以下のメールは、実際のものに若干手を加えたものです(ほとんど原文)。
一番上の写真は、ネット上の友人、「破レ傘」さんがお見つけになったものの転載です。
1900年頃、オーストリアのリンツ実業学校でのもので、かのヒトラーとヴィトゲンシュタインが同級生として一緒に収まっている珍しいものです。
ちなみに、ハイデガーは学校は違いますが(彼は神学校)、この二人と同年です。
以下で問題になっている時代は、もちろん、彼らが成人してから後のものです。
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この度は、大変お世話になりありがとうございました。
さて、拙文に関連してお勧めいただいた、市村弘正氏の『敗北の二十世紀』、一応読了しました。一応というのは、野暮用などに追われ、あとでもう一度詳しく読み返したいところなどが若干残っているからです。
拙文では、さらっとだけ触れて詳論しなかった問題、世界喪失(世界疎外)を、市村氏はハンナ・アーレントの提起を軸としながら、同時代的広がりのうちで横断的に検証しているように読みました。
その検証は同時代の彼我の思想家や詩人、文学者などの「敗北」への対峙を参照しながら行われるのですが、その起点と終結は、冒頭に近い部分と結語部分とのアーレントからの引用によって占められているようです。
「始まりというものは、それ自体すべての終わりに含まれている」と、「きわめて明瞭にひとつの終わりとして現れるものは、われわれがまだその深い意味を把握できていないものの始まりとすることで一層よく理解される」という記述に挟まれたそれぞれの思想家たちの占める位置は、アーレントのそれに時代としては呼応しながらも、また、その差異性をも示しています。
いずれにしても、たえず要請されている『敗北の二十世紀』の批判的叙述という「始まり」へと呼応し続けないならば、二十世紀の残した問いは二重の敗北として帰結するのではないかという市村氏の開かれた結語が、今なお、この問いが未完のものであることを示しています。
なお、市村氏の年代史的叙述にとってはそのパーツにしか過ぎないかも知れませんが、私の年代(と一般化できるかどうかはさておき)にとっては、60年安保とそれに続く事態、具体的には浅間山荘へと至る一連の経過とがオーバーラップします。
当時私は、それらの「敗北」の過程とそこに提起されているものを対象化できないまま、デスペレイトな生活を10年余にわたって送ってきました。「俺らはやったよなぁ」という60年世代や全共闘世代の自己肯定に背を向けながら、あるいは、言葉として語られた「自己否定」にも、なにやら空疎なものを感じながらでした。
80年代から、方向性もないまま勉強を再開しました。とはいえ、誘導灯を待たない暗闇での手探りのようなものでしたから、いってみれば不定愁訴と強迫観念を推進力とした出鱈目なものでした。
そんな中で出会ったのがアーレントです。
もちろんアーレントが特効薬などということではなく、彼女が投げかける問い(市村氏がまとめたような側面を含めて)が、私にとって問題を整理して行く上である種の有効性を待ち続けているということです。
学者ではありませんから、「アーレントを学ぶ」という意識は希薄ですが、上に述べましたように、彼女が参照項として有効である間はつきあって行きたいと思います。
なお、市村氏の当該書に関わられた編集者としての貴兄のお仕事に敬意を表します。
いい本を紹介していただきました。
拙文掲載のものへの細微にわたる暖かいご支援へと共々、感謝致します。
今後とも、よろしくお願いいたします。
一番上の写真は、ネット上の友人、「破レ傘」さんがお見つけになったものの転載です。
1900年頃、オーストリアのリンツ実業学校でのもので、かのヒトラーとヴィトゲンシュタインが同級生として一緒に収まっている珍しいものです。
ちなみに、ハイデガーは学校は違いますが(彼は神学校)、この二人と同年です。
以下で問題になっている時代は、もちろん、彼らが成人してから後のものです。
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この度は、大変お世話になりありがとうございました。
さて、拙文に関連してお勧めいただいた、市村弘正氏の『敗北の二十世紀』、一応読了しました。一応というのは、野暮用などに追われ、あとでもう一度詳しく読み返したいところなどが若干残っているからです。
拙文では、さらっとだけ触れて詳論しなかった問題、世界喪失(世界疎外)を、市村氏はハンナ・アーレントの提起を軸としながら、同時代的広がりのうちで横断的に検証しているように読みました。
その検証は同時代の彼我の思想家や詩人、文学者などの「敗北」への対峙を参照しながら行われるのですが、その起点と終結は、冒頭に近い部分と結語部分とのアーレントからの引用によって占められているようです。
「始まりというものは、それ自体すべての終わりに含まれている」と、「きわめて明瞭にひとつの終わりとして現れるものは、われわれがまだその深い意味を把握できていないものの始まりとすることで一層よく理解される」という記述に挟まれたそれぞれの思想家たちの占める位置は、アーレントのそれに時代としては呼応しながらも、また、その差異性をも示しています。
いずれにしても、たえず要請されている『敗北の二十世紀』の批判的叙述という「始まり」へと呼応し続けないならば、二十世紀の残した問いは二重の敗北として帰結するのではないかという市村氏の開かれた結語が、今なお、この問いが未完のものであることを示しています。
なお、市村氏の年代史的叙述にとってはそのパーツにしか過ぎないかも知れませんが、私の年代(と一般化できるかどうかはさておき)にとっては、60年安保とそれに続く事態、具体的には浅間山荘へと至る一連の経過とがオーバーラップします。
当時私は、それらの「敗北」の過程とそこに提起されているものを対象化できないまま、デスペレイトな生活を10年余にわたって送ってきました。「俺らはやったよなぁ」という60年世代や全共闘世代の自己肯定に背を向けながら、あるいは、言葉として語られた「自己否定」にも、なにやら空疎なものを感じながらでした。
80年代から、方向性もないまま勉強を再開しました。とはいえ、誘導灯を待たない暗闇での手探りのようなものでしたから、いってみれば不定愁訴と強迫観念を推進力とした出鱈目なものでした。
そんな中で出会ったのがアーレントです。
もちろんアーレントが特効薬などということではなく、彼女が投げかける問い(市村氏がまとめたような側面を含めて)が、私にとって問題を整理して行く上である種の有効性を待ち続けているということです。
学者ではありませんから、「アーレントを学ぶ」という意識は希薄ですが、上に述べましたように、彼女が参照項として有効である間はつきあって行きたいと思います。
なお、市村氏の当該書に関わられた編集者としての貴兄のお仕事に敬意を表します。
いい本を紹介していただきました。
拙文掲載のものへの細微にわたる暖かいご支援へと共々、感謝致します。
今後とも、よろしくお願いいたします。
「社会の喪失」という市村著があったはずと押し入れに入りましたが見付けられず、たしかなことは言えませんが、私がこの本を求めたのは、「喪われ行く社会的なものを回復することは出来るだろうか」といった帯に惹かれてのことでした。
そしてたしか、「国家に反抗する社会」というリードの中でのコンミューンづくりが語られていた覚えがあり、そこから始る三題噺であります。
「のちの時代のひとびとに」というブレヒトの詩の中にある「不正のみ行われる反抗が影を没していた時」という一節の「抗」は、殆ど「反抗」と訳されていると思うのですが、
ハンナアーレントは、この「抗」を「反抗」でなく「暴動」! と翻訳しているというのです。
『社会の喪失』、調べてみたら中公新書にありました。
私は未読ですが、目次で見ると
1 戦争について
2 歴史について
3 解放について
4 自由について
5 世界について
6 言語について
7 社会について?あるいは境界線をめぐって
となっていて、一つ一つの問いが明確で、面白そうですね。
今日は、図書館で、林氏お勧めの『小さなものの諸形態』
を借りてきましたが、その後で、上記を読んでみようかなと
も思います。