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アバドをめぐる思い出とザルツブルグで出会った音楽家たち

2014-01-22 15:46:27 | 想い出を掘り起こす
 クラウディオ・アバドがその80歳の生涯を閉じたそうです。
 そんなに熱狂的なファンというわけではありませんでしたが、ベルリン・フィルなどとともに、さまざまな媒体で聴いたその音楽が思い起こされ、とても寂しい気がします。
 所持するCDをチェックしたら10枚ほどになります。FMからエアー・チェックしたテープを入れると、はるかに多くなるでしょう。

 アバドといえば、クラシックの世界でも超ビッグな存在でしたから、来日の際のライブは聴いたことはありません。ただし、1991年のモーツァルト・イアーに、ザルツブルグで彼とベルリン・フィルを聴いたことがあります。
 曲目はブラームスのピアノ協奏曲第2番(Pf:ブレンデル)と同じくブラームスの交響曲第4番でした。

   
            アルプスを背景としたザルツブルグ旧市内

 当時の日記を見ると、現地時間で8月29日のことでした。
 以下、当時の日記からです。

 「ブレンデルの叩きつけるようなタッチが続く。重厚なバックのオケに対しては、これくらい叩かないと協奏にならないのだろう。一緒に聴いたひとが後で、この曲をよく弾くピアニストはぎっくり腰になるのだと教えてくれた」
 実際に中腰になっての演奏は力仕事を連想させるものでした。

 
          アバド                  ブレンデル
 
 続いて交響曲4番について。

 「第2楽章でハプニングが起きた。この楽章でもっとも静かだと思われるところで、コントラバスの奏者が椅子の上においていた荷物がバタンと大きな音を立てて落っこちたのだ。瞬間、客席がざわめいた。録音されているのはあきらかだったので、いずれ、NHKFMなどでオンエアーされることだろう。そのときに聴くのが楽しみだ」

 以上は現地でホテルへ帰ってからの日記ですが、その予想の通り、これは翌92年の3月19日にオンエアーされました。で、その音ですが、見事にバタンと響いていました!「おっ、その時私はそこに居た」というほとんどどうでも良い感慨を覚えました。

 
         ハイティンク                  ジュリーニ
 
 さらに終演後です。
 「アバドの人気はすごい。何度かの拍手に応えて挨拶をしていたのだが、楽団員が引き上げてもある一団がなおも拍手や足踏みを繰り返す。とはいえ、もう掃除のおばさんたちが出てきて舞台を片付けはじめたので、私も腰を上げて出口へ向かおうとしたとき、ひときわ大きな歓声が上がったので振り向くと、なんと、アバドが掃除のおばさんが立ち働いている舞台に出てきて、今一度深々と頭を下げたのであった。
 どうやら、最後まで騒いでいたのはイタリアからやって来たファンのようだが、それにしても、楽団員がとうに着替えたような頃に出てくるなんてすごいと思った」

 思えば当時は50代後半で、アバドがもっとも油の乗り切った頃だったかもしれません。それにしても、その人柄を垣間見るようなシーンでした。

 アバドに改めて感謝と合掌を!

 
         ショルティ                   デイヴィス

 これに触発されて、その折(1991年夏)にザルツブルグで聴いたり出会ったりした音楽家たちのその後について調べてみました。
 上に記したピアニストのブレンデル(1931年生まれ)は2008年をもって引退し後進の指導に徹しているうです。

 『フィガロ』を振ったベルナルド・ハイティンクは2004年にこの世を去っています*。幕間に、オーケストラ・ボックスにあった彼の譜面をみたのですが、実にこまめに色も変えて、さまざまな書き込みがなされていました。
 あまり細かいので、実際に振っている際にはすべてを読み取ることはできないだろうと思いました。しかし、彼の予習のようなもので、そこに書き込まれたことどもは彼の頭にすべて入っているのでしょう。

 モーツァルト・イアーのひとつのハイライトであるモーツァルトが洗礼を受けたという大聖堂での『レクイエム』はカルロ・マリア・ジュリーニが振りましたが、彼ももう鬼籍に入っています(1914~2005)。そして、この演奏を客席で聴いていたゲオルグ・ショルティも逝ってしまいました(1912~97)。ショルティは同じ年、この『レクイエム』をウィーンのシュテファン教会(モーツァルトが結婚式を上げ、またその葬儀が執り行われた所)で、どんぴしゃり200年目の命日、12月5日に振ったということです。

 もう一つの歌劇『皇帝ティトの慈悲』はコリン・デイヴィスが振りましたが、このひとも昨年4月にこの世を去っています(1927~2013)。とても端正な指揮ぶりだったと記憶しています。

           
                 これはわかりますよね。

 こうして見てくると、私が1991年にザルツブルグで出会った指揮者たちのうち、今なお現役で頑張っているのは、当時、ボストンを率いていた小澤征爾氏のみです。
 この演奏会、私の席は最悪で、最前列の左端に近いところでした。ただし、唯一いいことは、小沢氏が舞台裾へ引っ込む際、私のほんの3メートルほど先を通るのです。何回かの行き来の際のあるとき、私は勇気を振り絞って舞台裾へと歩を進める彼に、「小澤さん!」と声を掛けたのです。
 それは確実に彼の耳に達しました。その証拠に、微笑みながら私に軽い会釈をしてくれたのです。ミーハーですね。

 ご承知のようにいま小澤氏は、闘病をしつつも音楽の現場で頑張っています。2、3日前も、少年少女のブラバンに耳を傾け、アドヴァイスをしている彼の映像をTVで観ました。彼は、私より3歳歳上なだけです。病を克服さえできればまだまだこれからも私達に感動を与えることができると思います。
 
 
<小澤さんへの追伸> 
 小澤さん、アバド亡き後、私のあのザルツブルグでの至福の一週間を共有する人は、もうあなたしかいないのですから、はやく健康を取り戻してほしいと思います。
 ザルツブルグに滞在中に、あなたがよくゆくと聞いた中華料理店にも行きましたよ。
 中華料理には暗い私ですが、あなたがこの店を好まれる理由がわかるような気がしました。白飯がとても美味しかったのです。


上記に「ベルナルド・ハイティンクは2004年にこの世を去っています。」と書きましたがこれは誤りです。氏はご顕在で、今もタクトを振っていらっしゃいます。大変失礼いたしました。




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2 コメント

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Unknown (にんじん)
2014-01-22 18:40:53
 小澤征爾さんの「戦争レクイエム」を聴きながら、醍醐聰東大名誉教授(30年前は名市大助教授)のブログを開いて、思わず「あぁ、まだこんなこを・・・」と声を出してしまいました。
 醍醐さんが書かれていたことは、都知事選公示後は控えねばならないと思うのですが、それはこんなことでした。
  
=憲法改悪阻止各界連絡会議の事務局長から、靖国訴訟の原稿を依頼された澤藤統一郎氏が早速に寄稿すると、会誌には掲載できなくなったと告げられた。
澤藤氏が理由を聞くと、「宇都宮さんを批判しているから」とのこと。
 醍醐さんのこの一文のタイトルは「護憲を掲げる団体が自由な言論を抑圧するおぞましい現実!」
返信する
Unknown (六文錢)
2014-01-22 23:09:32
 昔ながらの「代々木」のやり口ですね。
 ネットでは宇都宮支持者たちが桝添批判よりも細川叩きにせいを出しているようにも見受けられます。
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