今日、文化の日は、戦前は明治天皇の誕生日にちなんだ「明治節」という休日だった。
それをなぞり、11月3日を「文化の日」から「明治の日」とするよう促す日本会議をはじめとする署名運動がかなりの数を集めているという。
その背景には、メディアによって醸成された「週刊誌天皇制」による皇室への賛美(安倍よりましという自称リベラルのそれも含めて)もあるのかもしれない。
しかし、ここには祝日に関する発想そのもののとんでもない逆コースがが潜んでいることに気をつけなければならない。
戦後、祝日は「国民の祝日」とされ、その主体は国民によるものとされた。何故わざわざそんなことが規定されたのかというと、戦前の祝日は国民のものではなく、天皇家のものだったからである。
それらは、神武天皇の即位した日(2月11日)=紀元節、昭和天皇の誕生日=天長節(4月29日)、明治天皇の誕生日=明治節(11月3日)、宮中行事としての新嘗祭(11月23日)などなどであった。
ようするに「国民の」ではなく「天皇家の」祝日だから臣民も休めという上意下達の休日だった。
したがって、冒頭に書いた「明治の日」への改変運動は、単に休日の一日の名称を変えるというにとどまらず、休日そのもののコンセプトをも変えかねないトンデモ逆コースの試みというべきなのだ。
もしこの試みが実現し、「文化の日」がなくなるとしたら、もともと科学技術以外の文化を軽んじるこの国の文化政策はさらに減退し、多面的なその文化の豊かさは大きく損なわれるであろう。
そして、ある特定の価値観による国民の統合が進み、大多数のもの言わぬ民と、少数のものを言うけれど、その都度、抑圧され、抹殺される民とに分離され、やがて人々が多様でありうる世界が失われるであろう。
それが戦前の日本であり、無謀な戦争に突入する時点では、それに警鐘を鳴らし、それを阻止する言説の余地はすでに失われてしまっていた。
*なお、「昭和」と「明治」が強調されるなか、「大正」にはまったく触れないところに、これら論者のきわめて恣意的なものが感じられる。大正天皇の内実には謎が多いが、明治と昭和の時代は日本が武力をもって拡張政策を強行した時代だった。