人工庭園には
人工でないものが散りばめられていて
それがこの庭園が人工であることを
顕わにしている
顕わなものの下には
いわゆる底辺があって
凝視や錯視 監視や蔑視などの
高射砲陣地がある
だからここを歩くと
足の裏からしっかり透視される
尾骶骨とと前頭葉の距離が
測定され記録される
人工庭園には魔物はいない
のっぺらぼうを除いては・・・
名古屋TV塔をよぎるUFO 合成ではありません
*映画「空中庭園」ですばらしい映像を見せた豊田利晃、クスリでパクられたあと、やはりナチュラル・ハイは無理なのだろうか?
枯山水は人工庭園でしょうか?
小堀遠州は人工庭園の設計者でしょうか?
英国のボタニカルガーデンは人工庭園でしょうか?
庭園とは、そもそも、およそ、人工では?
おっしゃるように、すべての庭園は人工庭園であり、人間が欲望する自然の模写、もしくは抽出ですね。
ですから、その意味では「人工庭園」は自家撞着に過ぎません。
が、敢えて使ってみました。
映画、「空中庭園」との対比もありますが、現在のIT化された庭園、デジタル庭園には、かつて先人たちが描いた自然との同化の願い(それが幻想であったにしても)とはまた異質なものが感じられるからです。
それらは、敢えて自然との隔絶を表象しているようで、それの良否はさておき、それが現代における「人工庭園」たる所以でしょう。
ただし、拙文は直接にそうした人工庭園を表現したものではなく、いわんや、写真に載せた「オアシス21」を直接論じたものでもなく、その形状や機能から得られるイメージを拝借して、ある種の心象風景を書き殴ったものです。
従って、論理的な検証に耐えうるものではありませんし、そのレベルで正当化するつもりもありません。
*ですから、「公園の底辺に高射砲陣地があるはずがない」といわれればその通りというほかありません。
ただし、私の幼少時、疎開先のすぐ近くの柿畑の中に高射砲陣地があり、その折の記憶が関わってはいます。
その高射砲陣地ですが、その地区の空襲時にはもはや砲弾もなく、またあってもB29の高度には届かず、陣地の兵士たちはひたすら爆撃による火災の消火にあたっていました。