ぼく つばくろう、つばめのこです。
あ、これはぼくではありません。
これはぼくのおかあさんで、このときぼくは、まだおかあさんのおなかのしたで、たまごからでることができるひをまっていたのです。
あ、これもぼくではありません。
でも、おかあさんでもありません。
よくみると、まだくちばしがきいろいでしょう。
もちろん、まだとぶこともできません。
これはぼくのきょうだいなのです。
で、これがぼくです。
ぼくもまだとべないし、くちばしもきいろです。
でも、ぼくのこのおうちってすこしかわっているとおもいませんか。
もうすこし、ひいてみましょうか。
ほら、こんなになっているのです。
これは、にんげんというどうぶつが、ぼくのためにつくってくれたのです。
もともとぼくは、おかあさんやきょうだいとおなじところにいたのですが、あるひそこからおっこちてしまったのです。
ぼくはがんばって、まだとべないはねをせいいっぱいひろげたりしたので、さいわいけがをしないでちゃくりくすることができました。
それをにんげんがみつけてくれたのです。
にんげんはかんがえたようです。
すがせまいのだろうか、きょうだいがいじわるをするのだろうか。
そこでにんげんは、ぼくのためにとくべつのおうちをつくってくれたのです。
ですからぼくときょうだいは、いまこんなふうにむかいあっています。
はじめは、おかあさんがぼくのところへも、ちゃんとたべものをもってきてくれるのだろうかとしんぱいでした。
でも、きょうだいにまけないように、くちをせいいっぱいあけて、ピーチャカ パーチャカとさけんだおかげで、ぼくもたべものをもらうことができました。
やはりおかあさんは、きょうだいとおなじように、ぼくもたいせつにしてくれるのだとおもいました。
そして、ぼくにこんなにすてきなおうちをプレゼントしてくれたにんげんにかんしゃしなくっちゃぁとおもっています。
きけばにんげんというどうぶつは、おたがいにころしあったり、いっぺんになんにんもころしてしまうおそろしいどうぐをつかったころしあいもするそうです。
でも、ぼくにすてきはおうちをつくってくれて、ぼくのいのちをすくってくれたのもにんげんです。
にんげんってふしぎなどうぶつですね。
みてください、おかげでかおつきもすこしおとなびてきたでしょう。
ほら、はねなんかもすこししっかりしてきたとおもいませんか。
もうすぐ、ぼくはとびたちます。
すこしあきらしくなったあおぞらにむかって。
じゆうがぼくをよんでいるのです。
そのとき、ぼくはすなおに、にんげんにありがとうというつもりです。
ぼく つばくろうは、きょうもげんきです。
*この燕たちの様子は、ほとんど毎日通っている病院の近くでみつけたものです。
残念ながら、燕を救ったのは私ではありません。
強く育って、巣立ちをして下さいね。祈っています。
おっちょこちょいの末っ子でしょうか。元の巣に兄弟がいますが一羽のみで、ツバメの世界にも少子化が進んでいるのでしょうか?
それにしてもつばくろうくんの巣は何を利用したものか気になるところです。
ねこにおうえんしてもらったつばめなんてせかいじゅうでぼくだけだとおもいます。
とてもほこりにおもいます。
ぼくも、さんこさんの「だっそう」やぼうけんが、さんこさんのせかいをひろくすること、だけど、ぶじにおばママのところへもどれることをいのっています。
(つばくろう)
>くろあしまるさん
先般い引き続いてのコメントありがとうございます。
ご指摘のように、燕は日本にいる間に二度子供を産むようですね。
ところでつばくろうの人工巣の素材、本当に何でしょうね。
底面が網になっているので篩かと思いましたが、それにしては側面にも隙間がありますし、また、形状も楕円形です。
どうも台所用品などではないようです。
これは、病院の近くの調剤薬局の軒下ですから、そうしたところで用いる特殊な器かも知れません。
六文錢