ぜひご訪問ください。
返信する
ありがとうございます。 (六文銭)
2018-12-29 11:10:12
>土川さん
 二年後も元気でいられたらと思っています。
 この続きで、この場所がなぜ私にとって懐かしいのかを述べるつもりです。
返信する

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